オペラ「ルサルカ」作品114 B.203

1)作曲経過と上演

 クヴァピルJaroslav Kvapil(1868~1950)は台本を作る上で、フーケ(1777~1843)の「ウンディーヌ」、アンデルセン(1805~75)の「海の小妖精」、ハウプトマン(1864~1946)の「沈鐘」、スタインバークの「物言わぬ森の乙女」、フランスのメリジューヌ伝説などを参考にした。

 クヴァピルは国民新聞Národnílisty, 世界画報Světozor, 世界図書館誌Světová knihovnaなどの編集長をつとめ、19世紀最後の10年間には多くの詩集や劇作を発表していた。また国民劇場演劇主任としても活動し、1912~18年間が絶頂期にあった。1921~28年の間にはヴィノフラディ劇場の演劇主任としてイプセン、チェホフ、ゴーリキイらの作品を舞台にかけた。一方フェルステル、V・ノヴァーク、J・インジヒ、クシチカらの作曲家に多くの台本を提供した。

 彼は「ルサルカ」第1幕の台本をネドバル、フェルステル、コヴァジョヴィツ、スークらの作曲家に見せたが、誰も関心を示さなかった。1899年のクリスマスにクヴァピルは新聞で、国民劇場がドヴォジャークのためのオペラ台本を探しているのを知り、劇場総裁シュベルトを訪ね、彼の仲介でドヴォジャークはその日のうちに、台本を家へ持ち帰った。ドヴォジャークは『悪魔とカーチャ』を仕上げた後、ピピヒKarel Pippich(1849~1921)の『ヴラスタの死』の作曲にとりかかったが、途中で断念し(これは後にオストルチルにより作曲され、1904年に初演される)、適当な台本を探していたのだ。そして台本の修正を求め、朝早くからしばしばクヴァピルを叩き起こし、敬虔な信者らしく、神を冒涜するような台本部分を削除するよう要求したという。

 作曲は1900年4月21日プラハでスケッチに入り、6月28日から11月17日までの間、主にヴィソカーの別荘でスコアを完成した。これに先立つ1896年にエルベン(1811~70)のおとぎ話による交響詩4部作、1899年に民話に基づくオペラ『悪魔とカーチャ』を仕上げていただけに、このオペラにもその精神が受け継がれている。

 初演は1901年3月31日プラハ国民劇場で、コヴァジョヴィツ指揮、マトゥロヴァーRůžena Maturová(1869~1938)を主役に、王子=ブリアンKarel Burian(1870~1924)、ヴォドニーク=クリメントVáclav Kliment (1863~1918), イェジババ=ブラダーチョヴァーRůžena Bradáčová(1868~1921)、異国の王女=クバートヴァーMarie Kubátová(1873~1913)らにより行われた。翌1902年に予定されていたマーラー指揮するウィーン公演は、諸般の事情で実現せず、国外ではじめて上演されたのは1908年のルブリャナとザグレブでだった。ウィーン公演は1910年秋、ブルノ・オペラ団により行われ、その後ブラチスラヴァ・オペラ団が、1924年2月と3月にバルセローナとマドリッドで、1924年5月にはオロモウツ・オペラ団がウィーン公演で好評を博した。その後1935年3月のスツットガルト、1959年2月のサドラー・ウェルズ、1983年3月のイギリス国立オペラでの上演と続いた。

 本邦では長門美保歌劇団が、1959年11月、虎ノ門ホールで初演し、1977年11月文化会館で再演、1999年10月にプラハ国民劇場オペラ団が来日初公演した。

 なお「ルサルカ」や「ウンディーネ」と銘 打つオペラを、S・I・ダヴィドフ(1807年)、E・T・A・ホフマン(1816 年)、ロルツィング(1845年)、N・A・ルヴォフ(1848 年)、ダルゴムイシスキー(1856 年作)、チャイコフスキー(1869年作、破棄 )、プロコフィエフ(1907年作、未完 )らも作っている。バレエにはヘンツェの作品(1957年)があり、ピアノ曲ではラヴェルの「夜のガスパール」(1908年)第1曲が名高い。



