カルメンと白磁壺
(U)

魁 三鉄

  

慶州(キョンジュ)は古跡、王陵、寺社に恵まれた韓国一の古い都である。朝鮮半島の日本海側に面しているが、直接海辺に面している街ではなく、むしろ四方を丘陵やや小高い、そしてそれらの形はやわらかく穏やかな、山々に囲まれている街である。ソウル市のバスターミナル駅から高速ハイウエイバスで約四時間半、私は慶州の高速バス到着ターミナル脇にある観光案内所の大きな図解入りの案内地図の前に立っていた。ソウルでもここ慶州でも案内表示はハングルと呼ばれる韓国文字と英語と二つの言葉で書かれていた。慶州の街は兄山江(ヒョンサンガン)と南川が分岐するところに街の中心があり、街の北側には普門湖(ポムンホ)、徳洞湖といういわゆるリゾートエリアがある。私は東京日比谷にある韓国観光公社でもらってきた地図を広げながら自分の手にする地図と縦が五メートル、横が十メートルもあるような大型看板のような挿絵入りの地図とを重ね合わせて見た。手元の地図には数え切れないほどの王陵や石塔が赤く三点で名前とともに記されていたが、そのうちのどれを訪ねることが、訪ねる価値のあるものかをそれは示していなかった。私は来韓前に慶州で観るべきもののいくつかをあらかじめリストに挙げて記してはおいたものの、自分で選んでいた訪問予定地が必要にして十分であるという自信を持ってはいなかった。案内図の前に立ちながら私は案内図に大きく記されている挿絵入りの場所を見ては同じ場所を手元の地図の中に探し、そこにボールペンで丸をつけ囲んだ。大きく分けてみると街は四ヶ所の地区郡に分けられるように思われる。街の中心部、南山地区、普門湖地区、そしてわたしが最も期待をしていた石窟仏(ソックラム)のある仏国寺(プルグクサ)周辺、と……。それから日程を考え、その日の午後は街の中心部と博物館を、翌日は南山地区と仏国寺と、そして三日目には普門湖をという旅程を建ててみた。

ようやく街のアウトラインがつかめたという気がして案内板から離れて私はさっそく街の中心へと歩き始めた。今まで案内図ばかりに気を取られていた反動のためか私は歩きながらしきりに周囲へと頭を回しながら歩いた。大きな建物は皆、誇らしげに屋根をそり返し、屋根のひさしの下にある壁がそれもみないように白々しく化粧していた。そんななんとなくわざとらしい感じの建物たちが私の心にも一つの白い壁を塗ったような気がした。いくぶん蒸し暑い感じのする街の空気の向こうに少し霞んだ低い穏やかな山並みが飾り気のない自然の素朴さを訴えていた。ターミナルからまっすぐに伸びた大きな通りをしばらく歩くと古墳公園(コンファンコンユン)の入り口に着いた。公園の中は歩道には灰色をした煉瓦が隙間なく敷き詰められ、芝生の中に容易には踏み込めないように小さな鉄柵が歩道に沿って張りめぐらされていた。地上から三メートルくらいの高さまでは枝がない松の木が無数に立ち並び、木漏れ日が声だの繁みの複雑な組合せに合わせて芝生のグリーンに複雑な濃淡の諧調をつくりながら白く光っていた。松林をしばらく行くと目の前が急に開けて女体の乳房のように形のきれいな柔らかな稜線を描く古墳が見えてきた。古墳の山の一帯にも緑の芝が整えられた高さに刈り込まれていた。わが国の天皇陵とは違って慶州の王陵はみな発掘を受け、その出土品は博物館の展示物や公共の公園として公開されているという……が新制大韓民国の姿勢を示してるような気がした。この公園の中心的な古墳である天馬塚(チョンマチョン)から発掘された副葬品や金冠が朱色の絹布の上に輝くさまは、新羅王朝の絢爛豪華な権力者たちの威光を示すものというよりは、むしろ二つの国への分断を余儀なくされているこの国の民族の底力を示す意地の象徴であるようにさえわたしには思われた。それはまた反り返った屋根の甍の跳ね返す光の輝きと同じものであった。整え過ぎられたこうした古跡が自然のくつろぎと余裕を見せる頃にはきっとこの国は再び同じ民族が一つの国の人として昔日の王朝の夢をわかちあうことであろうと祈った。

 公園の中には夷たるところに小学生や中学生の団体が列を成して歩いていた。私はかつて自分たちがそうであったように、半分以上の学生たちが、

「なんだこんなもの。全然おもしろくねえや!」

とでも言い合っているように、先生と思われる青年の説明を無視して肩を組んで写真を撮ったり、取っ組み合ってふざけあっていることにホッとしたものを感じた。先生の話の仕方も熱病に冒された絶叫のようなものはなく、「聞く耳を持つが学生が自分の頭で理解のつくように自分の説明を聞いていれば後は他の人々の妨げにならない限りは特に自分の説明を聞いていなくてもそれはそれでよいのだ」という響きがあったように思われた。

「いつの時代に於いても、強制による国家の栄光や威厳を主張するだけでは自国の文化への深い理解と共感はもたらしえないものなのだ。国家は忍耐強く国民の自覚を待つことをもっと知るべきだ」

