「宝生流能型附 懐秘録(天保年間)」(解題・凡例もどき)

「宝生流能型附 懐秘録(天保年間)」について

金沢市立玉川図書館近世資料館には能楽関係の古書が多く所蔵されている。
これまでまとまった目録としては「文芸フェア出品目録 能楽資料展」(注1)があるほか、近年では「そして能は広がる。謡曲・能楽の定着と金沢」(注2)など、所蔵品の展示も行われている。
調査というほど大げさなものではないのだけれど、近所なので立ち寄って目録をコピーしたり、面白そうな古書を閲覧していたところ、興味深いものを発見した。
題名は「仕舞口伝書」(注3)。小さな横本で、よくもまあこんな細かい字が書けたものだと云う字でびっしり埋まっている。亭主は古書に興味はあるのだが、くずし字はまったく読めない。読めないながらも、これは宝生流の能型附であることは判った。
能の型附や演出については多くの書物が出版されていて重宝しているのだが、宝生流に限って言えば今のところ二冊である。

1「能の型」宝生英雄 昭和57年 わんや書店
宝生流第十八代家元である宝生英雄が、宗家に伝わる型附をもとに、雑誌「宝生」に連載したものをまとめたもの。 宝生流でよく上演される59曲を収録。
2「能型附」演劇資料選書2 早稲田大学演劇博物館編 昭和50年 飛鳥書房
  この本が出版された当時は、どのような型附なのか判っておらず、解説には「この型附は観世か宝生かいずれであるか明らかでないが、宝生流に近いかと思う。」とある。
現在は「宝生流手津賢」であることが判っている。(注4)
この「手津賢」はわりと知られた本で、富山藩主前田利保が嘉永年間に私家版として刊行したものである。

二冊のうち「能の型」は家元の著書だけあって解説が親切で、とても重宝している。しかし最近は遠い曲も上演されるので、59曲では物足りない。
もう一冊「手津賢」は影印で、一般人が読むにはコツがいる。
もちろん三宅襄さんの「能の鑑賞講座一二三」(檜書店)や、横道萬里雄さんの著書で宝生流の演出に触れてはいるが、いずれも五流の演出を比較するのが主題で、宝生流については断片的である。
そんななかで宝生流のまとまった型附に遭遇したのだから、とても心が揺らいだ。
そう、愚かにも翻刻をこころみようと思ってしまったのだ。
勿論読めない字ばかりなので苦戦中ではある。ただこの機会に、これまで各流の型について残してきたメモを、一緒にまとめてみようと思い立った。
道のりは長くしんどいのだけれど、コツコツと歩こうと思っております。

注1 昭和62年10月金沢市立図書館
注2 平成26年10月〜11月金沢市立玉川図書館近世資料館
注3 「仕舞口伝書」和本目録特31 分類773−番号25
注4 「貴重書 能・狂言篇」 早稲田大学演劇博物館編 1997年3月

<解題もどき>
金沢市玉川立図書館 近世史料館所蔵「仕舞口伝書」
(和本目録特31 分類773−番号25)について。

・表紙には題簽(だいせん)はなく、裏表紙に鉛筆書きで「能仕形附(シカタヅケのルビ有り)」とあるが、近年の命名と判断し、内題「懐秘録」を書名とした。
・表紙は厚紙で、紺縞模様の布が張られているが、半部以上欠損。
・横27.0×縦11.3 袋とじ。

全体を簡単に紹介。
内題と目次(番号は便宜上つけた)
「懐秘録」
@内外能附  百九拾六番
A内外囃子附 百三拾九番
B当流 盤シキ等唱歌附
C間狂言文句附
D能目録位附
E小習目録
F舞囃子目録位附
G仕舞目録位附
H独吟乱曲目録

