この「続★OL日誌」は、日本食研の社内報に、毎月連載していたものです。
OLの視点で、仕事や恋,日常生活を
短歌&エッセイで綴っております。

続★OL日誌 vol.55【最終回】
  感謝カンシャ 最終回は夢心地
            離陸してゆく私のこころ


 え〜っ、最終回です。最後となると何を書いていいのか、本当に迷ってしまいます。今、改めてvol.1から通して読んでみたのですが、私って本当におバカだなぁ〜とつくづく思いました(汗)。
 で、最後にもう一つおバカな話しをしたいと思います(開き直り)。
 今、本社の女性のあいだで『ビタミンP』という成分がちょっと話題になっています。あまり聞きなれないビタミンですが、柑橘類に多く含まれている成分らしいのです。そう、こたつのお供、みかんなど!このビタミンPは「むくみ」などに効果があるそうです。それは女性にウレシイ。
 最近、一日デスクワークをして、夜出かけようとブーツを履く時、たびたびファスナーが上がらないことがあります。えっ太った?いえ休日の朝などはすんなり履けるのです。若い頃にはむくみなどなかったのに……。
 入社当事、本社は三階建てでエレベーターもなく、パソコンも全員には普及しておらず、電話やFAXがじゃんじゃんきて、本当に走り回っていました。ある時など、急いで社員階段を駆け下りていたら、大沢社長を追い抜いてしまっていたらしく、呼び止められてギクリとしたこともあります。電話で受けると、たいてい「できるだけ速く」と言われ、すべての仕事が至急で、デスクにはメモ紙がずらりと並び、毎日夜中まで対応に追われていました。動き回ることで、逆に血流は良かったのかもしれませんね。
 今では、書類のペーパレス化もすすみ、目の前の人にもメールで連絡したりと、本当にパソコンの前から動かなくなりました。
 かくして私は夜、ブーツと格闘することになるのですが「ブーツが壊れるか、私が壊れるか」は時間の問題かと思われます。なぜか意味もなく息を止め、ひと思いにファスナーを上げている私は、すでに少し壊れているのかもしれません。心がふわふわ空を飛んでいるみたいです。

  涙なみだ 最終回のそのあとも
          デジャブのように思い出してね


 さて、この『続★OL日誌』は今回で最後となりますが、作家大西淳子は今後もずーっと活動していく予定です。またどこかで『元★OL日誌』や『OL日誌リターンズ』?などを書いているかもしれません。もし再び大西淳子の作品に出逢ったなら、この短歌&エッセイをデジャブのように思い出してください。では、また逢う日まで。

【過去の日誌】
〈vol.54〉
銀色のエレベーターの「かご」に入り運ばれてゆく鳥の心地で
 少し前、シ○ド○ー社のエレベーター事故が大きく報じられ、それ以来、私はエレベーターに乗るたびに、ついメーカーを確認してしまうのですが、皆さんはどうでしょうか。
 幸い愛媛本社のエレベーターはシ○ド○ー社ではなく、安全なのですが、先日メンテナンスのために業者の方が来られており、普段私たちが乗っている部分以外の上下の空間まであらわになっていたので、つい凝視してしまいました。こんなところに挟まれたら……シヌ。
 さらに耳をそばだてて業者の方の会話を聞いていると「かご」というワードが何度か出てきました。「かご」とは、どうやら普段私たちが乗っている部分のことらしいのです。
 そうか私は「かご」に入り、天空を目指して上昇しているのか……と思うと、なんだか自分が鳥になったような気分でした。
 囚われの身ながら、空を飛んでいました。なんだか複雑な気持ちでした。


