ホームタウン大磯町のあれこれ

The Oiso-machi of the hometown this and that


概要


ここ大磯町に在住して早くも24年が経過した。

ここ大磯は平安時代末期から国府が置かれ又徳川時代には東海道の宿場町として栄えた。

明治以降は初代軍医総監松本順の尽力もあってわが国最初の海水浴場が開かれ(明治18年)、明治
41年、日本新聞社の国内避暑地百選の全国投票で一位に選ばれた。

それらの経過もあって、東京に近い保養地、避暑地として、初代首相の伊藤博文公別邸の滄浪閣を初
めとして、山県有朋、西園寺公望、大熊重信、原敬等の元首や多くの政治家、三井、三菱、安田等の旧
財閥、多くの文化人の別荘が明治末期には150に及んだそうである。

近くは戦後の苦難の時期、ワンマン首相として名を馳せた吉田茂の旧邸(養父の貿易商吉田健三が明
治17年に別邸を建てたのが始まり)や文豪島崎藤村が晩年(昭和16年〜18年)を温暖なこの地で過ごし、
夫妻の墓所もここ大磯に置かれている(地福寺)。

海岸に沿っては主に政治家の別荘があり、山の手には財界、文化人の住居、別荘があった。今もうっそう
と茂った松林の中に歴史を感じる建屋も散在するが、海岸の大部分はプリンスホテルが管理、活用し、特
に最近はマンションや分割しての宅地転用が盛んで、私が居住を始めてからも、その変遷は激しく、落ち着
いた静かな雰囲気が消されつつあるのは大変残念に思う。

話はがらりと変わるが、昭和の初め頃の歌謡曲に「天国に結ぶ恋」と云うのがある(作詞:柳水巴、作曲:
林順平)明るい歌では無いが、珍しく大磯が題材の歌なので、歌詞を紹介して置く。私は何とはなく聞かさ
れたのであろうメロディーを覚えている。大磯町の図書館で目に止まった。御存知の方もおられると思う。
最後の歌詞の「坂田山」は大磯駅から湘南平への途中の山で、下記地図の高田公園の上部である。
            
    ♪ 今宵名残の三日月も 消えて寂しい相模灘、涙にうるむ漁火に、この世の恋の儚さよ♪
    ♪ あなたを他所に嫁がせて、なんで生きよう生きらりょう、僕も行きます母さまの、お傍に
      あなたの手を取って♪
    ♪ 二人の恋は清かった、神様だけが御存知よ、死んで楽しい天国で、あなたの妻になりますわ♪
    ♪ いまぞ楽しく眠りゆく、五月青葉の坂田山、愛の二人をささやくは、やさしき波の子守唄♪

 



大磯町中心部の地図(左下が我が家:駅から2km)


写真で町の紹介(クリック)