武装決起する労働者人民と連帯し 中東反革命戦争の拡大を粉砕せよ
東京・山谷日雇労働組合と明治大学学生会中央執行委員会・学苑会中央執行委員会は、六・一二安保粉砕・政府打倒全国統一行動を呼びかけている。われわれは、この呼びかけに応えて全国統一行動に全力で決起し、これを革命的に牽引し、中東反革命戦争粉砕、朝鮮反革命戦争粉砕、日米安保粉砕、被災労働者人民支援の闘いの巨大なうねりを作り出していかねばならない。
六・一五闘争の集中的闘争課題の第一は、中東―アラブ諸国労働者人民と連帯し、米帝―帝国主義による中東反革命戦争の拡大・激化を粉砕することである。
米海軍特殊部隊によるビンラディン殺害は、米帝の期待とは裏腹に、「オバマの戦争」の戦局打開には決してつながりはしなかった。逆に、アフガニスタンでもパキスタンでも、労働者人民の怒りを沸騰させ、イスラム原理主義武装勢力の報復攻撃をエスカレートさせて、米帝―帝国主義を防戦一方に追い込む結果となっている。
アフガニスタンではすでに四月、イスラム原理主義勢力タリバンが、占領軍やカルザイ政権に対する「春季作戦を五月一日から開始する」との声明を発表していたが、これにビンラディン殺害への報復が加わって、その軍事攻勢はいっそう熾烈なものとなっている。五月五日には南部で、「国際治安支援部隊」(ISAF)を主導する北大西洋条約機構(NATO)軍の車両が道路脇の仕掛け爆弾(IED)で攻撃され、一人が死亡。七日には南部カンダハルで、州知事公邸や情報機関への武装勢力による襲撃が相次ぎ、六件の自爆攻撃を含む一〇回の爆発が発生。一六日にも南部で、ISAFの要員四人がIEDによる攻撃で死亡している。一八日には、東部ナンガルハル州ジャララバードで、警官らを乗せた小型バスを狙った自爆攻撃があり、一三人が死亡し、二〇人以上が負傷した。ビンラディン殺害直後に大統領・カルザイが発した、「タリバンは、このことから教訓を学び、武器を置くべきだ」なる威勢のいい声明も、今やまったく虚しいものとなってしまった。パキスタンでも一三日、北西部チャルサダ地区の治安部隊訓練施設で、「パキスタン・タリバン運動」(TTP)による自爆攻撃が発生し、八〇人が死亡した。一八日にも同国北西部ペシャワル郊外で、ロケット砲や迫撃砲を装備した武装勢力七〇人以上が治安部隊を攻撃し、四時間に及ぶ銃撃戦を展開している。
イラクでは五月一九日、バグダッド、バクバ、キルクークで爆弾攻撃が発生し、とりわけキルクークでは、警察本部への連続三回の爆弾攻撃によって、警官二六人が死亡、九〇人が負傷する事態となっている。現在駐屯している米軍は四万六〇〇〇人で、米帝・オバマは「今年末までの完全撤退」を唱えてきたが、今やそれも、まったくおぼつかない状況に陥ってしまった。
アフガニスタン、パキスタン、そしてイラクにおいても、米帝―帝国主義軍隊との流血の死闘のなかで、また親米・反共政権との攻防のなかで、イスラム原理主義的集約を突破した労働者人民の階級的革命的決起の胎動が開始されている。その格闘にしっかりと連帯・呼応していかねばならない。決起するアフガニスタン、イラク労働者人民と連帯し、米帝―帝国主義の暴虐な戦争―占領支配を打ち砕け。
「イランの核兵器開発疑惑」をめぐっては、国連安保理の五常任理事国に独帝を加えた六ヵ国とイランとの「協議」が断続的に行なわれてきたが、昨年一二月、今年一月の「協議」は、ことごとく「物別れ」に終わっている。近くあらためて「協議」が持たれる予定だが、妥結の見通しはまったく立っていない。業を煮やす米帝―帝国主義は、国連安保理を舞台に「制裁」強化から開戦へという流れを加速させるとともに、イスラエル・シオニストを使嗾することも含んで、イランの「核施設」への電撃的な空爆作戦をも準備している。アフガニスタン、イラクで「泥沼の戦況」にあえぎながらも、戦争衝動をますます強めているのだ。対イラン反革命戦争への突入を許すな。
チュニジア「ジャスミン革命」に始まる中東―アラブ諸国の革命的激動は拡大・激化の一途をたどっている。これに恐怖する米帝―帝国主義が反革命介入を強めるなかで、今やその闘いは、いずれの国々においても、プロレタリア革命に発展するのか、それとも「独裁者」を見限った旧政権の閣僚や軍部などに権力が移っただけの「政変」に終わるのかの重大な岐路を迎えている。