という私なりの考えがこの国の中にもきっと育ってきているのだろうと期待した。

公園を出ると今度は望星台(チョムソンデ)と呼ばれる東洋最古の天文台を訪ねてみた。煉瓦石を積み重ねた石塔の姿は天文台というイメージよりはむしろ煙突炉のようであった。空を見上げtみると薄く蒼い透明の空の中に綿のような白雲がもくもくと湧き上がっていた。ここでもその積み上げられた建造物が建てられたときのそのまま姿でそのまま残っているという感じは持つことが出来なかった。

更に街の中心街から南のはずれにある大規模な建造物の博物館を訪ねた時、私の最初に抱いたこの街の印象は極に達していた。広い敷地に慶州の名跡を模した建造物や新羅風の造りがことさらに強調された休憩所、そして何よりも博物館そのものが千年の栄華をかつて誇ったいにしえの都、慶州に溶け込んだ絵となるにはもう少し時間が必要だなという思いを強く感じさせた。

その日最後に訪れたのは、博物館から二キロメートルくらい北に歩いて鉄道の慶州駅を横切って行った分皇寺(ブンフワンサテンプル)であった。天文台と同じように煉瓦石が無数に積み重ねられて三段からなるパゴダを作っていた。私にはそれが何を意味した寺でるのかわからなかった。ただ形がユニークということだけが写真の被写体に選んだ理由であったと言ったところで、誰も咎める人はなかったであろう。ただ、

「この積み重ねられたパゴダは自然や歴史の風雪の下をくぐってきたものだな。恐らくは元はもっと大きな建物がこの石塔をくるみ、囲んでいたのだろう。千年という時の流れがこの塔の姿を作って来たのだ。そしてこれから先もそれは続いて行くだろう」

という感覚が自然に湧いてくるように、その塔は朽ちていた。私はなんだかこのとき始めてこの街に入って自然にくつろぐことが出来たように感じた。実際のところはその寺すらもが近年の再建か修復を受けていたのかも知れない。けれども、なにか感傷的とさえ言えるような無理のない経年からくる素朴さがこの寺には感じられたからである。誰もいない石塔の四角形の周りをゆっくりと回りながら眺めているといつのまにか黄昏の迫る夕方の空気に包まれて、石塔を囲む木立の中から金冠を頭に載せ顎紐をきりりと結んだ、額に皺を深く刻んだ細身の古王が素朴な袈裟姿の僧侶に恭しくかしづかれながら、連れられて、ゆっくりと威厳高く歩み出てくるような感じがした。

その日、私は市内を出てソウルで予約しておいた慶州ユースホステルへとタクシーを向けた。タクシーはまっすぐの道を疾風のように飛ばした。道が進んで行くに連れて、車窓からの眺めは自然な落ち着きを増していった。黄昏時の山の端は昼間の市内からのそれよりはむしろその線をクリアに見せ、なだらかな濃い稜線をはっきりと浮かべていた。道なりに見える民家には崩れかけた白壁が重そうに傾いた小さな壁屋根を懸命に支えながら同時に自分自身を危うく支える継ぎ接ぎだらけの補修の痕を幾重にも残しながら車の私を見送って行った。道路から少し引っ込んだ畑の中にある白壁に囲まれた民家にはどの家にも大きな黒褐色の壺が数個軒の高さに並べられ置かれているのが見えた。電信柱と電信柱との間には電線のラインが屋根の反りと同じような形をして垂れ下がっていた。ところどころに電柱より高いテレビアンテナが二重三重に組まれて屋敷の中に立てられていた。黄昏時という時がそうさせたのか、あちらそちらにぽつんぽつんと黄色い電灯の光が灯り、その街の本当の姿はこれなのだという侘しげな影を宿しているように見えた。

翌日、団体客による使用の谷間の時期にあたり、泊り客は私以外に数人しかいなかったユースの朝食をとった後、私は近くにあるらしい影池を訪ねてみることにした。昨晩、誰もいない部屋の中に仕切られた木箱のベッドの中で仏国寺の案内書を読んでいると、寺の境内の代表的な新羅建造物である釈迦塔(ソクカタブ)の説明の中に小さな伝説が挿まれていたからであった。釈迦塔を築くために招請された石工の妻が夫への訪問を許されず、しかたなく、完成された暁にはその塔の影が映るであろう池のほとりで日夜夫を待ちわびたにもかかわらず、待ちきれずにいけに身を投げたという悲話に心が動いたからである。ほとんど知られていない

その池は恐らくは構成の人がもっともらしく作った話であろうことは感じていたが、果たして本当に仏国寺の塔が、いな、大きな伽藍全体が池の中に見えるのだろうかという好奇心が刺激されたからであった。逆さに映る富士山や歴史の教科書にあった宇治の平等院の水に映る姿、さらにはタージマハル廟の壮麗な水に映る建物の倒立した影、そんな姿を人知れず見ることができたなら、という期待がもしかしたらという程度ではあってもやはり心には湧いていたのだ。

