手元にある「鉄輪」に関する文献を読んでのメモと雑感です。
先ずは伊藤正義さん(A)と小田幸子さん(B)の論文から基本的な項目を上げます。
<上演記録>
「鉄輪」の上演記録の初見は長享二年(1488年)手猿楽亀太夫所演(「親長卿記」)。
別名で「貴船」と「鼎」も同じ曲らしい。
「鼎」は天文三年(1534年)近江途中祭礼能(「言継卿記」)で上演されている。
室町から江戸初期の上演では、手猿楽(下間など)、四座以外(梅若、日吉、など)、素人(細川家・身愛、忠興)が19例で、四座以外の上演が主だそうです。
その中には、日吉・梅若立合能 天文三年(1534年)があります。
「鉄輪」は市井の女の嫉妬を描いた曲なので、支配階級に取り入った四座では、あまり上演されなかったようです。もうこの頃から品の良いものが好まれたのでせうか。
四座の上演では天文七年(1538年)将軍邸での観世所演が初見で、
観世大夫(宗節、身愛)の上演は3例。
なお金春大夫家の上演記録は今のところなく、金春家の伝書にも記載がないそうです。
小田さんは以上のことから、「鉄輪」は大和猿楽以外の座で作られたのでは、と推察しておられます。
あまり人気曲ではなかったようで、元和元年の上演以降約50年間記録がなく、江戸では一度中絶したようです。
なお宝生流のこの頃の上演記録は今のところないのですが、寛永ごろの「岡家本」(注1)に装束の記載があるので上演はされていたのでしょう。
復興後の上演では寛文七年(1667年)に宝生大夫が演じているそうです。(「薪能番組」)(注2)
それ以降は、幕末までに31回の記録があるそうです。綱吉と家宣の時代に15回と集中しているらしく、地方藩の武士やお抱え役者(主に喜多流)や、将軍の廊下番から能役者になった人たちの演能があり、小田さんは「素人好みする曲だったようだ。」としています。判りやすい曲で演じやすかったのだと思われます。
享保以降は宝生、観世も記録に現れるそうです。
それから禁裏での上演では(「宮内庁書陵部蔵「禁裡仙堂御能之記」)、26回の記録があるそうです。
<書上類>
寛文書上では宝生・喜多が所演曲。
享保書上で、観世は「急ニハ難相勤」。時間をもらえれば演じます、と云うもの。
金春・金剛は江戸期は非所演曲。
明治15年「諸流名寄」で金剛流が所演曲。
昭和14年金春流が追加曲。金春光太郎が復曲しました。
<本説・典拠>
「謡曲大観」では「平家物語剣之巻」とありますが、「流布本」や「覚一本」には載っておらず、
「平家物語(屋代本)剣巻」が典拠のようです。この「屋代本」はあまり出回っていないそうですが、能の元ネタになっている話が沢山収められているそうです。浜千代清(C)
ほかにも「鉄輪」の元ネタは「百二十句本」「田中本」に掲載されているそうで、(A)には「田中本平家剣之巻」が引用されています。
素材としては小田論文が詳しく。当時の文献を網羅して「鉄輪」の背景を解き明かしているので一読をお勧めします。
○「妬婦譚と貴船明神」=貴船明神が、女の呪詛を(主に恋の恨み)受け付る神として認識されて行ったことを資料により示しています。
○「丑の刻参」=嫉妬した女が鬼になる話、丑の刻参の風習について考察しています。
○「陰陽師の役割=今では陰陽師は小説、漫画、映画で良く知られた存在ですが、この論文発表時はあまり知られた存在ではなかったようで、詳しく紹介しています。
「陰陽師」については伊藤さんも「陰陽師のイメージが<鉄輪>の主題に即応するものとして、新しい趣向たることを窺わしめる。」としており、能における新しい趣向だと指摘しています。確かに、能では鬼を調伏するのは主に山伏の役目でした。小田さんもそれを受けて、古作ではなく「シテ・ワキが直接闘争しない」「人形に災いを転じる」点を上げており「<鉄輪>説話を核として、先行曲と想定される類曲<葵上>を学んで構想したものだろう。」とされています。
<論説>
小田さん論文には、演出の相違についての面白い論説が載っています。
古い下掛り系の謡本では、狂言口開はなく、シテの道行から始まるそうです。シテが貴船明神に詣ると、シテ自身が霊夢を蒙る。その後、シテとアイの問答になる。その形の方が原拠である「剣の巻」に近いそうです。確かにアイの口開がなくても成り立つ話ですね。では何故口開で始まるのでせうか。
アイ口開の曲は、巷説を元に作られていると云う説があるそうです。つまり身近で鉄輪のような事件があり、それを舞台化した際は狂言口開の形式をとるという考えです。ことの真偽は判りませんが面白い説だと思います。なお復興後は、喜多流も上掛り系の台本を取り入れたとのことです。
この中絶前と復興後では装束附もだいぶん違うようです。復興後は今と同じですが、中絶前の前シテは、笠をかぶらず水衣、後シテは赤頭に半切で、より鬼の装束に近い。もちろん髪に鉄輪を戴くのは同じです。
興味深いのは金春流で、亭主は見ていませんが、昭和に復曲した「鉄輪」について三宅襄さんが書いています。(E)
