夢幻のアイーダ

魁 三鉄

U

 

 翌日、私は当初よりの旅行計画に従って、ミスル(エジプト国営航空)のボーイング737機に乗って、昔テーベと呼ばれたルクソールへと向かった。

 機窓から見下ろす眼下にはただ赤茶けた大地だけがいつまでもどこまでも広がっている。赤茶けた大地だけが広がっているように見える砂漠も、眼を凝らしながら大地を見る者にはそれがただの平らなそれではなく人肌の小皺のようにいたるところに小さな起伏を刻んでいる大地であることが分ってくる。皺の作る陰影が立体的な起伏のある像を作っている。ところどころには、木の葉の無数の葉脈が太い一本の葉脈へと集まっているように、蛇行する河の流れのような行く筋もの薄灰茶色の流砂が一本の大流河へと集まっているのが見える。この蛇のように見える砂模様は日々そのある場所を替え、また模様そのものを変えて行くらしい。すべては乾いた大地の熱砂と吹きまくる風のいたずらによる芸術作品だ。B737機は大地に黒い無言のいびつな機影を映しながら砂漠の上をひたすら飛んでいた。

 

 この変化のない大地に立ったとするならば、恐らくは太陽が地平線のかなたから上昇し、やがて頭上高く天空をよぎり、そしてまた地平線のかなたへと沈み行くということだけが、そして太陽の動きとは反対に夜には星々が静寂の中で青白い光を冷たく放ちながら、太陽と同じようにその位置を日々微妙に変えながら現われてはまた消えて行くということだけが、変化のある動きとして唯一認められることであったろうと思われた。生きているもの、動くものは太陽であり、夜冷たく天空高くきらめく星月は静寂であり、冥土の世界を象徴するものと考えることは、古代のエジプト人でなくとも人間ならば誰しもがこうした環境下に百年そして千年という単位で住むことを余儀なくされるならば、自然にいだく世界像となるであろうことを思った。

 

 小一時間も飛んだであろうか。ふと機窓下に眼をやると、幅が一様の太い帯を大地に敷いたような艶を消した濃紺色のナイル河が飛行機の進路と平行に走っていた。河の幅は二百メートルくらいはあるのだろうか、そしてその左右の両側にはほとんど測ったようにこれも緑色をした帯が二キロメートルくらいの幅で一様に拡がっていた。それらの緑なす田園とあいだを流れる大河の姿の縦縞模様はまるで砂漠の茶色のカンバスの上に三本の刷毛で一気にまっすぐに曳かれた芸術の線であるかのように見えていた。実際、砂漠と河と畑とのバランスはそのどれもがお互いに関係しあっている点で、茶と緑と暗濃紺のストライプ・バランスを保った抽象絵画そのものの世界であった。

 

