わが名はヘボタ(4)
魁 三鉄
「そういえば、この間の東山魁夷展はなかなかだったよ。『宵桜』といい、『布留の森』といい、実に大和しうるわし……」
と、鑑賞に行った日本画展の事を章太郎氏は語りだした。ガシャ君とわが主人の前では文句ばかり言っているような章太郎氏だが、普段は銀座というハイカラな人々が集う場所にたくさんある画廊巡りをするのが趣味のひとつという人だ。あまりにも日本の現実が情けないから、その分、心の中を満たすものは「美しいもの」なのだろうか。そういえば、ほかにも「うつくしいもの」に気を惹かれることの多い人だということはいつか聞いたことがあった。でもなんとなく、内緒っぽい話だったから今はやめておこう。いつかそんな話題が再び登ってくるときがあったら書いてみよう。
さてと、話が日本画に描かれた美しさとかに移りだしたようだ。
「ぼくはねぇ、絵はやはり洋画、それも印象派からエコール・ド・パリと呼ばれる流れに属する画家の作品だなぁ。好きなのは。現代では、もっとも今はもう現代というよりは現代古典と呼ぶべきでしょうけれどね……、マティースだな。心休まるくつろぎの世界は格別ですね。まさに安楽いすにくつろいで座り掛けている味ですね。
ただ、ときどき思うんですけどねぇ。洋画と日本画にうつくしさの違いを感じるんですよ。なぜなんでしょうねぇ。
いまの日本画の世界は、なんとなく絵が死んでいるような感じのするものが多くてね。写実にしてはもの足りないし、片岡珠子という女性画家を除くと、装飾的にもバランスに欠けるような……。なんというのか……。」
とガシャ君はやっぱり洋画党だ。
「わしも正直なところ最近の日本画にもの足りなさを感じる事はあるよ。鯉が全然泳いでなかったりね。水の流れが粘土の川みたいのも確かにあるな。それで清流などという画題があるとちょっと首を傾げるよ。さすがのわたしでもね。
でもね、良い日本画はあるもんだよ。日本画はごてごてしちゃっダメなんだ。絵の具を生かしてさらっと爽快な筆裁きで凛として描いてないとね。古径や靫彦のようにね。そうでないと性に合わん。さっぱりしたところがないとダメだ。日本画は……。なぁ、ドクさん?」
章太郎氏は性格に合わせてのことなのだろうか、さっぱり、さらっと、凛としていることが良い画だという。
合いの手を求められた主人は果てさて、困ったという顔をするでもなく、案外すんなりとその期待に応えるようだ。
「絵の好みの根拠を語るというのはむずかしいことだが、話を少し分かりやすい方向から進めてみよう。私たち日本人にとってごく自然に心打たれる美しさっていったいどんな事があるだろうか?」
わが主人は人の性格と絵の好みという脈絡とはちがったつながりの中で何かを語るようだ。聞いてみよう。
「それは勿論、桜の花さ!そして富士山!とりわけ冠雪の富士!大観だ。」章太郎氏は日本の美ときけば条件反射のように桜に富士が出てくる。
「美しいものは美しい!これは理屈の問題ではない。美に理屈などあるものか?これは感性だ。」
なにか誇らしげに語る雰囲気がある。迷いのない幸せな顔だ。
「なるほど、私も美を感じるものは感性である事に同意しよう。ただ、その感性も解析不可能なものと考える必要はないと思う。実際、いま例として挙げられた、桜に富士は美しいものだが、それはやはりわれわれ日本人特有の感性と結びついているからだろうね。ゆたかな自然と季節の中で微妙に移ろい行く自然に対する共感や色彩美への共鳴なのだろうね。長い文化的な伝統と無意識の中に受け継がれた感受性による……ね。
別に『アメリカ人には日本の美はわからない。育ちがちがうから』というつもりはないけれども、やはり幼い頃から磨かれてきた感受性のありかは鑑賞の目に作用することはまちがいない。目に入ってくる美しさを美しいと感じる共鳴箱としての心象風景が心のなかに育っていないと日本画からの感動はなかなか得られないかもしれない。
