【過去の日誌】
〈vol.35〉
〈電車男〉みたいにいかず人生はお礼一つもできないままに
 その日は三重まで日帰り出張。くたくたで今治駅にたどり着いたら、なんと車のバッテリーがあがっていました。
 なにしろ夜十時の今治駅。頼りになりそうな人は……いない。十分ほど格闘してみましたが、エンジンがかかる気配はありません。
 とそこへ、二人の若いお兄さんがやってきました。「あっ、あのぅ〜、十分ほどお時間よろしいですか?」私はまるであやしいキャッチセールスだ。そうそう、用件用件。「あのぅ〜、車のバッテリーがあがってしまいまして、つないでもらってもよろしいでしょうか?」お兄さん達の不審の表情もようやくほぐれました。「あぁ、いいですよっ」お兄さん達は、さっと車をまわし、パキパキと線をつなぎ、私の車のエンジンもすぐにかけてくださいました。見事!
 あっ、お礼お礼。……と言っても何もない。「あのぅ〜、お名前は?」「いやぁ〜そんなそのぅ〜、いいですよぉ」「はぁ……」
 どうしよう、どうしよう。あたふたしている間に、お兄さん達は、自分達の車に乗り込み、ハザードランプをチカチカさせながら行ってしまったのでした。
 こういう時はどうしたらいいのでしょう。みんながみんな〈電車男〉みないには、いかないようです。


〈vol.34〉

おおかたは略字で書けど〈福澤〉の〈幸〉はいまだに省きがたくて
「社名や氏名など名前は略さず正確に書くように!」会社に入って、同じ名前でも実にいろいろな書き方があるものだと実感しました。例えば「さいとう」さん。斉藤、斎藤、齊藤、齋藤など実にさまざまです。「わたなべ」さんも間違いやすいですね。渡辺、渡邉、渡邊、渡部等々。略さず、と言われても難しい漢字はつい略してしまいそうになります。さいとうさんなんて、もう全部斉藤さんでいいじゃないと思う時もありました。(さいとうさん、どうもすみません。)
 でも〈澤〉という字だけは、面倒でもどんなに急いでいても、いまだに略さず書いています。だって、名前のなかに幸せがあるって素敵じゃないですか。その幸せを省略するなんて、私にはできない……。
 ちなみに、日本食研の社員情報で〈澤〉という字のつく方を検索してみたところ、五十五名もいらっしゃいました。大事になさってくださいね。
 さてあなたは、幸せを省略することができますか。


元日のハイウェイふいに現れた777(スリーセブン)のワゴン車を追う
 
年末年始の高速道路は、混み合ったりしてイライラしたりしていませんか。幸い、四国自動車道は、あまり渋滞もなく快適なのですが、長距離走行すると眠くなったりして困ります。
 私の車は十四年もので、MDやCDもなくカセットは壊れ、ラジオも雑音がひどいので音楽はもっぱらアカペラ。ガムやあめもそんなにたくさんは食べられません。そのうちすることも無くなり、ただぼんやりと走っていると、ふいに私の前方に白いワゴン車が追い越してきました。そのナンバープレートがなんと777。
 元日ですし、これはきっと神様がお導きくださったのだと(勝手に)思い込み、その後私はずーとその車を見失わないように追い掛けたのでした。777が追い越し車線に入れば、私もスピードをあげ、777がスピードを弛めれば私もスピードを弛め……。(えっ迷惑ですかぁ?)
 いやぁ〜なんだかツイてたみ・た・い。


〈vol.32〉

濃霧にてアシアナ航空欠航し大韓航空みごと離陸す
【韓国旅行日誌B】
 旅にハプニングはつきもの。逆にハプニングがあるからこそ、思わぬひとの優しさにふれたりして、とても印象深く、後々いい思い出となったりするものです。
 韓国旅行最終日は、あいにくの雨。私たちは、釜山→ソウルへ国内線で飛び、ソウル→松山へと飛ぶ予定でしたが、釜山の空港に到着したころにはかなりの濃霧でした。予定していたアシアナ航空は欠航。さあどうする。 
 添乗のFトラベルさんは、韓国語が話せません。日本に国際電話をかけてなにやら確認しているらしいのですが、らちがあかない様子。現地の高麗旅行社の添乗員さんは、先の大阪組、福岡組についてソウルに行っています。頼れるのは、そう写真屋さん!これから鉄道でソウルに向かっても間に合いません。釜山から福岡に船で渡るという手もありますが、到着は翌朝。そう翌日からは仕事。あまりにも過酷過ぎます。残された案は、大韓航空に振り替えてソウルへ飛ぶというもの。どうして同じ条件でアシアナ航空は欠航し、大韓航空は運航しているのでしょう?一抹の不安がよぎりましたが、背に腹はかえられません。写真屋さん、お願いします。チケットの交渉をしてください。祈るような気持ちで私たちは写真屋さんを待ち、実際祈りながら大韓航空のシートに腰を下ろしたのでした。
 「写真屋さん、どうして大韓航空は飛んだのですか?」「それはね、パイロットの腕がいいからだよ」「そっそうですか(汗)」


