わが名はヘボタ(9)
魁 三鉄
「相変わらず神妙な顔をしているのね」。透き通った明るい声が突然聞こえて、オレはふと我に返った。影のことをあれやこれやと考えては、全体としてのつながりはこれでよかったっけ?などと自問自答を繰り返しているうちに、オレは思わず暗闇の迷路にはいってしまい、我を忘れてしまっていた。そんなオレを現実に引き戻してくれたのは心密かにオレのハートが高鳴る美沙子さんだ。誰がオレの胸に金色の矢を打ち込んだのだろうか?なんだか身の周りがパーっと明るくなったようだ。まばゆくきらめいた刺すような明るさというよりは、クリーム色の艶消のランプがポーっとついたようなしっとりとした明るさだ。ガレのガラススタンドを通して光ってくる落ち着きのある明るさと言ったらよいだろうか?
こうした明るさがオレを惹きつけるのと同時にもうひとつオレを強くつかんでくるものがある。それは彼女の姿に一緒についてくる、甘く身を溶かすようなお化粧の香りの下にある、あるいは奥底に潜むとでも言うべきか、表現のむずかしい香りだ。あえて言ってみよう、その香りは人間を知り尽くしているという厚みのある臭いなのだ。オレは番犬としての嗅覚は一応そなえているつもりだが、美沙子さんの中に潜むこの臭いには抵抗力がなくなってしまう。跪(ひざまず)く、と言っても良いかもしれない。その臭いは美沙子さんが持って生まれた臭いというよりは、生活していた環境の中にあって知らず知らずのうちに脳みそや肌の細胞に染み込んでしまったものなのだ。時には文字通り血みどろの肉体をかけた戦いのなかで勝ち残った人間たちの細胞にこびり付き、また精神の闘いの中で、誇りを賭して守られ、洗練の度を増して守られてきた歴史の勝者たちの精神と細胞の臭いなのだ。
オレには分かるのだ。美沙子さんがどこでその香りを身に具えてしまったかを……。美沙子さんはフランスという国に5年もの間住んでいたのだ。5年間住んでいた街の臭いが体の表面だけではなく、脳みその中身にまで染み込んでしまい、脳みそに支配されている体のあちこちの肌から体の一部として香りだしている臭いなのだ。オレの祖先たちやその仲間にも共通した同属の臭いなのだ。だからオレには分かるのだ。この「ヨーロッパ」という同族のものだけにははっきりとわかる臭いの存在が……。
美沙子さんの肌から香る芳香の中にはかの地で吸い込み、脳みそや内臓にまで染み込んだ街の空気の臭いが一緒に顕われているのだ。表層に浮かぶ華やかで典雅なお化粧の香りの下には獣臭い、神や自由の名の下に血塗られた人々の、どろっとした粘っこい、精神の戦いの中に流された「血だまり」の臭いが隠れているのだ。美沙子さんが住んでいたそこは神様や自由という、あるのかないのかもわからない、しかし、求め続けなければ確実に手に入らないものに憑かれ、命を懸けて求めた人々の血や汗や涙の溜まった街であったのだ。長い年月の間、人間どうしが戦いあい、血を流した場所だったのだ。美沙子さんの体の中から湧き出てくる臭いは、そういう血みどろの世界を吸い込んだ石畳や壁のある街に長い間住んでいたことによる彼女の全身に染み込んだ、歴史を背負った街の臭いなのだ。それにオレ達の仲間が遠慮会釈なく道路に挨拶代わりに落とせる臭いだって、オレは美沙子さんの姿の背後には嗅ぎとることができるのだ。その地ではそれを人間さまが踏むと縁起が良いと言って喜んでくれるもの臭いさ。「メルド踏み」ってね。この臭いは多分オレたちヨーロッパの犬にしかわからないだろうな。きっと?
