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【作曲の経緯】 作曲家アルベール・ルーセルに師事するため1923年にフランスに渡って以来、滞在していたパリの国際的で、洗練された都会的雰囲気の中に身をおいていたマルティヌーは、休暇のたびに故郷ボヘミアに帰省するうちに、次第に自らの民族的アイデンティティを自覚するようになる。1930年代にはそれまでの印象主義的作風、ジャズの影響を受けたモダンな作風を離れ、積極的にチェコ民俗音楽をベースにした作品を次々と生み出すようになった。この30年代の主な作品にはピアノ曲集「ボロヴァー」(1930年)、バレエカンタータ「シュパリーチェク」(1932年)、オペラ「聖母マリアの奇蹟」(1934年)、ラジオ・オペラ「森の声」(1935年)などがある。 ここで取り上げるカンタータ「花束」は、マルティヌーの この“チェコ民俗主義時代”のピークを形成する傑作のひとつである。 1937年春、ボヘミアに帰省したマルティヌーは故郷ポリチュカPoličkaや、ポリチュカの南西約20キロに位置する、ヴィソチナVysočina地方の美しい高原の村トゥシ・ストゥドゥニェTři Studnĕ などに滞在した。その間に愛弟子のヴィーチェスラヴァ・カプラーロヴァーとも再会し、存分に故郷を満喫した。この滞在でマルティヌーは改めて故郷ヴィソチナ地方の民俗文化(※1)に触れ、創作意欲を刺激されたと考えられる。 ちょうどその頃、チェコ・プラハ放送はマルティヌーに放送用の作品の作曲を依頼していた。すでにマルティヌーは1935年に2つのラジオ・オペラをその放送局のために作曲していた。すなわち、V.ネズヴァルのテクストに作曲した「森の声」と、V.K.クリツペラによる物語を基にした「橋の上のコメディー」である。当時このチェコ・プラハ放送は放送用の専属オーケストラと合唱団を持っていた。プラハ放送管弦楽団は1925年に設立され、1929年常任指揮者にオタカル・イェレミアーシュが着任して以来飛躍的発展を遂げていた。合唱団は2つあり、名合唱指導者だったヤン・キューンによって1930年に設立されたチェコ・シンガーズ・コーラスと、その翌年結成されたキューン児童合唱団とがそれぞれ名声を得つつあった。 かねてよりマルティヌーはK.J.エルベン(1811~70)やF.スシル(1804~68)が採集編纂したボヘミア、モラヴィアの民謡集に創作上のインスピレーションを強く感じていたので、優れたオーケストラと児童を含めた合唱団を持つ放送局からの作曲依頼をきっかけに、管弦楽と歌唱の融合した芸術として、エルベン、スシルの民謡集をベースにしたカンタータを作ろうと決意したのである。 「花束」の完成は1937年で、パリで親交のあった友人で画家のヤン・ズルザヴィ(※2)に献呈された。マルティヌー研究家ヤロスラフ・ミフレ氏は著書の中で、「チェコ・バレエ史上における『シュパリーチェク』同様、『花束』は民俗詩を題材にしたチェコ・カンタータの伝統における洗練された作品のひとつであり、ボヘミアやモラヴィアのフォークロアを復元してみせた最も魅力ある作品である。」と記している。 |
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【初演】 カンタータ「花束」は1938年、イェレミアーシュ指揮プラハ放送管弦楽団により初演された。その模様はチェコ・プラハ放送からラジオ放送され、マルティヌーもこの初演の模様をラジオで直接聴いていたらしい。もっとも受信状況が悪く、かなり聴き取りづらかったようである。 第2次大戦後の1959年5月、マルティヌーのもとに祖国から「花束」のレコードが送られてきて、亡くなる数ヶ月前にしてやっといい音でこの曲を聴くことができた。 【構成】 正式なタイトルにあるように、この作品は混声合唱、児童合唱、ソプラノ、アルト、テノール、バリトン各独唱と小規模の管弦楽によって構成されている。器楽構成はバロックスタイルの弦部を含めた管弦楽とハルモニウム(リードオルガン)、ピアノによって構成されている。 曲は全部で8曲、2部構成で第1曲から第6曲までを第1部、第7曲、第8曲を第2部としている。 第1曲「序曲」、第3曲「牧歌」、第5曲「イントラーダ」の純器楽曲以外をみると第2、第4、第6、第8の偶数番の曲は全てスシルのモラヴィア民謡をベースとしている。(第7曲はエルベンの民謡集もしくはスシルの民謡集を採用している。) 従って全体の印象としてはモラヴィア民俗色の濃い作品に仕上がっているが、第3曲「牧歌」のパストラールや第5番「イントラーダ」のポルカ風、第7曲「キャロル」の舞踏的リズムなど、ところどころボヘミア民俗音楽の要素が混ぜられている。 研究家のJ.ハヴリークも8曲を大きく4つのパートに分けることができると説明しているが、奇数番の器楽音楽もしくは舞踊音楽(チェコ音楽※3、もしくはボヘミア音楽風)の曲+歌謡(モラヴィア音楽風)でペアを組んだ4つのセットで構成されたまさにチェコ民俗音楽の「花束」であるといえよう。 ※2. ここでいう「チェコ音楽」はボヘミアとモラヴィアをあわせた広義のチェコ民族音楽を指しています。マルティヌーの故郷はちょうどボヘミアとモラヴィアの境に位置していて、その音楽には双方の影響が見られます。 |
