「フラット面による順回転のメカニズム」理論
「フラット面による順回転の人的動作」理論 
「発達の意欲値・自分の伸びしろ値」理論
大好きなことみつける・みつける支援をします
大好きなことをもっと支援します
支援とは普通に指導していることを普通にできることです
きみを理解できないで指導はできません
特別から普通は理解できません
特別から普通は生まれません・派生はしません
勝ちたいってなに?何に勝ちたいの?
なぜ親や大人は平均以上を求めるのでしょうか?
発達段階を省く指導は忘却させるのみです
子どもは大人ではありません
子どもは大人のようにできなくて当たり前です
違っていいんだよ・違って当たり前・違うから人間なのです
人間はロボットではありません
勝利にこだわることが指導ではありません
他人と比較することが指導ではありません
その子が昨日より今日今日より明日伸びていることが指導というものです
その子が今日明日意欲的に取り組むことが指導というものです
全てを教えてはいけません
子どもの考える答える権利を奪わないでください
答えは子どもが持っています 全てが正解です
Kitta氏研究 「子どもの発達理論」抜粋
 子どもたちとテニスを通し30数年間共にしてきました。指導していて、子どもたちがテニス以外でもやる気、頑張る気持ち、前向きになる気持ちなどが今日より明日に向かって継続して強くなることに気がつきました。今日より明日に向かって継続して、この子どもたちの内なる向上する気持ちは何だろうか。理解したいという思いが強く湧きました。テニス以外にも、子どもたちの気持ちまで継続して活き活きと輝かせているのはいったい何なんだろうかということです。昨日できなかったことを今日積極的に自分で取り組んで、自分自身で何かできるような気がするという気持ちを持ち続けています。つまり、今できることだけでなく、私という第三者からの支援を受けなくても自分でできるという、シグナルやサインを出しているのです。これにより、この気持ちを持ち続けることから結果的に自分自身でできるようになるのです。そして、自分でできたときの喜び、笑顔そして自信につながる意欲をみたのです。
 つまり、子どもは子どもなりに心身を使ってこそ又は使うように支援することこそが発達であることが実証されました。これは、子どが自分なりの答えを自分でみつけるという、喜びが自信になるという過程を生むものであることがわかりました。
 これは子どもの発達ではないのか、テニスの指導と共に研究が続きました。
 研究の成果を発表します。
 前述の子どもの発達は、「子どもの発達の意欲値つまり自分の伸びしろ値」であると結論付けました。
 「子どもの発達の意欲値つまり自分の伸びしろ値」は、子ども自身が自分で何かできるような気がする気持ちを持ち続けることなど自分で考え行動し、自分自身でできた値の発達であることが、従来からのこどもの発達理論と別の発達理論として位置づけました。つまり、この指導法はテニスの技法のみならず子どもの発達を促すものであることがわかりました。

 Kitta氏発達理論
Kitta
            
 Kitta氏の人間工学理論は、そのプレーヤーの身体運動とこれを動かす心を許容する打法により、プレーヤーがプレーヤーの考えに基づく打法であることつまり自分自身で考えて身体を動かす運動です。つまり、自分の意志で身体を動かすことによってボールが打てるという正にテニスプレーヤー自身が運動をしたいと心から思える打法による人間工学による「発達の意欲値・自分の伸びしろ値」理論は、子どもの脳の発達に繋がるものであることが、John.J Ratey氏の研究によって裏付けされました。
Kitta氏の説くテニス競技とは
 テニスもソフトテニスもスポーツですが、しかし、勝敗を決するものだけではありません。指導者の中には、勝負だけがスポーツだと称し、子どもたちに無理強いします。勝敗の前にまず成すべきことがあることを指導者は理解していなければなりません。それは、その子が、今、最大限のパフォーマンスすることができるものは、何なのかです。何故そうなのかは次のとおりです。それは、競技とは、技を競うものであるということです。その子が、テニスを通して、最大限のパフォーマンスがでるものは何なのかまた実践させることなのです。一人として同じものはありません。子どもであっても人間です。一人として同じ人は存在しません。これは、当たり前のことなのですが、どうやら、テニスやソフトテニスの指導者はそうではないようです。子どもたちに同じように型の打ち方と試合方法を教えています。それも、自分の経験則や集団則でです。これでは、誰のための技を競うものであるのかわかりません。
 テニスやソフトテニスで技を競うとは、ボールを相手のコートにワンバウンドし、ツーバウンドするプレーを競うことです。これが、自分の技ですし、相手方の技です。相手の方の技が秀でているのであれば、その相手を敬い、そうありたいと日々練習するのです。決して、相手を敵だと思ってプレーしてはいけません。お互いに技を競っているからこそ発達するのです。それが人間というものです。