美沙子さんがご自身どこまでこの自分の体の中に入り込んだ臭いに気がついているかどうかオレにはわからない。ヨーロッパ生まれのご先祖様たちの血を受け継いでいるオレだからこそ嗅ぎ分けられるのかもしれない。
「まぁ、どうぞ。立ち話もなんですから、どうぞ中へお入りになってください」と、いつもより少し堅い響きの声の調子のわが主人。駅から自宅まで戻ろうと歩いている途中で、わが主人の姿を自分の送迎車の中から見かけた美沙子さん、お抱えの運転手さんに自分はここから歩いて帰るからと、車を降りてしまい、主人と一緒におしゃべりし、歩きながら一緒に帰ってきたらしい。
「あっという間にお家まで着いてしまいましたわ!お話に夢中になってしまって……だっておもしろいんですもの。お話が途中になってしまうのは、とても残念だわ。なんだか惜しくて……」
「よろしかったら、どうぞ、拙宅におあがりください。私は一向に構いませんよ。このあと特に予定も入れてありませんから。さぁ、どうぞ。こいつもそろそろ中へ入れる時間ですから……」
そう言いながら、主人はオレの首に手をかけて、庭につないである鎖をはずしにかかっている。玄関先まで抱きかかえられてオレは運ばれる。運ばれるときは全身の力を抜いて手足をだらんと垂らしてしまう。これが主人でなく、テッチャンやワタルチャンが抱き手だとそうは行かない。抱かれてもきちんと安心ポジションに抱かれない事が多いから、オレの方から姿勢を変えようとしてしまう。不安だからおとなしく出来ずに動いてしまう。すると姿勢が崩れて、キリスト様が倒れかかった十字架にかけられて、宙釣りになったような、なんともみっともない格好になってしまう。体のバランスが悪い上、しかもテッチャンやワタルチャンが訳も分からず、力任せに力一杯頑張って変なところをつかんでオレを運ぼうとするからなんとも痛くて、痛くてしょうがない。できるだけ一生懸命我慢しようと思うが、思わず、イテーッ、ワン!と叫ぶこともある。テッチャンやワタルチャンの親切は恐怖の親切だ。今日はご主人だ。安心だ。
「おとなしいわね。信頼しきっているわ」オレの背中からわき腹を軽くなぜながら美沙子さんはつぶやいている。銀子に例の香水を塗り込んだその手なのだが、オレはぴたりと吸い付いてくるような掌(手のひら)のソフトなタッチにしばし恍惚となる。このままずっと……と思っていると、月面の上で放り投げられたのかナ?と思うような、ふわっと宙に浮いたような感じになって、オレの体は床へと下ろされる。そこでオレはじっと立ったまま待つ。ほとんど毎日のことだから次に何があるかはわかっている。主人は雑巾を取ってくる。それでオレの足の裏を拭く。
「よし!」の合図でオレは自由となる。とことことこと小走りに、敷かれている絨毯の部屋へと先に行く。
「どうぞ、ご遠慮なく、おかけください。スリッパは適当にラックのものがお客さん用ですから。お好きなものを」
「では、失礼させていただきます」
両膝を軽く閉じあわせながら前傾してスリッパを履いている。そのややS字型がゴーギャンの絵の中のモデルのようだ。
「さぁ、どうぞ」主人は手で示しながらソファを案内する。
「まぁ、ロックったら、もうちゃーんと先回りして待っているのね!」
「こいつ、これでもちゃーんと人を見ていましてね。自分をかわいがってくれる人かどうかを判断しているんですよ。かわいがってくれない人だと判るとすたすたと自分の部屋へ引っ込んでしまうんですから」
「では、わたくしは好かれているということね!?まぁ、よかったわ!」
明るく澄んだ声が上から降ってくる。オレはすかさず顎を絨毯につけたままの寝そべった姿勢で尻尾をペタペタと軽く振る。美沙子さんはオレに一番近いソファに腰を下ろした。座る位置を決めた美沙子さん、オレの鼻から額にかけての筋に沿って2,3本の指を軽く置きながらなで上げる。この指が色彩感にあふれる音色を紡ぎだすピアニストの指なのかと思うとオレは自分の身体がなにかの楽器にでもなれればなぁ……などと思う。そう想いながら、オレは自分のハートの鼓動がいつになく高鳴っているのを感じている。オレの胸の中は彼女の指の動きに合わせながらめくるめく陶酔感に浸るハートの鼓動が音となって調べを作っているのだ。
