チェコ・オーストリア中世の街並みを列車で巡る8泊10日の旅(08.11.15〜08.11.23)![]() 列車の様子 プラハ クトナホラ テルチ クルムロフ ザルツブルグ ウィーン ホテル |
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4度目のヨーロッパは長女が切望したチェコの中世の街並みを訪ね、妻が憧れるベートーベン・モーツアルトを訪ねる旅となりました。そして私の憧れる、ヨーロッパを列車で巡る旅が実現しました。飛行機、ホテル、列車、コンサートは全てインタネットで予約し、予算は一人当たり、飛行機代13万、ホテル代4万(朝食付きで1泊平均5000円)、列車代が3万、昼夕食代が1万6000円(外食3回、後はスーパーなどでパンやハム、野菜、お酒など買出し)、施設入場代(コンサートと人形劇で1万)やお土産代等が3万4000円で、合計25万円です。飛行機代や列車代(ユーロパス)は8月に決済してるので、最近のユーロ安の恩恵を受けてませんが、現地払いのホテル代や食事代、お土産代は助かりました。 日程は15日の夜にアムステルダム経由でプラハに到着、2泊して列車で、クトナホラ経由でテルチに1泊(200キロ4時間移動、右地図で赤の線)、クルムロフに1泊(200キロ4時間移動、青の線)、ザルツブルグ1泊(300キロ5時間、緑の線)、そして最後にウィーン3泊(250キロ3時間、朱色)して23日に現地を離れました。 11月に入るとシーズンオフで、地方のクトナホラ、テルチ、クルムロフなどでは、施設入場が出来ないところもあります。気温は北海道並でしょうか、旅の前半は、最高気温が8度、最低気温が零度でしたが、最後のウィーンでは雪が舞い、いい思い出になりました。通貨は、チェコがコルナ(5円程度)、オーストリアはユーロです。物価はチェコが安いですが、オーストリアもパリやロンドンに比べれば安いですし、勤勉で親切な国民性が感じられ、怖い目にあう事もありませんでした。 |
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![]() 往きは、KLMで成田から12時に出発です。夕食、夜食、朝食、アイスにワイン、ビールも豊富です。 |
![]() アムステルダムでチェコ航空に乗り換え。きれいなスチュワーデス、スタイルもいいです。 |
![]() プラハに21時に到着。ホテルから車の迎え(700コルナ)があり楽チンです。 |
![]() 帰りの23日の朝7:30、ウィーンからホテルの車で空港へ向かいますが道は凍ってます。150キロ出してましたがさすがベンツゆったりしてます。 |
![]() アムステルダムで乗り換え、これで成田に帰ります。 |
![]() 空港でキーラ・ナイトレイのCHANELの巨大ポスターにどっきり。 |
![]() お土産、お菓子シリーズとマリオネット、野菜の種 |
![]() カレンダー、絵葉書、等など |
![]() 娘のアクセサリー |
列車の様子 娘が行きたいのは、プラハもちろんですが、中世の街並みが残るチェコの田舎の街です。そして妻が行きたいのは、モーツアルトゆかりのザルツブルグ、ウィーン。これを満たすには、チェコ・オーストリア2ヶ国周遊のユーロパス。使用開始から4日使える1等車で一人2万6千円です。そしてトーマスクックの時刻表とOBB(オーストリア国鉄)のHPでタイムスケジュールを検討し行程を決定。特にOBBのHPはチェコも含めて駅名を指定すれば、乗り換えも含めてタイムスケジュールが出てきます。途中駅も出ますので車内アナウンスも無い列車ではとても重宝します。 ユーロパスは使用開始する時に駅員にスタンプと開始日付を記入してもらうバリデーション手続きが必要ですが、プラハ駅では、英語がわかる人が少なく、ようやく乗車15分前に話が通じる駅員に手続きしてもらいました。(この人は日本語もOKでした) |