 ルクソールに到着し、ホテルでのチェック・インをすませると、直ちに必要な小荷物だけをショルダーバッグに入れ、街の中に出た。ルクソールの街はナイル河をはさんで東と西に分かれている。東側は生きているものの街であり、西側は死者の街である。私はこの古都に三日の滞在予定をとっていた。ナイル河畔に位置するホテルを出て、最初は河畔の土手道を歩いてみた。足の下三メートルくらいのところをナイル河は流れて行く。河は静かに流れているように見えた。少なくとも谷川のせせらぎのような水の流れを音で感じさせるようなものは何もなかった。私は土手伝いに歩く途中、ところどころに河面の高さに降りて行ける踏み固められた通路に出くわした。それは恐らくは生活のためというよりは、好奇心によって下に降りてナイルの水に直接触れてみたいと思う観光客たちがそこならば比較的安全に降りられる場所として何千回、何万回となく降りてはまた戻り上がるということを繰り返しているうちにいつのまにか出来上がってしまったというような通路であった。私もまたナイル河のほとりを一人歩くうちにそうした観光客の好奇心が作ったとでも言えるような水面への降り口へと降りてみたくなっていた。このナイルだけが人を生かす環境を唯一用意してくれているのだと思うと私はなぜか、この時間を超えて悠久に流れる大河のまえに自然と額づきたくなる衝動を抑えることができなかったからである。急角度で切られた土手からの降りる、踏み固められた小道の通路を注意深く降りてみると、目の前には緑色をしたナイルの水が小さく黙って渦を巻いていた。ほとんど土手にへばりつくようにしか踏み固められていない、人一人をやっと通すような狭い小道が水際に土手の上の散歩道に段違いに平行して走っていた。私以外に誰も他人はいなかった。私は少し眼を凝らしてナイルを見つめた。しばらくして目が水の動きに慣れてくるにつれ、私は両肩の辺りに緊張した力が張り出し、少し体全体が硬くなるのを感じた。ナイルの水は少しの水音さえも立てることなくただ黙って不気味に絶えることなく走り去って行った。ただその流れの速いことが、流れの速さを事前に伝えるものがなにもない分だけ私に恐怖に近い感情を呼び起こしたのだ。有無を言わせぬ、いっさいの声を無視して押し寄せてくる力強く圧倒的な河全体の流れ、河の中に流れがあるというよりは幅が二百メートルもある巨大なベルトコンベアーで運ばれているような河全体の均一な流れが巨大な動きとして眼の前に流れているのだという思いが予期せざる恐怖感をもたらした。実際、足元から数十センチメートル先の底の見えぬ流れは見つめていれば眼が廻るほどに早く、水中に翻弄されている小さな浮遊物は踊るようにして目の前を走り去って行った。まじかに見るナイルは沈黙の激流であった。私は、恐怖心によってか、水かさを増した激流が襲ってくるような錯覚に襲われ怖くなり、急いで土手を這うようにして上がり、一般の観光用歩道へと戻った。土手の上から見るナイルはゆったりと穏やかに水面を光らせていた。視線を遠く対岸に投げると深緑色をした一連の潅木のはるか向こう遠くにうっすらと赤茶色をした台地状の山の端が霞んでいた。死者の谷だ、私はガイドブックに載っている写真を思い出した。

 土手沿いに歩いた後、その日は東側にルクソール神殿、カルナック神殿、そしてアメン神殿を訪ねた。どの神殿も色は赤茶けていた。そこには一様に鷹や鷲やふくろうなどの鳥、スカラベ、蜂などの昆虫、そして幾何学的な丸や四角や三角の組み合わせ図像からなるヒエログリフの刻まれたオベリスク、乾し煉瓦を何千、何万枚となく積み重ねた五から八メートルくらいの高さの城壁、壁と同じような高さのパピルスをイメージした柱石群といったものが眼に入り、そしてラムセス二世やアメンヘテップ三世やオシリスの立像やスフィンクスが部分、部分を壊されたままの姿で建てられていた。

 ルクソール神殿からアメン大神殿に向かって、てくてくと歩く途中、赤茶けた大地の中に砂ぼこりにまみれた、葉をしなだれさせた椰子の樹が群生していた。茶色の土ぼこりに全体を汚した白壁の小さな家が身を寄せ合うようにして椰子の樹の陰に建っていた。強い紫外線のためか文字通り紺碧の空が私の影を黒く短く大地に焼き付けていた。そよとも風の吹かぬ大地の中を車が通り過ぎるたびにエンジン熱をはらんだ熱風が顔から首の辺りに吹きつけられ通り過ぎていった。

 照りつけられる日差しだけで汗が吹き出る道々、ヨーロッパを中心とした歴史の中から見ればつい最近に至るまですっぽりと抜け落ちてしまっているエジプトの歴史もおそらくは三千年以上もの時間の経過の中で細々とではあってもこのようにして村落の生活の中にその歴史の足跡をどこかにとどめながら生きながらえてきたのだろうと感傷的な想いがふと湧いた。薄汚れた毛を逆立てながら口から長い舌をダラリとさせながら首を上下に振り振りとぼとぼと歩いて行く痩せこけた犬を見たとき、「その犬は何度転生を繰り返した誰の成れの果ての姿なのだろうか?そして次にはいったい何に転生していくのだろうか?」とふと思った。太陽と砂漠とナイル河の組合せは確かに生と死の転生に自然と思いを寄せる必要十分条件をそなえていた。

