青森ジョイフルチャペル
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一覧
  2011年11月23日 「主が与える働きは」
  2011年10月9,10日 「東北聖会での恵み」
  2008年8月24日 「備えが必要」
  2008年7月13日 「主への叫びは」
  2008年6月22日 「しっかりとした土台で」




主が与える働きは 2011年10月23日

澁谷 友光 師
聖書箇所 : マタイ 20章 1~16
 一般社会の仕事には働きに合わせた報酬が与えられるものです。しかし、神の常識はチョット違います。
ぶどう園の主人は、働いた人全てに同じだけの報酬を与えました。十二時間働いた人も一時間働いた人も同じに支払われました。神の報酬は、この世の報酬の支払われ方と違います。


神様の働きに就けることは、本当に幸いなことです。
①喜んで仕えましょう
 私でいいのかな?私の力で間に合うのかな?と考えてしまいがちですが、私たちの内側から、神様が力を引き出して用いてくださるのです。
私たちは、呼ばれたら「はい」と従いましょう。

②仕事は神様に仕えること
 私たちのいるところはどこでも神様に遣わされているところであります。
喜びと感謝をもってお仕えしましょう。人と比較しないで、神様の恵みによって強められてお仕えするとき、早く救われた人も、のちになってようやく救われた人も同じように用いられるのです。先の者が後になり、後の者が先になることもあるのです。
③イエス様の再臨を考えながら生きよう。
 イエス様はもう一度お出になられます。再臨のイエス様のことを思いながら、生活の全て、人生の全てを考えて生きましょう。



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東北聖会での恵み 2011年10月9,10日

澁谷 友光 師
第58回東北聖会に、青森からも37名の登録者数で共に参加し恵みを受けることができた。今年度は3月11日の東日本大震災により、聖会は中止せざるおえないという声もある中、このような時だからこそ聖会をもち、共に祈り御言葉によって励まされ、立ち上がって行こうという教区長を始め、教区の先生方と思いを一つにし準備を行ってきた。

中国語で"復興"と書いて「リバイバル」と読むと聞き、真の復興は神様の力による聖霊の働きでしかないと思わされた。

シンガポールからドミニク・ヤオ先生に講師としてきてもらい、素晴らしい御言葉の解き明かしのメッセージは、聞く者たちを新しい領域と信仰に導くものであった。ドミニク先生はには、これまでも何度か祈って頂き、祈りの中で導かれた預言の言葉が、様々な形で成就してきた。その事を考えるときに、今回の聖会の中で共に奉仕し祈れたことは、神様からの素晴らしい恵みであるとともに、新たなチャレンジを受け取る時とされ、感謝である。

今回の聖会のオープニングはユース聖会とし、これからの東北の復興と日本のリバイバルを担っていく青年たちに、大きな励ましと導き、そして働きのバトンを渡す時とされた。主に栄光を返し、感謝します。


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備えが必要 2008年8月24日(日)

メッセンジャー : 澁谷 友光 師
聖書箇所 : アモス 4章 12~13節

それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。
わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
見よ。山々を造り、風を造り出し、人にその思いが何であるかを告げ、暁と暗やみを造り、地の高い所を歩まれる方、その名は万軍の神、主。
(新改訳)

このアモスの時代は、イスラエルにとって大変困難な時代であった。
しかし、その大変さを作り出したのは、神様に背いたイスラエルが原因であったのです。
神様は、そのイスラエルに立ち返るように何度も語られるのでした。

それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。
―主の御告げ―
(アモス4章)

イスラエルの民は、見捨てられてもしょうがない状況であったのにもかかわらず、神は、立ち返るように促されていた。

イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。(12節)

「備えよ」「準備しなさい」
私たちの生活の中でも、さまざまな場面で準備は必要であり大切です。何を行うときに、準備がきちんとなされていなければ、うまく事は進みませんし、心の平安も失われることが多いのです。
であるなら、救い主である神様に会う準備は、本当に大切であることがわかります。


神様はこの国を変えようとしてくださっている。今まさに生きて働いておられる。
主の日を前にして、私たちは、備えていく必要があります。
イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。(12節)

備え:「クーン」(ヘブル語の動詞)
3つの意味があります。堅く立つ 心を据える 準備する
堅く立つ
 ・・・・心がしっかりと定まって動かない

わたしたちは、なぜここにいるのでしょうか。神が、ここに置いてくださったからです。
神様がここに置いてくださったことをしっかりと覚え、
リバイバルがおきるこの地にしっかりと立つことが必要です。

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
(Ⅰコリント 15:58)

心を据える
 ・・・・根をおろしたように、しっかりと定着する。

根無し草のようにならない。
根がしっかりと張っていないと、栄養を受けることができず、命を保つことができない。
根をしっかりと張ることによってはじめて、命を得るのです。
動かない信仰をもつ必要があります。