ユースホステルの前の道をのんびりと歩いて私は池を目指した。時々、白い胸のところでいったん絞り込まれた普dんぎのチョゴリ服をくるぶしのところまで引きずるようにして歩く木靴姿の老婆に出会った。韓国語の自由にならない私は影池という文字を見せてはこの方向でよいのかと日本語で尋ねてはみたが、彼らは小さく首を振りそして逃げるように小走りに去っていった。それでも私は今来た道をそのまま歩き続けていた。鉄道線路が見えるところまで来た時、尋ねられた一人の老人が池という字を見て、「このまままっすぐ行けばそれはある」とでも言うように手を線路の方に向け首を大きく縦に振ってくれた。私は太い道路を横切り、遠路を渡ってなお歩き続けた。かれこれ三十分も歩いたであろうか、私の右手に細かな光を無数に放つ白く光った水面が見えた。近づくにつれて池はその姿を私に晒し始めた。なんとなく、先日までいたソウルの景福宮の中にあった池に似ているなとは思ったが、別に景勝地といえるようなものはないもないただ水の溜まった丸池というのが率直な印象であった。瓢箪のような形をしている池だなとその形への関心から池の縁(ふち)を順に眼で追い始めた時私は瓢箪のくびれた位置に当たるところに一人の人影があることに気がついた。私は池への関心よりも人への関心に曳かれて人影の方へと歩んだ。歩みが進むにつれて人の姿もはっきりしてきた。肩までの髪、らくだ色のブラウス、そして紺色のスラックス姿の女であった。女は黙って一つの方向をじっと眺めていた。女の投げる視線の向こうには緑と焦げ茶色の混ざったような水に浮かぶ葉の間から、桃色の花が咲いていた。女はじっと花のほうを見つめたままだった。まだ私には気づいていないようであった。私は花のほうを見るふりをして体は池の方に向けながら女の方に近づいていった。顔の中の視線だけは女の横顔の方に注いでいた。横から見える顔には短く上を向いた鼻が慶州を囲む山の稜線のようにたおやかな線を作っていた。近づくにつれはっきり見えてくるすべやかな木目の細かい肌と官能的な厚い下唇が私の中にある、隠された欲望を小さく鋭く突っついた。私は顔を正面から見たいと思った。正面から交わす眼差しが、今魅かれている顔の輪郭や表情に加速して私をひきつけるものなのか、それとも相殺しあってしまうものなのか、私は撫ぜここに足を運んできたかを忘れて、女の瞳を欲した。けれども花に夢中になっているらしい女に一体どのようにして接近を図れば良いのか、私は自問した。そして時間を稼ぐために花を見つめ直した。どうやら水面には蓮の花が、三メートル四方くらいの大きさの葉の群れの中にいくつか咲いているようであった。

「蓮の花ですか?」

私は無意識のうちに蓮の花にひきづられたように自然に口を開いてしまった。しかも、日本語で……。 

 「ええ……」

 女は小さくうなずきながら短く日本語で答えた。そしてにっこり笑った。女が笑ったとき、瞳が自然に交錯した。人懐っこい笑顔の中にある薄い影が私をさっと通り過ぎた。

 「アンニョンハセヨ!(こんにちは)

 私は韓国語は全く話せなかったが、いわゆる挨拶くらいは訪れた国の言葉で交わすのがエチケットというものだろうと信じてそう挨拶を発した。

 「アンニョンハセヨ!オディッソ オソッスムニカ?」

 「??……」

 私は音の行っていることが全然判らなかった。

 「英語を話しますか?」

 英語を使って私は返事をした。私は相手に日本語を話しますか?とは尋ねることが出来なかった。自分が訪れた国の言葉を話すことが出来ないからといって日本語を相手にいきなり求めることはあまりにも自己中心的であり、失礼だという思いがあったからである。相手の言葉がわからないならば、第三の言葉をお互いが使用する、少なくとも相手から日本語が出来ますから、日本語で話しましょうといってもらうことがない限りは英語を使うべきだ、という心がけをいつも持っていたからである。

 「日本語、大丈夫です」

 ええ、という返事だけではわからなかった発音、アクセント、イントネーションの置き方が彼女は韓国の人だと識別するのを容易にした。

 「わかりました。では、わたし、日本語で話します。日本人の旅行者です。東京からソウルを経て昨日慶州につきました。観光旅行できました。名前は小原です」

 「わたしは韓国の人。名前は李美姫(イーミヒ)です」

 私は女がほとんど無意識に私を会話に迎えたことに驚いていたが、同時になんだかとても得をしたような気がしてうれしかった。うつくしいとかかわいいとかの表現ではつかめない心を曳く、やすらぐような雰囲気を女はもっていた。

 「ここでは蓮の花を見ているわけ?」

 私は自分が目にしている彼女の姿を言葉で確認しようと尋ねた。そこにはなぜという更なる質問が無言のうちに隠れていたことだろう。私は、きれいな花だから、とか、好きな花だから、というようなありきたりの答えでは私の心の隙間を埋めることはないだろうことを感じていた。

 「あなたはどうしてここに来たの?」

 美姫は私の問いに答える前に私のことを先に知りたかったようだ。それも当然だろう。私の側から胸襟を開かずして相手にそれを先に求めるとは……。

 「ああ、ごめん。ぼくはここから仏国寺が見えるかと思って……。もしかしたら水面(みなも)にその影がさかさまに映っているかもと期待して……。影池ってここでしょ?」

 「仏国寺はあっちよ……」

 美姫の指し示す遥か遠くの森の木立の中にかすかにそれらしき面影の建物が見えた。しkし、それはどんなに池の水面に対して角度をつけて見たところで水に映るような距離のものでも、また大きさのものでもなかった。