とりわけリビアでは、四〇年余にわたって独裁体制を敷いてきたカダフィ政権に対する闘いが内戦にまで発展し、そこに米軍―多国籍軍が軍事介入するに及んで、一進一退の激戦が続いている。反カダフィ勢力は、当初の主体であった労働者人民・学生のほかに、前法相・アブドルジャリルらカダフィ政権から離反した有力政治家や軍の一部、クーデターで退位させられた元国王の末裔を担いで「王政復古」を狙う王党派、「イスラム国家樹立」を目指すムスリム同胞団系のリビア同胞団などだが、この反カダフィ勢力が当初の怒涛のような勢いを急速に失い、「カダフィの逆襲」の前にまったくの劣勢に陥ってしまったのは、アブドルジャリルら旧支配層、特権層が「国民評議会」を結成して運動の主導権を簒奪し、「勝利か死か」「外国の介入を拒否する」と前面で決死の闘いを展開していた青年労働者・学生たちを脇に押しやって、大衆決起の波を引かせてしまったことが、大きく影響していると伝えられている。確かにそうなれば、反カダフィ勢力に残されるのは、権力欲だけは強いが士気をまったく欠く連中と、貧弱な武器だけになる。こうした事態を受けて、五月以降も、米軍やNATO軍がカダフィ政権の政治・軍事拠点に対する激しい空爆を続けているが、その目的が、帝国主義者どもの言うような「市民の生命・安全を守る」ことなどにないことは、まったく明らかだ。軍事介入の目的は、かつて「反米」で鳴らし、帝国主義の中東支配の「撹乱要因」となってきたカダフィ政権をこの機に乗じて完全に葬り去ること、替わりに親米・反共派に権力を取らせて、内戦のプロレタリア革命としての発展を阻止することであり、併せて石油利権を獲得することである。徹頭徹尾、強欲で反革命的な了見に基づくものだ。
シリアでも三月以来、これまでに軍・治安部隊の発砲などによって八〇〇人以上の犠牲者を出しながらも、アサド政権打倒の激しい闘争が展開されているが、欧州連合(EU)による政権幹部に対する「制裁」発動に続いて、五月一八日には米帝が、「米国管轄下に保有する資産の凍結」を柱とした「経済制裁」を発動するなど、介入を強めている。このまま放置して対立が激化し、プロレタリア革命にまで発展したら元も子もないとばかりに、アサドの首のすげ替えをも選択肢に入れた反革命介入策に乗り出しているのである。
しかしながら、中東―アラブ諸国労働者人民の闘いは、米帝が望むような支配層内部での交代劇―形ばかりの「民主化」に決してとどまることはない。「アラブの春」の口火を切ったチュニジアでは、ベンアリ政権にとって替わった暫定政権に対する新たな闘いが開始されている。相も変わらぬ強権支配や貧困の強制に対して、労働者人民が連日のようにデモに決起し、鎮圧に乗り出した治安部隊との実力攻防をうちぬいている。これに対して暫定政権は五月七日、「夜間外出禁止令」を発動するに至った。ムバラクの独裁を打倒したエジプトでも、労働者人民は、権力を握った軍最高評議会に幻想を抱くことなく、「軍は旧体制の温存を図っている」として、真正面からの激突過程に突入している。五月一五日には首都カイロで、パレスチナ労働者人民の「ナクバの日」決起と連帯・結合し、「イスラエルとの断交」を求める数千人規模のデモが行なわれたが、ここでも、三五〇人以上の負傷者を出しながら、治安部隊との間で激しい実力攻防戦がうちぬかれている。
これに慌てた米帝・オバマは五月一九日、「新たな中東政策」と銘打ち、「中東各国の民主化が進展するためには経済成長の加速が重要」だとして、チュニジア、エジプトなどの「民主化支援」のために対外債務の放棄を含む総額数十億ドル規模の経済支援策を表明しているが、そんなことで闘いの革命的永続的発展の道を閉ざすことはできない。チュニジア労働者人民は、「パンよりも尊厳を」という対仏独立戦争当時からのスローガンを今なお堅持し闘いぬいている。これが、オバマの「新中東政策」に対する何よりの回答だ。プロレタリア革命へと向かう中東―アラブ諸国労働者人民の死闘決起と連帯し、米帝―帝国主義の反革命介入を打ち砕け。