 翌朝、ホテルの近くから出る対岸へ渡るフェリーボートに乗り込みナイルの西岸へと渡った。古代社会では死者の地とされていた西岸はすべてが死者のためにつくられた世界である。赤茶けた岩山が群青色の空の下で少し霞んで見える。東岸から見たときには平らな台地のように見えた山の端がこちらへ渡ってみると鋸の歯のように凹凸を見せている。私はホテルで今日訪ねる場所を順を追って計画したノートを取り出して、王家の谷から山の峠を越えデル・エル・バハリへと抜け、更には貴族の墓を訪れ、デル・エル・メディーナへと経て王妃の谷へと巡る一日の旅程を反復した。私は案内所でアドヴァイスを受けたとおりに最初に王家の谷をタクシーで訪れることにした。垢だらけのアラビア服を着た体臭の強い神風ドライバーは私を乗せると疾風のように王家の谷の入り口を目指して車を飛ばした。途中でメムノンの巨人像と呼ばれる一対の坐像が眼に入ったのでそこで写真を撮りたいと申し出たのだが、ドライバーは私の言うことを全く無視して砂ぼこりを巻き上げながらその脇を通り過ぎて行った。むきだしのスピードメーターの針が八十キロの右側のところで止まって小さく揺れていた。ナイル河畔に見えた緑なす肥沃な田園の風景はさきほどの虚像のあたりからぴたりと消え失せ、車窓からは薄く赤茶けた岩山ばかりが行く手を阻むように聳えていた。車は蛇行する山道へ入っても対向車のないアスファルト道路の中央分離線を絶えずまたぐようにしてさほどスピードを落とさず、一路谷あいにある墳墓群へと向かって飛んで行った。やがて王家の谷の入り口に着いた。人は誰もいないのではないかという懸念は見事に覆された。何台かの大型タクシーが見学を終えて出てくる観光客を辛抱強く待っていた。鉄柵で囲われた中に大きく広がる墳墓群には訪問客が目指す王の墓を求めて三々五々と思い思いに歩んでいた。中でも人気の中心はツタンカーメン王の墓であった。「いつでも並ばなければ見られないほどいつも混んでいるならば、いっそうのこと早いうちに並んでしまった方があとあと時間が有効に使える」と思い、私は最初にそこに飛び込んだ。岩山の岩窟に埋葬された墳墓というよりは地下に掘られた墓というそこにはいったいいつのまにどこからこんなにも人が集まってきていたのだろうと思わせるたくさんの人々がいた。恐らく、そこに入った人々はお互いに自分以外の他人の多さに同じような思いをいだいたことであろう。人の流れに合わせながら人々はゆっくりと歩調を取りながら、目指してきたその王の姿を見た時、「やっぱり現地へ来て見なければ駄目だわ。本当にきてよかった」という喜びと感嘆の混じった歓声を墳墓の中に響かせていた。その王は切れ長の水色の目に黒い瞳を具え、黄金のネメスの王冠マスクに覆われていた。腕組みをしてまっすぐに寝かせられた人間の型をした黄金像の中には再生を信じて納められた少年王ツタンカーメンその人がじっと今なお、辛抱強くその時の来るのを待っているのだった。石棺や玄室の壁にはホルスの眼や古代エジプトの神々が王の栄光を讃え、死後の世界からの再生を無事行うことができるようにと祈られ、描かれていた。それらの神々がみな等しく顔だけはプロフィール(横向き顔)としてとして描かれ、首から腰までは見る者の正面を向いて、そして足から下はまた横を向いて描かれていた。ツタンカーメン王墓を見たあとは近くのラムセス三世、六世、九世そしてアメンヘテップ二世、さらに谷の奥のほうにあるセティ二世やトトメス三世の墳墓にも足を運んだ。どの墳墓にも古代エジプトの神々が何列にも渡って描かれ、一つの壁画の宇宙を形成していた。それらの王たちはみな王家とわが身とを一体として何にも迷うことのないただ永遠の命と再生のみに、もしあるとすれば、悩みをいだいていた幸福な王たちであった。