具体的にいまの実例に即して考えてみよう。桜の花に美しさを感じるのはなぜか?花の形の美しさ、今を盛りと咲き誇る集団的な全体の美しさ、淡い桃色の美しさ、それはそれで視覚的に美しい要素であることは確かだ。しかし、それだけではない。花を見る側の心のあり方に目を向けてみると、そこには壮麗さ、清らかさ、そして潔良さという心情が桜の花の咲く姿あるいは散る姿と一緒に心の中に咲いていないだろうか?このことは雪を抱いた富士の美しさにも共通してあるわれわれの心情ではないだろうか?冠雪の富士の持つ凛とした美しさ、清澄さは、また高貴な霊性を感じさせるものだ。雪月花とよばれる風景は同時にわれわれの心の心象風景でもある訳だ。だから、同じ画題の雪月花に対して画家の数だけ、風景が描かれるわけだ。それは異なった心象風景の投影であり、それが画家ごとに固有の風景として視覚的に描かれるわけだ。」
そこまでじっと話を聞いていたガシャ君が、口を挟んでよいかと確かめた上で質問がてら話し出す。
「花や自然の中に心象風景を見、それが倫理や生活の心情と結びついて美意識を形成しているというのはなにも日本に特有のことではないんじゃないかな?」
わが主人ポンタ氏はうなずいている。しかし、そこで再び、語り出す。
「まあ、待ってくれ。たしかにその点は考えなければいけない。イタリア人にはイタリア人の自然観はあるだろうし、それはドイツ人やオランダ人のそれとは異なっているだろうし、当然、彼らのこころにいだく心象風景の内容も異なっているだろうね。物心ついたときから眼の中で見た景色と教育によって培われた心象風景や美意識はどこの国においてもそれぞれに存在するからね。
ガシャ君!ただ、その問題は個別的には比較思想や比較文化とつなげた視点で見なければならないから今は荷が重い。今は、とりあえずまず日本的なるものの姿を明らかにしておこう」
そういってグラスに口を運び一息つく。
「続けよう。ここからの話は私自身の調査や研究にもとずくものではないが、何人かの学者によって明らかにされていることなのだが、日本においては、住むということは清らかに澄んでいるということと密接に結びついているということだ。住むということはあるところに定着するなかで心を洗いつつ清らかなものにして行く、つまり浄化につながるということなのだそうだ。心を清らかにするとはどういうことかと云えば私を捨てて定着の地の共同体の神に対して心を潔癖にして、清く生きるということであったらしいのだ。つまり、ここには個人の自我や個性を殺してでも共同体の論理に従うということが美しい人間のあり方であると云う規範となっているわけだ。」
我が意を得たりと章太郎氏はゆっくりうなずきながら、
「東山魁夷が圧倒的人気を保っている秘密はそこにあるわけだ。自然への畏敬や尊崇の念にあふれた、すがしい、澄んだ作品だ。自我を抑制した謙虚な作品だ。彼の絵には日本の伝統のすべてが詰まっている。写実性に勝るその装飾的な構図のとり方といい、平面的な構成、色彩の諧調性、と空気そのものが日本のやわらかさを持っている。微細な感受性を表している……」
と語っている。
「というと?」
ガシャ君は美意識と共同体とのつながりの方に興味があるようだ。章太郎氏は我主人に代わって説明をする。
「つまり、魁夷の場合はだな、若い頃のドイツへの留学によって一度は海外の文物に触れていたのだが、それらを日本の共同体の美神に対し浄化する事によって、新たな、より個性的な日本画の世界を獲得したというわけだ。ドクさんの説明に従えば……。たんなる伝統的な日本画法の引継ぎではなく、いったん海外の異物に触れた上で、それらの異物的な要素を採りいれながら、日本画の枠組みの中へとたくみに浄化し再吸収したということになる訳だ。日本画における浄化がなされ、日本画らしい清澄な世界を構築し、住んだという解釈になる訳だ。そこに魁夷の日本人受けする澄んだ世界に住む心情への共感がある訳だ。なるほど、なるほど……」