〈vol.53〉
見た者はしあわせになるという伝え月夜の淡き虹 moonbow
(ムーンボウ)
 moonbow という言葉をご存知でしょうか。実は私も最近まで知らなかったのですが、ある友人から「今夜はmoonbow が見えたよ」とメールがあり、なになにっとこの言葉の由来などを調べ始めたのでした。
 moonbow とは、月の光で見える夜の虹のことで、昼の虹と同じように雨上がりなどで無数の水滴があり、満月などで十分な光量のあるときに見えるそうです。さらに、星がきれいに見えるような宙
(そら)が澄んでいる場所でないと見えません。あとはmoonbow を見たい!という強い気持ちがないと、白く控えめにひかるこの虹は見過ごしてしまうでしょう。
 多くの条件が揃わないと見えず、とても神秘的なこの月の虹。ハワイ諸島では「見た者はしあわせになる」という言伝えがあるそうです。
 さぁ、秋の夜長には、ゆっくりと月を眺めてみてはいかがでしょうか。しあわせになれる、かもしれません。


〈vol.52〉
死から死のあいだに深く刻まれた喪服のしわを丁寧にとる
(与謝野晶子短歌文学賞 受賞)
 喪服は急に必要になります。
 この春、私は相次いで身近な人を亡くしました。2月に高井会長を、4月に祖母を。
 死の知らせを受けて、喪服の準備をしたのは、今回実に十年ぶりくらいだったでしょうか。押入れの奥にしまわれていた喪服には、深いしわが刻み込まれていました。前回喪服を着たのは、祖父の時でした。私は、真夜中に喪服のアイロンがけをしながら、祖父の葬儀のこと、また今回の会長の葬儀のことなどぐるぐると考えました。このしわの深さは、死から死のあいだの長さを表すのだと感じました。
 そして、クリーニングを終え再び押入れに戻った喪服を、今度はすぐに取り出すことになります。今回は、しわなどありません。
 これからは、喪服のしわもつかないあいだに着ることが多くなるのかと思えば、少し淋しくなってしまいました。


〈vol.51〉
ことさらに旅は道連れ世は情け迷い惑いて進めぬ時は
 食研社員なら一度は行ってみたい山賊焼の有名店『いろり山賊』に、先日ようやく行ってきました。
 地図では、山口県の玖珂インター近く。インターを下りると看板もあり、それをたどって行きました。が、なぜか道に迷ってしまいました。周りは田んぼ……。自転車で通りがかった小学生に聞いてみます。しかし???。すると、ランニング中のおじさんがやって来て「どうしたの?」と声をかけてくれました。「山賊に行くの?だったら家の近くだから案内するよ」親切にどうもと思った瞬間、おじさんはさっと車に乗り込んできました。ランニングに疲れたのでしょうか?ちょっと酒臭い?もしやハイジャック?少しの緊張が走りましたが、急な坂を上り、大通りに出たところで「この上だから」と、おじさんはあっさり車を下りていきました。
 不思議なおじさんと触れ合った後、私は不思議な気持ちで山賊焼を頬張りました。
 旅は道連れ世は情けと言いますが、迷い惑いがある時ほど、そう感じるものだと強く思いました。


〈vol.50〉
友達の出産祝いを買いにゆき〈ご自宅用〉を決めつけられる
 先日、友達の出産祝いを買いに行った時のこと。何にしようかとベビー用品売場をうろうろ。洋服もいいが好みもあるだろうし……初めての子供なので食器などもいるのではないだろうか……子供のものではなくママ(私の友達)のものはどうだろうか……。考えあぐねた結果、ママバックを買うことにした。
 ママバックもいろいろで、大きさや色などさらに迷っていると、満面の笑みを浮かべた店員さんがやってきて「お鏡はこちらです」と言った。
 勘のいいあなたは、ここでなんとなく気づくだろう。店員さんは、さらに詳しくバックの説明をしようと近づいてきた。私はこれをなんとか遠ざけ、ようやく一つのバックをレジへと持っていこうとした。その時、また先ほどの店員さんが現れ「ご自宅用でよろしいですか」と何の疑いもなく笑顔で言った。
 確かに私は、その時ワンピースを着ていた、がしかし、決めつけは良くない、と思う。