* * * 第1部 * * * 第1曲「序曲」Předehra(アレグロ)) 演奏時間にしておよそ2分程度の簡潔にして活発な軍楽調の曲。後の「戦場ミサ」を予見させるものがある。管弦楽全奏による勇ましいパッセージの後、いくらか劇的で幻想的な部分があらわれるが、すぐに冒頭の軍隊的主題が再現され、その活気はそのまま第2曲に引き継がれる。 第2曲「彼の妹は毒殺者」Sestra travička(アレグロ) なんとも物騒でサスペンス感漂うタイトルである。原本はスシルのモラヴィア民謡。朝食に「毒ヘビ」の毒を混ぜ、兄に食べさせる妹の話。ピアノと管弦楽が妹の心の闇、不安を奏でるが、合唱は妹を毒殺へと誘い、淡々と物語の進行もこなすのが不気味さをいっそう引き立たせている。特に兄が朝食を取るシーンの歌の掛け合いは異常な緊迫感があり、並みのサスペンスホラーでは味わえない恐ろしさがある。 第3曲「牧歌」Selanka(アンダンテ・ポーコ・モデラート) 曲のスタイルは18世紀以来のチェコ伝統のカントル(村の音楽教師)が創作したパストラール(羊飼いの音楽を模したクリスマスの田園音楽)に近い。表現語法や雰囲気は1943年に作曲された交響曲第2番のドヴォルジャーク風アンダンテ・モデラート楽章、あるいはマルティヌーの作曲の師ヨゼフ・スークのセレナーデ変ホ長調に近親性を感じる。第2曲までの物々しい緊迫した雰囲気を一気に払拭する素朴で美しい曲である。 第4曲「牛飼いの少女」Kravarky-Voláni pasáček(アレグロ・モデラート) スシルのモラヴィア民謡から。田園的、ヨーデル調ののびやかな曲である。ソプラノ、アルトの独唱が「少女の呼びかけ」、合唱が「やまびこ」で、管弦楽が広大で深い自然へと誘う中、牛飼いの少女がやまびこで遊んでいる情景が見事に表現されている。なだらかな丘陵が見渡す限りに続くヴィソチナ地方の高原の雰囲気が色濃く出ている曲である。ここでの声楽の扱いには、ヤナーチェクの影響がわずかに感じ取れる。 第5曲「イントラーダ」Intrada(モルト・モデラート) 主に管楽器とドラムによるポルカ調の管弦楽曲で、典型的なファンファーレ主題を伴う。 第6曲「彼の優しい恋人」Milá nad rodinu(モデラート-ポーコ・アレグロ) スシルのモラヴィア民謡から。合唱がナレーションの役目を果たしていて、自由を手に入れるために必要な金品を得ようと親や恋人に嘆願する囚人の苦境を語る。合唱の合間に「囚人」のモノローグを男声独唱が渋く朗唱する。嘆願に対して囚人の父母は冷淡だったが、唯一彼の恋人だけが手を差し伸べて救ってくれる話。ラジオ・ドラマ的手法で、その光景がありありと脳裏に浮かぶ。
第7曲「コレダ(キャロル)」Koleda(モデラート-ポーコ・ヴィーヴォ-ポーコ・アレグロ) コレダとはチェコ語でクリスマス・キャロルのこと。エルベンのボヘミア民謡もしくはスシルのモラヴィア民謡から。快活であると同時に敬虔なクリスマス・キャロルで、アダムとイヴの物語を児童合唱が歌う。晩年のカンタータ「泉開き」に通じる合唱の透明感ある響きである。リズミカルでいくらか舞踏的な印象がある曲で、「花束」をボヘミアとモラヴィアのそれぞれ音楽的特徴を持つ2つの曲の4セットとして考えるならばボヘミアの舞踏音楽的な系譜の上にあると考えられる。 第8曲「男と死」Človĕk a smrt(アダージョ-アンダンテ・ポーコ・モデラート-レント-ポーコ・アレグロ-アンダンテ) スシルのモラヴィア民謡から。冒頭からドラムと管弦楽のモノトーンな葬送行進曲が重々しく演奏される。(この重苦しさは1930年代後半、戦争前夜のヨーロッパの雰囲気を捉えたものである、と解説するものもある。) |
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参考資料: Jaroslav Mihule:Martinů, osud skuladatele Zdenĕk Zouhal:sborové dílo Bohuslava Martinů スプラフォンのカレル・アンチェルゴールド・エディションのCD SU3672-2 901:ライナーノートより(ヤロミール・ハヴリーク) ハルモニア・ムンディ:ライナーノートより(ピエール・E・バルビエール) |