 「無影塔という石塔があそこの中にはあるでしょ。きみも知ってるでしょ!午後には仏国寺とそれに石窟庵の石像仏を訪ねるつもりです」

「知っていると思いますけど、そこには釈迦塔と多宝塔があるんです。ふたつとも境内の中の国宝です」

「昨日こちらの案内書で無影塔悲話というのを読んだら、なんだかそこを訪ねてみたくなって……」

「そう」

美姫はそういうアクセントと同じように静かに短く下を向いて返事をした。そしてまた水面に顔を出す蓮の花をじっと見つめた。寂しそうな影がさーっと彼女の顔を走ったような気がしてならなかった。私は心の中で少し慌て、話を変えた。

「君、日本語どこで習ったの?とてもじょうずだ」

そう尋ねたとき、美姫はニコッと人懐こい光の灯ったような笑顔で私に振り返った。笑顔には確かに明るく温かい光が発していた。

「恥ずかしい!」

そう言って、両手の掌を組んで口元に運び、上体をひねるしぐさをした。官能的な大人尾雰囲気と無邪気な乙女が奇妙なバランスを保ちながら、彼女の中に同居していた。そして続けた。

「日本語は……、昔、ソウルの学生の時に勉強しました。日本に行って仕事しようと言って約束したことあったから……。でも、やっぱり使うとこなかったから、ほとんど覚えていないです。

「へぇー!?それでもそんなにうまいわけ?すごいや!」

「昔は、みんな英語ばっかりを勉強したけれども、ここ十五年くらいは前からは日本語もとても盛んになりました。梨花(イーファ)女子大の人はみんな一所懸命勉強しましたから」

「へぇ、君は梨花(イーファ)で日本語やってたの?!すごいや。梨花女大って名門女子大でしょ?慶州からわざわざ勉強に出て行ったの?」

「いいえ、私、もともとはソウルの生まれでした」

「じゃ、仕事の関係かなにかでこちらへ?」

「えぇ、まぁ……」

「でも平日、こんなところへ来られるというのも優雅ですね?」

「それほどのことはないです。仕事は主に夕方から夜なんです。韓国は大学受験競争が激しくてしのぎを削っています。特に男の子は……。どこの家庭でもできればみなソウル大学へ男の子を入れたくて熱心なのです。そういう家庭の子の受験指導をしているのです。ですから、そんな優雅なんてことではなく、……」

美姫は明るい表情で自分の生活の一端を語ってくれた。そう語り合うあいだ、私は彼女ことを男の気持ちからそっと観察していた。背は百六十五センチくらいの韓国の女性としては大柄の女性であった。M字型の広い額を隠すようにウェーブのかかった黒髪が逆さのVの字状にあがっていた。頬骨の張った顔立ちと木目細かい白肌が寒さの厳しい大陸人の末裔であることを感じさていた。

「蓮の花って、きれいだなぁ。周りがあまりきれいでないから余計にきれいに見えるのかな?だって葉っぱはどう見てもきれいとはいえないでしょ?!君どう思う?」

「私、今日で四日目です。毎年今頃になると見に来ます。」

「そうして?」

「蓮の花のように、わたし、……」

「蓮の花のようにって?なに?ごめん、ぼくにはよくわからないや。まぁ、いいけれど……」

「こうひsてじっと見ていると蓮の花って時間ごとにその咲くさまを変えているんです。蓮の花って何日くらい咲いているかしっています?」

「すいません。わからない」

「だいたい四っ日って言われているの。四日を全力で咲き誇って最後は花びらを崩して終わるの」

「へぇ、見事なものだ。そういえば思い出したけれど、日本では、二千年も昔の前の蓮の花が今に花を咲かせたという話がありますよ。なんでも、蓮の花というのは何千年と種が眠り続けていたとしても、いつか条件さえ揃えば見事な華を咲かす、とかいう話を」

「ええ、永久に地下深く埋められ寝かせされていたとしても、掘り出されてからしばらくすれば大輪を咲かせることが出来るんです。蕾を開いてからたったの四日間ですけれど……」

「なるほど……。で、君はそういうことで蓮の花に魅せられているっていうわけ?」

私は美姫の顔にさっとさす寂しい影の正体はこのあたりに隠れているような気がしていた。しかし、私はそのことを口に出す野次馬めいた覗き見をする気にはなれなかった。

「驚きましたわ」

なにかの縁を感じたのであろうか? 美姫はときどき笑みを浮かべながら、昔恋人と一緒に景福宮のなかの慶会楼(キョンホエル)の池でよくデートした時のことを語った。自分が蓮の花が大好きであるということの意味を彼はわかってはいなかったようだけれども、そのやさしさで彼は少しも嫌がらずに蓮池へのデートをいつも快諾してくれていたことを語った。ひとしきりの会話がはずんだ。私たちはすっかり時間の過ぎて行くのを忘れていた。池のほとりに座りながら語り合っていると、時々そよと吹く風が水面に冷やされて、初夏の日差しに心地よく、汗ばんだ首筋の辺りを吹き撫でていた。

「あっ、もう二時だ。急いで仏国寺と石窟庵へ行かなければ……。君も行こうよ。一人で行くよりもすっと楽しいって。そうしよう、そうしよう!今から行けば夕方にはもどれるはずだよ」