さっきまでの最近の風潮を憤っていたときの角ばって、興奮していた章太郎氏氏の顔はすべやかな、丸い柔らかい表情に代わっている。お花見でもしながら酒宴を催しているような気分なのかも知れない。
「でもそのことがかえって日本画を狭いものにしてしまい、世界的には通用しないものにしてしまっているのではないかなぁ?!新しい美の表現に対して保守的にしてしまい、新しい可能性に臆病にさせてしまっているのでは?……ああごめん、ごめん、話をずらせてしまって……」
とガシャ君は本論からはずれてしまう意見であることを承知で一言反論する。
「いや、最近の日本画界の若い人々は、日本画家と言われてはいるけれども、若い頃は海外で勉強をしたり、海外に武者修行に出かけたりして、ヨーロッパやアメリカの絵画をかなり勉強しているよ。それから後、次第次第に、日本的画風の確立に努めて行こうという画家たちも多いから、けして狭い視野で絵を描いているわけではないんだ。広い世界にいったん出たうえでの日本への回帰なのだ。否、今日からワシはこうした動きを回帰とは見ず、ドクさん流に、積極的浄化による再興と呼びたいね。ワハハ」
章太郎氏は日本画家の略歴についても詳しいからそのあたりの批判は痛くも痒くもないという顔をして反論している。
「美術のことも結局は同様の事なのだが、最初に連面性に関連して一神教と八百万の神の世界の事に触れましたよね」
話がふたたび元へ帰ってきたことで、主人ポンタ氏がまた口を開きだす。いったんしゃべりだすとなかなか止まらなくなるのが時に困ることだ。
「先ほども言ったことに関連するのだが、日本の連面性という問題を扱う難しさは、海外文物の流入あるいは吸収に際して、日本総体を受け入れる器としてみること、と、それを構成する個々人とのつながりの問題としてみること、をいったんは切り離しつつ、最終的には再び両者をつなげてみなければならないというところにあるのだと私は思う。
総体としての器として、日本は排他ではなく、いったん飲み込み、それを咀嚼し、必要なものを吸収しながら、旧来のものとの融合を図りながら両者を栄養とし、それによってあたらしい独自の日本的な精神や文化を練り上げてきたわけだ。しかしながら、この総体としての器というとらえ方は、ある意味では非常に抽象的で曖昧なものだ。社会という器を構成しているのは、所詮は一人一人の人間であるからだ。個々人によって海外からの異質な思想や文物をどのように理解するかは結局個々の人々の力量とまた性格によっているわけだ。力量というのは、新しいもの、異質なものを理解する能力であり、それらを在来のものとの関係において意味づける能力というものになるわけだ。そういう能力ある人々がどのような性格を持っているかも、海外文物の吸収・消化には大きな作用をしてくることになる。理解力がある人物であっても、保守的な性格であれば、吸収や消化よりは排斥、拒絶ということにつながるものだ。いな、理解力に優れていればいるほどその持つ意味を否定的にとらえるならば、排撃的にさえなるだろう。そして器としての社会のあり方が、つまり共同体としての社会のあり方が個人に対してどう関係してくるかで個人の新しい異質なものへの受けとめ方が変わってくる訳だ。個人と社会的総体としての器との関係というのはそのことだ。