主人はといえば、
「いま、飲み物用意しますけれど、紅茶、コーヒーそれとも緑茶、なにがいいですか?」と言いながら、ソーサー、カップやら湯呑み茶碗やらをサイドボードに探している。
「本当にお構いなく。わたくし、やりましょうか?」と言いつつ、少し腰を浮かす。
「いや、大丈夫ですよ。どうぞそのままお掛けになっていてください。今すぐお湯も沸きお茶が入りますから」
「すいません。帰りがけにお姿を拝見したものですから、ついお声をかけてしまい……。図々しくも押しかけて来てしまったような塩梅で……。本当にお構いなくお願いしますわ。拙宅の方にも是非おいでくださいませ。ご遠慮なく」
「ありがとう。そのうち機会ができましたらね……。で、飲み物の方は何にします?」
「では、お紅茶に……」
「ダージリンでいいですかね」
「もちろん、なんでも。そちらで構いませんわ」
オレの方はといえば、アレグロからアンダンテへと胸の鼓動は落ち着き始めたようだ。
美沙子さんの指はただ撫でているように見えるかもしれないが、主人やテツヤ君、それにワタルちゃんの撫で方とは明らかに違っている。どのように違っているのかを説明するのはむずかしいが、微細な波状のアルペッジョかトリルがかかったような、それでいながら振動はすべるように柔らかくしかも優雅なのだ。相手が犬であっても撫で方ひとつにも人それぞれの性格やオレに対する表情が現れているものだ。人間の手というものは実に不思議なものだ。こんなことによっても、人間さまの手には表情が無数にあることを実感できるものだ。
ふと、
「この絵はどなたのお描きになったものかしら?墨絵かしら?」
美沙子さんはオレ以外のものに真剣に気をとられたようだ。その瞬間、微細で優雅な指の愛撫が止まったことでオレには彼女が本当に神経をそちらに集中したなということが分かった。ハハーン、あれのことか!とオレはすぐに判った。なにしろそれはわが主人の進路を左右したと言うくらいのものだし、時々、例の3人組との会話にも登場していたし、なにやらいわくつきのモノであることは確かだからだ。
「ああ、それですか?」主人はどの絵とも確かめずに返事をしている。確かめなくても見る人が見ればそれなりの関心を惹く何かが発せられてくるものがあるのはそれだ、というような確信のようなものが主人にはある。
「黒一色で描かれているのにもかかわらず、わたくしには色が感じられますわ!筆の動きが生きていますわ!どこかで見たようなことがありますけれど……何の画集だったかしら……?」
「……それ、ピカソのものなんですよ」
「まぁ、ピカソの作品ですの!! なんてきれいな表情のモデルなんでしょう!父がが何年か前に会社のお部屋に飾るためにと購入した作品などよりははるかに分かりやすくてすばらしいわ。数億円も出してやっと手に入れたと父は得意になって自慢していましたけれど、私から言わせてもらえば、率直に言って、父が購入したものはたいしたものではありませんわ。だって、ピカソという名前がついていなければ、誰だってきっと、子供が戯れに描いたもの、と位にしか見えませんもの。絵のことはよくわかりませんけれども、その作品ったら、絵筆も雑な感じがしましたし、心がこもっているという感じがしないんですもの……。そんなものに億の単位のお金を投じるなんてわたくしには考えられませんわ! それにしてもすっきりとした良い作品だわ。この墨絵!」
「ありがとう。お褒めのことばを……」
お茶の準備をしている主人の声が気のあう仲間に出会った喜びに弾みだしたようだ。
「この作品はいつ頃の作品ですか?わたくし、ピカソのことあまり知らないのですけれども……。父が欲しいけれども今では作品そのものが既に収まるところに収まっており、出てくることはないし、仮に売りたい人が出てきたところで何十億という値段がついてしまって買えっこないしなぁなどと嘆いていた、いわゆる「青の時代」の作品かしら?
