わが名はヘボタ(5)   

                           魁 三鉄

 

 前回はお日様が出ているところで会える仲間のことを書いたが、今回はもう一つ別のオレの仲好しのことを最初に書くこととしよう。

  主人を年に何度か訪ねる友達のほかにこの家にはまるで住人のようにしょっちゅう訪ねては泊まり込んでゆくもの達がいる。主人の妹さんの一家だそうだ。オレなどオレを定期的に訪ねる同族の仲間などは一匹としていないからそういういわゆる家族というものがなんだかとってもうらやましい気がする。人間様の世界ではちゃんと家族というものがあって、あるということが当たり前になっているらしい。オレの仲間の中にはごくまれにお父さん、お母さん、そしてきょうだい達がみんな一緒に住んでいることもあるらしい。でもそれは例外のようだ。家族というものがどのようにして出来るのかについてはオレも興味を持って黒猫の銀子と問答をしたこともあるのだが、そのことは別の機会に書くこととして、まずはさっそくオレの仲良し仲間のことから書き始めることとしよう。

 仲良しの仲間の名前はテツヤ君とワタルちゃんだ。オレにとって特に仲良しなのはワタルちゃんの方だ。なぜならば、彼はオレと同じように四本の手足を使って部屋の中を歩き回っていたからだ。一年前は確かに彼は手足でハイハイしていた。ところが今はもうすっかり主人と同じような格好をして二本の足を使ってちゃんと歩き回っている。歩くというよりはいつも小走りに走り回っているといった方がよい。一個所にじっと留まっていられないと云った方が正確だ。ひとたび二本足で立ってしまったが最後、再び四足の生活に帰ることは出来ないのが人間様の社会というものらしい。それほどに重要な意味を持つ二本足歩行なのだから立つべきか、立たざるべきかよーく熟慮して場合によっては二本足で歩くことをやめることがあっても良いものだとオレは思うのだが、実際のところは神様が自在に操るかのごとくに皆立ち上がる方向に向かって行く。やっぱり人間とは下から上に向かって行くものなのかな?実に不思議な行動だ。

 さてそのワタルちゃんがまだ四本足でオレと同じ床をハイハイしていた時のことだ。オレにはこの四足の動物がなんであるかぐらいはちゃんとわかっていた。臭いを嗅げば自然とオレの仲間でないことぐらいすぐに判る。体の臭いというものは何かを食べてその臭いが強烈であったとしても人間の臭いを消すことはないものだ。オレの方はこのようにワタルちゃんは人間でオレとは違うと心得ていたのだが、当のワタルちゃんの方はどうやらオレをワタルちゃんの仲間と勘違いしているらしいのだ。勿論仲良しには違いないが、オレは人間様ではない。ワタルちゃんはしきりになにかをオレに語りかけるのだ。ワキテバー、ジャミネーテ、ピブリナ、イイジジュヴィ、センゴ、・・・・なんだか魔呪文のような文句を叫んだり、わめいたりして、しきりにオレに口を寄せてくる。そうしちゃ、腹ばったままの姿でオレの胸や腹の豊かな毛を握りしめてはぎゅぎゅうっと、それも一つの方向にじーっとというわけではなく、まったく予測の出来ない目茶苦茶な動きで引っ張るのだ。オレは痛くてしょうがないのだが、といって「やめてくれ!」と怒鳴る事も出来ない。<知性高く性質温厚にして忠実なる番犬>などとその手の図鑑に特徴が載っている手前、オレの同族仲間の評判を裏切る訳には行かない。プライドによって支えあって、それがまた評判を一層確かなものにして行く。ここは痩せ我慢のしどころとオレは自分に言い聞かせながら<ヤダヨー!>と一応体を振ってはイヤイヤの意志表示をする。オレのそんな自然な胸の内にはおかまいなくワタルちゃんは相変わらず、喬声、歓声、喚声、呪文、とにかく意味不明の言葉?を発してオレに迫ってくる。ミルクの臭いが口の回りにへばり付いている。オレは牛乳は大好きだし、ワタルちゃんのことも同じように大好きだから、親愛の情をこめて我が舌をペロペロと使って優しくワタルちゃんの口から頬の周りをなめてやる。するといきなり、アッパーカットやらジャブとおぼしきパンチがワタルちゃんの左手から飛び出してくる。オレはその手もなめてやる。その時だ。