聖書には、「クーン」が幾箇所にも使われている。
1. ヨシュア記 1:10-11
  糧食(食糧)の準備をしなさい。

そこで、ヨシュアは民のつかさたちに命じて言った。 「宿営の中を巡って、民に命じて、『糧食の準備をしなさい。三日のうちに、 あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、主があなたがたに与えて 所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから』 と言いなさい。」

 約束の地を前にし、大戦に備え、兵士たちを支えたのが、糧食であった。 クリスチャンにとっての糧食である命の糧は、神の言葉である御言葉です。 私たち人間は、体力を支えるためには、食べなければなりません。 私たちの肉体は、思った以上に、食べ物で支えられています。
しかし、霊的に生きているクリスチャンにとって糧食とは、御言葉なのです。 御言葉こそが、命の糧です。主に用いられるためには、糧食が必要。どんな問題でも乗り越えていくために、御言葉を食することが必要なのです。 リバイバルのただ中にいたい、見たいと誰でも思うでしょう。 そのためには、御言葉を得ていく者となっていく必要があるのです。

2. ヨシュア記 8:3,4
 用意していなさい。(態勢を整えておきなさい。Be ready to attack)

そこで、ヨシュアは戦う民全部と、アイに上って行く準備をした。
ヨシュアは勇士たち三万人を選び、彼らを夜のうちに派遣した。
そのとき、ヨシュアは彼らに命じて言った。
「聞きなさい。あなたがたは町のうしろから町に向かう伏兵である。
町からあまり遠く離れないで、みな用意をしていなさい。

 伏兵は、イスラエル軍が勝利を得るために、どうしても必要な存在であり、勝利の鍵でした。
信仰生活のなかで、勝利をえるための伏兵とは、祈りです。
祈りは、一番の準備、一番の奉仕、一番の勝利の鍵。
 伏兵が勝利の秘訣であったように、勝利が必要なところに祈りを持ちましょう。
 家庭のなかで、祈りの祭壇を築き、祈りの火を燃やしていきましょう。
祈りがあるから、勝利があるのです。


ジョイフルチャペルの今年の標語は、「祈りによる成熟」です。
ますます、祈りによって神様に整えられていきましょう。


問題があるから祈りが始まります。
祈りがない教会は、命が奪われていることに等しいです。


神様の答えが遅くて、神様は祈りを聞いていない、そう思うときがあるかもしれません。でも主は必ず聞いてくださっています。


祈っていきましょう。



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主への叫びは 2008年7月13日(日)

メッセンジャー : 渋谷 友光 師
聖書 : 詩篇 106篇 40~46節

それゆえ、主の怒りは御民に向かって燃え上がり、ご自分のものである民を忌みきらわれた。それで彼らを国々の手に渡し、彼らを憎む者たちが彼らを支配した。
敵どもは彼らをしいたげ、その力のもとに彼らは征服された。
主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。
主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。また、彼らを、捕らえ移したすべての者たちから、彼らがあわれまれるようにされた。
それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。(44節)



「叫ぶ」と言うと、多くの人は下品なこと、恥ずかしい事と思うかもしれません。しかし、東京工業大学教授、脳科学者、理学博士の茂木健一郎氏のよると、「叫び」は、健康、精神のバランスを保つために、時には大いに必要なことだそうです。
“叫ぶ”ことによって、精神がリフレッシュされ、生きる力を得ると言えるのです。

聖書は私たちに、叫ぶことを勧めているだけでなく、命じているのです。
私たちは、肝心な時に誰に何と叫ぶでしょうか。

聖書の詩篇 106篇 40~46節の箇所から、叫ぶことの恵みを見ていきましょう。

それゆえ、主の怒りは御民に向かって燃え上がり、ご自分のものである民を忌みきらわれた。(40節)


神様は、義の方。唯一、正しい方です。
義なる神様だから、正しくないものに対しては、正しくない、ダメだと言われる。
悪に対していいかげんに、何でもいいよという方ではない。だから、愛するイスラエルの民が偶像礼拝の罪を犯すのを許すことはできず、愛をもって裁かれた。
その結果、イスラエルの民は、一つの神によって一つの国となっていたのにもかかわらず、北イスラエルと、南ユダに分裂してしまう。


それで彼らを国々の手に渡し、彼らを憎む者たちが彼らを支配した。敵どもは彼らをしいたげ、その力のもとに彼らは征服された。主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。(41-43節)

しかし、その中でも神様は、愛の方であるから放ってはおかれない。それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。(44節)



「叫び」は、ヘブル語で2種類の言葉で表わされています。
1、ツアク : 悲鳴、嘆き、音声的な叫び
2、リナー  : 歌声、喜ばしい勝利の声、歌、喜びの声、勝利の声、鳴り響く叫び