「いや、違います。これは戦後のものなのですよ。もう晩年といっても良いでしょうね。正確に言いますとね、1949年のものなのです。近くでご覧になればわかりますけれどもね、日付が入っているでしょう? 2、Mai‘49 って!?もっともすぐには判りませんけれども……。鏡があればすぐに判りますけれど……。それは墨絵ではなく版画作品なのですよ」と言いながら、紅茶を運んでくる。それらをテーブルの上に置くと、「さぁ、どうぞ」と仕草でお茶を勧めながら話をつづけている。
「そのモデル、フランソワーズ・ジロゥと言いましてね、彼の6番目の奥さん、否、少し正確に言いますとね、5番目の愛人であった方なんですよ。なかなか現代的な才女でしてね。ピカソにとっては自分の思うように支配できなかった女性でしたね。まだお元気だそうですよ。アメリカに住んでいるようですが……」
「まぁ、おもしろくって……」
いつのまにか、オレの顔にあった彼女の手は離れてしまい、話に夢中になっている。あーあ!やっぱりオレの惹きつける力はこの程度か?軽い嫉妬の情に駆られて、オレは美沙子さんの手による愛撫をオレの肌から奪ってしまったピカソとやらを呪う。聴くところによれば、ピカソはオレを軽い嫉妬の渦の中に巻き込んだどころではなく、現実に何人もの女性に嘆きと嫉妬と悲しみを与えたらしい。そしてかわるがわるに相手にそれ以上の喜びと感動をも同時にまた与えていたらしい。すごい人がいるものだ。愛や感動を与え、しかも悲嘆や怒りを呼び起こしながらも、結局は喜びや感動の方が大きいなどという人がいるなんて……。どういうことなのだろう?オレには理解できないことだ!
「この女性が頭に被っているものって、そういえばものすごくスペイン的な感じがしますわ。これなんというでしたっけ?そういえば、わたくし、こんな姿の絵を見たことがたしかにありましたわ……。……あっ、そうそう!いつか父がこの作品は欲しいけれど、絶対に不可能だ!なんて言いながら画集の中でこんな姿をしたモデルの絵を見ていましたわ。そうそう、だから見たことがあるような気がしてならなかったんですわ。だんだんハッキリ思い出してきましたわ」
「お父様がご覧になっていたものについては絵柄を見ない限り特定できませんけれど、この頭巾はマンチラといってスペインのアンダルシア地方の伝統的な婦人の正装スタイルであり、それを着た女性を描いた作品はそんなにたくさんはありませんから、お父様がご覧になっていた作品はきっとオルガをモデルにしたものでしょうね」
「オルガと言いますと?」
「オルガと言うのはですね、ピカソが正式に結婚した最初の奥さんにあたる人でしてね、気の毒な生涯を送った人でしたね。それでもピカソはロシアのディアギレフ・バレー団の一員であった彼女を見初めたときには本当にくびったけとなってしまったんですよ」
「まぁ、ピカソの奥様はロシア人だったんですの?ではあの衣装はロシアの装束ではなくて?」
「いや、ピカソという人はなかなかに祖国愛に燃えた人でして、生涯のほとんどをフランスに過ごしながらもスペイン人であることを誇りにして、決して忘れることがなかった人と言われていますね。
このフランソワーズの場合もそうなのですが、彼はオルガにもスペイン伝統衣装であるマンチラ衣装を身につけさせてポーズをとらせたんですね。オルガのマンチラ姿の肖像画は彼らが新婚旅行をかねてピカソの故郷のマラガへ帰ったときに、彼のお母さんに自分の妻を紹介することを兼ねて描かれたもので、写真で撮ったように端整な顔立ちのオルガの姿が描かれていますよ。あなたのお父様が画集の中でご覧になったのはきっとそれでしょうね。普通、画集に載っているのはほとんどがそれですから……」
「この絵もずいぶんと端整に描かれていますわ。写真とは異なりますけれども、自然に見たままのような姿に素直に描かれているように思えませんこと?」
「そのように見えますか?!ウーン、実はピカソはフランソワーズのことを写実的に描くことは彼女には似合わないと言って、ほとんど見たままのようには描いていないんですね。植物に似ているとかいって<花の女>という作品に代表されるように、著しくデフォルメされた作品が多いんですね。ですから私もこの作品が目の前に掛けられているのを見たときには本当にピカソが描いたものなのかと疑いましたね。手元に作品を置いてからいろいろと調べて行きますとね、おもしろいことが次から次へと出てくるんですね。なにしろ作品の整理がまだ完全にはついていない画家ですからね……。いやー、私もずいぶん愉しませてもらいました。たとえば、モデルのことに関してもですね、単純に制作年代とのつながりだけでフランソワーズと断定してしまって良いのかというようなこともありましてね……。」
