カルメンと白磁壺
(T)

魁 三鉄

 

 背広、ジャケット姿に混じって燕尾服、略式フォーマルウェアの紳士たち。袖の長いイヴニング・ドレス、黒のフォーマル上下、カクテルドレス、ワンピース、ツーピース、さらにはエスニック風の衣装に身をくるんだ淑女たち。色彩はカラーコードのサンプル表のように鮮やかに多彩に、しかも個性を主張している。集まっている人々は皆ただ椅子に座っているだけなのだが、背中で自分を主張している。そこは一流ホテルの大広間である。部屋の前方一段高いところ中央には重厚なオーク材でつくられた演台が置かれている。強い照明灯の下、蝶ネクタイをつけた黒の略礼服を着た痩せ型の紳士が少し緊張した面持ちでハンカチを首の周りに這わせている。その右脇には細長いテーブルにやはり黒の上下をまとう淑女たちが三人、男が三人座っている。黒尽くめの服装がこの魁の雰囲気を重厚な権威あるものであることをそれとなく感じさせる。女性の顔立ちが知的に引き締まり、それでいながら絶えず笑みを絶やさずにいるところが華やいだある種華麗なソフィスティケイトされた雰囲気を会場に醸し出している。室内全体をこうこうと照らすライトが一段高い舞台の上の緋色のベールに覆われた二つの段を持つ台座にとりわけ明るく当たっている。その台座には会場の主役であることを示す金色の衣装で額装された絵画作品がどっかりと座っている。進行を務める男女の後方には電光掲示板がロット番号とゼロが七つも八つも並ぶ数字を表示している。わたしが今いる場所は絵画オークション会場である。

 わたしは今、無声映画のひとこまのように静かに、会場に見えるものを簡単にスケッチしてみた。透明に曳かれた防音壁をそっと破ってみることにしよう。

 

 進行を司る女性の声が柔らかく、しかし、歯切れ良くマイクを通して会場の隅々にまで響き渡っている。三千五百万円、三千六百万円、三千七百万円、……越えは百万円の単位で根を上げて行く。舞台下の客席に座る人々の中からところどころにパドルと呼ばれるT字型のプレートが何本か挙げられている。パドルには客にあらかじめ割り当てられた番号が記されている。さらに値段は上がって行く。それにつれて先ほどまで四、五本挙がっていたパドルが二本に減っている。五千三百万円という声が上がったところから二つのパドルの挙がる間隔が少し長くなった。一方がためらいがちに挙げられるとまた一方が負けじと挙げる。五千四百万円の声がすかさず入る。また少ししてパドルが挙がる。「さぁ、ほかにいらっしゃいませんか?」という声があって少しするとまた一方のパドルが挙がる。会場には軽いどよめきがその都度起こる。そしてとうとう五千五百万円の壁が破られ、五千六百万円という値段が読み上げられた時、パドルはついに一本となった。「五千六百万円、よろしいですね」という念押しの声と共に競い合いは終了した。その作品の嫁ぎ先が決まった瞬間だ。会場はどよめきと歓声と拍手で一時花火が上がったような賑わいをみせる。観衆の興奮とは別にオークション担当者たちは互いに客達の興奮に巻き込まれることを避けるかのごとくにか表情のない顔をしてすばやく罪座の主を入れ替えて行く。ロット番号の表示とともに会場は再び静寂が帰ってくる。水を打ったようにという表現がぴったりだ。やがて最低エスティメイト価格よりより低いところから設定された値段が読み始められる。人気のある作品の場合はあまりに低すぎる開始値段にたいしてパドルの数は十指に余る数が普通挙がる。こうして再び五十、百万円刻みのビット(応札値)がつけられて行く絵画のオークションは大体どこの国でも主催者が変わってもこのようにして開かれているものだ。

 これから語られるお話は一枚の版画作品が縁となって始まったわたしの身に起こった物語である。

 

 新緑の柳の小枝が春嵐に強く吹かれ、吹流しのように踊っているお堀端を歩いてわたしはその日版画名品作品のオークションが開かれることになっているTホテルへと向かっていた。春の嵐の吹き荒れる皇居のお堀には漣(さざなみ)がヴィブラートを細やかに効かせながら、すーっ、すーっ、糸を曳くように水面(みなも)をすべっていた。じっとしていても額にほのかに汗を滲ますほどに強く光り始めていた日中の日差しとは裏腹に、夕焼けが日の空を茜に染めて行くその時はまだ冬の名残があるように硬くつめたい空気が風に乗ってわたしを背広の上から刺していた。お堀端に沿って歩きながらわたしは、