2.あらすじ

登場人物:
ルサルカ  (S)
王子  (T)
ヴォドニーク (B)“湖の主”
イェジババ (Ms)
異国の王女 (S)
森番 (Br)
コック見習 (S)
森の精3人 (S,S,Ms)
狩人(Br)   第1幕終り近くで、
15小節+9小節を歌うだけ。

第1幕:
湖畔の空地。森の妖精たちがヴォドニーク(湖の主)をからかって立ち去る。柳の古木から降りたルサルカは、人間の姿になって恋しい王子に抱かれたいとヴォドニークに訴え、有名な「月に寄せるアリア」を歌う。仕方なくヴォドニークは魔法使のイェジババに助けを求めさせる。ルカルカは魔法の力で人間の姿になったが、口がきけない。湖畔に現れルサルカに魅せられた王子は彼女を城に連れ帰る。

第2幕:
王子の城の庭。森番とコック見習が王子の噂をしている。王子とルサルカの結婚式に大勢の客が集まってくる。ポロネーズの音楽に乗り、華やかな舞踏会が催されるが、王子は物言えぬルサルカに愛想をつかし、異国の王女と親しげに話す。庭の池から浮かび出たヴォドニークの嘆きと、結婚を祝う乙女らの合唱とが交錯し、絶望したルサルカは、呪いの言葉をかけるヴォドニークと共に湖へ帰る。一方、王子も外国の王女にはねつけられる。

第3幕:
ふたたび湖畔の空地。悲しい運命を嘆くルサルカは、イェジババに王子を殺すしか道はないと言われるが、愛する人のため永遠に苦しむ方がいいと答える。森番とコック見習が王子の病いを直す薬を求め、イェジババを訪れる。またも森の妖精たちにからわれるが、ヴォドニークの心は晴れない。ルサルカを求め湖畔にやって来た王子は、彼女の抱擁のうちに息絶える。

楽器編成:Pic. Fl.2, Ob.2, Cor.i. Cl.2, BCl, Fg.2, Cor. 4, Trp.3, Trb.3, Tuba,
Timp. Piatti, GC. Trgl. Tamtam, Arpa. Archi



3.楽曲解説

序奏:
 ティンパニのトレモロの上でチェロが“運命主題a”(譜例1)をppで奏で、高音弦の“ルサルカ主題”(譜例2 )― アメリカ滞在中の「チェロ・ソナタ」B.419のスケッチ(譜例2’)による ― に次いで、イングリッシュホルンとホルンによる優美な“森の主題”(譜例3)、さらに木管にさざ波のような、半音階的に上昇する“湖の主題a”(譜例4)が現れる。


第1幕:
 木管による舞曲調の“運命主題b”(譜例1’)に始まり、半音階的に下降するパッセージ(譜例5)で幕が開くと、ホルンが“狩の主題a”(譜例6)を奏でる。この音型で森の妖精たちが「ホウ、ホウ、ホウ」と踊り歌い、こだま(合唱)が響き、ヴォドニークの受け答えを挟む。“運命主題”と“湖主題”のあと、ハープのグリッサンドに次いで“ルサルカの主題”が奏でられ、ルサルカはアリエッタ「あの人はよくここへやって来てSem často přichází」(譜例7)を歌い、ヴォドニークは「お前が人間の力に魅せられたからには!člověk- li tě svou moc doveď zlákat !」と、呪いの言葉を吐く。

 ふたたびハープのグリッサンドの前奏から、有名なアリア「夜空に高くかかる月よMěsíčku na nebi hlubokém」(譜例9)となる。これには初期の歌曲集「いとすぎ」B.11(1865年作)の第11曲目、「私の心はしばし悲しい思いに沈むMé srdce často v bolesti se teskně dumá」の旋律(譜例9‘)が引用されている。

 イェジババ “主題”(譜例10)が登場し、ファゴットの空虚5度伴奏の上で「チ・チン・プイČury mury fuk」と呪いをかけ、ルサルカを人間の姿に変える。“森の主題”を歌いながら狩人が、ついで王子が減七和音型で登場。“ルサルカ、森、湖”などの主題を経て、王子の歌う「君は魅惑そのものVím, že jsi kouzlo」(譜例11)で幕となる。