〈vol.31〉
サムゲタン・骨付カルビ・キムチ・チゲ・プルコギ・ナムル・チヂミ・ビビンバ
【韓国旅行日誌A】
 韓国最初の晩餐は骨付カルビ二人前。なぜ二人前なのか、少し気になるところではありますが、私たちは仁川空港からなだれ込むようにレストランに直行しました。「乾杯〜ぃ!」巻物のようにくるくる巻かれたお肉がド〜ッと鉄板の上に盛られます。店員さんはそれらを手早くほどきながらハサミでチョキチョキ。さっそくサンチュで肉をくるみ、味噌をつけてパクリ。ジュージューパクリ。パクリ。パクリ。気が付けば心配していた(?)二人前もなんなくたいらげていました。おほほっ。
 二日目の昼食は、韓国冷麺とチヂミ、夕食はサムギョプサル(豚バラ肉の焼肉)二人前(?)です。三日目の昼食はサムゲタン(丸鶏のスープ)、夕食はプルコギ二人前(??)。四日目の昼食は石焼ビビンバ、夕食は海鮮チゲ二人前(???)でした。それぞれにキムチは必須で店ごとに違うナムルも美味。
 韓国女性は辛いものを常に食べているので肌もきれいだとか……。食べてきれいになれるなんて、ちょっとうさん臭い美容食品みたいですが、やっぱりうれしいですよねぇ〜。そういえば、この肌のきめは……。韓国料理のおかげでしょうか。本当にごちそうさまでした。カムサハムニダ。


〈vol.30〉

「チーズ」よりオイシイ言葉韓国の写真屋さんは「キムチ」と言えり
【韓国旅行日誌@】
 日本では写真を撮るとき、なぜか「チーズ」と言いますよね?そしてなぜかVサインを出して「ピース」と言う。Vはヴィクトリー…勝利?ピースは平和?よく考えると、なんだか変ですよね。
 韓国旅行、最初の観光地「昌徳宮(チャンドックン)」に到着すると、写真屋と名乗る人のよさそうなおじさまが、私たちを門の前に整列するよう誘導しました。なかなか流暢な日本語で、テキパキと立ち位置を指示します。私たちは、言われるがままにもそもそと並び、カメラに向かいました。O阪(支)のS支店長は、写真屋さんに向かって「なんかおもろい掛け声かけぇや」とヤジを飛ばします。写真屋さんに伝わっているのでしょうか。写真屋さんは変わらずニコニコしています。とそのとき、写真屋さんは左手を軽く上げ「キ〜ムチー!」と叫びました。一同はドッと笑い、かくしてこの記念写真はとてもスマイリーな一枚に仕上がったのでした。
 「チーズ」では口がすぼんでしまいますが「キムチ」なら笑顔になります。韓国のキムチは美味しいと聞いていましたが、なるほど確かにオイシかったです。


〈vol.29〉

〈大西〉と打ったつもりが〈鬼石〉と変換されて自省 ハンセイ
 パソコンやメールを多用するようになって変換間違いも多発するようになりました。
 〈見に来てください〉と打ったつもりが、〈ミニ着てください〉とミニスカートをリクエストしてしまったり、〈体調大丈夫?〉と打ったつもりが、〈隊長大丈夫?〉となっていて「おまえが大丈夫か?」と逆に心配されてしまったり……。皆さんも一度や二度、体験されたことがあるのではないでしょうか。(えっ、ない???)
 ある日、いつものようにパソコンに向かって書類を作成している時、〈大西淳子〉と打ったつもりが〈鬼石淳子〉と変換されて、ドキッとしてしまいました。具体的に心当たりがあったわけではないのですが、なんだか背後から「鬼〜ぃ!」「石〜ぃ!」と言われているようで、私は日頃の悪行をあれこれ思い出し、心の底から反省したのでした。
 パトカーを見ると隠れたくなるのと同じですね。(えっ、私だけ???)
 再度皆様に、この場をお借りしてお詫び申しあげます。ドウカユルシテ……。