 「きょうはとうとうその日が来たのだ。果たして狙い通りに事は運ぶだろうか?どうかその作品があまり目立つことのないように……」

と心の中で祈った。ビューッと突然吹きすさぶ風が胸の中まで冷たく進入した時、そんなわたしの願いをこの冷たい風が吹き飛ばしてしまうのではないかと怖れ、わたしは背広の上着を羽交い絞めにするように左右の腕で交錯させて押さえ込んだ。公園に沿って歩く途中、新緑の葉の中に半分くらい枯葉色の混じった桜の葉が一枚、頭の上で宙に輪を描き、舞って、わたしの歩んで行く先に落ち、靴がそれを踏んだ時パシリ、カサッと煎餅の割れるような乾いた音がした。

わたしはその日のオークションでピカソのある版画作品を獲得したいと狙っていたのだ。わたしはピカソという二十世紀の天才が異国のパリで次々と歴史に残る傑作を作り出す一方で、故国のスペインを絶えず心にとどめていたということになぜか強い共感を覚えていたのだ。二十歳にならんとする、田舎に位置するスペインの港町から出てきた多感な若者にとってのパリがどんなにか刺激に充ちた充ちた魅力に溢る街であり、どんなにか栄養にとんだ巣窟であったかはわたしのようなものにでも、東京への上京経験に照らして容易に想像しえたからであった。ピカソには青年期の誰しもが抱く、野心と自信と未熟の同居があった。そして目立たないところに甘酸っぱい青春の躓きが感じられた。画家としての名声を勝ち得るたびにスタイルを変え、女性を替えて行った彼。確かに彼の伝記や評伝を読んだりすると、そうした目まぐるしく変貌を遂げていった彼がはっきりと映っていた。けれどもわたしはピカソの結婚にまつわるエピソードを読むに至って、変貌の激しい姿を追うこととは逆に彼の原型をなすものを探り当てることへの関心が湧き上がってきたのだ。そんなことが動機となって彼の作品への興味となっていったのだった。わたしはいくつかばかりの伝記や評伝の類を読む中で、彼が三十七歳で初めて正式な妻としたオルガへの惚れようというものは尋常なものではなかったように思われた。そしてまたスペインへの愛情もまた尋常ではなかったと思われたのだ。尋常ではないとは、要するに、彼にとっていつも心に抜けがたく貼りついた心の指紋のようなものであった。わたしはオルガとスペインへのこだわりを同時に表現している作品がどこかにかならずあるはずだという思いを強くしていたのだ。画集や版画のカタログレゾネを購入しては、時には寝転んだ姿のまんまで、またある時はソファの背もたれに脚を掛けながら、またある時にはきちんと机に向かいながら……、と暇があればページをめくる日が一年以上も続いていた。オルガとスペインへのこだわりを頭にいれながら……。

そんなある時、わたしはマンチラと呼ばれるアンダルシア地方の伝統的な民族衣装をまとった肖像画をカタログレゾネのなかに見つけたのだ。それはロシア、ディアギレフバレー団の一員であったオルガ・コクローバとの結婚を前にバルセロナに住む母の下へと彼女を連れて行ったときに描かれたオイル・ペインティングのオルガのマンチラ衣装姿の肖像画に良く似ている作品であった。レゾネには作品名が「マンチラ姿のカルメン」と載っていた。ほかにはどうであろうか?わたしは引き続いてオルガとスペインにこだわりながらページをめくり続けた。けれども一通り眼を通したカタログレゾネにめぼしい作品をみつけることはできなかった。レゾネを何種類か調べ、その作品の成立背景を調べるうちに私はその作品が欲しくなってくる衝動を抑えることができなくなっていた。ときどきピカソ版画展などと題された催しがある百貨店や銀座の画廊を訪れてはみたが、お目当てのそれにはとんとお目にかかることはなかったのだ。普通は五十部づつ摺られるのが常であった彼の版画にあって十一部しか摺られていないことも一層人目につかないことの理由になっていた。好事家にとっては幻の作品であった。

その人知れず夢に見ていた作品が今回のオークションに出品されることを知ったのは、その年の初めのオークションカタログを池袋にあるSデパートにあるオークション事務所で眼にした時のことであった。いっぱしにわたしは絵画コレクターを気取って機会あるごとにその事務室脇の手狭な応接室に覆いかぶさるように置かれている書棚の開催カタログに眼を通す習慣を数年のあいだ身につけていたからである。出品の知らせを見つけたその日からわたしは首を長くして、そしてなるべくならば他人に目立たないことを祈りながら、今日のこの日を待っていたのだった。