![]() 左がトーマスクックの時刻表2000円と右がOBBのHPから出力した行程表。 |
![]() 右上がユーロパス、下がザルツブルグ〜ウィーンの指定券。左はプラハに20分有効18コルナの地下鉄券、下がウィーンの地下鉄,、路面電車、バスが72時間乗り放題のウィーンカード。 |
列車1日目(11/17) プラハ→クトナホラ→ブルノ→コストレッツ・ウ・イフラヴィ→テルチ プラハを2時頃出発し、クトナホラに3時ごろ着。ここで聖墓地教会を見学し5時の列車に乗り、2回乗り継ぎ目的地テルチに8時ごろ到着の予定です。ようやくプラハの駅を出発し、1等の6人コンパートメントに落ち着いて、駅で買い込んだ(昨夜プラハのrストランで頼みすぎて余ったパンも)昼食を広げてくつろぎます。 ホームから列車に乗るには、自分でドアを開けて、4段の階段を重い荷物を持って上がる必要があります。また出発のアナウンスもなく、車内アナウンスもありません。ホームに番号は1ヶしかなく、左右の空いているほうに入ってくるようです。クトナホラではホームの両側に列車が入り、暗くて行き先も見えず、どちらの列車に乗ればいいか迷いましたが、親切な人がプラハはこっちと教えてくれたので、私たちは間違わずににすみました。次の乗り換え駅では生後間もない乳幼児を抱えた親子が乗り間違えたらしく、車掌さんに言われて泣き出してました。チェコのローカル列車は緊張します。 |
![]() プラハから出発する急行の1等車両(普通列車は2等のみ)。ホームから高さは1メートルくらいあります。時間になったら何の前触れも無く出発します。 |
![]() プラハの駅を後にします。ヨーロッパの洗練された駅とは違い、旧東欧圏の雰囲気が残ります。 |
![]() くつろいで見えますが、実は降りる駅までの停車駅の数と時間をチェックしてました。 |
![]() 昼食は簡単に車内で済ませます。個室なので周りを気にする必要がありません。 |
![]() 途中駅での乗り継ぎ。17時はもう真っ暗で、どちらから来る列車に乗ればいいのか不安一杯で待ってます。 |
列車2日目(11/18) テルチ→コストレッツ・ウ・イフラヴィ→チェスケー・ブディヨビッツェ→クルムロフ テルチ観光を終えて、12時に普通列車に乗り、昨夜乗り換えた、コステレッツ・ウ・イフラヴィ(こんな名前見ても聞いても覚えられない)で1時間待ち合わせし、チェスケー・ブディヨビッツェまで急行で行き、そこでバスに乗り換えで目的地クルムロフまで行きます。2日目となると手馴れてます。先ずは駅途中にあるCOOPで昼食を調達。駅舎はテルチの街並みに合わせてかわいらしい。でも昨夜8時に着いたときは、真っ暗で先に下りた二人連れの後を付いていきました。 2両編成の車両も街並みに合わせたようです。地方の駅では、ホームと呼べるようなものが無くて5cmくらい盛り上がったところから車両に乗り込みます。荷物も二人で持ち上げばいと大変です。車窓は北海道を連想させます。この地域は牧草地が続き高い山も無く広大です。 |
![]() チェコはCOOPが目に付きました。パンや野菜が山積してます。酒類も豊富です。 |
![]() POSで商品を流していきます。普通に買い物できます。 |
![]() テルチ駅舎の周りには何もありません。 |
![]() テルチは、始発駅なので、慌てることもありません。 |
![]() ドッコイショ・・ |
![]() 急行の1等に乗り換えてほっとしてます。 |
![]() 早速、COOPで買い込んだ食材を広げ昼食。 |
![]() 広大な大陸 |