「ママ!大変だよ!ワタルがロックの餌食べちゃった!」

兄貴のテツヤ君がろくにオレ達のことを見もしない癖に大声を挙げて叫んでいる。ちょっと間があって「ええ!」なんだか信じられないといった声の調子の「ママ」の声。ママとよばれた母親は我が主人の妹さんだ。足音と共に二本足の大人達がバタバタと寄ってきた。

「餌のお皿、空だけど確かもう全部ロックが食べちゃってたはずよネエ?!」

少し不安そうな調子で我が主人やオオママと呼ばれる真の御主人の奥様にワタルママは確かめている。

「いつも、あげた餌は十分もすればみんななくなっているもの、きっとワタルちゃんの食べる分など残っていなかったはずよ。」

奥様は少し自信有り気に云う。

「ワタルちゃんアアーンして」

ワタルママは論より証拠とばかりに、なにも知らないワタルちゃんの口を開けて中を覗いている。主人はといえば自分のこどもでないから気楽なのか、

「犬の餌なんか食べたところで死にはしないよ!」

などと嘘ぶいて落ちついている。そして

「テツヤ!おまえワタルちゃんが餌を食べているの本当に見たのか?」

と訊ねている。テツヤ君はあんまり自信なさそうに黙って首を縦に小さく振っている。

「本当に見たの?」

「たぶん食べてなんかいないよ。あんなもん口の中へ入れたらすぐに吐き出すはずだよ。どこにも吐きだした痕もないし、テツヤのはやとちりだよ。きっと・・・。」

そうなのだ。そのことを知っているのはオレだ。ワタルちゃんは何も食べてなんかいない。でも困ったことにワタルちゃんもオレもそのことを伝える言葉がない。結局ワタルちゃんは餌は食べていないと云うことになったが、犬のところへ気安く行くことは良くないということになって、なんだかオレは悪者役をやらされることになってしまった。

{憶測でなくものを見たままに伝えてくれよテツヤ君!}

 そんなワタルちゃんもしばらくするとテツヤ兄貴の言うことをなんでも物まねして云うようになってしまい、挙げ句の果てはやっぱり二本足で立って歩くようになってしまった。口が利けるようになったら、その為かどうかは知らないが、ワタルちゃんはオレのことをしきりにからかうようになった。ええい!言葉がしゃべれないばっかりに!くやしい!

 

  ワタルちゃんの言語収得力はすごい。習うとか修うとかではない。とにかく繰り返すのだ。テツヤ兄がどうやって言葉を身につけたのかオレはみていないからわからないが、ワタルちゃんのやり方はとにかく真似だ。テツヤ兄がなにかを言うとワタルちゃんはすぐに同じことを真似して言う。不思議なことに我が主人などが何かを言ってもワタルちゃんは後をついてこない。「言ってご覧!」と言ったところで真似をして言おうとはしない。ところが兄貴のテツヤ君がなにかを言うとにこにこしながら同じことを同じように繰り返す。ただ音を真似しているのかと思えばそうではなく、ちゃんと意味を理解しての上での反復・もの真似らしい。どうしてそれがわかるかといえば、実際にその表現を使う時その表現を使うにふさわしい状況の中でそれを使ったり、その文が肯定文であれば、作り方を教わってもいないのに否定文を作って自分の意志をきちんと伝えることが出来るからである。たとえば、「ご飯が食べたい。」とテツヤ君が朝言ったとする。勿論それを聞いていたワタルちゃんはその時にも即座に後を追って「ご飯が食べたい。」という。しばらくしてやがてお昼時のご飯の時間がくるとする。するとワタルちゃんはちゃんと「ぼくご飯が食べたい」という。夜になっても同様だ。三時に「ワタルちゃん、ごはんたべたい?」と尋ねれば「今は食べたくない。」などと実に的確に返事をする。用法が正しいとすればこれは意味を理解しているうえでのことと考えるより他にない。それをだいたい一回でやってしまう。二回、三回などと繰り返す必要はない。まったく不思議な才能だ。このようにしてあっという間にワタルちゃんは大人の仲間入りをしてしまった。二才の人間ってすごいなあ!