屋根の高さを一定にそろえたモダンなビルディングを前を通り過ぎ、大きなT字路を声、M銀行の建物にそってT劇場脇を過ぎ、わたしは目指すTホテルの中に設定された海上に入った。日本に国際的なオークションが上陸してからすでに何回目かの開催であったが、初めてのときほどの熱っぽさはないものの人々の間には目指すものを求める虚々実々の駆け引きがオークション開始前から繰り広げられていた。既にプレヴュウと呼ばれる下見はみな一通り済ませており、自分の本当に狙うものはなんであるかをみな胸に潜めながら虎視眈々と座席に座って目指す作品獲得の作戦を練っているのであった。会場の入り口に立つと申し込み受付番号と引き換えに番号のついたパドルが手渡された。わたしは五百十二番のパドルであった。やがてロット・ナンバー一から例のごとく作品が台座に置かれ、そして迫が始まった。いつものようにすべては進んでいった。けれどもそのひのわたしはやはり欲しい作品が出ていたためであろうか、他の作品の成り行きには全く眼が行き届くことはなかった。わたしは自分が狙う「マンチラ姿のカルメン」がろっと番号が一〇七番であることばかりを頭の中に入れ、どういうタイミングで入札の意思を表すことが一番うまいやり方なのかを反復練習していたのだ。そしていったいいくらまでならば自分の購入能力があるのかを考え、お金の捻出の方法をいくつかの金額のケースに応じてあらかじめ整理していたのだ。やがてロット番号はピカソの作品群の最初のものにかかり始めた。「貧しき食事」と題されるピカソが最初に制作した版画作品と言われる作品から入るのが決まりである。わたしはこの作品がどのように競い合われて行くかにしばらく注目した。その日のオークションに於いて買い方がどのように買うか、つまりあらかじめ設定されたエスティメイテド価格に対してそれを馬輪丸形で取引が落ち着くのか、それとも予想された目安の範囲に入るかたちで落ち着くかといったことが彼のほかの作品に対しても微妙に影響してくることを考えたからである。こうしたことは参会者にとってはごく当たり前のことではあったが、初めての参加者にとっては狙う作品への執着が強いとしばしば頭から抜け落ちてしまう事柄なのである。その日「貧しき食事」は三千六百万円とほぼ予想されたところで落札のハンマーが下ろされた。

わたしはあと三っ後に控える「マンチラ姿のカルメン」も恐らくは高い方のレインジに落ちるとしても百五十万円を越えることはないだろうと踏んだ。人気のある新古典派的な描き方の女性の肖像画である点では値が張る要素があるが、そんなに目立って取り上げられたことのある作品ではないし、エスティメイトの上限も百二十万円となっているからせいぜい百五十万円くらいで落ち着くだろうと踏んでいたのだ。そこまでのうちならば資金はなんとか工面できる。できれば、それよりは低いところで落札したいものだと一人胸算用をはじいていた。しかし、もし他にこの作品に注目しているライバルがいるとすれば……。そう考えると胸の中が落ち着かなくなり、きちんと整理された考えがシャッフルされたトランプ・カードのようにバラバラにされてしまう恐怖に襲われた。

「ではロット・ナンバー一〇七番に入ります。七十万円から始めます。七十万円!」

競りのスタートとともに希望する者のパドルがすかさず挙げられる。もちろんwたしも挙げている。わたしより前の席に五、六人の挙げるパドルが見える。すかさず、

「七十五万円!」

という声が英語に続いて日本語でかかって来る。さきほどのパドルは自分を含めて誰も下ろしていない。わたしは今度は後ろを小さく振り返って見た。左斜め後ろに一人のパドルが立っていた。

「八十万円!」

ごとんど間髪を入れずに値は上がって行く。そしてすぐに百万円の声がかかった。このとき、前の三本のパドルがいっせいに下がった。どうやらライバルは前に二人、後ろに一人となったらしい。わたしは百五十万円までは無条件に応札するつもりでいたので、心にはまだ余裕があった。

「百二十万円!」 

これまで五万円刻みでついていた値段の間隔が十万円単位に切りあがった。誰もパドルは下ろしていない。百三十万円になった時、二人が降りて前には一人のライバルのみが一度下げたパドルを挙げなおした。いよいよ駆け引きの必要なパドルの上げ下げの時に入言ったのだ。後ろのライバルがおろしたかどうかにはもはや気を払う余裕はなくなっていた。

