名 称
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樫永一男建築研究所
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事務所登録
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一級建築士事務所
大阪府知事登録(へ)9957号 |
所 在 地
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〒530-0042
大阪市北区天満橋1-3-21タカセビル3F
tel/06-6357-5199 fax/06-6357-0316
http://www.kasinaga-ao.com
kasinaga@mvg.biglobe.ne.jp
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代 表
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樫永一男
一級建築士 大臣登録 139352号 |
設 立 |
1980年 4月 |
受 賞 暦
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1989年大阪府建築コンクール 渡辺節賞/受賞 [春夏秋冬]
商空間デザイン賞 /入賞
二科展(絵画部門) /入選
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経 暦
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1950年
1968年
1971年
1978年
1980年
2000年〜
2006年 |
大阪生まれ
都島工業高校
大阪工業大学
西林建築設計事務所
2月〜10月 ヨーロッパ一人旅
樫永一男建築研究所 設立
梅花女子大学 非常勤講師
第52回大阪府建築コンクール審査員 |
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自己紹介
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私は、大阪の下町、職人気質の残っていた十三の長屋で生まれ育ちました。姉が三人で、待ちに待った男の子でした、だから一男と名を付けられたと聞いています。ごく普通のサラリーマンをしていた父親でしたが、何故かバイオリンを習いにどこかへ休み毎に日参していた記憶があります。何度となくあまり旨くないバイオリンを聞かされたことがありました。
その父は、早く亡くなりました。この歳になり感慨するのは、建築へ志向した源泉は、どうもこの辺にあるに違いないと思うのです。ゲーテ曰く「建築は、凍れる音楽である」と謳いました。父との繋がり、そして父へのオマージュを感じているところです。
高校は、工業高校でした。だから、16歳から建築についてああでもない、この方がカッコ良いのではと考えるようになりました。美術部に入り、夜は、少林寺拳法を習いに道場に通いに行っていました。
この原体験が私の建築観を形成したと思っています。と言いますのは、いつも建築を創る手法を、美学的配慮と同時に空間構成に強度を求める事からスタートするからです。
家族は、愛妻と息子が1人です。そして、16歳になる亀君という名前のクサガメが同居しています。
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建て主への
メッセージ
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私は、強いて言えば建築より人間の方が好きです。その人間とは、施主であったり、街行く人々であったり、時には未来の子供達をイメージしています。
この事を、先ずコミュニケートする必要があると感じます。とかく表現者(建築家)は、自戒の念を込めて申せば、自己表現の為に恣意的に成りがちであります。
大事なのは、時代性、場所性、経済性等々について施主と対話することが、優先される事と思います。
だから、私は個人住宅からマンション、オフィスビル、店舗等、建築の範囲を限定せず、人間が入る空間を求められれば仕事をさせて頂きたいと考えています。
そして、この世界に人々に感動を与えることができる建築を一緒に創り、社会に還元できればと思っています。
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