私は時の過ぎ行く早さに驚きながら、楽しい語らいの時をさらに延ばそうと図った。

 「だめ、残念だけれど……。わたし、石窟庵まで行けないから仏国寺までは行っても、それから先は坂がきつすぎて駄目なんです」

「どうして? さっき言っていた体の理由で?大丈夫、それならぼくがなんとかするさ。背中におんぶしてだって行ける。きっと行ける。絶対一緒に行こう。いいね」

私は強引ともいえる言い草で彼女と一緒に石窟庵をたずねてみようと心に決めていた。けれども、心のどこかで見知らぬこの地のことゆえに、強引な計画が彼女の健康を損ねてはいけないという心使いが働いていたのあろう、それに自惚れさせてもらえば、私は彼女が私と一緒に行くことそのこと自体を嫌って行きたくないと言っているのではないのだという妙な自信からか、私を抑える心はその日、それ以上無理やりに強く誘うことを押し留めた。 

「美姫。行くのは明日にしよう。今日は少し遅くなりすぎてしまったようだから。明日の朝、まず車(タクシー)で仏国寺まで行き、境内をゆっくり見てから石窟庵を目指そうよ。普通は三十分もあればそこに行けると書いてある程度だから、大丈夫、二時間も見ておけばじゅうぶん石像仏の見学を楽しめるさ。そうしよう。その時、どうしても無理というのなら、その時諦めればいい。絶対大丈夫さ!」

私はそう言って、立ち上がろうとする彼女の手を上に引いた。彼女は迷いを吹っ切るようにハイとうなずき、明るく微笑んだ。高い水色の空に綿雲がたなびくように横に伸びていた。私は急遽、予定を変更してその日は三日目に予定していた南山麓の方に先に行くこととした。

「ところで、君はどこに住んでいるの?この近く?」

「市内の北側のアパートです。北亭路から入ったところです」

「土地勘がないからわからないけど、慶州駅の近く?」

「はい」

「だったら、途中まで一緒に行こう!明日はどこで待ち合わせようか?君、ユースホステルのある場所知ってる?慶州の。ぼくは今夜もそこに泊まるから明日の朝、九時に入り口で待ち合わせようよ」

「わかりました」

美姫は私の瞳を下から覗くようにして、小さく、しかしうれしそうに笑った。

私たちが一緒に鉄道と平行に走る大きな通りに出た時、ちょうどタクシーが来た。とりあえず、車を慶収益までやってもらうことにした。のどかな田園地帯を風のように飛ばして走る車の中で私たちはお互いに車のハンドルに揺られるままに体を触れ合うことを温かく黙って許しあっていた。

車が市街地へと入ったとき、私は、ふと

「影池からは無影塔どころか、お寺そのものもはっきりとは見えなかったね」

と尋ねるともなく呟いた。

「あそこは影池ではありませんです。そこはもっと遠いところです」

「あっ、そうなの!ぼくはすっかりあそこが影池だと思っていた。そういえば、ぼく、何も確かめなかったものね。それは残念!でもいいや!君と知り合えたから……。あそこはじゃぁ、蓮池とでも言うの?」

実際、私はふと訪れた何もない池のほとりでこのような不思議な魅力を備えた女性に近づけたことの方をずっと喜んでいたのだ。

「わかりません。名前のない池かもしれません」

「そう、でもいいや。明日、ユース前、九時ね!」

十分も走らないうちに車は少し盛り上がった場所にある駅舎の見えるところに差し掛かっていた。

「タクシー代、わたし、払います」

「いいよ。それより、この人はこれから鮑石亭(ポソクチョン)と五陵(オヌン)それに三体石仏(サムチュソクプル)に行きたいということを伝えてくれる?

「はい」

部姫は一度は自分の思いを主張したが、私が自分に従うように言ったときにはかならず「はい」と素直にうなずく女性であった。行き先をさらに遠くへと告げられた運転手は美姫となにやら大きな声で短い会話を交わした。その時、車は停まった。美姫は、ここで降りますが、明日はかならず行きますのでよろしくおねがいします、とまっすぐ私をみつめて言った。この女の微笑みの中には一人にはしておかせたくない、なにか絶えず支えてあげなければならないような気にさせる哀しさが薄い影のようにすーっと浮かんでいた。

「じゃ、明日ね」

車の中から、少しうつむき加減に歩く美姫のゆっくりと歩む姿が次第にちいさくなって行った。私はハイヒールを履き、正面を見て颯爽と歩く美姫の姿はどんなふうであろうかと想像した。それではかえって冷たい感じの姿の女になってしまうかもしれないなどと余計な心配をしてはそのむなしさに小さくそっとため息をついた。

 