2人とももうオレのことなんか、すっかりどこかへ行ってしまって眼中にない。主人の声はもうすっかりいつもの調子に戻り、落ち着いたペースになっている。美沙子さんもリサイタルの演奏会に出演しているかのようにのっている。
「といいますと、誰かほかの女性の可能性もあるということなのですか?わたくし、さっきのオルガさんのお話に興味がありますわ!」
「あなた、なかなか勘の鋭いかただなぁ。やっぱりピアニストの感性って拡張性があるのか、というか、連想力が大きいのかなぁ??きちんとした様式を踏まえてゆけば、途中に虫食いの部分があったり、不明の部分があったとしてもそれなりの完成が作り出されるということを体で直感的に感じとってしまうのかな?ジャンルはなんであれ、クラシックを身につけている人は?」
なんだかわが主人は訳の分からないことを言っている。高尚なことなのか、言葉のおまじないに酔っているのかよく分からない。
「先生、そのご指摘は意味の深い言葉ですわ!わたくし、フランスにいた時にそのようなお話を聴いた事がありますの。いや……あのー、わたくし個人の問題ということではなかったんですけれど……様式の強さということに関するお話の中でのことですけれど……。実を言うとわたくし、そのことで一時期ずいぶんと考えましたわ。様式に乗るということについて、芸術的創造という精神の自由そのものである活動が、古典力学の物理法則のように初期値が決定されればあとは様式という形式上の法則に乗って、行く先が自ずと決まってしまうような活動に思えたんですもの。もし芸術活動がそのようなものだとしたら、演奏者の私はいったいなんなのと考えてしまったんです。様式の踏襲という訓練がなんだかとっても非人間的なものに感じられて悩んだんですもの……。あら、いけない!で、モデルはどうしてフランソワーズと……」
美沙子さんは日本にいるときには考えた事のない問題をフランスに留学しているときに突きつけられて悩んだらしいのだ。ただうまく弾くことばかりに集中したいと励んだ彼女にとって、考えてもみなかった問題は彼女をずいぶん苦しめたらしい。
「ウーン、様式と演奏法の問題か?これはまた難問だなぁ?!しかし、大切なことだ。避けては通れない本質的な問題だ。ウウーン」
わが主人は下を向いて唸っている。こういうときは例の湯沸し思考の開始の兆候だ。やっぱり、なにか大変な中身のある話を交わしているということだったようだ。分かっている人同士の話しというものは、気取っているとか、格好をつけているなどという上滑りの印象ではとらえられない、重いもののようだ。
「先生、ごめんなさい。お話をさえぎるような展開にしてしまって……。つい、わたくし、じぶんのことに事寄せて他人(ひと)のお話を聞いてしまう癖がありまして……。モデルのお話続けてくださいまして!」
なんだか、美沙子さんいけないことでもしてしまったかのように少しあわて気味に話題を本筋に返そうとしている。問題の深さを覗いた者だけが知っている、そんな仲間をいたわるような心配りのようだ。気持ちのよい音に酔っていさえすれば、それは素敵な音楽だと感じるだけのオレには様式とか演奏法とかいったところでどうもピンとこないのが正直なところだ。美沙子さんの心遣いにかえって気を使ったのか主人は再びピカソの話にかえっている。
「モデルがフランソワーズと断定するのに少々迷ったのは今しがた話しにでましたオルガの肖像のことが気になったからなのですよ。つまり、どういうことかと申しますとね、この作品とオルガの肖像画との間には似た要素があったからなのです。日記代わりに絵を描いていたといわれるピカソですから、この作品の制作された年代から判断すれば、モデルがフランソワーズであることは間違いないんですけれどもね、そう簡単には行かないところが見えましてね」
「まぁ、推理小説の謎解きのようになってきたわ」
「二枚の絵柄を比べてみましょうか?」
そう言ってから主人は二階の自室へ行き四角張った大きなピカソ全集「新古典主義の時代」と題された画集を取って来た。そこには写真のように人間の目で見えるように描かれた美しい姿で描かれた作品がたくさん載っている。
「ああ、これだ、これ」と言って主人は黒白の写真で掲載されている「オルガの肖像」のあるページを開いたまま固定する。