社会総体として、日本は海外の異質文化をいったん丸ごと飲み込むという受け入れ方をして、時間をかけながら消化し、融合物化することによって日本独自の文化へと変容させたということはすでに述べたとおりだ。特に、注目しておかなければいけないことは、時間をかけながらというこの点だ。つまり、社会総体としての器というものが単体としてそれ自身独立して存在しており、その力によって異物が溶解され、吸収されるということではなく、一人一人の個人によって受け止められ、吸収され、消化される度合いがまちまちな中で練り上げられて、融合されてきたものが定着したということなのだ。ただ注目したいのは消化の仕方は個々人として異なるにもかかわらず、個々人に共通して思想的寛容性とでもいうような、異国文物に対するノン・アレルジックな精神のあり方があるということなのだ。その寛容性は本地垂迹の汎神論的な一元性によっているのではないかと私は思うのだが……。
そうした受け止め方の結果が日本の独自の姿となったわけだ。平安仏教にしても、南蛮美術にしてもだ。資本主義にしてさえもだ。最初はあたらしいもの見たさ、好奇心、そして競争心などからわぁーっと飛びついて行く、しかし、しばらくするといろいろと不都合な事が出てくることになる、捨てたり、拾い直したりしながら吸収し、消化をするようになる。そうして時間をかけながらあたらしいものは融合の姿をとり、独自の性質を帯びるようになるわけだ。この消化、融合過程の中で不都合な部分というのは特に既成の共同体の論理にぶつかる部分にあり、それらが排斥されたり、姿をかえられることによって一つの文化となってきたといううことになった訳だ。
結局、日本では共同体の一員であることにおいて個人は自我を抑え、時には否定することの代償として安楽に生きることが保証されると云う構造が海外文物や異質なものの導入、吸収の際には大きく作用したということになっていた訳だ。時にはそれは責任の所在を曖昧にして行く行為にもつながっていた。
ところで、共同体は一体何であったのだろうかをここで考えてみよう。ここがポイントだ。わが国においては記紀神話以来の万世一系尊重思想がこの清らかな、潔い身の処し方の最後の支柱となってきた。特にこの思想は明治に入ってから、江戸時代末期の尊皇攘夷運動を受けて、国民統一のイデオロギーとして喧伝された。個人はすべて、ここにおいて自己犠牲の最終救済の神として天皇の御名に於いて救われる存在となったわけだ。従って、わが国に於いては外国からの思想が入り込んだ場合、最初は雪崩のごとく新しいものに人々は飛びついて行く。だがしばらくすると、つまり、その外国思想が定着をはかり始めると、”住む=澄む”フィルターをくぐることが必要になるわけだ。いったん飲み込まれ、清らかに、澄まされることによって入り込んだ外の思想はそこに内在する共同体の論理を否定する要素を溶解され、浄化されることになる。このことが徹底されると、海外文物はいわば骨抜きの姿、名ばかりの思想として表面上残ることとなる。定着とは清らかに澄んだ状態を云うのであり、換言すれば、内実が異なったものになっていると云うことだ。共同体にとって都合の良い部分だけはその名に於いて生き残ることが出来るもののその姿は最初に入り込んだ時の姿とは似ても似つかぬものに変容してしまい、あるいは本質的要素の欠けてしまったものに化してしまうわけだ。
とりわけ思想基盤の全く異なる西洋の思想が国を挙げて取り入れられたときの明治時代はこうした動きを敏感に察知した知識人がその鋭い感受性と高い知性の故に誠実であればあるほどにこのことによって苦しめられた。内村鑑三にしても夏目漱石にしてもしかりだ。個人の個性と自我の尊重を基調とする外来思想と共同体の没個性、自己滅却の強制を一体どうやって折り合いを付けたらよいのか?このことに一体どれだけ彼らは苦しめられたことか?