〈vol.49〉
華道にもリズムは大事長短をつけて小菊を足元に挿す
 この春行われた『日本食研感謝祭』では、ユニーク社員講演で(なぜか)華道についてお話させていただきました。
 タイトルも知らない間に決まっており『これから始める人の華道講座』。これから始める人の、と言うからには花器も剣山もなくても、わざわざ高い花を買わなくても気軽に楽しめる生け花を紹介しようと思い、いろいろと考えを巡らせました。
 結果、コーヒーカップやジャムの空き瓶、プリンの入っていた容器などの日用品を使い、瀬戸内園芸センター様にもご協力いただいて、日本食研の庭園にある草花でプチ活け花を作り、紹介しました。
 講演を終えて、改めて花はいいなぁ〜と思いました。華道というと、ちょっと敷居が高いなぁと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、花は自然界にあるものです。自由な発想で楽しみたいですね。
 自由に、と言われると逆に難しい部分もあるかもしれませんが、何事もリズム感があれば大丈夫です。


〈vol.48〉
三十秒CMのためひたすらに太陽を待ち二日を過ごす
 「焼肉のたれ宮殿」のCMは、もうご覧になりましたか?
 実は、ワタクシCMに出演しております。えっ、どこにいるか分からないって。そう、私自身もどこに映っているのか肉眼では確認できておりません。
 あの焼肉のたれを持って踊っているのは、全員れっきとした日本食研社員です。総勢百人はいたでしょうか。
 撮影には、振付師、プロのダンサー、スタイリストさんなんかもいて、業界の裏側を見た気がしました。CM撮影って、結構大変なんだなぁ〜って実感しました。特に「太陽待ち」という、待ち時間が一番印象に残りました。人間の力ではどうしようもないですからもうひたすら太陽が出るまで待ちました。撮影は十一月も半ば。冬空で風も強く、とにかく寒かったです。
 でも、出来上がったCMを見ると、晴々とした青空だったので、これもまたすごいなぁと思いました。


〈vol.47〉
してあげたいことは思ったその時にしてあげようと思うばかりで……
  高井会長が二月二十四日土曜日夜、永眠されました。私は月曜日の朝、出社してから、その事実を知ったのですが、その日曜日は東京で同人誌の批評会に出席しており、ちょうどその折に、同人の一人から「一緒に温泉に行こうね、と言っていたおばあちゃんが急に亡くなったので、してあげたいと思っていたことはしてあげたいと思った時にしてあげよう。」という話を聞いたばかりでした。
 私は会長にたくさんお世話になっていたのに、なにかお返しできただろうか。最後に会長とお話したのはいつだろう。またどんな言葉だっただろう。思い出そうとしても、私の記憶は真っ白でした。
 出棺の時、ちょうど雨が降り始め、まるで別れを惜しむ人たちの涙のようでした。
 別れは思いがけず訪れるもの。常にこれが最後だったら、と思いながら行動すれば後悔はないのかもしれませんが、日々の忙しさにかまけて気持ちだけ空回りするオオニシなのでした。

〈vol.46〉
失くすとは諦めること代わりなどいくらでもありひとつとしてない
 私は傘を失くしたことがない。ピアスでさえ一つも失くしたことがない。厳密に言えば、一時的に失くしている期間はあるが、必ず手元に戻ってくるのである。
 それは必ず「探す」からであり、探せば必ずどこかにあるものなのです。
 出かける時に傘を持ってゆき、帰る時になければ、その日でかけた所を順番にたどればいいし、あるピアスの片方のキャッチがないと気づけば、落としていそうな場所を探すのはもちろん、意識の中でずーと探していれば随分経ってからも、風呂の排水溝を掃除しようとして隅に引っかかっているのを見つけたりすることもある。この世のどこかでまだ、その形をとどめている限り「ある」のだ。
 失くすとは諦めることであり、探すのを止めることだと私は思う。
 物をよく失くすという方へ「探したの!」と声を大にして言いたい。
 諦めるほうが簡単な世の中に生きて、こそ諦めないで探したいと思うオオニシなのでした。