〈vol.28〉

「なぜ髪を切ったのですか?」理由など特には無くて宙を見上げる
 最近、部下指導法はコーチングが主流となり、オフィスでもよくコーチングカンバセーションを耳にするようになりました。そのスキルの一つに<承認>というのがあります。相手に現れている変化を認め、伝えるというコミュニケーションスキルです。
 ある日、髪をバッサリ切って出社したら、会う人会う人皆から、こぞって「髪を切りましたね」と声をかけられました。これまでは女性からは言われても、男性からはほとんど言われたことがなかったのですが…。〈女性が髪を切る〉→〈失恋〉→〈この話題はセクハラ?〉と考えると、尻込みしていたのでしょうか。難しい話題ですね。「髪を切りましたね」は○ですが、「男に振られたのか」は×でしょう。こういう場合は、どう応えるのがスマートなのでしょう。A.明るく笑いとばす。B.冗談っぽく泣いてみせる。C.ほかの話題に変える。等々、感じのいい受け答えを、ぐるぐると考えました。
 でも、ある男性社員から「なぜ髪を切ったのですか?」と聞かれて、答えに困ってしまいました。バッサリ髪を切るには、やはりそれなりの理由が必要ですかね。

※コーチングとは…相手の自発的な行動を促進させるためのコミュニケーション。


〈vol.27〉
阿呆とは楽しきものぞ阿波おどりわれも阿呆となりて踊れり
 
 ♪踊る阿呆に見る阿呆
    同じ阿呆なら踊らにゃ損々♪
 ということで、阿波おどりを踊りました。といっても、本格的に徳島の演舞場に立ったわけではありません。ある歌会の懇親会で、次の開催地が徳島に決まっていたため、徳島出身の人たちが、会の最後に踊ってくれたのです。
  ♪ちゃんちゃら〜か ちゃんちゃら〜か♪
 あのお馴染の音楽が会場いっぱいに広がります。なにやら楽しそうですね。ふんふん。
 あっ、とその時、背後から私の腕をつかむ者が……。私は踊りの輪の中に引っ張り込まれてしまいました。えーっと。訳もわからないまま、とりあえず右手と右足をトーントーン、左手と左足をトーントーン。右右、左左、右右、左左。
 あ〜こりゃ楽しい。なるほど、やっぱり阿波おどりは、踊らにゃ損々♪


〈vol.26〉
退社後もさらに私を締めつけるストッキングを玄関で脱ぐ
 われながらショッキングなストッキングの歌を詠んでしまいましたが、あのストッキングのサポート力というのは、どこまで強くなるのでしょうか。っていうか、サポート力って一体何なんでしょうか。本来、サポートというのは、支えたり、支援したりすることのはずですが……。
 学生時代、イギリスにホームステイしていたとき、夏でもストッキングをはいている私を見て、ホストファミリーはとても不思議がっていました。パンプスを履く時はストッキング、と思っていたのですが、これは日本(アジア)特有の習慣なのでしょうか。
 とにもかくにも、サラリーマンというのはなにかと締めつけが多いものです。男性はネクタイで首を締めつけられていますが、女性はストッキングで足元から締めつけられているのですね。
 日本のストッキングは丈夫で収縮性も抜群と評判のようですが、もうこれ以上締めつけ力(もといサポート力)は強くならなくてもいいと思うのは私だけでしょうか……。
※今年は、クールビズでノーネクタイ・ノー上着ファッションが浸透しつつありますが、女性のサンダル履きというのも是非推奨してほしいと、密かに願っております。


〈vol.25〉
医務室にいびきをかきて眠る人何に疲れし何に緩みし
 これまで、医務室とは縁遠い生活をしてきましたが、数ヶ月に一回、朝の掃除当番がまわってくるようになり、医務室の実態を知りました。
 その日は、四つのベッドのうち、三つが既にうまっていました。意外と朝から満員なのです。奥の二つのベッドにはA子さんとH子さんが。手前のベッドにはカーテンが引かれており、誰が眠っているのか分かりません。
 「だいじょうぶ?」奥の二人に声をかけると、二人ともどうやらはきけ・頭痛・めまい(いわゆる二日酔い)のようでした。よほど飲みたいことがあったのでしょうか。
 しばらくすると「ぐぉぉ〜」といういびきが……。手前のベッドのほうからです。医務室でいびきをかいて眠るなんで、よほどお疲れだったのでしょう。と同時に、よほどリラックスしていたのだと思います。家ではくつろげないのでしょうか。
 頭痛、腹痛、発熱だけじゃない、それぞれがそれぞれの痛みを抱えて眠っているのだと思いました。
 あ〜私もこの原稿を書き終えたら、泥のように眠りたい。でも、やっぱり医務室のベッドより、お家のベッドがいいな。