翌日、約束したとおりにユースの前で落ち合った。私はユースのマネージャーに、石窟庵の帰りにもう一度寄ってそれからチェックアウトすることを伝え、旅行鞄は預けることにした。マネージャーは優しそうな柔和な笑顔で快くそうすること了解した。美姫は昨日よりも少し鮮やかにお化粧を施し、白檀の木のような香料の匂いを漂わせていた。服装も桃色の襟にフリルのついたブラウスと膝までがちょうどきれいに隠れる光沢のあるやわらかい紺地のラインの入ったやはり桃色のスカートをはいていた。ブラウスの下には子供の茶碗を伏せたような膨らみの線がかすかにその形を作っていた。そして背中にまわる線がその線に沿ってブラウスの色をそこだけより濃く見せていた。スカートの柄は良くみると細かいコスモスの花のような紋が無数に織り込まれたものであった。底の厚い扁平な靴を履いていることが少しバランスの悪いところとして気になったが、そのことに文句を言って代わりの靴を履くように云うような自分たちの関係ではないのだと自分に言い聞かせた。私たちはユースの前からバスに乗って仏国寺に上がった。バスの込み具合からもある程度は予想できたが、境内にはたくさんの老若男女がカメラをぶら下げ、腕を組み、ガイドブックの説明書きを立ち読みしながら歩いていた。また、一目で新婚カップルと分るきちんとした背広姿と赤や黄そして緑などの原色に染まった民族衣装のチマチョゴリ姿の新鮮ないでたちの若者たちに溢れていた。彼らは至るところで記念の撮影をしていた。美姫は私にとってはなんでもないわずか五、六段の階段を上がるときにもゆっくりと足を運んだ。吐含山仏国寺と看板の掛けられた山門の前の十段ほどの階段を上がるとき、美姫は

「ごめんなさい」

とすまなそうに、心の中に積もっている諦めと哀しみを帯びた表情で私の顔を見ながら寂しげに微笑んだ。

「いや、全然。いいよゆっくり見ようよ。そのつもりで来たんだから……」

ときどき、普通に歩いて行く人が私たちが手を取り合って道端に休んでいるのをちらちらと目で追いかけていた。長屋根のついた建物で四方をすっかりと囲まれた境内に入ると私がいまここに一緒に来ている女とを縁付けて引き合わせることになった釈迦塔と二十メートルくらい離れた対の位置に立つ多宝塔が太陽の光と影を受け、あるところをすべやかに光らせ、あるところを深く濃い影で覆っていた。釈迦塔は堅固な四角い三十の石塔であり、男性的な感じがしたのに対して、多宝塔は凝った見張り台のような複雑な構造を内包した、全体丸い燈籠のような建物であった。高さはともに七、八メートルくらいのものであった。周りで取り囲むように新婚旅行者たちが写真を撮っていた。美姫は私が一緒に写真を撮ろうと誘った時、ちょっとためらったが、私の顔を見ると少し頬を赤らめて黙ってうなづいた。それから傍にいる人に気安くカメラのシャッターを押すように頼んだ。恐らく頼まれた人もそして私たちのそんなやりとりをみていた人たちもそれを自然な旅行者夫婦のリクエストとして受け止めたに違いなかった。大雄殿、極楽殿、……と一通り私たちは見るべき建物を見た。建物に囲まれた境内を出ると、今度は森の中の木立の方に歩んだ。少し下り気味の右脇に池があった。

「ここなら釈迦塔が映るかもね。ちょっと試してみる」

私はそう言って、道から外れて池の端に沿って歩こうとした。

「駄目!落ちたら大変だから!」

そう言って、美姫は私の左の脇に右手をくぐらせ、そして左手で右手の掌を外から覆った。私は心地よい反対に一瞬胸がつまり、立ち眩みそうになってしまった。私は、

「わかった」

と言って右手の人差し指で彼女の額を軽く突いて、顔を覗き込んだ。にこっと彼女は頬を緩ませた。いとおしい気がしてならなかった。なんだかスキップをして手に手をとってその道を弾んで歩けるような気がした。

やがて、境内を一周すると私たちはそこから目指す石窟仏近くまで行くシャトルバスの停留所まで戻った。バスはイロハ坂のようなヘアピンカーブを右に左にと上った。このまま石窟仏まで行き続けてくれればどんなにか楽なことかとの思いを胸に秘めつつ、眼下に広がる仏国寺の境内とその周辺に集中するレストランや土産物店の箱庭のような景色を眺めていた。やがてバスは広場に着き停まった。そこから更に健康な人ならばものの十五分ほど登ったところに石窟庵は存在していた。小さい山門をくぐると道はいったん下がってから今度は急に険しくなり始めた。石段は形の崩れた、大股でないと越えるに容易でないものもあった。私はここに至って覚悟した。