イスラエル建国に伴い、七〇万人を超すパレスチナ人が土地を追われた「ナクバ(大破局)の日」にあたる五月一五日、パレスチナ労働者人民は、イスラエル占領地への「帰還」をかけた進撃戦をはじめとして、各地で果敢な実力決起を打ちぬいた。パレスチナ自治区・ガザでも、パレスチナ自治区・ヨルダン川西岸ラマラでも大規模なデモが取り組まれ、ガザでは境界に迫ったデモ隊にイスラエル軍が発砲して二人が殺害された。イスラエル軍は米帝から提供された無人攻撃機を使ってミサイル攻撃まで行なっている。イスラエルが占領するシリア領ゴラン高原でも、パレスチナ人難民がデモで境界線に進撃し、イスラエル軍の発砲で六人が殺害された。オバマは「新中東政策」で、パレスチナ・イスラエルの「和平交渉」を強く促し、その「出発点」として、一九六七年時点の境界線を基本とすること、パレスチナ側が武装闘争を停止しイスラエルを承認することなどを提案しているが、それは、「二国家共存」を呑ませてパレスチナ解放闘争を解体しない限り、「ジャスミン革命」に始まる激動が、「民主化」どころか、中東―アラブ諸国全域を貫く反帝・反シオニズム闘争として大爆発してしまうという、米帝―帝国主義の激しい危機感に発するものだ。しかしながら、ファタハとハマスの和解―統一政府作りが進むパレスチナ自治政府の出方がどうであれ、パレスチナ労働者人民の怒りと闘いを、こんな枠組みのなかに抑え込むことは到底できない。「ナクバの日」の闘いは、そのことを鮮明に示している。武装を堅持し決起するパレスチナ労働者人民と固く連帯し、パレスチナ解放闘争の勝利を切り拓け。
日帝の中東派兵の拡大、対イラン反革命戦争参戦を許さず、中東反革命戦争の拡大・激化を打ち砕く日帝足下革命的反戦闘争の大爆発を切り拓け。
「北朝鮮の挑発」を叫んだ日・米・韓の
朝鮮反革命戦争への突入粉砕せよ
六・一五闘争の第二の集中的課題は、朝鮮反革命戦争粉砕の革命的反戦闘争の爆発を切り拓いていくことである。
一触即発の戦争の危機は、今なお継続している。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による韓国・延坪島砲撃以降、日・米・韓は、北朝鮮が次に何らかの軍事行動に出たなら、ただちに全面戦争に入るべく臨戦態勢を強化している。五月に入ってからも韓国軍海兵隊は、砲撃のあった延坪島付近において海上射撃訓練を行なった。これに対して北朝鮮は、「わざわざ数度の軍事衝突があった延坪島付近の海上で砲撃訓練を行なったことは、厳重な挑発だ」と強い非難を発している。黄海沖「北方限界線」(NLL)近くで一〜二ヵ月ごとに強行されているこうした韓国軍による砲撃訓練のたびに、在韓米軍や国連軍司令部の要員が「参観」することも発表されている。「次の一発」の砲声で、即座に戦争に突入する態勢が幾重にも整えられつつあるのだ。
「北朝鮮の軍事挑発」を厳しくなじっているものの、実のところ、それを待っているのが日・米・韓である。待つばかりではない。北朝鮮の軍事行動を引き出すために、日・米・韓こそが、執拗な軍事挑発をくり広げているのだ。「核問題」「ミサイル問題」、さらには「拉致問題」をどんなにあげつらったところで、国内に戦争熱を煽ることはできても、即座に戦争を開始するのは容易なことではない。何よりもそれでは、中国を納得させることはできない。「六ヵ国協議で議論すべき問題だ」と言われれば、それまでのことである。いかに戦争をやりたくても、日・米・韓の側から戦争に踏み込んだという形式は、中国の激しい反発を招く。現在の中国に北朝鮮と心中する気は毛頭ないとはいえ、場合によっては北朝鮮サイドでの参戦という「最悪のシナリオ」をも招きかねない。朝鮮戦争における「抗美(=米)援朝」を掲げた「中国人民志願軍」による参戦と、これによる国連軍の戦線壊滅―総崩れという悪夢のような経験は、今も米帝を苛んでいる。中朝の一方が攻撃を受けた場合の軍事援助を約束した「中朝友好協力相互援助条約」も、今なお生きている。ところが、発端が「北朝鮮の追加挑発」にあるとなれば、中国は難しい立場に立たされる。政治的にも軍事的にも、動きは大きく制約されることになる、というわけだ。