@は能の型附で、寛政版・内九十番、外百六番の順番に並んでいる。
なお以下の重習は入っていない。卒都婆小町、姨捨、小(大)原御幸、木賊、鸚鵡小町、定家、角(隅)田川、ひかき(檜垣)、関寺小町、道成寺、砧、弱法師、鷺、正尊。
「弱法師」は宝生流では重い扱いで、現在も中伝奥之分に分類されてはいるが、他の奥之伝(「江口」や「実盛」)は載っているので、恐らく「弱法師」の小書「双調ノ舞」が重い扱いのためかと思われる。 「正尊」は初伝であるが、同じく「起請文」が重い扱いのため外れているのだろう。
A舞囃子の型附で、曲の終わりは「下居」になっている。なお太鼓の入る曲は目次に朱で印がある。
B舞物の笛の唱歌がそれぞれ森田流と一ソウ流で載っている。
Cシテがアイ狂言と直接問答する曲(「邯鄲」「花月」など)の、アイのセリフが書かれている。シテ部分は「シテ」とだけ記載。
D「能目録」所演曲の書上の写であろう。「文化二 丑年 改 宝生大夫」と署名も写されている。
E小書の一覧。宝生九郎知栄の「小書」(注5)と比べるとほぼ同じだが(九郎が廃曲した曲は不明)、若干の違いもある。「邯鄲」の小書は現在「長柄(傘之出)」と「笠(笠之次第)」だが、この一覧には「長柄」しか記載されていない。(昭和54年の「宝生流名寄」には「盤渉」も入っている。)他流の小書を含め、小書を考察するには面白い資料だと思われる。
F舞囃子とG仕舞の目録で、Dと同じく書上の写しであろう。「天保五 午年改 宝生大夫」の署名がある。
H「独吟乱曲」「重キ乱曲」の目録。22曲記載されている。日付はないが「宝生大夫」の署名がある。現在の「蘭曲」との違いを考察すべきだろうが、たいへんなので後日に。(注6)

最初の@「内外能附」の丁は本文九十三丁まで記される。
次のA「内外囃子附」以降は、本文から丁があらたまり二十八丁まで記載されが、 以下丁の記載はない。(数えると四十一丁まで)

<考察>

この「懐秘録」がどのような来歴の書なのか、今の段階ではさっぱり判らない。
内容の吟味と翻刻が進めば、あらたに判ることも出て来るだろう。とは云え現段階の若干の私見を書いておく。
1いつごろの型附か。2誰が何を写したのか。この2点である。
先ずいつごろの書付だろうか。
三ヶ所に年代が入っている
D文化二 丑年改 宝生大夫
FG天保五 午年改 宝生大夫
この天保と文化と云うのは幕府に書上が出された年号である。
能の家元である大夫は、幕府に「書上」を提出しなければならなかった。「書上」の内容については、家の「由緒書」「所演曲のリスト」「習事目録」などである。知られているのは寛文、享保六年、天明三年、寛政年間、文化年間、天保九年などで(注7)、DFGは、その年号と内容から、幕府に提出した書上の写であろうと思われる。
「宝生大夫」の署名については、Dの文化二年の宝生大夫は英勝(ふさかつ)、天保五年の宝生大夫は弥五郎友千(ともゆき)だが、両名の筆致とは異なると思っている(注8)。
この「懐秘録」は同一人物による筆致なので、年代の下がる天保五年以降に写されたものであろう。
誰が何を写したか。
内容の吟味はこれからなのだが、家元である故・宝生英雄さんの「能の型」の表記と、この「懐秘録」の表記が同じであったり、似ていること、宝生大夫の書名があること。 以上のことから、家元に伝わる伝書を許可を得て書き写したものだと思われる。
なお、天保の頃の宝生流家元は宝生弥五郎友千(1977〜1863・隠居名「紫雪」以後は紫雪と記す)だが、宝生流の型附である「手津賢」を出版した富山藩主前田利保は、この紫雪から皆伝を受けている。つまり「懐秘録」と「手津賢」は同じ紫雪の息がかかった型附だと云うことになる。もし「手津賢」と比較すると何か新しい発見があるかもしれない。
ただ若干の疑問もある。と云うのは「懐秘録」の「小習之目録」に紫雪の考案した小書が記されていないことだ。その一つが「猩々」の小書「七人」。この小書は弘化勧進能で初演されたもので、猩々を七人(匹?)出すスペクタクルな演出である。現在では「七人猩々」と呼ばれるが当初は小書の扱いである(注9)。この「七人」が記されていない。
もう一つは「来殿」。現在は宝生の所演曲になっているが、本来は「雷電」の小書の扱いだったようだ。この名前も記されていない(注10)。
この疑問の答えは二通りあるように思われる。一つは弘化勧進能(1848)と「来殿」初演(1852)前に書付が写されたと云うこと。その二は、紫雪が自ら発案した小書を、継続的なものと考えておらず、伝書に書かなかったと云うこと。
いずれかは不明だが、やはり天保頃の書付のように思える。
ところで、この書付が何故金沢の図書館に収蔵されているのだろうか。最初に浮かんだのが、紫雪が隠居の地として金沢を選んだときに、持って来た、と云うもの。しかし、その可能性は殆どないと思われる。先ず重習の曲が収録されていない。家元が所持したものであれば重習も入っていてしかるべきだろう。 余談だが、この本は名前の通り懐に入れて持ち歩く為に、極力小さく作られている。亭主はデジタル写真で撮影したものを拡大して読んでいるが、それでも老眼鏡は欠かせない。写した人物は、老眼と無縁の年齢であったことだけは間違いないだろう。年老いた紫雪には文字が小さ過ぎて読めなかったと思われる。 家元に近い能楽師が、許可を得て写し、懐に入れて使っていた。そう云う書物であろう。それがどう云う来歴か、金沢市の図書館所有になったようだ。
なお図書館の古い印が押されている。
第12788?号 昭11.4.10和 大礼?記念 金沢市図書館(旧字を直す)
昭和11年には図書館に入ったのだろう。