列車3日目(11/19) クルムロフ→チェスケー・ブディヨヴィッツェ→スメラウ→リンツ→ザルツブルグ クロムロフ観光を終えて、バスでチェスケー・ブディヨビッツェまで戻り、列車に乗り換えます。この街はチェコでも5本の指に入る大きな街で人口は10万弱、駅前のショッピングセンターの屋上にバスターミナルがあります。実はチェコはバスの方が早くて安くて便利なようで、バスの方が人気があるようです。ここからスメラウというオーストリアの国境の町まで普通列車で行き、急行に乗り換えてリンツで特急でザルツブルグに6時半に着いて、カツレツを食べる予定でしたが・・・この旅の最大のハプニングが発生。スメラウへ向かう列車で人身事故があり、大幅に予定が狂いました。チェコの列車は運転手と車掌が乗務して、ドアは手動、合図も無く発車します。下車中の人が居るのに発車してしまい、ホームに落ちて大怪我をしたようです。救急車、ヘリコプター、警察がやってきます。英語も通じず、列車の中で1時間以上も待っていると、周りの乗客が次に来た列車に乗り換えてます。私たちも「スメラウ?」と確認して乗り換えました。乗り換えた列車はスメラウの手前のチェコ側の国境の駅止まりでしたが、オーストリア側のスメラウまで延長し、スメラウで1時間待って、リンツに行き、予定から3時間半遅れてやっと10時過ぎにザルツブルグに辿り着きました。 |
![]() チェスケー・ブディヨヴィッツェのバスターミナルには乗り場20以上あり、プラハからも20便近いバスが2時間半で行き来してます。1200年代から発展した古い町で、ビール醸造でも有名、、バドワイザー発祥の地です。大きな観光地ですが我々はバスで街並みを見るにとどめました。 |
![]() バスターミナルのあるビルには専門店やスーパーがあり、多くの人で賑わってます。私の家族もここでチェコのお土産を調達してました。 |
![]() チェスケー・ブディヨビッツェは大きな駅なので行き先表示もあり安心です.。 |
![]() これがスメラウ行きの列車です。乗り降りの段差が少し低くなっています。 |
![]() コンパートメントタイプの車両に乗り込み、昼食です。チェコビールも買い込んでます。りんごはホテルの朝食から。 |
![]() 出発して30程の駅で事故が発生、列車は30mほど進んで急停車しました。右奥に救急車が到着してます。 |
![]() ヘリコプターも10分ほどで到着し、対応は迅速です。警察が現場検証で写真を撮ったり、関係者に質問したり、チェコ国鉄の偉い人も対応してました。 |
![]() オーストリアの国境スメラウの駅舎。5時をすぎると真っ暗になり周りには何もありません。待合室でリンツまで行くおばあさんと一緒に1時間待ってました。 |
列車4日目(11/20) ザルツブルグ→ウィーン ザルツブルグ観光を終えて夕方。ウィーンへ向かいます。予定では、5時の特急に乗るつもりでしたが、買い物やウロウロで5時半の特急に乗り込みます。この特急はEC569で、オーストリア西端、ドイツとスイスの国境の駅ブレゲンツを12:46に出発し、インスブルック15:30、そしてザルツブルグに17:30、終点ウィーン西駅に20:30に着きます。西から東へオーストリアを横断しています。3時間の乗車なのでゆっくりくつろぎたいのですが、1等はオープンタイプが1車両、コンパートメントは半両。とりあえずオープンタイプの座席に座っていると車掌さんがコンパートメントが空いてますよと言って、荷物を持って移動してくれました。これでゆっくりウィーンまでビールを飲んでくつろげます。オーストリアの車両はチェコに比べてかなり立派で駅の施設も日本並です。やはり戦後40年の共産圏のギャップは埋めきれてません。 |
![]() 朝のザルツブルグ駅。 |
![]() EC569はオーストリア西端のブレゲンツから東端のウィーン西駅まで、8時間で結びます。 |
![]() オーストリアの車両はみんなきれいです。 |
![]() 特急のコンパートメントでくつろぐ家族。 |
![]() トイレもきれいです。 |