臨戦態勢強化の一方で、日・米・韓は、「六ヵ国協議再開」への動きも活発化させている。これらの動きは一見矛盾するようだが、そうではない。「協議再開」の狙いはただ一つ、北朝鮮からの中国の切り離しである。そもそも日・米・韓にとって、中国の切り離しと抱き込みの場が「六ヵ国協議」だったのだが、それは一定の「成果」は得られたものの、中途半端なまま袋小路に入ってしまった。それを、「三段階構想」なるもので新たに道をつけようというのである。「三段階構想」とは、まず「南北協議」を開き、「米朝協議」から「本協議」へ進めるというものである。五月一一日にはソウルで、「六ヵ国協議」の日帝首席代表を務める外務省アジア大洋州局長・杉山が、また一七日には米政府特別代表(北朝鮮担当)・ボズワースが、韓国外交通商省朝鮮半島平和交渉本部長・魏聖洛と相次いで会談し、「三段階構想」を交互に確認し合った。
もちろん、日・米・韓が本気で「協議再開」を考えているわけではないし、ましてや再開された「協議」をとおした「核問題の平和的解決」を望んでいるわけでもない。考えているのは、この過程を通して、「われわれは朝鮮半島非核化と戦争回避のために最大限の対話努力をした」「それを無にしたのは横暴・強硬な北朝鮮であり、弁護の余地なし」と描き出し、中国に対して「議長国として結果に責任を負うべきだ」とタガをはめた上で、決裂―開戦に持ち込もうというシナリオである。この場合にも、「北朝鮮の追加挑発」と同様、中国の動きは大きく制約されることになる。日・米・韓が本気で「協議再開」を考えていないことは、「南北協議」という「第一段階」から、高いハードルを設けていることからも明らかだ。韓国・李明博は、日・米帝と示し合わせ、「南北協議」開催の前提として、北朝鮮が「ウラン濃縮活動の中断など具体的な行動を取ること」「哨戒艦沈没・延坪島砲撃を謝罪し再発防止を約束すること」を要求している。
開戦に向けた日・米・韓のこうした策動は、国連安保理の場でも激しく展開されている。五月一三日、国連安保理の「北朝鮮制裁委員会」を補佐する「専門家パネル」は、北朝鮮の核開発の実態などを調査した「最終報告書」を安保理に提出した。それは、?北朝鮮のウラン濃縮施設について、「低濃縮用から軍事利用が可能な高濃縮用に比較的短期間で容易に転換可能」だとして「深刻な懸念」を示すとともに、1・北朝鮮が「国連の制裁決議に背いて、弾道ミサイル関連の技術をイランと定期的に交換していたとみられる」とし、さらに、2・これまでの安保理決議に基づく「制裁」は「北朝鮮の違法ビジネスを困難にしたが、止めるには至っていない」として、3・「制裁」対象の拡大や各国の輸出入管理の強化など、二四項目の「制裁」強化措置をとるよう安保理に勧告する、という内容のものである。とりわけ1について「報告書」は、「弾道ミサイル関連品目が、高麗航空とイラン航空の定期便で取引されている疑い」があるとし、しかもその取引は「北朝鮮に近い第三国を通じて行なわれていた」とまで言及している。名指しこそ避けたものの、その「第三国」が中国を指していることは明らかだ。「六ヵ国協議」の行方を見越して、「制裁」強化から「軍事制裁」への流れを形成するとともに、ここでもまた、中国を強く牽制しているのだ。
こうしたなかで五月二〇日から、金正日の訪中が行なわれた。この一年間で三度もの訪中である。マスコミでは食料援助の要請ばかりが強調されているが、それだけではない。食料援助にも増して金正日が求めたのは、「中朝の血盟関係」の再々々確認である。このかんの日・米・韓による戦争恫喝と政治攻勢に危機感を募らせ、慌てて中国のつなぎ留めに走ったのである。
しかしながらこの訪中は、状況を大きく打開するものとはなりえない。北朝鮮のこのかんの延命戦略は、戦争か武装解除かを一方的に迫られるだけの「六ヵ国協議」の枠を離脱し、米朝直接交渉を実現し、休戦協定に代わる平和条約の締結―米朝国交樹立に持ち込んで、軍事的重圧と経済封鎖から脱することであった。そのために米帝から何とか譲歩を引き出そうとギリギリの瀬戸際政策を展開してきたのだが、日・米・韓からは一ミリの譲歩も得られずに、危機を爆発的に高めただけの結果となるに及んで、北朝鮮は昨年末以降、渋々「三段階構想」に乗ることとなった。「三段階構想」は議長国・中国の提案でもあり、これを蹴ったら、一触即発の危機のただなかで「唯一の後ろ盾」まで失うことになるからだ。「第二段階」には北朝鮮が望む「ワシントンへの道」―「米朝協議」も待っている。ところが年初からの「対南対話攻勢」は、李明博から全面屈服―武装解除を要求されて行きづまり、「米朝協議」についても、米帝が「南北関係の修復が前提」なる姿勢を崩さないために、一向に埒が明かない状態である。こうした外交の八方ふさがりは、中国に泣きついたところでどうにかなるものでもない。逆に中国から、「対話と譲歩」を説得されるのがオチである。結局北朝鮮は、金正日―金正恩体制の生き残りのために、危険を承知で冒険的な瀬戸際政策をいっそうエスカレートさせるより他には、打つ手がなくなっているのだ。