〈vol.45〉
伝説のような思い出あふれだす小学校の同窓会で
 先日、久々に小学校の同窓会がありました。卒業後じつに二十二年もの歳月が経ち、当時の担任の先生の年齢に今の私たちも近づこうとしていました。
 小学校は、毎日がイベント?のようでとても楽しく、伝説のような思い出話で盛り上がりました。プールにたらいを浮かべ水着でたらいうどんを食べたり、流しそうめんをしたり、雪がつもれば一切授業をせず、かまくらや雪だるまを作ったり、オリンピックイヤーには、自分たちで架空の国を作り、国旗まで作って対抗戦をしたり、遠泳で一万メートルに挑戦したり、五目並べ大会をしたり、読書量を競ったり、なわとびの回数を競ったり(二重とびのクラス最高記録は500回を超えていた!)、テストの点付けをすると言えば、皆先生の周りに集まって見たりetc.
 イジメなんか無かったのではないかと思います。いろいろな事で優劣がついたけれど、それぞれに強い事があったし、お互いにそれを認めていました。今の学校もこんなふうにすれば不登校もなくなるのではと思いました。ぜひモデルにしてください。


〈vol.44〉
独楽
(こま)はなぜ独り楽しと書くのかな独りは淋し ひゅるり空(くう)満つ
 日本のお正月の遊びといえば、独楽(こま)、凧、歌留多(かるた)、双六(すごろく)、羽子板などが代表的だが、このごろはあまりしなくなった。
 子供が欲しがる玩具も「Wii」や「PS3」という現代だ。
 私が子供のころは、冬休みの宿題で手作りの凧を作らねばならず、近くの休田などで、その出来映えを試したりしたものだ。(ってどんなに昔なんだ。)年末年始になると「凧揚げは電信柱のないところで」などというCMもよく目にした。もう電信柱のないところがないのかもしれない。
 短歌を始めてからは、歌ガルタなどもやったことがある。取り札には下の句のみが書かれてあり、上の句で分かれば速く取れるのだが、これはなかなかであった。昔びとはなんと風流な遊びをしていたのだろうと思う。
 それにしても、新年の楽しい遊びであるはずの「独楽」はなぜ「独り楽し」と書くのだろうか。少子化の影響で、独楽は本当に独り楽しい遊びになっちゃうのかもしれないなと独り危惧するオオニシであった。


〈vol.43〉
バランスを崩し階段踏みはずし「あっ」と思
(も)うとき満点の星
 私はよく階段から落ちる。子供のころの話ではなく、大人になった今もである。会社に入ってからも、女子寮の階段を上から下まで落ちて、左の手のひらを負傷。その時以来、左手の生命線は一本につながっていない。岡山駅でも、三段ほど階段を落ちた。その時は手に持っていた物、手提げ袋の中の物など、ありとあらゆるものがパーンとはじけ飛び、(きっとパンツも見えたに違いなく)体よりも心が痛かった。恥ずかしい。旧愛媛本社では、朝掃除のときにトイレットペーパーを取りに行こうと急いで階段を駆け下りたら、拭いたばかりの階段に滑って左足の甲を負傷。足首から下が青く腫れあがり、一ヶ月ほど靴が履けなかった。
 そして、先日もアパートの階段を落ちた。両手に荷物を持っていたため、そのまま仰向けに落ち、頭には多数の星が飛び、しばらく夜空を仰いだ。
 一応弁明しておくが、私は決して運動神経が悪いわけではない(と思う)。