内村の場合は、元は西洋思想に惹かれながらも挫折し、かえって敵対することになった体制支配層を構成する人々によってそれだけ組織的に足を引っ張られ、迫害を受け、疎んじられ、ときには愚弄されながら、世間から打鄭された。自己の信ずるところによって自己を確立することがこの国の体質に合わないことをいち早くその知性故に知りえた、しかし、社会的立身出世や功名との引換に共同体思想に同化していった官僚や体制アカデミズムを構成する人々の挫折から来るコンプレックスに基づくそれだけ激しい迫害にも似た攻撃を受けたわけだ。内村はそれを神のテスト、試練として受けとめ凌いだが、この根底の原因はこの国の連綿としたもの、特に共同体の論理との衝突にあった訳だ。漱石だってそうだ。彼の「即天去私」の境地の背後にはまさに胃から血がでるほどの苦しみの中に求めた個人の論理と共同体の論理が共存し得る最後の安楽地があったのだ。絶対神ヤーベの一神論のような、時間をかけながら浸透することを否定する思想は日本には原型を保ったまま入ることはできないのだ。時間をかけながら融合化する要素をもった外来思想だけが創造的融合化により独自の新世界、独創的な世界を築きうるのだ」
そのように語る主人の顔はまるで自分が夏目漱石や内村鑑三になったように苦悶の表情に満ちている。思想の闘争というものは外からはわからない自分自身の中でのごまかしの効かないことらしい。オレの主人もそんなことに悩み苦しんでいる人なのかと思うと、日頃のポンタ氏ぶりもなんだか無理もないような気もしてくる。妙なものに飛びつかれてしまったものだ。もう二十年以上もそうらしい。十年ぶりの御帰還もどうやらそんなことも関係しているらしい。我が主人殿は。ひょっとすると棺を閉じた後十年ぐらいすると世の中に出てくる人なのかも知れない。そう思うとオレも散歩を一緒にするときには背筋をピンと伸ばして、凛々しく歩くようにしようっと。だって後世の人が主人のことを語るときにはオレのことだって当然語られるだろうし、もしかしたら、ピカソの愛犬カスベックのように写真が出たり、西郷さんのように犬をつれた銅像が建てられるかも知れないもの!?
とまあ、オレも束の間の夢に遊んだと思ったら、夢の後に聞こえて来るお話はなにやらお坊さんの読むお経のようなものとなってしまい、オレは話の筋を失ってしまった。主人達はともかく一晩中話し込んでいた。もっともっとオレの頭もついて行けたらとは思ったものの結局は最後までついては行けなかった。……「つぎつぎとなりいゆくいきおい……」とか「この国は次々と根を腐らせてしまう何かが……」 「一身独立して一国独立す」などという言葉を聞く度に頭が少し覚醒するのだが結局人間様にはついて行けなかった訳だ。
翌朝、三人は主人の家からそれぞれの職場へ向かった。主人は朝になるといつものようにオレを散歩に連れて朝食を用意した後オレを庭に繋いだ。雨はすっかり上がっていた。昨晩遅くまでお話を聴いていた疲れが残っていたせいか、外へ出されてもなんとも眠い。そこで三人が出かけるのをオレは見送った後、また一寝した。ウトウトしたつもりだったが、気がついたときには、まぶしいお日様が顔をのぞかせていた。オレはまだ少し湿った芝生の上に直接顎を乗せながら芝生の香りとともに新鮮な雑草や土の臭いをかいでいる。湿った芝生からは微かに湯気がたっている。土には地球の心が宿っている。中から沸き上がってくる温もり、生命がある。まちがいなく土は生き物のふるさとだ。
赤茶色の蟻ん子たちはオレに敬意を表しているらしく、しきりにオレの鼻頭らの前で鋼鉄の兜と鎧を身につけたロボットのようにぎこちない姿で頭を下げてゆく。オレが強く息でもすれば吹っとばされてしまうことをかれらはよく知っているのだ。そのかわりオレにとって風が強く感じるときでも彼らは風は恐くはない。空から舞い降りてくる風は地表の蟻ん子を退治するために吹いているわけではなく、雑草や芝の茎や、葉は天然の防風壁となるのだ。人がビルの中に住んでいれば、風が直接当たることもなく快適なのと同様だ。彼らは風のない空間を見つける名人達だ。