 主人は言葉を教える学校で仕事をしていると言うことだが、ワタルちゃんの学習法を少しは見習えば良いのに!とオレは主人にヒントを与えたいがそれを伝える術がない。「犬から教わった外国語マスターの早道」なんてあれば流行っちゃうだろうな!!兄弟ってなにか特別な教授法でもあるのかなあ?もしかしたら血のつながりと年齢の近さによってお互いの大脳が以心伝心のようになっており兄貴の認知力はそのまま同時にテレパシーのように弟の大脳の認知力として中に伝わってしまうのかも知れない。いいなあ!兄弟同士で自然と言葉を身に付けてしまうなんて!

 人間という奴は言葉をみんなが共有しあうものとして何千何万年と繰り返しあって伝え合ってきたようだ。オレ達犬が言葉を舌と口という器官を使って発達させることが出来なかったのは手足の形と関係しているのかも知れない。特に指というものが自在に動かないということがどうもオレ達の言葉の発達を阻止してしまったのではないかと思う。それに舌という味覚を感じる器官が生肉に対してだけおいしさを感じるように作られており、他のものに対しては味覚が鈍いという舌の未発達がやはり言葉の発達を阻んだのではないかと思うのだ。おいしさが判ればもっとおいしいものを食べたいなという欲望が起こるし、おいしいものを食べたいという意志が舌の動きを刺激して、指の動きによって料理をするようにしむけるだろうし、お母さんにおいしいものが食べたいと伝える言葉を発達させただろうからだ。きっとおいしいものをもっとたくさん食べたいという欲が強ければ、お料理を一層おいしくする材料や道具への関心も呼び起こしただろうし、仲間と一緒になって一匹では食べられないおおきな獲物だってみんなの力を合わせて捕り、食べられたはずだ。そのためにはみんなで協力するための手段として舌と唇がもっと発達して言葉をしゃべれるようになったはずだ。人間様は欲というものをいかにして少なくするかを競い、欲のない人こそが聖人と言われるらしいが、オレ達は余りに欲望の程度が低すぎて発達すべき器官が発達できなかったようだ。そこへいくと人間という奴はまさに欲に手足がついている化け物だ。その化け物達は彼らの間でもさらに欲の深い人と浅い人がいるということだし、また欲の中身の種類もまた分類不可能なほどに多様だそうだ。なんでそんな複雑なことになってしまったかといえば、どうもその原因は人間様の傲慢さが神様の逆燐に触れてしまったかららしい。なんでも人間という奴はみんなで協力しながら神様に近づこうと力を合わせたらしいのだ。言葉は一つにまとまっており、人間全体が神様になるんだという意志は強いため、それはそれは大変な力となっていたらしい。神様は人間様のこうした一致団結した人間の力を見て少し自分の地位が危うくなると感じたらしいのだ。事実、{神様なんかなくても人間達は人間のための王国を作ることができる}と思う人たちがでてきたことも確かだったのだ。そこで神様は大変ないたずらをすることを思いついたのだ。嫉妬というおおよそ生産的ではない心の種を植え付け、言葉をばらばらにしてしまったのだ。そのうえで{ひび入れの力学}という運動力学を操ったのだ。結果はご覧の通り、人間様は全体が見えなくなってしまい、国ごとに、人ごとに争いをこととするようになってしまったわけだ。大変なことになってしまった訳だ。なにしろ争うことによって生じるエネルギーを社会の推進するエネルギーにして行かなければ世の中が治まらないということになってしまったのだから・・・。{ひび入れの力学}については後日一巻を費やして語らせてもらうこととしよう。それはそれとしていやはや神様とはなんたる意地悪な存在たることか!言葉をバラバラにされてしまったからお互いが不便でならない。言葉をバラバラにされてしまった分だけ今度は他人様や、他国のことが気になり始める。お互い気になるもの同士がなんとか通事合うようにしようとするところに会話が生まれ、外国語学習は生じる。ところが、お互い気になるところまではよいのだが、肝心の言葉というものはどうやらワタルちゃんとテツヤ兄の関係のように神様と兄弟の関係にある人にしかうまく反復されないらしいのだ。どうやら兄弟というのは脳味噌の中に以心伝心の発信・受信構造が潜在的にうっすらと焼き付けられているらしいのだ。それが刺激を与え合うと次第次第にその回路の姿をはっきりと見せ始めるらしい。外国語をマスター出来る人というのもどうやら何万年も昔の神様のいたずらを受ける以前の普遍的な言葉の発信・受信回路図を焼き付けたまま今日まで生き抜いてきた人たちなのかも知れない。きっと当時は余程神様から遠い所にいたのか、陰に居たのかも知れない。好運な人というものはいつの時代にもいるものだ。その時は日陰の者でもそれが後生大いに役だった訳だから・・・・。言葉はきっと本当は一つしか無く、無数にあるように見える言葉は時間の移り変わりごとに姿を変える影のようなものかも知れない。