最後に、現在の演じ方と、この型附はどれくらいの差があるのだろうか。まだ一部を吟味しただけだが、差は10%位以下だと思われる。所作のタイミングの違い、若干の型の違い。また「右近」のツレが現在は2名だが、型附では4名になっているなど、僅かな違いしか今のところ見出していない。
紫雪の息子である明治の三名人のひとり宝生九郎知栄は、型を変えたことで知られている。(注11)その九郎知栄の改訂についても今後の翻刻で判るのではないかと思っている。

注5 「謡曲口伝」大正4年12月 能楽通信社
注6 興味のある方の為に参考文献を上げておきます。
  小倉正久「乱曲考」2011年3月 檜書店
  佐野巌「芝?荘遣話」「蘭曲」昭和47年11月 わんや書店
注7 「鴻山文庫蔵能楽資料解題(下)」平成26年3月 野上記念法政大学能楽研究所
  注8 「宝生流のはなし(改訂2版)」昭和62年1月 わんや書店
注9 「弘化勧進能と宝生紫雪」昭和17年9月 わんや書店
  注10 前田斉泰が、祖先とする菅原道真を祀る行事において、「雷電」だと道真が憤怒の姿でふさわしくないので紫雪に泰平を祝す内容に変えさせたものが「来殿」。
   「宝生」11号「復曲「雷電」、試演へ」2011年7・8月号
  注11 「型に就いても彼の代になって改めたものは相當にあるが、(中略)序之舞や中之舞などに右袖を被ぐ型はその長絹の袖の露が天冠や烏帽子に引掛つた時に後見が立つて直すのが間に合はぬと往々失態を演ずる事があるので、彼は袖を被ぐ型は凡て巻き上げる型に改正して了つた。」
柳沢英樹「宝生九郎伝」昭和19年1月 わんや書店

<凡例もどき>
・金沢市玉川立図書館 近世史料館所蔵「仕舞口伝書」(和本目録特31 分類773−番号25)のうち「内外能附」を随時翻刻し、若干の私見を記すことにしました。
・ネット上に公開するため、「変体がな」「異字・異体字」「難字・難読語」「旧字」など、PC変換が不可能と思えるものは、遺憾ながら常用漢字に置き換えるか、かなにした。
・読みやすさに配慮して濁点を加えた場合がある。
・本文では「ニ」など小さく表記されているが、PC変換の都合により、すべて同じとせざるをえなかった。
・謡曲文は「」で囲んだ。詞章については当て字が多く見受けられるが、他の伝書と比較する可能性も考慮して、原本の字を残した場合もある。そのため読みにくい部分については現行(新修謡本)の詞章を( )で補った。
・行の頭に便宜上番号をふった。
・繰り返し記号は横書きPCでは判りにくいので、そのまま字を繰り返した。
・句読点は原本に従い入れなかったが、読みやすさを考え随時間隔を開けた。
・難読文字は■にした。また想定される語がある場合は( )で補ったが、素人なので勘違いや間違いが多くあると思います。ご寛恕を願うとともに、ご教示をお願いいたします。

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