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埼玉県本庄市 塙保己一

塙保己一とは

塙保己一は、江戸時代の中頃の延享3年(1746年)に本庄市児玉町保木野(旧 武蔵国児玉郡保木野村)に生まれました。

7歳の時に病気のために失明。
その後15歳になって江戸に行き、当道座という盲人(目の見えない人)組織に入り、検校雨富須賀一に弟子入りします。

そして保己一は当道座での修業を積み、晩年には当道座の最高位である総検校に昇進しました。

保己一は「群書類従」や「続群書類従」の編さん、さらには和学講談所の設立及び運営、当道座の改革など多大な功績を残しています。

中でも群書類従の編さんは41年を費やした大事業であり、正編666冊、続編1185冊は、現在、日本の文学・歴史等を研究する上で欠くことのできない重要な資料となっています。塙保己一は日本の歴史に名を残す、著名な国学者です。


また、三重苦で知られるヘレン・ケラー(Helen Adams Keller)は昭和12年(1973年)来日の際、塙保己一を顕彰する社団法人温故学会を訪れ、「私は幼いころから塙先生をお手本にしなさいと母に励まされて育ちました」と挨拶したといいます。塙保己一の功績はその姿勢からも、多大な影響を後世に残したといえるでしょう。


塙保己一旧宅

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