プラハ プラハは14世紀にカレル4世が神聖ローマ帝国の皇帝になり、その首都して栄え、その後ハプスブルク家の王宮となり、20世紀の第一次、第二次大戦の砲火も免れ、中世の色濃く残る街です。街を歩くと、石畳が美しく、街並みもそのまま維持されており、とても美しい街です。 有名な天文時計は毎時刻に仕掛けが動き、12人の使徒が上の窓から顔を出します。上の時計が天動説を唱える地球を回る月と太陽を示し、下の時計が1年に1周するもの。旧市街からプラハ城へはモルダウ川に掛かるプラハ最古のカレル橋を渡ります。ここには30体の聖人の彫像があり、様々なパフォーマンスが繰り広げられています。プラハ城やその隣のストラハウ修道院からはプラハの赤い屋根の家々が綺麗に見渡せて、中世の宝石と呼ばれているそうです。 チェコはムハ(ミュシャ)生まれた国でパリ、アメリカで活躍した後にプラハに帰り、市民会館や国民劇場の装飾にも関わっています。ミュシャ美術館にも寄ってみました。また、マリオネットが盛んで、モーツアルトの「ドンジョバンニ」を観劇。 |
![]() 王の道の入口、火薬塔から旧市街広場へ向かいます。 |
![]() 天文時計。定時になると大勢の人が集まります。 |
![]() 道は曲がりくねった石畳。 |
![]() カレル橋からプラハ城を望みます。 |
![]() 橋では、6人の老人が演奏、NHKでも放送されてました。 |
![]() マリオネット使いも。 |
![]() プラハ城からの街並み。 |
![]() プラハ城のシンボル、ヴィート大聖堂。 |
![]() 大聖堂のムハ(ミュシャ)のステンドグラス。 |
![]() ドンジョバンニの人形劇を観ました。 |
![]() かなり砕けた内容です。 |
![]() 旧市街広場はレストランが軒を出して営業してます。 |
![]() 初めは黒ビールです。 |
![]() 2杯目はブラウンのビール。 |
![]() 冷えた身体に暖かいスープ。 |
![]() ポークのロースト、マッシュルームのグラタン。パンがメインディッシュに付くのを知らずにパンを別に注文し、持ち帰りました。 |
![]() デザートは3種のパイ(ココナッツと・・etc) |
クトナホラ プラハから1時間、13世紀に銀が産出されプラハについで栄えた街がそのまま残っています。私たちは、プラハを出るのが遅くなり、クトナホラの駅から近い、聖母マリア教会と墓地教会を2時間の間に見学しました。駅にかばんを預けるつもりが、そのような施設もなく、駅でかばんと共に交代で留守番して、徒歩10分の道のりを歩きました。聖母マリア教会はこの時期は入れませんでしたが、4万人のペストやフス戦争で無くなった人や僧侶の人骨で飾られた墓地教会の内部はちょっと驚きです。教会の周りが綺麗な花に飾られた墓地に囲まれて居るので一歩内部へ入るとそのギャップが大きいです。 この近くにフィリップモーリスの工場があり、タバコの臭いがしました。タバコ葉産地かもしれません。 |
![]() 立派な聖母マリア教会。 |
![]() 墓地教会の周りは花を飾られた墓地に囲まれてます。 |
![]() 墓地教会内部はホラーっぽいです。 |
![]() うーん、13世紀の人骨だからまだ我慢できる。 |
![]() フィリップモーリスの工場、近くには5j階建てのアパートがあります。 |
テルチ 5000人程度の小さな町で、夜、駅に降り立つと真っ暗に静まり返って何も見えません。駅から10分程度で池に囲まれた旧市街に入ります。「ボヘミアの真珠」といわれているそうで、13世紀から栄え、16世紀に大火に遭って、その再建の際に全てルネッサンス調に建て替えられ、そのまま現在に至っています。建物は全て3階建てに、色はそれぞれ明るいものに塗られています。おとぎの国にいるようです。周りの池越しに見る街も美しく、静かな佇まいで、時が止まっているようです。 朝ホテルで朝食を済ませると、長女は早速カメラを持って出かけました。私たちは9時過ぎに出ましたが。寒くて10時過ぎにはカフェで休憩です。 |