〈vol.24〉
わが青春知りたる男
(ひと)に偶然に会いて今夜はまばたきやまず
 先日、従妹(いとこ)の結婚式に行ったら、偶然、高校時代の同級生に会ってびっくりした。
 後ろから「大西さん」と声をかけられ、振り返ると、見覚えのある顔……。でも、すぐには名前が出てこない。披露宴会場に着席し、すぐに席次表をチェック。そうそう、佐藤くんだ!
 佐藤くんは<新郎の友人>というポジションで、この式に出席していた。学校を卒業して新郎の勤める信用金庫に入り、その後転職して、今度は新婦(私の従妹)の勤める会社に入ったという。新郎、新婦ともに知り合いでしかも新婦の従妹である私と同級生だなんて不思議な縁だ。
 佐藤くんといえば、高校時代同じクラスで、確かバレー部だったっけ……。当時の思い出が走馬灯のように駆け巡った。
 披露宴の後、簡単にお互いの近況を話した。私は「ホームページなんかも立ち上げているので見てね」と言っておいた。アドレスをスマートに渡せれば良かったのだけれど、名刺も書く物も何も持っていなかったので、とりあえず「<大西淳子>で検索してみて」と言うと、「もうそろそろ<大西>はやめようや」と言われてしまった。
「……」
※あっ佐藤くん、このホームページまで辿り着いたら連絡くださ〜い。


〈vol.23〉

井の中の蛙なれどもその深さ知りて入社後十年が経つ
 〈井の中の蛙〉といえば、考えや見聞の狭いたとえによく用いられます。蛙に罪はありませんが、私も〈井の中の蛙〉にはずっと悪い印象を持っていました。しかし、先日とあるテレビ番組を見て、この考えは一掃しました。
 そもそも、このことわざは漢詩の一部からとったもので、続きがあったそうなのです。

    井の中の蛙大海を知らず
     されど天の高さを知る


 ああ、そうだったんだ。〈井の中の蛙〉さんって、悪くないかも。今まで偏見の目で見てごめんなさい。ああ、続きがあったんだ。
 振り返れば私も、熱しにくく冷めにくい人間なので、仕事も趣味も(男も?)多くは知りません。けれど、一つの場所で一つの事にずっと集中して取り組むっていうのは、素晴らしいではありませんか。
 新入社員の皆さん、どうぞいい意味で〈井の中の蛙〉になりましょうね。


〈vol.22〉
産めば〈損〉産まねば〈負け〉という思い抱えて今日もデスクに向かう
                         (平成16年度 NHK全国短歌大会 秀作受賞)
 昨年は『負け犬の遠吠え』がベストセラーとなり、ちょっとした社会現象にもなりましたが、一方で〈産み損〉という言葉も話題となりました。
 このテーマについては、今日まで沈黙を守ってきましたが、まさに、世界の中心で蹴られたいほどの典型的な〈負け犬〉である私は、やはりこの『続★OL日誌』にこそ綴らなければならないと思い、筆(キーボード?)を執りました。
 〜どんなに美人で仕事ができても、三十代以上・未婚・子ナシは〈負け犬〉〜と言い切ったところにさまざまな感情が渦巻いているわけですが、子持ち主婦の友人からは、結局〈負け犬〉の方が得だよね、という反応でした。出産によって体型は変わり、子供の世話で自分の時間はなくなり、貯金もできなくなり、さらに夫は女性として見てくれなくなり、子供も幼稚園に上がるころには反抗期を迎えて……。
 産んでも産まなくても悩みはつきない。そんなことをぐるぐる考えながら、今日も私は万の卵を抱えてデスクに向かっているのでした。


〈vol.21〉
練習は本番のように本番は練習のように常にありたし
 私は小6から中学・高校と新体操をしていました。というと優雅で美しいものをイメージされる方もいらっしゃるかもしれませんが実態はそうではありません。
 毎日、先輩の厳しいご指導(いびり)と、先生の熱心な指導に血と汗と涙の日々。ノーミスで出来るまで家に帰れないということもしばしばで、特に中学の頃の私は、全く体力がなく、いつもフラフラになって、できない自分が悔しくて、よく泣きながら踊っていました。
 しかし、この練習のおかげで、全国大会にも出場することができたのですが、なんと本番で場外にボールが転がる大失敗……。私が出場した団体演技では、6人が六つ子のようになららければなりません。場外など言語道断です。
 演技の後、6人で泣き崩れながら、ボールを投げたシマちゃんに「どうして?」と聞くと彼女は「練習の時は、いつも小さかったから」と答えました。今まで練習の時に、小さかったことはありません。しかし、彼女は練習の時、きっと力を抜いていたのでしょう。
 この時以来“練習は本番のように 本番は練習のように”が私の座右の銘となりました。
 金メダルを獲れる人は、常にこうなのだと思います。