この赤茶色の蟻ん子は謙虚で働き者だといつも思うが、形は同じだが彼らより身体の大きさが十倍くらい大きく、まっ黒い兜に鎧をまとった奴らは傲慢で気にくわない。オレの鼻頭らのうえにさえ平然とよじ登ってくることさえある。といってもいきなり鼻の上に着地をするわけではないから奴らはオレの顎の周辺から、時には口顎の所から登り始める。毛で覆われたところを這い上がっている限りはむずがゆいこともないが、直接皮膚が外に現れているところなどに奴らが上がり込んでくると、どうにも苛立たしい。いったい奴らはここは上がり込んでよいところなのかどうかと自問竣巡するといった気持ちがない。ずかずかと下足で上がり込む礼儀知らずというイメージだ。無機的な表情のない顔でオレの髭のあたりから鼻の頭のあたりをずかずか歩き回るのはなんとも不快でむかつくことだ。オレは大人気ないと思いながらも睨みつけるのだがアイツは全然表情を変えないのがしゃくにさわる。挨拶もなくかわいげのない奴だ。仕方がない。えい!この野郎っ!とオレは鼻から強く息を吐き出すのだが、場所によってはアイツはしぶとくしがみついてはなれない。そんな時は前足を使って、銀子のように、招き猫よろしく、やや丸めるようにしてアイツがいるとおぼしき場所に足先を持って行き、何度かこする。大概はこれでアイツは地上へたたきつけられているはずなのだが、時としてなおどこかにしがみついていることがある。まったく不快だが、その不快さがなくなるまでオレは同じ動作を繰り返す。
驚いたことと云えば、ヒョロのことも少し触れておこう。オレがまだこの家に来たばかりの頃のことだが、日差しの良い芝の上でやはり寝そべっていたときのことだ。伏せている耳に微かだがぱたぱたと云う音が空気の振動とともに伝わってきた。何かなと思ったら細長い棒切れのようなものが鼻のところにぴったと吸いついてきたような感じがする。本能的に身震いをしてそいつを避けたつもりだったのだが、そいつはオレの鼻先へとおっこちた。透明な薄緑と中に何本も走る桃色の網状の筋が実に調和して美しい。薄い衣を何重にも被ったような姿が見えた。するとそいつは細長い絹糸のような髭をしきりにくねらせながら、逆三角形の目の玉をぐりぐりとぎょろつかせパワーシャベルのような細い腕のさきに大きな鎌みたいなものをつけ、カンガルーのように上半身を起こし、なにやらボクシングでもやるようなスタイルでオレの前に立っている。しかもその顔は戦意と敵意に満ち満ちた顔だ。ゆらゆらと長い髭を揺らしながらオレの方を睨み続け、ときどき足の位置を変えてはいつでもジャンプができるようなスタイルをとる。十二単の衣の間にも空気を少しづつ貯めているのか、少しづつ胴体から下がふくらんで太ってくる。オレは鼻を近ずけてこいつは何物かと臭いでまず識別しようとするが、オレが鼻の位置を動かす度にそいつはファイティングポーズを取り直す。そうこうして一分、二分と経つうちにそいつはオレが襲うということはないらしいことが判ってきたようだ。少し乱れがちであった十二単もきちんと衣を正し始め、なかなかスマートな着こなしぶりだ。ただ如何せん、身体の線が奇態だ。神様の独創性の現れだと思えば本人には罪はないが、もう少しなんとかならないものかとオレは少し同情気味に思う。と思っているうちに、そいつは黙ってすたすたと草の中へと歩み始めた。それが最初の出合であった。その後、お天気の良い日にはときどき会うようになったが、お互いに顔見知りになってからは、挨拶を交わすようになった。オレが最初にあったヒョロはもうとっくの昔に死んでしまったが、今でもときどき会うのはそのヒョロの末えいだ。初代のヒョロはなかなか人、否!犬なつっこいところがあったが、第八代?ヒョロは少し臆病の気が強すぎるようだ。だって今でも顔見知りの癖に怒りのダンスよろしくしばしば鎌を振り挙げてはファイティングスタイルをとるんだもの。もしかしたらオレは強いんだぞ!って虚勢を張って挨拶替わりにしているのかな?なかなか愛敬に満ちた顔つきとスタイルだから見ていても楽しいところがある。オレの自然の仲間の一人だ。