「着きセリフで笠を脱ぎ、正中で下に居て面を伏せ、睡眠の態を見せてから、「あら有りがたや」云々と言い、「神巫を呼び出し夢を占はせ」云々の詞が入る。」これはまさしく復興前の古い下掛りの演じ方です。金春流に、そう云う古い書付が残っていたものと思われます。
<雑感>
○小田論文(B)に、宝生の演能記録の手がかりとして「岡家本江戸初期能型付」(注1)が上げられているので、該当部分を引用しよう。
後シテの装束についての記述で「宝生懸などニハ、ぬぎさげにそバつぎのうしろをはなし、前を腰帯しめて、打杖腰にさし、することも有と也。」
この「岡家本」は表章さんによると寛永末年頃の型を伝えているそうだ。側次の前の部分を腰帯で繋いだ変わった着方をしたのだろうか。
○金井清光さんの論考に面白いことが載っていた(F)。
貴船神社は賀茂川の上流にあるため、京都おける雨乞いの神の役割を果たしていた。
朝廷の崇敬社である二十二社のひとつに数えられ、正一位でもある。その雨からの連想で、御神体が蛇や鬼として扱われる場合があるとのこと。
金井さんも、貴船神社における女の恨みを叶える逸話を引いたあと、シテは貴船明神が乗り移った物狂いだとする。つまり「巻絹」のような神が巫女に憑く曲の系統だと云う発想である。シテが最後に調伏されないのは、貴船の絶対的な神威を観客に教えるためらしい。
それはそれで面白い説だと思っていたら、思わぬところに反対の意見があった。
雑誌「宝生」の「こぼればなし」(G)で、著者は<F>とある(藤城さんかな?)。
三十番神についての説明で、「この三十番神とは一ヶ月三十日を毎日交替して、如法経を守護する三十体の神々のことですが、」と、三十の神の名前を列挙している。「熱田・諏訪・広田・気比・気多・鹿島・北野・江文・貴船・伊勢〜」おっと「貴船」が入っているではないか。そうすると貴船の神様は女の為に夫殺害の方法を神託として教え、次は晴明の祈祷で、夫殺害の邪魔をする方に加担したと云うことになる。まあ他の二十九の神の手前、参加しないわけには行かなかったのか。もし金井さんの云うように女に憑いていたとしたら、自分のことを「汚らわしい」と責めたことになる。まぁ論理で割り切れないのが宗教と嫉妬心だから、あまり深く考えないことにしませう。
○川瀬一馬さんが「鉄輪」は古作の能で世阿弥が手を入れた、と云う説をおっしゃっているようだ。(注3)「鉄輪」は古作の能ではない亭主は思っているのだけれど、徳江元正さんも古い曲だとおっしゃっている(H)。なるほど古作だと勘違いする要素はこの「鉄輪」にはあるように思えるので、少し愚説を書いて見る。
能が大成される前は、神社仏閣で庶民を観客として上演されていた。観世座が得意にしたのは「鬼」の能で、庶民が喜んだ素材であったろう。この「鉄輪」も主役は鬼なので、そんなところが古作と勘違いしそうだが、観世座の鬼は「野守」の鬼神とか「鵜飼」の地獄の鬼とか、超自然のパワーを持つ鬼である。たしかに「恋重荷」のように、恋のために憤死した老人の霊もあるが、これも死んで恨みのパワーを持った鬼神の一種だろう。「鉄輪」の女は夫を取殺そうとする強さを持ってはいるが、まだ死んではいない。
それから大成前の古作の能は、庶民にウケる要素を入れており、そう云う雑多なところが面白い。例えば観阿弥が好んだのであろう、尽くし的な部分。「江口」の「棹歌」、「自然居士」の「舟」、「通小町」の「木の実」。当時流行ったであろう歌謡を取り込んだのであろう。それは観客のウケをねらった興行主の視点だと思われる。世阿弥が貴人を対象として、貴人にウケる要素を重要視したのも興行主の視点である。とにかく古作の能には、そう云うバラエティがあるが、この「鉄輪」は「庶民の女の恨み」で統一され凝縮された印象がある。テーマは庶民的だが、作劇にプリミティブなところがない。小田さんの云うように、「葵上」を手本に、庶民を相手に興行していた大和四座以外の猿楽座に作者がいるようである。
注1 藤岡道子編「岡家本江戸初期能型付」 2007年2月 和泉書院
注2 「金輪」宝生九郎 ワキは春藤新之丞 「日本庶民文化史料集成 第三巻」1978年6月 三一書房
注3 論文名不詳。(C)の座談会で、浜千代氏の発言から知りました。
<文献>(未完)
A) 伊藤正義 「謡曲集上」解題 昭和58年3月 新潮日本古典集成
B) 小田幸子 「作品研究「鉄輪」」 「観世」 昭和58年6月
C) 座談会「「鉄輪」をめぐって」「観世」 昭和58年6月
D) 清田弘「謡と舞台」「観世」 昭和58年5月(「能の表現」2004年8月 草思社)
E) 三宅襄「能の鑑賞講座一」平成6年4月 檜書店
F) 金井清光「鉄輪」「能と狂言」明治書院 昭和52年
G) 「宝生」「こぼればなし 三十番神のこと」平成2年5月号
H) 徳江元正 「能の女」「芸能、能芸」昭和51年12月 三弥井書店
<エッセイ・芸談など>(未完)
I) 馬場あき子 「心に棲む鬼 鉄輪」「能・よみがえる情念」2010年2月 檜書店
J) 林望 「林望が能を読む」 1996年12月 集英社文庫
K) 杉本苑子 「能の女たち」平成12年11月 文藝春秋
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