〈vol.20〉
「海を見るのは最後です」カーブするバスより思わず振り返り見る
 寺泊(てらどまり)の海はとても穏やかでした。
 震災前、私は同人誌の仲間たちと新潟県寺泊町を訪れました。毎日、瀬戸内海を見て過ごしている私には、日本海といえば、とても激しく荒々しいイメージがありましたが、寺泊の海は拍子抜けするほど穏やかで、とてもきれいでした。
 日の入りには、皆で宿泊先のシーサイドホテルの大きな窓から、佐渡沖に沈んでゆく、べっこう色の夕陽を鑑賞しました。本当にきれいなものを見たときは、言葉を失いますね。
 翌日は、数々の伝説をもつ僧(歌人)であった良寛のゆかりの地をめぐりました。五合庵、乙子(おとこ)神社、良寛資料館などを見てまわり、いよいよ長岡駅へとバスが向かおうとしたとき、案内してくださっていた現地の方が「海を見るのは最後です」とおっしゃいました。
 海は毎日見ているはずなのに、私は急に海が恋しくなりました。
 最後と言われれば、いとおしくなるものです。


〈vol.19〉
「赤がいい」「ベージュの方が合ってるよ」好きと似合うはいつもチグハグ
 新しい口紅を買おうと思って店に行きました。たまには赤系もいいかなと思っていろいろ試してはみたものの、結局ベージュ系が一番しっくりくるということで、これを買うことにしました。
 好きなものと似合うものは必ずしも一致しないものですね。
 同じことがパートナー選びにも言えるといいます。以前、理想の相手とは全く違う人と結婚した先輩がいて驚きましたが、本人いわく「自分から好きになった人とは結局うまくいかず、最終的に選んだ人は、理想の人とはかなりかけ離れているけど、一番落ち着く」のだそうです。その先輩は、ウエディングドレスも、自分がずっと着たいと思っていた淡い色合いのものが、どれもしっくりこず、結局お店の人に見立ててもらったハッキリした色合いのものを着たそうです。
 好きなものが似合えば一番いいのでしょうけど、人生そううまくはいかないようです。


〈vol.18〉
※今月の社内報には、宮廷歌人のように、社長の命により「日本食研の詩」をつくり、掲載しております。
ゴメンナサ〜イ m( _ _ )m


〈vol.17〉
くれないに染まりゆく葉のかたわらの諦めきれぬ返り花 われ
 返り花……その季節でないのに咲く花のこと。狂い花。多くは春咲いた花が再び秋に咲くこと。

 秋に咲く桜を初めて見ました。桜は、春、わずか一週間ほどのはかない命を咲かせ、いさぎよく散るさまが美しいとされていますが、紅葉する木々のかたわらに凛と咲いている返り花もまた美しいと思いました。
 このまま散ってなるものか、ってね。狂い花だと言われても、もうひと花。いさぎよいものだけが美しいわけではない。厳しい環境下でも、四面楚歌でも、踏ん張って、頑張って、一生懸命咲く姿もまた美しい。
 私も、こんな返り花になれたら……。
 秋晴れの空を眺めながら、こんなことを思うオオニシなのでした。


〈vol.16〉
やわらかく甘く冷たい葡萄(ぶどう)の実別れのキスのごとく味わう
 「○○の秋」といえば……というアンケートがあったので、ちょっと気になってのぞいてみました。結果は「食欲」が七割を超えて断然のトップ。次いで、「スポーツ」「読書」となっていました。やっぱり食欲の秋ですよね〜。また、「秋の味覚」といえば……というアンケートでは、一位が「栗」、以下「さんま」「松茸」「柿」「梨」「ぶどう」と続いています。秋はおいしいものが多くて、本当に困ってしまいます。
 さて、私の秋は?そう、もちろん「芸術の秋」です。短歌大会も各地でありますし、ダンスの方でもステージに立つ予定です。お華会もたくさんあるので、行きたいなぁ〜と思っています。
 でも、やっぱり「食欲の秋」に勝るものはないかな。
 さあ、皆さんはどんな秋を味わいますか?