仲間と云えば、黒猫の「銀子」もすごく仲良しになった仲間だ。なんとなくオレは気が合う。今では一番の仲良しかもしれない。理由はわからない。「銀子」は情報収拾がうまいから向こう三軒両隣りからだけでなく、とんでもなく遠い世界のことまでオレに教えてくれることがある。この「銀子」とも最初の出合いは喧嘩腰であった。ただし、カマキリのヒョロとは違って第一身体の大きさも動きのスピードも違う。背中を丸め口からフーッとうめくような低い声を引き絞り、息を吐き、眼をこうこうと輝かせ、前足をピーンと伸ばし全身を緊張させたときの姿は実を云うとオレも恐かった。けれどもオレは対座しながらワンと吠え飛びかかったのだ。一瞬の間に「銀子」は身を翻し、ギャーと低い唸り声をあげながら小走りに近くのガレージの上によじ登った。オレはもちろん動きに釣られてそいつを追いかけた。一瞬オレはそいつの喉もとにガブリッと思ったところ急にオレの首がそいつに飛びかかったのと同じ勢いで強く絞められ、自分の身体が宙に浮くのを感じた。オレは足をとられ地面にたたきつけられた。不覚!オレは鎖に繋がれている身を忘れていた。オレの先祖の血が本能の遺伝子の中に焼き付けられているらしく動くものを見るとオレは考えることなく、そいつに飛びかかったり、追いかけてしまうのだ。この性格というか本能のおかげでオレは大失敗をした事があるのだが、これについてはいつか話そう。
ともかく「銀子」はガレージの上によじ登ったまま降りてこない。オレはしばらく恨めしそうに上を眺めつつ、オレを繋ぐ鎖が伸びる範囲で待ち受けていた。「銀子」の奴はオレが首をとられ、地面にひっくり返ったのを見て気の毒そうな顔をした。何回かおんなじようなことが起きた。さーっと突風が吹き抜けるようにオレのいる庭をつっきって行く度にオレは本能を刺激され追いかける。そして「銀子」はガレージの上へと逃げる。ただその度(たび)にそいつは気の毒そうな顔をする。ガレージの上にいる間もけして
「ワーイ、ワーイ、来るなら来て見ろ!あっかんべえ!」
などとは云わない。そんな態度にオレは「こんちきしょう!」という気持ちもおさまってきて、なんとなく友達になりたくなってきた。そこでオレは上に向かって「お前はいったいどこから来たのだ?」と尋ねたら、自分は「ミー」という名前をつけられた、主人の家からは五十メートルぐらい離れた家に住んでいる猫だと答えた。 「ミー」の奴は真っ黒で、ただ眼だけが銀色だ。だからオレはこいつを「銀子」と呼ぶことにした。しずしずと尻尾をたて四つ足を互い違いに一線に沿って揃えながら堂々と歩く姿はなかなか風格がある。ちょっとしたパリ・コレのモデルといったところだ。毛の艶が良く、お日様の光に金色に輝いているときもある。オレもちょっと毛皮のコートにでもして羽織ってみたくなるような黒光りした体だ。いろいろ素性を教えてくれたのだが、要するにこいつは色々な事を見たり、聞いたりしている行動範囲の広い奴だということが判ってきた。オレも新しい事には興味があるのでこいつは良い仲間になれそうだと心がほぐれたわけだ。ただ、「銀子」に断ったのはオレのところに遊びに来るときは必ず二、三回ニャー、ニャーと哭いてからオレの庭に入ってくれということを云った。さーっと抜け駆けるような動きを見ると無意識のうちにオレは飛びかかってしまうからだ。夜などは特に銀子のように夜の闇に溶け込んでしまっているような奴が風上から忍び歩きなどしてきたら、オレはまちがいなく攻撃をしてしまうからだ。
というような訳でオレは「銀子」とも友達になった訳だ。「銀子」の方もこの家の様子には少し興味があるらしく、お天気の良い日には今日のニュースを運びがてら、オレの話しも聞いて行く。オレの話しというのは毎日の出来事や自分が見聞した事というよりは少し自分が考えたり、感じたりしている事だ。「銀子」はそれが良いという。見聞きすることは自分の方が遥かに行動範囲も広いことだし沢山知ることができるのだが、出来事や物事のつながりについてはオレの話しがなかなか面白いし、時には鋭く、深くもあるなどと煽(おだてて)くれる。種を明かせば我が主人の受けうりなのだが、そこは「銀子」も承知の事ではあるらしい。まあ、「銀子」の奴も変わった猫だ。類は類を呼ぶというところかな?
