チェコ共和国の作曲家、指揮者
1915年 1月24日 ブルノ生まれ
1940年 6月16日 モンペイエル(フランス)没

 作曲家でブルノ・コンセルヴァトアールの教授であったVaclav Kapralのひとり娘。
ヴィーチェスラヴァは9才から作曲の才を見せ始め、14才でブルノ・コンセルヴァトアール
に入学し、Vilem Petrzelkaのもとで作曲を、Zdenek Chalabalaのもとで指揮を学ぶ。
その後プラハ・コンセルヴァトアールに入学し、作曲、指揮をそれぞれVitezslav Novak、
Vaclav Talich からを学ぶ。
 1937年にフランス政府から奨学金を得、パリのエコール・ノルマルの音楽院で Charles
MunchとNadia Boulangerの生徒となる。 マルチヌーの作曲のクラス授業も受けていて、
彼のハープシコード・コンチェルト初演を指揮(1938)。
秀逸な作品を発表し、1937年に自ら指揮、チェコ・フィルにより初演されたMilitary
Sinfoniettaは1938年ロンドンのISCMフェスティヴァルでのオープニングに選ばれた。
 
 1940年4月、詩人であり作家のJiri Mucha( Alphonse Muchaの息子)と結婚。ナチの
占領下にあったパリをのがれ疎開したモンペリエルで、結核のために25年の生涯を閉じた。