こうして一触即発的状況は、日ごとに煮つまりつつある。とりわけ日帝の凶暴化は著しい。東北・関東大震災の発生は、対北最強硬派としての日帝の戦争突撃を、決して遅らせはしなかった。逆にそれを一気に加速させるものとなった。震災に際しての自衛隊と米軍の行動は、全面戦争としての朝鮮反革命戦争への突入を想定した防衛出動・治安出動の予行演習であり、本格的な日米共同作戦の実動演習に他ならない。朝鮮反革命戦争の突入時は、一切の制約を取り払った日本階級闘争の正真正銘の決戦期である。決戦を決戦として闘う陣形の構築を急がねばならない。反北朝鮮―反共・排外主義煽動を打ち破り、右翼ファシストを撃滅し、朝鮮反革命戦争粉砕の革命的反戦闘争の爆発をかちとれ。
全国の内戦勢力の総決起を実現し、
日米安保粉砕―日帝菅政府打倒へ
六・一五闘争の第三の集中的課題は、日米安保の強化をはじめとする日帝の朝鮮反革命戦争とファシズムへの突撃に全面対決し、菅政府打倒・日帝国家権力解体へと総進撃していくことだ。
日帝・菅政府は六月下旬にも、米帝との間で外務・軍事担当閣僚による「日米安全保障協議委員会(2プラス2)」を開催し、新たな「共通戦略目標」を策定しようとしている。またこれを受けて七月以降に首相・菅が訪米し、オバマとの間で「日米同盟の深化」を謳い上げる「共同声明」を発することも計画している。二〇〇五年二月に発表された現行の「共通戦略目標」は、日米共同の軍事指針を定めたものだが、それを六年ぶりに改定するというのである。とりわけ今回の改定の眼目は、「北朝鮮情勢に関する認識と対処方針」(防衛省関係者)にあるという。朝鮮反革命戦争を日米共同作戦として遂行するための、最新の軍事指針を打ち出そうというのだ。「日米同盟深化」―日米安保の再編強化を粉砕せよ。
さらに日・米帝はこの「2プラス2」において、名護新基地建設のゴリ押しをあらためて宣言しようと狙っている。日・米帝が二〇〇六年に合意した「ロードマップ」に掲げられていた名護新基地の「二〇一四年完成」計画は、辺野古住民―沖縄労働者人民の頑強な闘いによって、完全に打ち砕かれた。五月一一日には米国上院軍事委員長・レビンらが、「沖縄の政治情勢」などを理由に、「現行案」は「非現実的」で「実現不可能」だと断じ、普天間基地の嘉手納基地への統合を国防総省に提言するまでになっている。もはや名護新基地建設は完全に破綻しているのだ。にもかかわらず日・米帝は、ここで引き下がったら〈基地・沖縄〉の総体が危うくなるとばかり、あくまで「現行案」にしがみつき、その強行を狙っているのである。
五月一二日にはワシントンで、「2プラス2」の開催に向けて、外務・軍事当局の日米審議官級協議がもたれたが、そこでも名護新基地建設の強行を確認している。ただし、完成期限については「先送り」にした上で。この「先送り」について日帝外務省、防衛省は、「できるだけ早く」などの文言を共同文書に盛り込むことを検討しているという。そのこと自体、「完成期限など誰にも分からない」という破綻の証なのだが、他方では、「名護新基地ができない限り、普天間基地をいつまでも使い続けることになる」という、沖縄労働者人民に対する薄汚い恫喝でもある。
その普天間基地には、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備も強行されようとしている。五月に入って菅政府は、「沖縄に正式に配備を説明する」などと言い出しているのだ。これまで自・公政府も民主党中心の政府も、米帝がくり返しその配備を言明しているにもかかわらず、名護新基地建設への「悪影響」を恐れて、「米側から正式な報告を受けていない」などとシラを切り通してきたのだが、米帝の配備計画年である二〇一二年を目前にして、切羽詰まって強行突破に出ているのである。米帝は来年から二〇一三年末までに、CH46E中型ヘリの後継として、二四機のオスプレイを普天間基地に順次配備するとしている。オスプレイは、垂直離着陸が可能な米海兵隊の次期主力兵員輸送機で、CH46と比較した場合、完全武装の兵士は二〜三倍の二四人が搭乗可能とされ、最高時速はほぼ倍の約五〇〇キロで、これにより米海兵隊の強襲作戦能力は格段に上がることになる。