![]() ホテルの窓から広場を望む(ホテルは我々だけ)。 |
![]() シーズンオフで観光客も我々だけ? |
![]() 周りの池の辺りは霜が降りてます、柳? |
![]() 池から望むテルチ城は絵になります。 |
![]() 朝10時過ぎで気温1度.。ついカフェでケーとでティータイム。 |
クルムロフ プラハより上流の蛇行したモルダウ川に抱かれた、世界でもっとも美しい街と言われ、眠り姫のモデルになったとも言われています。確かに、バスターミナルを降りて、その姿を目の前にするとなんとその美しさに息を呑みます。お城の塔から望む街の様子は絶景ですね。 |
![]() バスターミナルの先の小高い丘から |
![]() 川と赤い屋根がマッチしてます |
![]() 塔から教会を |
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ザルツブルグ モーツアルトが生まれた街で、ザルツブルグ音楽祭、サウンドオブミュージックの街です。ウィーンへの列車までの夕方まで、時間を有効に使わないと回りきれないのに、何故か山道を見つけて方向違いの道を歩いてしまいます。朝の1時間を山の散策に使い、旧市街地を目指します。サウンドオブミュージックでは多くの撮影場所があります。ミラベル宮殿(ドレミの歌や愛を誓った庭園の離れ)、ノンベルク修道院(マリアが育った場所)、祝祭劇場(家族が舞台に立って一人ひとり消えて)・・。そしてモーツアルトの生家、育った家、モーツアルトハウス(劇場)etc。アルプスの山々も美しいところです。 |
![]() 岩を利用したモーツアルトハウスはサウンドオブミュージックで家族が歌いながら一人づつ消えていく場面に使われました。 |
![]() 子供達がマリアを無和えにきた修道院の門。 |
![]() モーツアルト広場の像 |
![]() 旧市街のモーツアルトの生家。 |
![]() 新市街のモーツアルトの家。 |
![]() 朝の散策路からホーエンザルツブルク城 |
![]() 祝祭劇場からの城 |
![]() 城の目前の坂。120mの標高差はきつい。 |
![]() 城から旧市街、川向こうの新市街を望む |
![]() 城の裏側には牧歌的な風景 |
![]() その先には3000mを超えるアルプスの山々 |
![]() 2度目のレストラン、サーモンソースとクリームのキュリスズッパ(スープ)。 |
![]() 長女はウィナー・シュニッツェル(ルカツレツ)、肉を薄くたたいて揚げてます。 |
![]() 妻は海鮮リゾット、私はピザとなぜかイタリアンです。 |
ウィーン 旅の最後の場所、ウィーンに着いたらほっとしました。これから3泊、同じホテルに宿泊し、空港までもホテルの車をリザーブしたので気持ちも軽くなります。 ウィーンは回るところも多く、予定を立てます。墓地や宮殿を回ってホイリゲに行く郊外コースと、王宮や美術館、教会、そして王宮コンサートのリング周辺コースです。そして交通手段は地下鉄や路面電車で移動も気を使いません。 合間にカフェで一休み、そして天気予報通り最終22日は雪が舞ってます。いい思い出になりました。 |
![]() ヨハンシュトラウスの像は金ぴか.。 |
![]() モーツアルトの像の前にはトーン記号が.。 |
![]() 中央墓地「第三の男」最後シーンの並木道です。 |
![]() 32区画には有名な音楽家の墓が集まってます。これはベートーベン。 |
![]() シューベルト。 |
![]() ホテルから歩いて5分のシュテファン寺院、塔に登れます。 |
![]() 塔からは、屋根のハプスブルク家の紋章が見えます。 |
![]() 隣の建物の屋根に煙突掃除屋さんが見えます。 |
![]() 王宮には多くの観光客が訪れてます。 |
![]() 馬車が似合いますが道には時々落としものが臭います。 |