 私はデル・エル・バハリへと通じる断崖の峠を越えて行こうと計画していたのでいったんツタンカーメン王の墓のすぐ近くにある休憩室へと戻った。峠の道に入ると白い粉末状の岩石がザザーッと足元を滑らせるたびに舞い上がった。急勾配の坂道を登るだけでも全身は熱くなったが、加えて灼熱の太陽がさえぎるものないことをこれ幸いとばかりに私に向かってジリジリと照りつけていた。拳くらいの大きさの岩石が時々訳もなく身の回りで転がり落ちて行った。そのようにして三十分余りも登ったであろうか、眼下には今訪れてきた王家の谷の全体が一望できた。カラフルな洋服に身をくるむ観光客たちの姿が赤青黄緑白と色塗られた雛あられの粒のように美しく見えた。顔中に汗が噴き出ていた。そして峠の反対側に視線を移したとき、一服の清涼な風がひんやりと全身をそよと吹き抜けて行った。思わず鳥肌がシャツの中で立つのを感じた。赤茶けた眼下の岩山の遥か向こうに緑の穀倉とほとんど地平線に近いところにナイル河の水面がきらきらと煌いているのが見えた。デル・エル・バハリの神殿はすぐ真下にあった。私は迷うことのない道筋に安心して、少し峠のその周辺を散策してみることにした。仰いで見た灼熱の太陽がなぜかこの時真っ黒に見えた。そのときから既に私は転生の世界へと引き込まれていたのかもしれなかった。

 観光客が通る道からはずれ、起伏のある岩場を私は這い伝うような姿で歩いていた。すると突然、私の周りを優雅に舞う何かが現われた。私はなんだろう?と思って立ち止まった。それは左右のふたつの掌を広げたほどの大きな赤茶色をした蝶であるように見えた。赤茶色の羽の中に白い筋があるらしく羽の動きに連れて白い軌跡の残像を曳いていた。

 「きれいだなぁ」

 私は思わずその予期せざる美しいものの飛ぶ姿にみとれてしまった。蝶は私を誘うように私の眼前を、左を右をと優雅にめまぐるしく舞ったかとおもうと、招くように一箇所にホバリングしながらゆっくりと私を曳くように少しづつその位置を替えた。私はいつしかその蝶を追っていた。蝶はいつのまにか私を人気のない墳墓のような深い窪地へと誘い込んでいた。私はその蝶とおぼしき誘惑者の虜になっていた。薄暗い洞窟の中へと、そして奥へと誘い込まれていった。赤茶色をしたその蝶は洞窟の中では飛翔するスピードをあげたのか、しだいしだいに見えにくくなり、時に見失うことも出てきたが、立ち止まってその行方を確かめているとまたその姿をいつのまにか辺りに現わし、私を誘い込んでいった。そして私は大きな洞窟の壁が行く手を塞ぐところまで来たとき、本当にその蝶を見失ってしまっていた。不思議なことに私は汗一つことなく、また息を乱すこともなくそこへ到達していた。私はしばらくのあいだ誘惑者の姿を求めて岸壁の壁に眼を凝らしていた。上から下へ右から左へと私は見落としのないようにと頭の中に順序をつけて壁を追った。しかし、行く筋もの細かく暗い凹凸のある壁の中にその蝶の姿を識別することはできなかった。それでも私はなお、目を凝らしていた。

 「あっ、ライラの水晶球の中に見えると言ったのは……」

 すっかり、頭の中から消えていたカイロでの占いの中身がはっと頭をかすめた。と、突然眼の前の壁全体が覆いかぶさるように浮き上がってきた。そしてその中から大きな蛾のような蝶のようなものが飛び出してきたのだ。と同時に壁のすべてが音を立てて崩れ始めた。私は石灰のような岩石の飛沫を浴びながら、なおもそこに立ちつくさんとしていたが、やがてなにものかに抱き上げられたような気持ちの中で気を失って行った。

 

<(V)へ続く>


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