〈vol.15〉
多機能化ますます進む携帯のますます分厚くなる説明書
 説明書は、読む派ですか?読まない派ですか?私は、断然読まない派です(プライベートでは)。えっ、意外ですか?
 そもそも、私はメカオンチで、できるだけ電気機器には触れないようにして生きてきました。パソコンも会社に入ってから、学びました。よって、卒論は手書きです。今思うと信じられないですが……。小さいころから、家にパソコンはありましたが、触ったことはありませんでした。兄から「おまえが触ると壊れる」と言われ、自分でも最もだと思っていました。
 それにしても、最近の携帯電話は、電話というカテゴリーでいいんでしょうか。カメラつきは当り前、カラオケにもなるし、テレビも見れる。本当に必要なんですかね。あの分厚い説明書を見ると、頭が痛くなりそうです。
 そんな私が7月1日から、データ・デザイン課に異動となりました。今は、分厚いマニュアルを一から確認する毎日です。ふぅ〜。


〈vol.14〉
雨あがり煌めく海に虹がたつ近くて遠い憧れの場所
 小さいころ、虹に触りたいと思って、追いかけたことがあります。すぐ近くに見えているのに、走っても走っても虹は同じ距離で離れてゆき、結局触ることはできませんでした。
 今でも、虹を追いかけるようなことがあります。すぐ手の届くところにあると思って、手を伸ばすのに、本当はとても高いところにあって、結局触れることすらできない……。
    〜近くて遠い憧れの場所〜

 スコールの後、私のデスクからは、とてもきれいな虹が海の上に現れるのが見えます。
 雨はあがりました。太陽がキラキラと輝きはじめました。
 さぁ、あなたはどこへ向かいますか?私はまた、あの虹を追いかけて走ってみたいなと思います。


〈vol.13〉
雨は降る関係ないというように今はそうだというように ただ
 私は雨が好きです。(注、決して雨女ではありません。)
 暴風雨はちょっと苦手ですが、しとしとと静かに降り続く雨の音には、むしろ安らぐのです。耳を澄ませば、雨音の中に車がゆっくり通り過ぎる音、子どもが楽しげに歩いていく音、バイクがしぶきを上げながら走り抜ける音などが聞こえ、晴れの日には気付かない、物事の本質が浮かび上がってくるようです。考えごともよくまとまる気がします。
 もし雨が降らなかったら……。想像してみてください。作物が成長するために、人々が潤うために、梅雨にはやはりまとまった雨が降らなければなりません。
 窓の外が雨の日も、心の中が雨の日も、今はそういう必要な時期なんだと思って、逆に楽しんでみてはいかがでしょうか?
 雨上がりにはきっときらめく虹がかかることでしょう。


〈vol.12〉
「温めますか?」マニュアル通り聞く店員 温かいもの置き忘れた店
 コンビニでお弁当を買うと、必ず「温めますか?」と聞かれます。きちんとこちらを見て、笑顔で対応してくれる店員さんもいれば、他の商品にバーコードを通しながら、ぶっきらぼうに言う店員さんもいます。
 某国の美女応援団のような、作られた笑顔を押し付けられるのもどうかと思いますが、温かいものを温かく食べてもらおうという気持ちがあれば、自然と声のトーンや表情に「温かいもの」が表れるのではないかと思います。
 速くて正確なだけでも、安いだけでも、満腹感だけを得られても、われわれ人間は、幸福にはなれないでしょう。
 あなたの周りには、ちゃんと「温かいもの」がありますか?置き忘れのないようにしたいですね。


〈vol.11〉
エイプリルフールにかわいくつく嘘を考えてたのに話も出来ずに
 嘘には、いい嘘と悪い嘘があります。いい嘘とは、相手のためにつく嘘、悪い嘘とは、自分のためにつく嘘です。
 例えば、自分の大切な人が癌になってしまったとして、本人に告知すると生きる希望を失ってしまうような場合、「癌なんかじゃないよ」と励ますのはいい嘘です。しかし、本人が本当のことを知らずに不安になり、自虐的になってしまうような場合、これはいい嘘とはいえません。
 自分が相手のためだと思っていることが、必ずしも相手のためにはならないので、いい嘘をつくのは本当に難しいですね。
 例えば、書類を提出し忘れたのに、「出しました」と言ったり、依頼された仕事が全くできていないのに、「進行中です」などと言ったりするのは、言うまでもなく悪い嘘です。悪い嘘をつくと確実に信用を失います。
 新入社員の皆さん、嘘にはくれぐれも注意しましょう。


〈vol.10〉
新しい門出に贈るスイートピー「激励」「寂しさ」一緒に束ねて
 出会いと別れの季節ですね。私の所属しているマーケティング部でも、毎年多くの人事異動があります。毎年のことなので、もう慣れっこになってしまっている部分もあるのですが、やはり毎日顔を会わせていた人に会えなくなるというのは寂しいものです。
 希望に満ち溢れた再出発でも、あまり本意ではない再出発でも、再出発にはそのこと自体に必ず何らかの意味があります。新しい目標に向かってスムーズに歩きだせるように、涙なんか見せず、笑顔で送り出せたらと思います。
 スイートピーは、花の形が今にも飛び立っていきそうな蝶のようだということから、「門出」という花言葉になったのだそうです。
 今春、新しい門出をする大切な人へ、スイートピーの花束を贈ってみてはどうでしょうか?


