Djokoと斎藤さん

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インドネシアの親友、YB0CRT Djoko(ジョコ)。彼とはジャカルタ赴任前にCCAのメーリングリストで知り合い、赴任後は私のジャカルタでのハムライフの種々の場面で支援をしてくれました。JA8VE斎藤さんは、初めてジャカルタでDjokoと会ったときに同席されたOMさんで、それ以降、無線関係のイベントでご一緒する機会が多くありました。当時、日本とインドネシアとの相互運用協定の樹立を推進されており、私も支援を約した「同志」でしたが、残念ながら在任中はその志を成就する事が出来ませんでした。

左の写真は、TamrinにあるPlaza Indonesiaの中のTaichanラーメンで、初めてDjokoと斎藤さんにお会いして時のものです。(後列右端:斎藤さん、前列左からGjellani(Taichanラーメンのオーナー)、2番目:Djoko、3番目:私)

 
この写真は、ORARI(インドネシ・アアマチュア無線連盟)主催の、市中FOXハンティング時のものです。ビーム・アンテナ前にを付けた車で街中を走り回り、FOXを探すのですが、山野で行うFOXハンティングとは趣が異なる、ダイナミックな感じがしました。この後に、歌謡ショーがあり、そこでインドネシア特有のダンス音楽のイベントがあり、歌えや踊れやの大騒ぎでした。

この様子は、斎藤さんがW1VX(三宅さん)のホームページでも紹介していますので、そこを参照してください。(以下、斎藤さんのページと言います)

 
これは、02年のIARUコンテストの時に、ORARIジャカルタ支部のクラブ局であるYB0ZBCのベストオペレータとしての運用許可を貰い、運用している時の写真です。この時はCTを使いロギングをしましてが、私はオペレーティングとCTの操作を同時にするという芸当は出来なかったので、CTでのロギング操作を助けてもらいながら、オペレーティングをしました。(後列左端が斎藤さん、前列左から2番目が私)

高校の施設をお借りして作った仮設のシャックで運用をしましたが、アヒルは来るは、鶏は鳴くはで、非常にのどかな所でした。因みに、場所は「ジャカルタ市内」です。

この様子は、斎藤さんのページにも掲載されています。

 
社宅のあるDuren Tigaの近くのホテル(Hotel Kaisar)にローカルが集まり、昼食をした時の写真です。

やはり、話題はDXだの、ペディションだの、無線機だのと、どこぞも同じです。

左から、30S1を売ってくれたTaufan(YB0AI)、Djoko、私、ジャカルタきってのDXer Pri(YB0ECT)、DjokoのローカルのOM。

家に到着直後の30S-1

 
市の中心街にあるSemanggi Center Business Districtというコンパウンドにある、Dapur SundaというSunda料理のレストランで、ローカルが私と斎藤さんの送別会をやってくれた時の写真です。

前列右端が斎藤さん、中列右から2番目がDjoko、中列右から4番目が私、中列左から2番目が斎藤さんの後任として赴任をして来られたJA6EYD横野さん、最後列中央がWisnu(YB0AZ)。

 

送別会の後に、Djokoがわざわざ自宅まで持ってきてくれた、ORARIの仲間の名前入りの記念盾です。ジャカルタの人達は非常におおらかで、ゆったりとした雰囲気の方が多いと感じました。本帰国後も、出張の度にDjokoとはアイボールをし、色々なイベントに参加をしています。写真が無いのが残念ですが、国家試験の会場とか、ジャカルタの秋葉原であるGlodok Plazaとか、ローカルのお宅とか・・・。

また、機会が有れば、写真を撮って掲載をしようと思います。