こうした攻撃に対して沖縄労働者人民は、決意も新たに闘いに立ち上がっている。知事・仲井真が、レビンらの「嘉手納統合案」に「負担が減るのであれば、入り口になるかもしれない」などとさっそく色気を示したことの対極において、「嘉手納統合案も普天間の固定化も絶対に許すことはできない」と、激しい怒りの声を上げている。その闘いに全力で応えていかねばならない。闘う沖縄労働者人民と連帯し、普天間基地解体へ、名護新基地建設の最後的粉砕へ突き進め。普天間基地へのオスプレイ配備を許すな。東村・高江のヘリパッド建設を阻止せよ。
日帝の国連安保理常任理事国入りの策動も急速に強まっている。このかん日帝は、「安保理改革」を唱え、独帝、インド、ブラジルを抱き込んで、四ヵ国の常任理事国入りを求める「改革決議案」を国連総会で採決させようと、「最大の外交作戦」(「読売新聞」)を展開してきた。四ヵ国は、五月中にも「決議案」提出の是非を最終判断するという。日帝の狙いは、敗戦帝国主義としての戦後的制約を最終的に打破し、軍事力を駆使して独自の世界政策を展開しうる「一流」の帝国主義へと跳躍することだ。これが、「震災対応」の裏で菅政府が必死になってやっていることだ。
震災のどさくさに紛れて、改憲攻撃も強められている。五月一八日の参院本会議で、憲法審査会の運営手続きを定めた「規程」の可決―制定が、民主、自民、公明などの賛成多数で強行された。憲法審査会の委員を四五人とし、議事は出席委員の過半数で決める、などがその内容である。衆院では二〇〇九年六月に「規程」が作られており、「国民投票法」の成立(二〇〇七年五月)から四年を経て、改憲原案の審議から国民投票の実施までに必要な制度がすべて整ったことになる。
「環太平洋パートナーシップ協定」(TPP)への参加についても菅政府は、震災を受けて最終決定を「先送り」しただけで、決して諦めてはいない。震災後の重要政策の優先順位を組み直した「政策推進指針」(五月一七日閣議決定)でも、「総合的に判断する」と称して、参加決定―交渉入りの機を執拗にうかがっているのだ。
加えて、震災を契機にした天皇制攻撃の激化である。アキヒト、ミチコを先頭に天皇一族が総出で、日帝敗戦後のヒロヒトによる「全国巡幸」に倣った「被災地巡り」をくり返している。被災地に渦巻く政府への怒りに危機感を募らせ、「政府がだらしないなら、天皇が被災地を抑えてやる」とばかり、階級闘争の圧殺だけを目的に、自衛隊機を使って被災地蹂躙をくり返しているのだ。警察、自衛隊を動員し大弾圧態勢を敷いた上で、「皇国の臣民」としてひたすら「耐え忍ぶ」ことを強要して回っているのだ。五月一八日にはアキヒトが、「全日本中学校長会総会」に出席するために集まった校長二五一人を前に、「すべての教育機関において自然災害への安全教育を十分に」などと号令を発している。天皇が教育にまで露骨に口をはさみ始めているのだ。
われわれは、こうした攻撃への徹底的、全面的な対決を組織していかねばならない。このただなかから、〈蜂起に連続する権力闘争の本格的飛躍〉〈蜂起の組織陣形の構築〉を一気に実現していくのだ。反革命革マルをせん滅し、右翼ファシストを撃滅し、内戦勢力の総決起で、六・一五闘争の大爆発をかちとれ。その成功を力に、今夏期階級攻防の激闘へ猛然と進撃せよ。
労働者人民自身の手による被災労働者
人民への現地支援運動を組織せよ
六・一五闘争の集中的課題の第四は、労働者人民自身の手による被災労働者人民への現地支援大運動を巻き起こしていくことだ。
菅政府が「震災対応」で素早かったのは、自衛隊、警察を送り込んで被災地制圧にあたらせたことだけだ。労働者人民の生命の維持と生活の再建には、まったくの冷淡無関心、無為無策を決め込んでいる。資本家どもの資産防衛と救済、治安維持と戦時体制形成だけに没頭する姿は、ブルジョア政府の本質を露骨なまでに示している。福島第一原発事故の被害地域はもとより、被災地全域で怒りが沸騰している。