「美姫!いいかい、ぼくの背中に乗って!遠慮はいらない。いいね。これではとても君には無理だ。休み休み行くから……。大丈夫。さぁ、乗って!」

私は膝を折って二つの腕を彼女の腰周りに回した。美姫が戸惑っていたことはその表情に伺えたが、私の有無を言わせぬような命令に、彼女は黙って体を預けた。

「両手をぼくの両肩にあててから胸からお腹までぴたりと背中につけてしまってね。そしてなるべく上へと体全体を乗せるように心がけて欲しいんだ。わかった?」

美姫は私の両肩へとその掌をかけた。私はその時初めて知ったのだが、彼女はしっかりした意外に大きな手をしていた。

「いい?」

と言って更にぴったりと胸から下腹部までの全体を私に張りつけてきた。

「肩のところの手が邪魔だからぼくの首のところから胸へと手を回して胸に抱いてしまって!」

「こんな風に?……」

彼女は柔らかな胸を私の背中にぴたりとつけてそこに酢k間を作らないようにと私の首を巻いて二つの腕をしかりと私の胸のところにまわして手を組んだ。

「よし!」

私は一声気合を入れて膝を伸ばしにかかった。ずしりという重みが背中から腰の辺りにかかった。大地から引っ張られているような感じがした。私はふくよかな女のお尻のところに手を当て、バランスを整えようと彼女を一度気持ち空中へ放り投げた。女は股を出来るだけ閉じようとしたが、私は股を開くように言った。女は素直に体を開いて私の背中から腰に体を密着させた。そうするだけで私は汗ばんだ。それに気持ちの高ぶりが一層輪をかけた。少し歩いて行くと体はまた大地に引っ張られた。高い山に上がっている分だけ重力の力も加速して増しているのではないかと私は大地の力学を恨んだ。ときどき彼女をおぶったまま、立ち止まり、また姿勢を整えた。ぽたぽたと汗がみるみるうちに額から、首筋kら、そして体中から吹き出してくるのがわかった。しばらく登って、しばらく一休みした時、美姫は絹のハンカチで私の汗をそっと拭った。甘くとろかすような薔薇の花の香りが疲れを忘れさせた。そしてなによりも美姫その人と一体になっているその空気がすべての現実の辛さを忘れさせていた。

再び、最初と同じように背負うことから同じ姿勢を繰り返しながら私たちは一体となって目指す石窟庵へと向かった。道々、私たちを追い抜いて行く人たちが、低い声で何かを呟きながら、気の毒にというような顔をして上がって行った。だれかがあからさまにどうしてそんな格好をして上がって行くんだい、とでも背負われている美姫に尋ねたのであろうか、

「なんて言ってたの?」

と聞く私に、彼女は小さく横に首を振った。人が数珠繋ぎになっているところが見えたとき、そこが目指すところだとわかり、急に最後の元気が出た。汗を拭ってくれている美姫に、

「いったん、降りてくれる。もう一度姿勢を整えてから、一気に上りきってしまいたいから」

と言って、彼女を背中から下ろして一休みをいれた。下着がぺたりと肌にへばりつく感触がしたが、

「よし、さぁ、行こう。乗って!」

と言った時、私の体はすべてを忘れて、筋肉が構えを作っていた。最後の道が見えたあとは急にゆとりが出てきたのだろうか、私は女の美姫を背負っているのだということを意識し始めていた。ぴたりと背中に貼りつく女の重い暑さがむしろ心地のよいものだという男の気持ちがそっと湧いてきたのだ。私はぴたりと肌をつける中でも特にどこが暑く感じられるのだろうかという気さえ懐き始めた自分の好色に心の中でラップを掛けた。美姫ももしかしたらなにかを感じていたのかもしれなかった。最後の登り道は美姫が羞恥の心に体を閉じた分だけ私の背中と離れる隙間の度合いが大きくなり、それだけ重くなっていたのかもしれない。私は欲に対する自然の摂理の報復をここでも怨んでみた。

 

順を待ち、うごめく人の群れの向こうにガラスに歪む人の群れが妖怪のように映っていた。私は内心少しがっかりしていた。石窟庵に囲まれた石像の仏像であることは周知のことであったが、そのスケールのイメージはそれなりに大きなものであったからである。それでも順が来てガラス越しに見た結跏趺坐姿の石像仏は人声のする空間からは全く隔絶された無音の世界にひとり座し、無限の瞑想に耽っているように思われた。

 美姫はガラス越しに見る石像にただ涙を流して掌を組みながらたたずんでいた。私は「もういい?」

と促すこともなくただ待っていた。いつまでも――今晩泊まることになても――付き合ってそこにいても良いと本気にそう思った。私は石像仏と美姫とを交互に見ては美姫の心の内側に思いを寄せた。昨日、池のほとりで交わした時に問わず語りに語られた彼女の過去と石像仏との関係にひとり連想の輪を心のうちで広げた。

「ごめんなさい。長いこと待たせてしまって」

感激して紅潮していた顔を隠すように下を向いて彼女は言った。三十分くらいが経っていた。

「別に……。もういいの?ぼくは別にいいんぢょ。もっと見ていたかったらいいよ」

 美姫の顔を見たとき、その返事は嘘という意識の持てない瞬間の心変わりとして自然に出た反応であった。

「もう十分です。いつまで見ていても切がありませんから……。ありがとう。もう行きましょう」

人々が群れを成していたにもかかわらず、二人だけの会話が静かに取り交わされたような気がした。石窟庵を出ると外の光が入った時以上にまばゆく輝いていた。私は思わずハクションと大きくくしゃみをした。美姫が笑いながらさっとハンカチを差し出した。私も笑った。山の緑が色濃く初夏の日差しを浴びていた。先ほど来た大儀な道を今度は手を取って降りた。さっき境内を歩いた以上に心が弾んだ。ときどきうれしさのあまり、繋いだ手を縄跳びの縄を回すように山の空気の中に泳がせた。明るい笑い声が慶州の街まで届くのではないかと思うくらい快活に私たちは笑った。ときどき手をとって大きな窪地を降りるとき、膝がまるだしになって更に深く暗いところから大腿部が白くのぞいた。石像の肌と美姫はどちらがうつくしいだろうなどとも思ってみた。

 

