黄金の大地 ミャンマー連邦共和国
ミャンマーは人口約6,200万人(2019年IMF推計約5,300人)。 135の民族から構成される農業立国・多民族連邦 国家である。
タイ、ラオス、中国、インド、バングラデシュの5ヶ国と国境を分かち、 西側の大半をベンガル湾に面する国土は、インドシナ半島最大で、日本の国土の約1.8倍である。(平野部の比較では日本の6倍ほどにもなる。)
気候は、雨季(6 月~10月)・冬季(11月~2月)・夏季(3月~5月)の3シーズンに分かれるが、日本 に比べ気温差は少なく、北部山岳地帯を除き、25°C~35°Cの常夏の国である。
ビルマ最初の統一国家
今から1,000年の昔、日本では仏教文化を独自の国風文化に昇華した平安中期の頃、ミャンマーではビルマ族による国家統合が進み、仏教文化・バガン王朝の出現をみる。
その興隆の姿は、今日に残る仏塔(パゴダ)・バガン遺跡群であり(世界3大仏教遺跡)、 今日のミャンマー連邦共和国の源流となっている。
自給自足のできる、天然資源豊富な国
ベンガル湾の海の幸・チベットに連なる山の幸に恵まれた豊かな自然、その大地 に眠るルビー、ヒスイ、ダイアモンド等の宝石、そして金・銀・銅・石炭・天然ガスを 始めとする多種豊富な地下資源。
ミャンマーは、最大都市ヤンゴンに偉容を示す 金色塔シュエダゴンパゴダに象徴される“GOLDEN LAND”の名を冠するにふさわしい国である。
が、また一方で、各民族の多様な歴史的文化模様が、その独自 性を印象づけるとともに、ミャンマー人の質素な食生活、家族主義的お国柄は、一昔前の慈愛に満ちた、日本の家庭を想い起させるかも知れない。
“国は人なり。ミャンマー人気質を知らないと、ミャンマーの国は語れない。”
ミャンマー人は友情を非常に大切にする。客が遠方から来れば、家を飾り、おいしいご馳走を作り、一番良い場所に宿泊させ、別れの土産を持たせる。ミャンマー人は常に訪れる人に親切である。
ミャンマーには奇妙な言葉“アー・ナー・デ”というのがある。 “アー・ナー・デ”とは、他人の悪事をさらけ出すことを嫌がったり、誰かのリクエストによって頼まれたときはいつでも喜んで物を与えたり、他人に逆らうことを嫌がるという意味である。 この言葉は英語の辞書にも日本の辞書にもない。 ミャンマー人はユーモアのセンスに富み、恨みを忘れ、楽しく生活し、喜んで信仰の為に寄付をすることのできる人々である。 来世を信じる多くのミャンマー人の典型的な特徴である。
ミャンマー共和制政権の発足
民族団結の下にミャンマー国は、100 年に及ぶイギリス植民地支配から、1948 年 1 月に独立。その後の政治混迷の中で、1962年3月、ネ・ウィン将軍が政権掌握。 以降軍部が強力な指導体制を整え国政を担っていたが、2011年3月に総選挙による共和制樹立がなされた。 選挙の実施による民主化の流れに沿って、現在では大統領制による諸政策が次々と実施されている。ビルマ式民主主義の実現に向け、経済の自由化が進展しつつあり、治安は他のアジア諸国より優れている。夜の一人歩きも日本と同じで安全である。 現在のミャンマーは、産業の規模も小さく工場の数も種類も少ない。このミャンマーの産業・マーケティングが今後いかに変容していくかは、この国に関係する外国の技術力・資本投下による。 中国・インド・韓国・シンガポール・タイ・台湾・欧米諸国、 そして日本が今後どのようにミャンマー政府と強くシェイクハンドするかで大きく変わる。 第 2 次大戦後、植民地支配からの開放は、日本軍の進出、そして敗戦の結果である(日本支配は 3 年間)。 日本と深く関わりをもつアウン・サン将軍(来日軍事訓練)は、ミャンマー国独立の父であり、現政権の官僚メンバーはその影響下の人達である。 新体制のミャンマー政府が信頼を寄せる日本へ、港湾・道路・通信等の援助に今後多大な期待を寄せるのは 至極当然のことと考えられる。
日本にとって親日国ミャンマーが交易その他で密着してない過去の原因は2つある。1つはノーベル平和賞受賞者アウン・サン・スー・チー女史(アウン・サン将軍の娘、イギリス人と結婚、NLD 党首)のこれまでの民主化行動であり、 他の1つはミャンマー人気質に対する日本国の戦後の対応である。 前者はミャンマー国の政治問題であり、ミャンマー民主主義の定義の問題である。伝統的道徳観及び歴史的背景から構築されるミャンマー民主主義の発想・定義は、西欧・日本とは異なり、 また、イスラム諸国とも異なったものであるに違いない。 相互理解を進めるには、文化の交流・経済の交流・人々の交流が深まり、時間の経過が必要とされる。 そして民主化への第一歩である総選挙による国会議員の選出、大統領の選出が実施され、 新たな諸政策が打ち出され、また、2016 年 3 月には、アウンサンスーチー女史が政治の実権を掌握した今、日本からの経済面・法整備を含めた今後の積極的な国交正常化が期待される。
後者は日本政府の対応に関係する。ミャンマー人は遠慮深く、そしてプライドが高い。戦後処理の問題でも声高なアジア諸国に対しては、日本政府は急ぎ対応した。 しかし、利害関係の少ないミャンマー国に対しては施策は稀有であった。 けれどもミャンマー政府、国民は人権侵害・賠償問題で繰り返し日本非難をしたりしない。 マスコミに訴えたりもしない。 それ故日本国民もミャンマーに対して関心がうすく、これまで「ビルマの竪琴」、「お坊さんの国」、 「アウン・サン・スー・チー女史」ぐらいしか脳裏に浮かばないのが普通であった。 しかし今、民主化路線を進めるミャンマーは日本企業の進出国として、貴重な国となろうとしている。 日本企業がこの国の資源、勤勉な国民性を知るに従って進出意識は高まり、既に日本の援助による港湾等のインフラ整備・工業団地造成後のヤンゴン空港リニューアル整備が完成した。 又、日本に対する「ティラワ経済特区」の造成が進み、ミャンマー政府は諸般の法整備を急ぐ状況下にある。
ミャンマー連邦共和国との絆を深める好機
隣国である中国・インドの経済発展に伴う資金援助を国策として受け入れる一方で、ミャンマー政府にとっては、欧米の参画と共に、日本の企業進出・資本投下による、多数の企業人材の育成が急務と考えている。 ミャンマー側の期待に今後日本が正しく対応するには、日本の国民・企業・政府の寛容さ、包容力が要求される。 独自の選挙制度による民主化のスタート台に立った国に対する配慮は、当然であるかもしれない。 どの種の国際交流も、その始まりは心配と悩みが山積する。交流を太くするか、細くするか考えるのは、日本の国益からくる。 現在の日本の状況、日本企業の置かれた立場を、特に近隣の親日国に対していかに調 和・協調せねばならないか、適切な施策が早期に望まれる。