生活と生産の再建のために不可欠な、がれきの撤去すら一向に進まない。すべてを被災地の自治体に「丸投げ」した結果である。「量が多くて作業が追いつかず、発生から二ヵ月以上たっても手つかずのままの所が目立つ」(「河北新報」)との悲鳴が上がるなか、政府は「がれき処理を国の直轄事業にしたい」(官房副長官・仙谷)などと言い始めているが、こんな当たり前のことを口に出すだけのために、丸々二ヵ月もの日々を費やしているのだ。
仮設住宅の建設も遅々として進まない。五月一一日時点で、一一万五〇〇〇人余の労働者人民が避難所暮らしを強いられ、約六万戸の仮設住宅が必要とされているが、完成した仮設住宅はたったの七七四八戸にすぎない。一六年前の阪神大震災時ですら、二ヵ月後には一万二千戸が完成していたというのに。入居希望者全員分の完成は「遅くともお盆の頃までに」(首相・菅)などと、悠長なことを言うばかりである。
被災地では、製造、小売り、旅館、物流など様々な業種で、「非正規雇用」労働者を中心に、「解雇」「無給休業・自宅待機」「労働時間短縮」などの攻撃が吹き荒れている。その結果、厚生労働省の五月一三日時点の集計によれば、岩手、宮城、福島の三県の被災による失業者数は、計一〇万六四六一人に達しているという。県別では岩手が二万二八五三人、宮城が四万六一九四人、福島が三万七四一四人に上る。ただしこの数字は、失業手当の受給手続きのために勤務先から交付を受けた「離職票・休職票」の数であり、被災した事業主の都合などで、いまだこうした届け出ができていない被災労働者も多数いるのであり、また当然ながらこの数字には、農業や漁業などの「個人事業主」の失業者は含まれていない。実際の失業者は数十万人規模になる。農・漁民の状況も深刻で、宮城県では、県漁協に加入する漁民のうち、「廃業予定」ないし「廃業検討」が四割にも上り、とりわけ石巻市雄勝町では、八〇〇人の漁民の八割が「廃業予定」であるという。
「派遣切り」など労働者への解雇攻撃は、被災地だけにとどまらない。それは、「計画停電」に伴う減産計画や「放射能不安」による輸出停滞への危惧などから、東日本をはじめ全国に波及しており、二〇〇八年"リーマン・ショック"時以上の激しい大リストラが、全労働者階級を襲おうとしているのである。「失業率は今後、七パーセントに達してもおかしくない」と指摘するエコノミストまでいる。
福島第一原発事故をめぐり、東京電力は五月一二日になって、一号機の「炉心溶融」(メルトダウン)の事実を認めた。震災翌日の三月一二日朝には核燃料がすべて原子炉圧力容器の底に溶け落ちていたこと、それが発する崩壊熱によって圧力容器の底が損傷し、すでに複数の穴が空いていることを、丸二ヵ月経ってから、しかも否定しがたいデータを突きつけられた末に、ようやく認めたのである。原子炉格納容器の「損傷」も認めた。これまで燃料冷却のために圧力容器内に大量の注水が行なわれてきたのだが、水は底の抜けた圧力容器から格納容器に流れ落ち、さらに格納容器から原子炉建屋地階などの外部にジャブジャブと漏れ出していたのである。「一号機の圧力容器の水位計の正確なデータが得られない」ことをいいことに、これまで東京電力は、「燃料ペレットが一部損傷した可能性はあるが、原子炉の安全性は保たれている」などとくり返し主張し、政府もまた、「メルトダウンは絶対にない。チェルノブイリのようなことにはならない」(官房長官・枝野)などと根拠のない楽観論を振りまき、二ヵ月間にわたってウソをつきとおしてきたのだ。
さらに五月一六日には、東京電力が公表したデータから、二号機、三号機もそれぞれ三月一五日、一六日の時点でメルトダウンに陥っていたことも判明している。ところが当の東京電力は、「データがなお不十分」だとして、これについては認めることを拒むという卑劣さである。都合の悪いことは極力「なかったこと」にして事故を少しでも小さく見せることに、この期に及んでもなお汲々としているのだ。
