C62。日本最大の蒸気機関車。
 全長21475o、動輪直径1750o、運転整備時重量145.17t。
 かつて東海道・山陽本線で特急を牽き、やがて一部が北海道に渡り重連で急行列車を牽いて蒸気機関車時代末期の華を飾った。
 その姿は、少年時代の私たちにとって大いなる憧れだった・・・。

小樽築港にて

 C623号機 略歴
1948年 日立製作所笠戸工場にて落成(D52458の丙缶を流用)
糸崎機関区新製配置
1950年 梅小路機関区に転属
1953年 特急「かもめ」牽引開始(牽引区間:京都〜広島)
(当初はC59と共通 1955年よりC62所定)
1956年 東海道本線電化完成により、小樽築港機関区に転属
C62型の渡道一番手として北海道に渡る
以後、函館本線にて急行「アカシヤ」「大雪」「まりも」「ていね」「ニセコ」を牽引
1974年 第二種休車指定
1976年 用途廃止
1986年 小樽築港機関区にて復元工事開始
1988年 復元完了 「C62ニセコ」運転開始
1995年 「C62ニセコ」運転終了
以後、苗穂運転所にて保管

運行開始ポスター

 1988年の早春、たまたま本屋で立ち読みしていた鉄道雑誌の目次にC623が単機試運転している写真が載っていました。現役蒸機終焉以来、大井川鉄道と山口線に年に数度足を運ぶだけで、まして情報収集の努力をまったく怠っていた私にとって、それは衝撃的なニュースでした。あのお金もなく、ロクな装備もなかった中学・高校時代、自分にとって偶像であったC62が帰ってくる!すぐさまほとんど音信の絶えていた昔の仲間に連絡をとり、あらゆる情報をかき集め、4月24日から2週間の休暇を取って北へ旅立ったのでした。
 こうしてC62狂いの8年間が始まりました。それまでさほどではなかった年休消化率が一気に上昇、時には他人の休日出勤を肩代わりしてムリヤリ代休を発生させて、そのすべてをC62につぎ込んだのです。それまで85ミリと135ミリしかなかった望遠レンズも次々と買い足し三脚も新調・・・。会社の同僚からは「札幌行き定期便」とアダ名をつけられ、行先告知板のホワイトボードには「汽車休」と書かれる始末でした。
 結局、8年間の通算撮影日数115日。費やした経費は計算不能・・・。自分の趣味人生の中でもっとも充実していた8年間だったように思います。
 この8年間、C623は数え切れないほどの思い出と、たくさんの友人を私にもたらしてくれました。今、苗穂で休んでいるあの巨体に再び火が入り、もう一度私たちの胸をときめかせてくれることを信じています・・・。
 そのC623への思い入れの全てをひとまとめにしてみました。
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