〈vol.42〉
ハリウッド女優のように微笑みてエントランスの階段降る
 ついにKO宮殿工場お披露目の時を迎えました。パンパカパーン♪
 宮殿が工場って、本当におもしろい会社だと思います。特に、一番の見所はエントランス。煌びやかなシャンデリアがドン、ドン、ドーンと三つもあります。シックで高貴な紺色のじゅうたんにも感動。ふかふかです。また、吹き抜けのエントランス中央には、美しい曲線を描いて階下に降りる階段もあり、ひと際目を引きます。
 初めて、社員見学に訪れた時には、皆ここで記念撮影をしました。少し気取ったポーズなどとったりして、優雅な気分にひたったのは、私だけではないはず?!
 まだ、この高貴で優雅な気分を味わっていないあなた。ぜひ一度、KO宮殿工場に来てください。少し背が高くなって、少し足が長くなって、少し鼻も高くなる?かもしれません。


〈vol.41〉
毒なのに毒だからこそひとくちは甘くふたくちめへ誘うらし
  先日、部署の女性達と食事に行った時のこと。なぜか毒草の話題で盛り上がり、その特徴、症状等々これまで毒草とは無縁だった私には、とてもセンセーショナルで、忘れられない記憶となりました。
 なんでも毒草というのは、たいていひとくちめは甘く、毒だとすぐに気づかないのだとか。「良薬は口に苦し」と言いますが、良いものほど苦く、悪いものほど甘いのかもしれませんね。
 他人の苦言は、ありがたく聞きいれなければ……。逆に甘い言葉には注意が必要ですね。最初は美味ですが、気づいた時にはもう毒が全身に回っていて麻痺しているかもしれません。そういえば、「痺れる」という言葉には「心を奪われてうっとりする」という良い意味もあります。毒をのんで痺れるというのは紙一重の感覚なのかもしれません。
                    〜気をつけろ甘い言葉と甘い草〜
 みなさん、くれぐれもお気をつけください。
(尚、この食事会の詳細情報が知りたい方は、直接大西までご連絡ください。)


〈vol.40〉
涙することでリセットする日々よ〈泪目族〉となりて暮らせり
 泪目族【なみだめぞく】…それは、よーし泣くぞと決めて、泣くためのおかず(映画、ドラマ、小説 等)を準備し、映画館や部屋にこもり、泣く環境を整えて思い存分泣く、という人々のことらしい。
 私は、わざわざおかずまで準備することはないのだが、泪目族に近い生態なのかもしれない。なんでもおかずになると言い換えてもよい。これまでの最高記録は、山崎まさよしさん主演の「月とキャベツ」という映画。一週間レンタルで一週間泣き続けた。感動である。そんなもんだから、翌日目が腫れているということもしばしばだ。
 しかし、先日特に泣き腫らした訳ではないのに、会社に来ると「目が腫れてますよ」と後輩に心配されてしまった。なぜだろう?
 もっもしや。その日は新しく買ったアイシャドーを付けていたのだ。マキアージュの秋の新色である。伊藤美咲である。4色使いで、ちょっと高かったのである。
 私は、伊藤美咲であることをついに言い出せないまま「最近、つらい事が多くて……」と、泣いてみせた。

〈vol.39〉
シンデレラサイズ哀しきわが足はもう七足も試みている
  私は、気に入った靴のサイズがないことが多く、靴の買い物にはいつも苦労する。基本的には、二十二センチなのだが、それでも余ることが多く、だいたいは中敷きという詰め物をつま先に入れて調整している。(シークレットブーツじゃないよっ)本当は、二十一.五センチなのかもしれないが、そんな品揃えのいい店はなかなかない。
  「サイズはお出しできますので、おっしゃってくださいね」とやさしく言ってくれていたお店でも、正直にサイズを言うと「うちのお店では、一切取り扱いがございません」と店全体で、否定されたこともある。
 高校時代の修学旅行でスキーに行った時もレンタルのスキー靴のサイズがなく、私だけ赤い子供用の靴を履かされ、恥ずかしい思いをした。
 特に、サンダルやミュールは少し小さめの方がかわいいのだが、中敷きを入れるわけにもいかず、靴選びは更に難航してしまうのだ。
 シンデレラサイズっていうけど、王子様が私にぴったりの靴を持ってきてくれる……訳ないかなぁ。