![]() 王宮正面には客待ちの馬車の列(タクシーは見当たりません)。 |
![]() ヴェルデーレ宮殿上宮から庭園を望みます(奥には下宮が見えます)。 |
![]() 上宮にはナショナルギャラリーがあり、クルムトやエゴンシーレの絵を鑑賞できます.。 |
![]() これはヴェルデーレ宮殿のパンフレットで、クルムトの絵が表紙になってます。 |
![]() シェーンブルン宮殿の入口。 |
![]() 庭園から見る宮殿。 |
![]() 雪の丘の上にクロリエット。 |
![]() 美術史美術館にはハプスブルク家が集めた(もらった)絵が多くあります。ラファエロの草原の聖母、ブリューゲルのバベルの塔、ベラスケスのマルガリータ王女、フェルメール、ティッツアーノ、ルーベンス、etc。雪が舞ってます。 |
![]() 草原の聖母 |
![]() バベルの塔 |
![]() ウィーンの夜の楽しみは郊外のワイナリーのレストランでワインを味わうこと。路面電車で30分のグリンツィングへ。 |
![]() 駅から近いホイリゲに早速入ります。 |
![]() 入口にはサラダやハム、ウインナーなどが1皿3ユーロです。 |
![]() 暖かい料理はオーダーします。 |
![]() このワイナリーで造られた新酒のボトルも空けちゃいました。 |
![]() 隣のテーブルでは地元の方が歌い上げてます。 |
![]() 疲れた時はカフェで甘いケーキを。 |
![]() カフェの下ではケーキを作るところが見られます。 |
![]() カフェの売店にはケーキがずらり。 |
![]() 最後の夜は王宮の舞踏場でのコンサート(赤いドレスの女性は日本の方でした)。 |
![]() 気持ち正装してます。 |
![]() コンサート会場をでたら車が雪真っ白。 |
ホテル |
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![]() プラハのアトランティックホテル。 |
![]() 天井が高く暖まるのに時間が掛かります。 |
![]() 朝食をたっぷり食べて今日は昼食を省きます。 |
![]() テルチのホテル・セルリン 綺麗なマダムが経営していて、娘さんが前のカフェで働いてました。英語が通じず、お湯をもらうのに苦労しました。 |
![]() この旅行でもっとも広い部屋です。これで1室1万です。 |
![]() マダムからお湯をもらって、日本から持ち込んだ食材で夕飯です。これで明日からバックが軽くなる。 |
![]() クルムロフの元修道院のホテル・リューゼ。教会の右がホテルです。 |
![]() 内装も修道院を意識してますが、今回の旅で最も高い値段割りにはいいホテルとは思えませんでした。 |
![]() ホテルに着いて、7時ごろに買出しに出たらもう店は閉まってます。手持ちで今夜は済ませます。 |
![]() ザルツブルクはアメリカンタイプのホテル。やはり機能性が優れていて、ポットも貸してくれました。 |
![]() ベッドも大きくふかふか。アイロンもありました。 |
![]() 朝食も豪華です。たっぷり食べて、昼食は遅めにします。 |
![]() ウィーンは王宮の隣、旧宮殿の一角をホテルにしてます。ここには台所、食器が備わってます。交通の便も良く、ウィーン観光にはいいです。 |
![]() これはホテルの部屋の入口ですクリスマスブーケが飾られてました。 |
![]() 部屋は広いですが、板張りで足が冷たい。 |
![]() 私と長女のスリッパが無く、妻があり合わせダンボールとロープで作ってくれました。 |
![]() 最後の夜は部屋で豪華に最後の晩餐。昨夜、ホイリゲの町のスーパーでサラダ、ラディッシュ、ニョッキ、ウィンナー、ビール2本、ワイン赤白など買い込みました。 |
![]() もういい気持ちです。(後ろに台所設備が見えます) |