「百五十万円!」

の声がかかったとき、わたしはここで樹待て暮れという願いをかけて少し間をおいてからパドルを挙げた。もう誰も挙げないということを願いながら……。

「よろしいですか?」

司会者の声が会場に念を押しにかかった。すると私の右斜め前からパドルがすーっと挙がったのだ。

「畜生!」

私は落札決定直前のところで決まりそこなったことに苛立った。

「せっかく狙いをつけてここまで来たのに、こん畜生!」

自分の立てた計画が直前までうまく通って来た分、目先の邪魔がうっとおしく感じられた。けれどもわたしの気持ちにはおかまいなく次の値付が出されて行く。

「百六十万円!」

先ほどのパドルは少しの同様もないように再びすーっと挙がった。わたしは迷った。そして少しかっとした。カルメンを欲しい気持ちと自分が用意できるお金の限界とを冷静に測るというもう一つの作業が戦いとして入り込んできたのだ。できれば手をつけたくなかった定期預金を中途で解約することを覚悟しない限り資金はないのだ。

「カルメンがこの先こうしたところにでるkとはないだおろう。一期一会の縁と思えば定期預金の三十万円を解約してでも……目先の三十万円ごときに……今しかチャンスはない」

と買いに向かう気持ちともう二度と手にするきかいそのものが名kなってしまうのではないかという恐れが心の中に湧いている一方で、

「あらかじめ決めた上限を越えたい上は思い切りよく諦めるべきだ。大体いくらで決まるかも判らない勝負に賭けたところで資金力あるものには絶対勝てっこないのだ!諦めが肝心!」

と撤退を勧める声が心の中で激しくぶつかっている。その間に読み上げられる値段はいつのまにか二百万円に達していたのだ。わたしは二百万円の資金さえままならない現実を放り投げて、ライバルとの戦いに読みあげられる数字の世界だけで挑戦していたのだ。わたしは二百十万円の声が読み上げられたとき、ついにパドルを挙げることを諦めた。ライバルの右前方のパドルはいかなるおうさつにも揺らぐことはないのだというようにすくっと静かに立っていた。

「駄目だ!完全に負けだ。諦めた。カルメンは彼のものだ!」

わたしは心の中でこの闘争の敗北を認めた。それは諦めたというよりはまさに現実に帰ったといったほうがふさわしい自分を知る行為に他ならなかった。二百十万円でハンマーがぢ座を叩いたとき、自分が欲しいと思っている物を自分以上の熱意で現実に求め、求めることが出来る人がいるのだという当たり前のことを、わたしは身をもって実感させられたのだった。次の出品作品と引き換えに台座からさげられて行く「マンチラ姿のカルメン」をちらりと見た時、それは

「お生憎さま!わたし、わたしのために身を滅ぼすことも辞さない、お金のある人の方が好きなの!ウフフ……」

とわたしに悪戯っぽく語りかけ、会場から姿を消して行ったように見えた。わたしは思わず、首を左右に小刻みに振った。それからわたしは落札の勝利者を見ようと、右斜め前方に身を少し乗りだして視線をパドルを下げている男の方に集中した。

勝敗の決定した今、改めてみる男は四十歳位の紺色の背広をスマートに着こなす紳士然とした感じの男であった。しかし、斜め後ろという視点からは男の表情は見ることができなかった。ただ、鼻筋がまっすぐに伸び、L字型のプロフィールをつくっていた。そしてわたしにはさっぱりと短く刈り上げられた後頭部の線が、育ちの良い素直な男の性格を暗示しているように感じた。視線の集中が弱まると耳には次のロット番号の作品を値付けして行く進行司会者の刺激的な声が時々思い出されたように鳴り響いた。たいして時間は流れていなかったと思うのだが、わたしは恨めしそうな表情をしながら勝利者を眺めている自分が嫌になっていた。しばらくして、いつのまにかそっとその男の方から視線を下の会場の舞台の方へと体の向きと一緒に戻していた。最後のロット番号の作品が落札されて、その日のオークションは無事に終わった。わたしは自分と争ったライバルがどんな人なのかをもう少し見たいなというある種の野次馬根性にかられて、さきほど見つめていた方をもう一度見遣り、眼を凝らした。けれども、彼の姿はもうそこには見えなかった。席を立つ人々はお互いについ直前まで共同の戦場に共に身を置いていたとはおもわれないよそよそしさで足早に会場を去っていった。数人の仲間とみられる画商らしき人たちだけが出口に向かって三、四人ずつ群がりながら今晩の催しの批評らしきことを目線を床に注いだまま歩きながらしていた。

外に出ると、来る時には吹きまくっていた春の嵐がほとんど収まり、ガラスの破片のような鋭いかたちの月が公園の森の樹の真上から静かにわたしを照らしていた。

 

<(U)へ続く> 

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