こうして私たちは無事石窟庵を訪れることができた。ふもとのレストランに着いたとき、時計は一時を回っていた。レストランでゆくり昼飯を済ませてから、私たちはユースホステルへチェックアウトに寄り、荷物をとってまた慶州の街へ帰ってきた。帰りのバスの中で美姫は自分のところへ寄らないかと誘ってくれた。私はうれしく思ったが、夜七時か八時頃にはソウルへ帰る予定になっているからと言ってその申し出を断った。せつなさと寂しさを影としながらも素敵な笑顔をつくる、そしてバランスの良いプロポーションをした美姫の魅力にいったん溺れてしまったら最後……。それに美姫には大切にしているものがある、それを私ごとき一介の旅の邂逅者が壊してはいけないのだ、なにか冒しがたい、うつくしさの侵犯者となってはいけないのだ、という声が山を降りてくる途中からずっと私の耳元でしきりに呼びかけていたのだ。山道を降りてくる道すがら、一方では美姫の肢体に視線をやりながら、また一方では学生時代に読んだある禅僧の話を思い出していた。それはこんな話だった。

高僧が弟子と一緒に歩いている時に、増水した川のほとりで若い娘が河を渡れないといって泣いているのを見て、高僧は自分の背中に乗れといって、女を抱き川を渡ってしまった。それを見ていた弟子が川を渡り終えてからもどうにも腑に落ちない。僧侶が女を抱いてよいのだろうか?しばらくした後もどうしても分らない。そこで、思い切って、先生はどうして僧の身分でありながら、あのとき女を抱くことができたのか、と……。すると、高僧は、なんだ、お前はまだあの女を抱いているのか!と……。

 

私の固辞を受けて美姫は、

「では帰りのソウル行きバスターミナルへ四時発の高速バスに間に合うように行くから待っていて欲しい」

と言った。 

美姫は自分の家へ一度戻ってから私をバスターミナルへと送りに来るということであった。四時発の高速バスへ乗るまでの間、私は市の繁華街を一通り見て、適当な土産ものを購入して時間をつぶした。バスターミナルで指定された時間に乗り込んだとき、一台のタクシーがターミナルの脇に停まった・美姫だ。なにか四角い箱を袋に入れて持って来るようだ。私は思わずバスから降りて美姫の方に近づいた。

「まだ、出発まで十分近くあるよ。そんなにあわてなくても大丈夫だよ。だいいち、体にきついでしょ?!そんなに急いで……」

私は時計の方を指しながら美姫に笑って言った。

「ああ、よかった!今日は本当にありがとう。本当にしあわせな気分だった。蓮の花を毎年見に行っていたことによる……。きっとお釈迦様のお導きです。本当にうれしいです」

「それはよかった。ぼくもとてもうれしい。君の幸せに包まれた笑顔がとてもきれいだから……。またきっと石窟庵には行けるよ。だいたい様子も分ったでしょうから、今度は別の誰かにたのんでもいいんじゃない?!いつか、もし、ぼくでよかったら大丈夫、また一緒に行きましょう!ねぇ!」

「そんな素晴らしい時がまた来ましたらぜひ……。その時はまたよろしくお願いいたします。これ、私の本当のお礼の気持ちです。どうか受け取ってください。お願いします。とうぞ……」

美姫はあの少し寂しげな影を浮かせて真剣な眼差しで私を見つめた。涙があふれそうに目の縁際に溜まっていた。

「わかった。どうもありがとう。君の真心、ありがたくいただいておくことにする。本当にありがとう」

私も思わず涙がこぼれそうになった。そひてどちらからともなく歩み寄ってお互いをそっと抱いた。韓国語に続いて英語でソウル行きのバスがまもなく出発するアナウンスが鼻にかかった音で告げれた。もう一度私たちは互いの体を強く引き寄せあった。

 

ソウルへ帰る高速バスの中で、私はいただいた四角い箱をいれた袋をそっと開けてみた。それは箱に入った白磁の壺であった。白い紙が二枚添えられていた。一枚には日本語で、空港の税関では、中を見せてください、といわれた時この紙を係りの人に見せてください。そうすれば問題なくあなたの国へ持ち込むことができるはずです、という意味のことが書かれていた。そしてもう一枚にはハングル文字でなにかが簡潔に書いてあった。なんとなく威厳の在る命令書であるような感じがした。ソウルへ着いてから私は改めて壺を箱から取り出して眺めてみた。形の整った自然な感じのする高さが二十センチメートルくらいの大きさの壺であった。美姫にもらった思い出の壺であるということだけが、その壺をなんとしても大切にしようという気持ちを強く支えていた。

翌日、金浦空港を出る時、私は大切な壺を箱にいれる時にあわせて韓国語で書かれた紙を字が見やすいように上に向け、自分の手荷物の中に一緒にいれた。セキュリティチェックの時に係官がそれを開けてくださいと要求したが、木の蓋を開けて中を覗いて数秒すると係官は再び蓋を閉めて気のせいか、丁寧な態度でそれを私に返してくれた。成田へ着いた時にもなにかお土産品で申告するものはありませんかと言われたとき、これをいただきました、とその箱を見せようとしたが、係官は特に開けて調べることもなく、そのまま通って良いことを告げた。こうして私のその夏にかかるソウル、慶州への一人旅は終わった。

 

<(V)へ続く>

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