「ああ、これだわ。確かに父が見ていたのも……。口元のきりりと締まったなかなかの美人だったのね。オルガさんって。それにしても先生のところの作品とこの作品、構図のとり方などよく似ていますわ?そっくりだわ!」
「わたしもそう思っているんです。ピカソの場合、いわゆる全集と名をうったものがいくつか刊行されているようですけれども、なんといっても創られた作品の数がいまもって正確には数えられていないという人ですから、本当のところはまだわからないところが多いのですが、ざーっと調べたところではマンチラ姿の肖像画と言うのは10数枚くらいしかないようですね。ピカソの人気作品というのは女性の単独肖像画で、しかも出来る限り写実的に描かれた大きな色彩の豊かなものなのです。理由はわかりませんけれども、やはり、描ける技量を持っていながら写実的な技法を意図的にあえて捨てていった彼の作品群のなかでは写実的な作品は誰でも自然に美しいとわかるし、それに女性を替えるたびに描画法をも替えていったといわれる彼が、見たままにその女性たちを美神(ミューズ)のように描いた作品というのはファンにとってはそれは貴重なものと思えるのでしょうね。ましてや、彼が生前には隠しておいて公表しなかったなどという作品にいたってはやはり好事家ならずともわたしたちを刺激しますよね」
「ピカソという人はそんなに秘密の多い人なんですの?亡くなってから20年以上も経つのにまだその全貌が判っていないというのも驚きますわ!」
「ところで、どうです。もう少し二つの作品を丁寧に観てみませんか?」
「というと?……」
「たとえば、眉とか、眼とか、鼻、それに口とかを……」
「眼や鼻や口の形は明らかに二人は違っていますわ。だって、オルガとフランソワーズ?でしたっけ? 二人は別人ですもの……。でも眉は少し似ているみたい感じがするわ。実際はどうだったのかしら?先生、写真はありまして? このお二人の……」
美沙子さんは好奇心に駆られてもう夢中になり始めたようだ。オレの眼からはこの二人はよく似ているし、なにかきょうだいというのか、同族の人のようだ。主人の方はといえば既に自分で結論を知ってるわけだから、なにか美沙子さんの推理力を一緒に愉しんでいるような様子だ。それにこのようなことに夢中になれる仲間がいることがやっぱり楽しくてしかたがないというような顔をしている。
「はい、どうぞ。これです」
先ほど二階に上って画集をとって来たときに一緒に、モデルとなっている女性たちの何枚かの写真が載っている本も主人はあわせて持ってきていた。
「こちらがオルガだわ!だって肖像画そっくりですもの。さすがにピカソだわ。写真と同じように生き写しの姿を描いていますし、性格まで出ているような筆力ですわ!」
写真と肖像画を比べながら美沙子さんは呟いている。何枚かある写真を次々と見比べている姿はやはり譜面を注意深く見ながら作曲家の表現を音として再演しようと心がける演奏ピアニストの姿だ。
「フランソワーズはどうかしら?……眼の大きさが左右で少し違うようですけれども、もちろん誇張しているのでしょうけれど、それが彼女の特徴なのかもしれませんね?でも鼻筋がまっすぐに伸びていて官能的な唇は写真と良く似ていますわ。全体としてやはりまぎれもなくフランソワーズですわ。ただ、……。眉はオルガのそれに似ていませんかしら……?」
「そこなんですよ。わたしが結論をためらったのは……。ほかの画集を見てみましょうか?」と言って今度は1945年以降の作品が掲載されいる画集を取り出してくる。
「御覧なさい。フランソワーズの姿は実物の写真とは似ても似つかぬ姿に描かれているでしょう?顔だってひどくゆがめられたり、変形されていてなにやら女性を描いているとは思えないようなものもある。漫画のようなデフォルメされたものもある。ただひとつだけ全体に共通しているのは眉の形が極端に『へ』の字のように弓形に書かれているのと、眼が左右非対称に描かれていることなんですよ。そんな特徴からみるとこちらの作品の眉
はフランソワーズというよりもむしろオルガ的な特徴の方が強く出ているといえるでしょうね。問題はなぜかということになりますが、わたしには画題がそのことを暗示しているような気がしているんですよ」
「で、画題はなんとおっしゃるのですか?」
「なんだと思います?あなたの世界にも少し関係がありますよ」
主人は思わせぶった言い方をしている。美沙子さんは自分に少し関係があるということをどのように理解したらよいものかと思案気に顎を左の手のひらに軽く寄せている。ちょっと間があって、