〈vol.38〉
疲れたら休んでいいよ生真面目に言葉を吸って吐くファクシミリ
 FAXはサラリーマンに似ている、と時々思うのです。誰かの言葉を吸いとって、また違う誰かに吐きだす。あいだに介することで、意味やニュアンスが変わらないように注意しないといけませんね。
 それにしてもFAXは、二十四時間大量の言葉を一言一句違わず伝え続けていて、いつもえらいなぁ〜と思います。アイツは本当に真面目なヤツです。
 しかし、人間は感情の生き物ですから、仮に一言一句違わず伝えられたとしても、声のトーンや表情によって、相手への伝わり方は違ってきてしまいますよね。また、わざと表現を変えて伝えたほうが伝わりやすいということもあります。
 FAXだって、インクがかすれてしまったり、用紙切れになったり、紙詰まりを起こしてエラーになることもあります。
 そうして私も、難解な言葉を噛み砕いたり、オブラートに包んでみたり、時にエラーを起こして送受信不能になりつつも、それでも毎日言葉を吸って吐き続けています。しかし最近、どうもエラーが多いようなので、どなたかメンテナンスをお願いできればと思います。


〈vol.37〉
重要で不要なものを吸い込んでまた満杯になるシュレッダー
 企業秘密となる重要な書類は、ゴミ箱ではなく、必ずシュレッダーにかけて捨てること。これ社会人の常識ですよね。いつ見てもだいたいシュレッダーは満杯です。重要で不要な書類って、結構多いんですね。
 さて、大沢社長語録には「人には(イ)有能で有用(ロ)有能で無用(ハ)無能で有用(ニ)無能で無用 がある。(ロ)と(ニ)にはならないこと。」というのがあります。
 シュレッダーに捨てられる書類というのは、まさに(ロ)ではないでしょうか。そう思うと、私は急に切なくなったのでした。重要でさえなければ、普通のゴミ箱に捨てられ、古紙としてまた再生することだってあります。それなのに、シュレッダーゆきの書類は、重要な故にあんなにズタズタに切り裂かれて、永遠に闇に葬り去られてしまうのですねぇ。
 はぁ〜、また誰かがシュレッダーに書類をかけています。ズダダダダッ。はぁ〜、もう粉々です。はぁ〜、こんなに切なくなるのは私だけでしょうか。


〈vol.36〉

キャベジンの効能書きに〈悪心(あくしん)〉?とありてやわらぐ胃の痛みかも
 食べ過ぎや飲み過ぎでなくても、サラリーマンなら、一度や二度胃の痛い思いをしたことがあるでしょう。
 かくして、私も時々キャベジンのお世話になるわけですが、先日、何気なく効能書きを読んでいると、「胃酸過多、胸やけ……はきけ(……悪心(あくしん))」とあり、ハッとしたのでした。
 そうかぁ、胃が痛むのには、精神的な部分も大きいからなぁ〜。キャベジンはちゃんとそのあたりも治してくれるのかぁ〜。私は妙に納得したのでした。
 「あぁ〜明日はボイコットしたいな」とか「あの人が早く異動になってくれないかな」など、私のこのよこしまな心もキャベジンで治るわけね、と思い込むと、なんだか胃の痛みもやわらいだような気がしました。
 ……が、しかし、キャベジンで悪心(あくしん)が治るわけがありません。よくよく考えてみると悪心は「おしん」とも読みます。悪心(おしん)、すなわち気持ちが悪くて吐きそうな感じ、ですね。
 そりゃそうですよね。キャベジンでよこしまな心を治そうとすること自体がよこしまでした。
 みなさん、キャベジンで悪心(あくしん)を治すことなどできませんよ。(って、知ってるか。)


【更に過去の日誌】