〈vol.9〉
君と見る「しまなみ」の碧、空の青、私の蒼は君には見せず
 一口に「あお」と言っても、実にさまざまな色がありますね。

 碧…無色の奥から浮き出すあおみどり色。深いあお色。サファイア色。
 青…けがれなく澄みきった感じのするあお。若々しい。未熟である。
 蒼…生気のないあお。くすんだあお。元気がなく、あおざめた様。色つやが失せた様。
                            「漢字源/広辞苑」参照
 また、「あお」の持つイメージもさまざまで、幸福の象徴を青い鳥と言ったり、憂鬱な月曜日をブルーマンデーと言ったりします。デスクから毎日眺める同じ海でも、時として碧かったり、蒼かったり……。また、私には蒼く見えていても、一緒に見ている人には青く映っていたり……。
 さて、あなたには今どんな「あお」が見えていますか?

〈vol.8〉
松竹梅・千両・葉ぼたん正月のオールスターを花器に集める
 どちらかというと体育会系の私ですが、会社の華道クラブに入部して、はや八年になりました。はじめは花嫁修業の一つにでもなればと思い、ただなんとんなくやっていましたが、今では私の忙しい毎日をリセットする、大切な癒しのひとときになっています。
 花はいいですねぇ〜。落ち着く。花はホントにいいですねぇ〜。花は裏切らない。花に向かっているときは、仕事でミスったこと、不条理な命令に従わなければならないこと、また逆に不条理な命令をくださなければならないこと、心がささくれ立つようなうわさ話を耳にしてしまったこと、長生きはしたくないと思えるほど先行き不透明な連日のニュース、等々も忘れて、とても透明な時間を過ごすことができます。
 会社でつまみ食いをするお菓子を少し我慢してでも、部屋には花を欠かさないように、これからも心掛けたいと思います。


〈vol.7〉
後ろから雑誌をめくり一番に占いを見て幸せを乞う
 今年も残すところあと1ヶ月となりました。私の2003年の運勢は、だいたいどの占いを見ても、仕事運、金運、恋愛運ともに好調だと予想されていました。で、この1年を振り返ってみると……。社外で講演したり、ラジオ番組に出たり、新たにある同人誌の同人となったり、この社内報の連載がスタートしたり、華道クラブの部長に任命されたり、ダンスでベストモード賞を受賞したり等々と、確かに充実したよい一年だったようにも思います。
 でも、だからといって本が大ベストセラーになった訳でもなく、サラリーが急増した訳でもなく、家族が増えた訳でもなく、依然として3万2千円の古いアパートで一人暮らしをしています。これが幸か不幸か?別の選択肢もあったことは事実でしょう。これでいいのか?迷わない日はありません。
 そして今日もまた幸せを乞い、さまようオオニシなのでした……。


〈vol.6〉
小春日に誘われ蝶は舞い踊るあなたが春ならそれでいいです
 秋晴れのイングリッシュガーデンを眺めながら「レストラン食文化」でランチ(350円)を食べていると、蝶が1匹、ひらひらと飛んできました。あっ、あっちにも1匹……。おいおい、今は秋だよ〜っと一瞬思ったけれど、あまりにも優雅に楽しそうに2匹の蝶が舞い踊っている様子を見て、それはそれでいっかという気分になりました。 暖かな小春日和が、この蝶にとっては「春」に感じられたのでしょう。殻を破って、この世に生まれてきたからには、短い命を精いっぱい輝かせて欲しい。たとえ「秋」だと気づいても、本当の「春」までは生きられないだろうしね。
 どんな時代でも、どんな状況でも、自分にとって今「春」だと感じられるように、精いっぱい日々を過ごせたらいいですね。