 それにしても、人間という者は言葉を持つようになると途端に強くなる者だ。ついこの間までハイハイしていたワタルちゃんがもうオレのことを馬鹿にすることを覚え始めた。オレの嫌がる尻尾を握りしめてはオレがイヤイヤをしながらそちらの方に顔を向けると途端にピチャンと平手討ちをくらわしてはキャッキャッと笑い飛ばす。如何に人間様とはいえ、オレの方が人生、否、犬生長いのだぞと叫んだ所でそう伝わるわけがない。まったく言葉とは罪なものだ。

 罪なことといえば、ワタルちゃんはまだ悪気が少ない分だけかわいい者だが、テツヤ兄ときたら、言葉に加えて更に悪知恵という厄介なものに取り衝かれてしまっている。二才と五才ではこうも違うのかと思われるくらいいたずらが悪質だ。この間など危うく兼好法師の<足鼎>の二の舞になるところだった。テツヤ兄の奴、オレの顔に黒い靴下をかぶせやがったのだ。オレが部屋で安心して寝ていたところいきなりオレの背中に馬乗りになる者がいる。誰かと思えばテツヤ君だ。ワタルちゃんも一緒だ。馬乗りにされるのは重いがそんなに苦痛ではない。オレがおとなしいのを知っているからこれまでにも何度か跨ってきたことがある。そしてそのまま乗せてあげた。オレは今度も少し乗せていれば、しばらくすればそっと降りて行くのだろうと別段それ以上の警戒もせずのんびりとうつ伏せになっていた。するとなんだかいつもよりオレの背中をテツヤ君、股の間にはさんで強く締め付ける。と思うや否やオレの口のあたりに黒い袋をかぶせてくる。オイオイ冗談じゃないヨ!オレは後ずさりをして背中を丸めようとするがそんなことにおかまいなく袋は口顎から鼻へ、そして目から額へとせまってくる。しかもその袋はぴたっとオレの肌に吸い付いてくる。やめてくれ!オレは絶叫する。声にならない悲しみを帯びた叫びだ。ああ!目が見えない!なんとなく白い光が網の目を通して薄ぼんやりとしかも細かく入ってくるが何がなんだか判らない。オレは苦痛の余り泣き叫びながら首を上下に振り、袋を振り落とそうとする。しかしすっぽりと耳元までかぶさりゴムバンドで留められている靴下はオレの首振り程度では落ちはしない。テツヤ君はヤッターと叫んで笑いころげている。ワタルちゃんもつられてキャッキャッと笑っている。必死なのはこのオレだ。手を使おうにも使えない。何といっても蟻ん子が鼻頭らへくっついているのとは訳が違う。オレは途方に暮れて哭き叫ぶばかりだ。するとドタドタと階段を降りてくる音がする。足音の振動の響き具合からして主人であることがすぐ判る。オレは助けてくれとばかりに音のする方へ近寄って行く。「あっ!だめだよ!ロックを虐めちゃあ!」いつものヘボタよばわりする主人に比して声の調子がオレに同情的だ。オレはどうして良いか判らず相変わらず首を振り続けていたが、やがて体全体をぐっと押さえつけられた。テツヤ君などとは比べものにならない力だ。顔も押さえられた。首から耳のところが少し緩く開いた。なんだか空気が入って気持ちがよい。黒布で覆われた目の部分もはずされ白い光が一度にさーっとまばゆく入ってきた。オレの目の前には主人の顔が笑いながら待っていた。ああ助かった!靴下は無事脱げた。良かった!もし耳や鼻や顔のでっぱったところを鼎のような固い物で擦りちぎられたりしたら、オレの犬生台無しにされるところだった。周りで見ている限りは面白かろうが、演じる当犬は必死なのだから・・・。