仲間にはまだほかにもペロちゃんとかサンダー・バッドとか愉快な仲間がいるんだが、もう一匹というか、一族というべきか、いまここで記しておきたい仲間がいる。オレがゲジュラ一族となずけた椋鳥一家だ。彼らは朝と夕方になるとわが家の電線や猿滑りや柿の木の小枝の所に留まりに来る。五羽は親子なのかどうかしらないが、朝に夕にゲジュゲジュゲジュゲジュやっている。隣を向いてはゲジュゲジュと話しかけ、また今度は左隣を向いてはゲジュゲジュ喋っている。ときたま、白絵の具と灰色の絵の具を混ぜたようなものを留まっているところからおっことす。場所を決めていればまだしも洗濯物の白いシャツなどの上に平気でポタンとやる不届きな奴だ。これだけを見ていると何となく腹が立つしかないのだが、時々愛敬のあることをやるから無下に追い立てることも出来ない。それにオレにとって面白いと思ったのはオレ達とは物の見え方がまったく違っているらしいと云う点なのだ。何しろ彼らは目の位置が高い。平素オレが見慣れている光景も彼らの目からみればまったく異なっている。電線や小枝に留まっているときはせいぜい五メートルぐらいの高さから地上の物を見ているのだろうが、飛んでいるときなどはしばしば三十メートルくらい高いところから見ることになるのだろう。そんなところからみれば、彼らにとってはオレの姿も、「銀子」の姿もただ●や■や▲の組み合わせからなる薄っぺらな切り紙細工のようにしかみえないし、ヒョロなどは一本の細い針金細工のような物かも知れない。オレにとってはそれぞれが立体的に見える光景も高い上から覗けば地面の上にいろいろな張り紙が付いているようなものかもしれない。それもなるほど一つの世界の把え方だ。
どうしてそんなことがわかったかと云えば、ゲジュラどもはオレのことをうじ虫と同じような姿だと云う。Iという形にしか見えないのだと云う。いくら高いところから見ているからといって、オレがうじ虫とはひどい。そう云われたときにはなんともオレを馬鹿にしやがって・・・地上に舞い降りてきたら、ただじゃ済ませないぞ!とオレは腹を立てたのだが、よくよくおちついて考えればそれはゲジュラの責任ではない。神様の責任だと思ったら、神様の失敗によってどれだけのいがみ合いがこの世にあることかと恨めしく思えた。まっゲジュラの責任ではないからやっぱり仲良くしようっと!
だからポタンの場所がどういう訳か洗濯物の上なのも或いはそれが人間様の世界ではwc♂♀などというある種の誰にも共有されている記号のようなものとして映るのかも知れない。とオレはゲジュラ一族にやや同情的な解釈をする。
とまあ今回後半は主人の世界を少しはなれてオレの仲間達を少し紹介してみた。そのうちこの愉快な仲間達とのあれこれも書くこととして今回は筆をおこう。
<(5)へ 続く>