そして、この聖書箇所での「叫び」は、リナーが使われています。


神様は、数にこだわらない。賛美に耳を傾けられる。
主への信頼に基づいた叫びに、主はこたえられる。
神様の方から、契約、約束を思いおこしてくださる。
叫びは、主との関係、主への信頼に基づく。
わたしたちは、このイスラエルの民と同様に、
すぐに神様からの恵みを忘れてしまう。約束を忘れてしまう。
でも、神様は忘れず、神様の方から思い起こさせてくださる。
サタンは、恵みの数々を私たちの記憶から消し去ろうとする。


しかし、主への信頼に基づいた叫びに、主は耳を傾けてくださる。
リナーの意味にあるように、賛美自体が叫びなのです。
神様との関係が健全なら叫べる。賛美できる。


家族の中でも同じことを見ることができます。
子どもは、助けて欲しい時に、父、母との関係が健全でないのに、お父さん、お母さん助けてと呼べるでしょうか。助けてくれるという信頼がなければ、助けてと叫ぶことはできないでしょう。


同じように神様に信頼していないと、叫べない。
主への叫びは、神様への信頼に基づく。御言葉に基づく。主の御言葉をもって信頼していく。 御言葉を握っていく。そうすれば、神様への絶対の信頼をもっていくことが出来る。
御言葉は、真実であるから。
御言葉は、ひとつひとつに血潮が流されているから。
御言葉は、ひとつひとつに命があるから。


それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。(44節)


イスラエルの民が叫んだように、私たちも叫ぶなら、主は助けてくださる。

暗闇の中からでも、神様に信頼する民が、天を仰いで感謝と賛美の声をあげるなら、神様は聴き、応えてくださる。

どんな状況であっても、どんな苦しい境遇にあっても、主の真実は変わりません。



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しっかりとした土台で 2008年6月22日(日)

メッセンジャー : 渋谷 友光 師
『ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。・・・』   コロサイ人への手紙 1章 23節


イエス様が終末について予言したように、地震が各地で起こっています。中国の四川で起きた地震では、手抜き工事で建てられた小学校の中で、多くの幼い命がその犠牲となってしまいました。
外壁の色や、窓のドア、目に見えるところが注目されますが、建物にとって大切なのは土台です。
信仰も同じで、土台が大切です。時に信仰の土台を点検する必要があります。


他の宗教を信じるのと同じように、ご利益や自己実現のための信仰であるなら、信仰の世界での地震に見舞われるとき、その信仰で耐えられるでしょうか?


この世の価値観による信仰ではなく、主の十字架による恵みを感謝し、神様が真の神様であるが故の信仰を固くもって行きましょう。

素敵に咲いている花も、その根っこがしっかりと地に張っていることで、素晴らしい花を咲かせることが出来るのです。
見えない部分、見過ごされるようなところこそ大切なのです。


私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。コリント人への手紙Ⅱ 4章 18節


そして聖書は、次のように教えています。
こういうわけで、いつまでも続くものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙Ⅰ 13章 13節


「信仰」・・・・
私たちのような罪人が、神様に喜んでいただける唯一のものが「信仰」です。
なぜ信じたのでしょうか。
いいことをしてくれたから?愛してくれたから?それもあるでしょう。
しかし、「神が神である故に信じる」これで充分であり、それが全てです。何かをしてくださったからとか、何かをしてくださるならと信じるなら、ご利益信仰であり、本当の信仰とは言えません。
自己実現のために信じるのではなく、シンプルで力強い信仰を持とうではありませんか。


「希望」・・・・
神様は私たちに、将来と希望をくださっています。生きる意義であり目的です。
瞬きの詩人と言われたクリスチャン、水野源三さんは、目に見える自分の姿には、なんの希望もなかったことでしょう。しかし、彼はこんな者にも神はプランをもっておられると、たくさんの詩を作られました。


<神様>
「33年前に、脳性麻痺になった私は、神様をうらみました。
 それが、キリストの愛にふれるためだと知り、感謝とよろこびに変わりました!」           (水野源三「こんな美しい朝に」より)



わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。エレミヤ書 11章13節



人間的に考えれば、水野さんのことを、クリスチャンになったのになぜ癒されないのかと思うかもしれません。でも、その見えることは一時的であり、すべては全知である神様の御手の中にあるのです。絶対的な「希望」があるということこそ、生きる力と喜びとなるのです。

「愛」・・・・
ここで言う神様からいただいた「愛」とは、人間の持っているものではなく、無条件で変わらない、豊かに注がれる神のアガペーの愛を言っているのです。
この「愛」は、求めれば与えられ、豊かに溢れ流すことができます。神様の愛は、いくら流し与えたとしても無くなりません。神様が与えた以上に、注ぎ満たしてくださるのです。そして、その信仰を希望と愛の方こそ、イエス・キリストです。
主イエスさまから離れることなく、結び合わされ、素晴らしい主の栄光を現していきましょう。


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