 ところでテツヤ君どうしたかといえば、今度ばかりは叔父さんにお説教という羽目になった。

「悪ふざけをしたり、弱い者虐めするのは最低の男のやることだ。自分の弱いところを更に自分より弱いものへと転嫁することは人間の品位にもっとも欠けることだ。悪ふざけのつもりが本当に怪我をさせたり取り返しのつかないことになってしまったりしたら一体どうやって責任をとるんだ!?本人に責任の無い弱点を突いたりすることは絶対してはいけないことなのだ。紳士の道に外れるぞ!」

と少々、五才の子には難しいことを、レベルを落とすことなく説いていた。

「ロックにごめんなさい。しなさい。」

と云われて

「ロック、ごめんなさい!」

とすぐに謝った。やっぱりいい子だな。テツヤ君。そばにいたワタルちゃん、すかさずオオムのように

「ロック、ごめんなさい!」

だって。参ったなあ・・・。やっぱり人間さまにはかなわない。

  もう一つテツヤ君とワタルちゃんがらみの話をついでにしておこう。今度は二人には何の罪もない話だ。実はオレは家の中に飼われてはいるものの、望まざるとも一緒に棲んでいる奴がいる。こいつは昔は人間さまとも一緒に棲んでいたらしいが、最近では人間さま専用の種族はすっかり姿を消してしまったらしい。オレの体にまとわりついているのはなにもオレが好んでそいつらを飼っているからではない。オレの知らぬ間にそいつらは密かにオレの体の温もりと体毛を求めてどこからともなく忍び込んでくるらしい。そいつらはオレの毛にしがみついている限りではオレはまったく気にならないのだが、耐えられないのはオレの体に噛み付いてくることだ。チクリとする痛さは大したことはないのだが、その後がいけない。なんといっても痒いのだ。だからオレはチクリとすると歯をむき出してその場に歯を向ける。ところが相手の姿は少しも見えない。ここいらあたりかとあたりをつけてオレは歯を剥くがトンと歯ごたえがない。鼻から口に二重三重のしわを作りながら向きになってもぞもぞやっている姿はどう見ても格好の良いものではない。チクリの場所が顔の届くところならばまだ救いがあるが、時々奴め、測ったようにオレの歯が届かないところへ食いついてくることがある。尻尾の根元、腰のあたりがその場所の一つだ。なんともむず痒い。オレは噛み付こうと躍起になるがオレが顔を寄せ、身を左右に曲げれば曲げただけ痒いところは一緒になって遠く離れて逃げて行く。いつまでたっても距離は縮まらない。ついつい力が入って二、三回一気に体ごと回転してしまう。こんな姿を何回か主人に見られたことがある。たまたまテツヤ君とワタルちゃんが来ていたときのことだ。オレの尻尾追跡回転のすがたを見た主人は何を思ったか