すでに四月一七日、東京電力は「事故収束に向けた工程表」なるものを発表しているが、それは、メルトダウンと圧力容器・格納容器の破損に頬かむりしたものであり、内外を欺瞞するためのまったくの絵空事だったことになる。「工程表」に盛られた当面の作業の最大の柱である「一、三号機の格納容器に水を入れて圧力容器ごと核燃料を水没させる」という「冠水」作業なるものも、格納容器の底がそろって抜けている以上、できもしない夢物語でしかない。その結果今や、「圧力容器、格納容器の内部を大量の水で洗浄しているようなもの」で、燃料冷却のために注水をすればするほど、原子炉内の超高濃度の放射性物質によって汚染された水が、地下へ、海中へ、また水蒸気となって大気中へ、際限なく流れ出すという最悪の事態を迎えている。
菅政府は五月一三日、福島第一原発大事故に伴う「損害賠償を支援する枠組み」を正式決定したが、そこでは、原発事故を起こした東京電力を債務超過にさせずに存続させること、そのために、莫大な賠償費用を「交付国債」という名の税金と、電力一〇社による負担金で主要に賄うことを打ち出している。とんでもないことだ。ただでさえ「復興税導入」「消費税率アップ」が叫ばれているなかでの新たな税金の支出は、増税への衝動をますます強めるものとなる。また電力一〇社による負担金拠出は、電力料金の全国的な大幅値上げに直結するものだ。要するに賠償金を、増税と電気料金の値上げによって賄うということだ。東京電力の賠償責任を労働者人民にそっくり「肩代わり」させようということだ。これに対しては当然のことながら、「枠組みは東京電力救済だ」との怒りと批判が沸き起こっている。政府は、「賠償は第一義的には東京電力の責任だ」(首相・菅)、「東京電力の組織再編もありうる」(官房長官・枝野)などと、東京電力への「厳しい姿勢」をアピールしているが、こんなものはまったくの茶番にすぎない。「東京電力救済」の批判をかわすとともに、「国策」として原子力政策を推進してきた政府の責任を回避し、財政支出を少しでも減らそうとしているだけのことだ。他方、東京電力はと言えば、「原子力損害賠償法」第三条一項の「当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」という「免責条項」を盾にとり、「そういう理解があり得ると考えている」(社長・清水)などとぬけぬけと言い放って、責任回避に躍起になっている。政府、東京電力の責任居直りを断じて許すわけにはいかない。
福島第一原発の事故現場では、東京電力労働者や「協力企業」いう名の下請け、孫請け会社の労働者たちが、高い放射線量のなかでろくな説明も補償もなく、苛酷な被曝労働を強いられている。悪徳業者が大阪・釜ヶ崎の日雇い労働者をだまして、福島第一原発で働かせていた事実も明らかになっている。三月中旬、「宮城県女川町でダンプカーの運転手を求めている」という西成労働福祉センターの求人紹介に応募した労働者が、実際には、防護服を着せられて、福島第一原発から数百メートルの場所で、がれきの撤去作業をさせられたというのである。高濃度放射性物質の大量放出によって、膨大な数の労働者人民が居住地を追われ、他地域、他県での避難生活を余儀なくされ、また農業・漁業を中心に労働者人民の生業は、「風評被害」を含めた放射能被害によって、甚大な打撃を強いられている。
まさに大地震と大津波、原発事故による被害は、「自然災害」ではなく、政府とブルジョアジーによってもたらされた「人災」である。しかも「復興支援」と称して政府がやることはと言えば、「復興特需」に群がる全国の資本家どもを利すること、被災地への資本投下を推進して資本家的生産を復興させ、引き換えに労働者人民をトコトン搾取させ、また大量に失業させること、被災した中・小・零細企業を収奪しすり潰して、資本の集中を加速させること、農業への企業参入の拡大、「漁業権の剥奪」―漁場の企業への開放などの「復興案」が示すような農・漁民の収奪―プロレタリア化をいっそう推し進めることだけである。資本制生産様式―ブルジョア的私的所有のもとで、政府に、労働者人民の生活とその生産のための「震災復興」なぞ、できはしない。ブルジョア的「復興」ではなく、「労働者自身の協同組合工場」(マルクス)をも展望して、東京電力の労働者を含めた労働者人民の手に全生産を掌握し、これを取り仕切ること。これこそが労働者人民の展望である。被災労働者人民に対する現地支援の大運動をますます強力に組織していかねばならない。 |