「『カルメン』と題されているのですよ。この作品」
「まぁ、ビゼーのオペラの!? といいいますと、ファム・ファタールだったといことかしら?ピカソにとってフランソワーズは?」
「フランソワーズが彼にとってどのような意味で、宿命というか、運命的な女性であったのか、そのあたりはもう少し内面に入ってみないとなんともいえませんけれどね、カルメンというヒロインがスペイン女性を象徴するものであることは間違いありませんね。そして自分の妻とした最初の正妻のオルガをカルメンという象徴と結びつけた事は確かですね。スペイン人である自分の妻もまたスペインの女性として描いたというのは当時の彼の気持ちからすれば当然だったんですね。1917年のピカソは、それはもう幸福そのもので、射止めたオルガのためならなんでも言う事を聞くというくらい彼女に首っ丈でしたから……。スペインの伝統衣装に身をくるんだオルガの姿は、母親に対する自分の新嫁の紹介であると同時にまさに美神そのもののであったでしょうね。彼の祖国愛と愛する人への思いが一緒になって表現されていたのですから……。ですからフランソワーズを前にして、このカルメンという画題で描くときには彼はきっと、30年前の幸せの絶頂にあった自分の姿をきっと思い浮かべたこととおもいますよ。果たしてそのことを口に出してフランソワーズに語ったかどうかは疑問ですけれどもね。きっと筆を一気に運んでいるときには腕が無意識のうちに幸せなオルガと同じ形の眉を描いてしまっていたのではないかなぁ?なんの迷いもなく。ところが今自分の前に存在するのはオルガではなく、フランソワーズというあたらしい愛人。ふと我に返った彼は眼前の今の「妻」の特徴を思い出し、その特徴を表わす眼の形を筆にしたのでしょうかね?!
こうして観てゆくとおもしろいことがまだまだみえるものなんですね」
「ああ、なるほど……。わたくし、そのあたりのことはまったくわかりませんので、お話の内容の真偽についてはなんとも言えませんけれども、無理のない解釈として受け入れられますわ。ひとつの作品でも背景やらをおさえながら観てゆくとずいぶんいろいろなことがたのしめるものなんですね?!わたくし、なんだか1億円分も得してしまったような感じがしますわ。心が豊かになってなんだか得したような気分になれるお話を愉しめる機会なんてそうそういつもあるわけではありませんもの。
あらっ、まぁ、すっかり時間の経つのを忘れてお邪魔してしまいましたわ。もう夕食時に近づいてしまいましたわ。先生、今度私の家にもぜひおでかけくださいませ。
正解でしたわ。車からおりてしまったこと。そういえば、歩きがてら愚痴っぽっくおはなししてしまいましたお見合い話のこと、今はすっかりどこかへ消えてしまいましたわ。わたくし、ピカソとお見合いしたいわ……!!
ロック!あなたも今度一緒にいらっしゃいな。あなたにも聞いて欲しいの。わたしの悩み……」
エッ?と思いながらもオレはただペタペタと絨毯に尻尾を振ることしかできない。美沙子さんのお話なら愚痴でも悩みでもなんでも聞いてあげますよ。オレ一緒に傍にいるだけで幸せなんだから……と、言えないのが苦しい。
「今日は突然お言葉に甘えてしまい、失礼しました。ありがとうございました。本当に愉しかったです」
オレの目から見ると、二人は本当に心から愉しそうだった。まぁ、そうしょっちゅうというわけにはいかないものの、何か機会があれば、例の3人組仲間以外の人々ともお互い心豊かになれる時をできるだけ持っていたいらしいのがよく分かる。
で、オレはというと、残念ながら同族の中には仲間がいない。寂しいものだ。犬族という種族としては仲間はたくさんいるが、話題を共有できる仲間というとこれが犬族にはいない。話題が通じ合う仲間というとやっぱり黒猫の銀子だ。同族の犬仲間にも仲良くなれそうなやつはたくさんいるはずなのだが、みんな鎖につながれているからなかなかお互いを知り合うことができない。朝夕の散歩のときに出会う仲間はゴルフボールをおいかけ回すことが自分の餌を保障してくれるということをしっかりわきまえているのか、オレからの声などは悪魔の誘惑の声としてしか聞こえないらしい。なんとまぁ、嘆かわしいことよ、とは思うものの、もしかしたらオレも黒猫の銀子も飼い主の鏡のようなものと心得れば、オレも銀子も誇り高く、しかも愉快に生きてゆける。まぁ、オレもまた心豊かな恵みを受けた幸せものと思うこととしよう。
<(10)へ続く>