「おおーい!テッチンとワタボウ!早く早く!」

などといつになく興奮気味に二人を呼んでいる。トタトタ、パタパタと二人の軽い足音が近づいてくる。

「なあーに?」

「ちょっとしばらくロックのこと見ていてご覧!」

そんなことを言っているのが聞こえてくる。とまた例のチクリだ。いやー、参った。またむず痒くなってきた。うおー、我慢できない!今畜生!とオレは渾身の力を振り絞って体を曲げつつ、痒い尻尾の部分に口を持って行く。すると足元がふらつきだし体はバランスを失い、少し宙に浮いたようになる。倒れまいとすれば四本の手足が交互に自ずからバランスを保とうと位置をずらす。すると体は自ずから回転を始める。

「ほらほら始まった。始まった!」

テツヤくんとワタルちゃんは怪訝そうな顔をして見ている。何で呼ばれたのかさっぱりわかっていないらしい。

「どうしてぐるぐる回っているか分かる?」

「ウウーン?」

後ろ下がりの自信のなさそうな返事が返る。すると主人は謎掛けでもするように「じゃあ、伯父さんも回るものをもってこよう。」と言って自分の部屋へ素早く行ってしまった。オレは相変わらず発作でも起こったように尻尾に噛み付きにかかる。と、突然「タンタララ、タンタララ、……」澄んだ空気の振動とともに快適なピアノの音が聞こえてきた。叔父さんたる主人はまた下に降りてくると二人に講釈を始めた。こっちは痒くて仕方がないから身をよじっているというのに・・・。ますますテツヤ君とワタルちゃんに差をつけられちゃうなあ!

  なんでもそのピアノ曲は中村紘子さんが演奏する「子犬のワルツ」といってショパンという人が尻尾に結び付けられたリボンを追いかけてくるくる回っている子犬の姿を想って作った曲だそうだ。なんとも無心な子犬の純粋な無邪気な姿が目に浮かぶではないか!オレはしばらくその曲の軽快な響きに気をとられ痒いところを忘れていたが、今度はヤッコさんオレを二人の前で踊らせようと思ったのか、それとも名曲の調べにすっかり乗ってしまったのかまたまたチクリチクリと我が肌をついばみ始めたらしい。おお痒い!ええい!またまたオレはリボンならぬ姿無き同棲者に向かって鼻にしわ寄せ歯を剥いて襲いかかる。そしてくるくる踊り出す。端からみればピアノ曲「子犬のワルツ」に合わせてワルツを踊るなんたる名犬、テレビ出演一躍スター誕生というところだろうが、その実オレは苦しんでるのだヨー。

 主人はちゃんと理由を知っているから二人に講釈を垂れた後は犬用蚤駆除剤をオレの痒いところばかりか、全身に振りかけた。ムッ、ムー、ちょっと窒息しそうに息が詰まる。でもこれでしばらくは痒さからは逃れられる。

「まったく、おまえさんどこでしょってくるんだい?」

オレにも教えてほしいよ。まったくこいつはいつとはなしにいつのまにかまたオレの体を狙ってくる。逃れても逃れてもどこまでもオレを追ってくる。

 とまあ、今回は前回に引き続き、オレの仲間のことを記してみた。ついでにオレの方じゃごめん被っているのだが、隙あればオレの体を狙う不届きな奴のことにも触れておいた。次回は少し保田家の外の世界のことに筆を運んで行こう。銀子が面白い話を持ってきたのだ。

                   

<(6)へ続く>

戯作の目次へ

ホームページ目次