〈vol.5〉
濃すぎても薄すぎてもダメ梅干しも恋も仕事もいい塩梅
(あんばい)
 「塩」「梅」と書いて「アンバイ」と読みます。一般に、料理の味のぐあい、味加減を言います。転じて、物事のほどあいを「いい塩梅」だとか「塩梅が悪かった」などと言ったりします。♪味の作曲家 日本食研社員としては、常に塩梅を意識して生活しなくちゃならないと思うのです。エッヘン。
 ……とはいえ、いい塩梅というのは、本当に難しいですね。私の場合、物事をやり過ぎる傾向にあるようです。それでいつも、いっぱいいっぱいになって、自分で自分の首を絞めてしまうのです。だったら、やらなきゃいいのにねぇ。分かってはいるのですけど。
 ところで、私はJA周桑(愛媛県東予地方の農協)で売っている梅越しが最近、特に気に入っています。塩加減といい、甘さといい、これが実にいい塩梅なのです。この梅干しのように、何でもいい塩梅にできるといいなぁ〜。


〈vol.4〉
死者憶うごとくに君を偲びゆく初七日、四十九日
(しじゅうく)……忘れられるまで
 死に別れた人も、生き別れた人も、別れた人をしのぶのには、ある周期があると言う。それが、仏教の法事だ。別れの当日はやっぱりつらい≪お葬式≫。いや当日はまだ気が張っていて案外平気でも数日経つと悲しみがこみ上げてきたりする。「はぁ〜、別れて一週間かぁ……」≪初七日≫。そのうち気持ちを切り替えて、あの人がいなくても頑張んなくっちゃ、なんて前向きに思うようになってきたりするのに、一ヶ月目にまた思い出してしまう≪月命日≫。それから数ヶ月は、別れて二ヶ月、三ヶ月……と、こんな思い≪月命日≫を繰り返す。そして、一年≪一周忌≫、二年≪三回忌≫が過ぎ、だんだんと強く思い出すことも少なくなってゆく……。
 確かに、私にも覚えがある。死に別れた人も、生き別れた人も、別れた人への思いが、ちゃんと成仏するまで、これからも静かにしのんでゆこう。


〈vol.3〉
指先が言葉を放つフラダンス「浜辺」「ヤシの木」「あなた」「太陽」
 フラダンスを体験しました。……っと言っても、ハワイに行ってきたわけではありません。いろいろなダンスを通してコミュニケーションの輪を広げようというレクリエーション大会に参加してきました。普段はジャズダンスを習っている私ですが、ダンスによって表現のしかたも様々で楽しかったです。
 中でもフラダンスは、滑らかで優しく繊細で、動きの1つ1つに意味があるのだと教わり、とても感動しました。指先から放たれた言葉達が、さらに物語を作ってゆき、愛を語ったりするのだとか。素敵だと思いませんか?
 私達はコミュニケーション手段として主に言葉を使います。というより、言葉に依存している、と言った方がいいかもしれません。言葉がないと不安になり、言葉を求めたりもします。“伝える”というのは、本当に難しいと思うのですが、言葉に依存することなく、もっとゆったりと滑らかに優しく表現できればいいのになぁと思う今日この頃です。


〈vol.2〉
ひらがなではなしがしたい こどものころゆめみてたこと これからのゆめ
                                       (与謝野晶子短歌文学賞 入選)

 いつの間にか上手に生きていくために身につけたお世辞や社交辞令、建て前、理屈……。本心とは別のことを口走ってしまった後には、こんな言葉の鎧を全部脱ぎ捨てて話がしたいと思います。言葉を覚えたばかりの子供の頃に戻って、夢を語れればいいですね。

〜子供の頃の夢は何でしたか?これからの夢は何ですか?〜

 さて、前号から始まったこの「続★OL日誌」。「なんでいきなり“続”やねん!」「何の続編?」という問い合わせもチラホラ。私の第一歌集『嫉妬の群生』を読んでくださった方なら分かるはずですが、この本は「OL日誌」という章から始まっています。
 あれから2年、また新たな「OL日誌」を社内報にて綴ってまいります。


〈vol.1〉
行き過ぎたり戻り過ぎたり辞書を引く 目的の語に辿り着くまで
 最近は電子辞書なんかも普及して、一発でお目当ての言葉を検索する事が出来るようになりましたが、人生はやっぱりアナログですね。出来るだけ迷わず、無駄な動力を使わず、目的まで辿り着ければ楽でしょう。でも、そんな風にパッと答えが出てくるなんて、人生ではごく稀ですよね。
 一つの言葉を探すのに、「あっ行き過ぎた」と気付いて戻っていったり、そしてまた戻り過ぎて、今度は少し慎重にページをめくっていったり……。そうやって繰り返し、小さな気付きの連続で、だんだんと目的に近づいてゆく。こんな過程も必要なんじゃないかなっなんて最近思えるようになってきました。迷いながらも、探すのを止めさえしなければ、必ず目的まで辿り着けるはず……。
 専務の書類の校正をしながら、こんなことを考えているオオニシなのでした。 (つづく)