第2幕:
 弦による“狩主題b”(譜例5’)で幕が開き、軽快な“舞踏音楽”(譜例12)となり、“狩主題”と“舞踏音楽”の変形による、森番とコック見習少年の対話がやや長く続く。“ルサルカ主題”の間奏に乗って王子とルサルカが登場。口きかぬルサルカに王子は不満で、やがて“湖主題”を伴い姿を見せる異国の王女に近づき、“イェジババ主題”も聞こえる。“ルサルカ主題”を経てトランペットが響き、トライアングル、ティンパニも鳴って、華やかなバレエ音楽=ポロネーズ(譜例13)となる。

 “湖主題”を背景にヴォドニークは「みなはお前に与えやしないCelý svět nedá ti, nedá」と、悲痛なアリア(譜例14)でルサルカを憐れむ。これに続くヴァイオリンの間奏は、さらに悲しみを深める。この間奏主題をマルチヌーは、ピアノ協奏曲第1番(1925年作),第3楽章副主題に引用している。

 一方、広間からは乙女たちの合唱「白い花が路傍に咲いてたKvětiny bílé po cestě」(譜例15)が聞こえてきて、ヴォドニークが唱和し(譜例15‘)見事な対比をなす。

 絶望したルサルカが広間をから庭へ飛び出し、ヴォドニークに助けを求める場面では、”ルサルカ主題“が激しくなる。 最後は異国の王女が、王子のルサルカへの愛をなじるアリア「あなたが美しい腕に抱かれる時Až obejmou vás lokty sličné」(譜例16)から、半音階的に下降するfffのパッセージで終る。


第3幕:
 “呪い主題”による弦の細かい動きと、ハープのグリッサンドを経て、“湖主題b”(譜例4’)を背景に、第1幕の「ルサルカのアリエッタ」の変形が歌われ、ルサルカは死に切れない運命を嘆く。イェジババは空しく帰って来たルサルカに、「愛するは短く、嘆きは長びくKrátké bylo milování, dlouhe bude naříkání」(譜例17)と諭し、さらに“イェジババ主題b”(譜例10’)を軸にルサルカとの対話が続く。ルサルカは愛する王子に会えないと嘆く。

 水の精たちは「あんたは人間界へ出て行ったOdešla jsi do svĕta」(譜例18、譜例15の変形)、もう戻ってくるなと冷たい。森番は「あれこれ言うけどŘeci sem, řeci tam」(譜例19)と前置きし、イェジババから王子の病気を治す薬を貰うよう、コック見習に言いつける。びくつく少年はイェジババにからかわれる。

 “運命主題b”を経て、月光を浴びて一人の森の妖精が「あたしの髪は黄金色Mám, zlaté vlásky mám」(譜例20)と歌い、仲間たちとヴォドニークをからかって逃げ去る。ヴォドニークも湖に沈んでゆき、音楽は一瞬高揚する。

 王子が湖畔に姿を現し「日ごと憧れにせき立てられ、息を切らせ森中で君を探してるOde dne ke dni touhou štván、hledám tĕ v lesích udychán」(譜例21)と、思いのたけをぶちまける。角笛が鳴り“森の主題”を背景に、王子はルサルカに出会った場所に立ち「ぼくの白い鹿よBilá moje lani!」と叫ぶと、月光を浴びてルサルカが現れる。“ルサルカ主題”を背景に二人は熱っぽい対話を交わし、最後に王子は「ぼくに口づけを、憩いをLíbej mne, líbej, mír mi přej」(譜例21’)と叫びながら息絶えてゆく。

 序曲の音楽が回帰し、ルサルカは「神よお許しをBůh tĕ pomiluj !」と歌い終える。コーダ(譜例22)は、第2交響曲, 作品4, B.12(1865年作),最終楽章第4主題(譜例22‘)の引用である。



ヴィソカー訪問記

 1974年はじめて”プラハの春音楽祭“を聴きに行った折、私たちのチェコ語の先生で、作曲家ルツキー氏の令嬢ルツィエさんに、オペラのチケットをとって貰い、5月16日スメタナ劇場(元、新ドイツ劇場、現、国立オペラ劇場)で『ルサルカ』を観る予定だった。しかし当日、家内の具合が悪く、チケットはプラハ駐在商社員の方にお譲りした。この年は4のつく“チェコ音楽年”(スメタナ生誕150周年, 没後90周年、ドヴォジャーク没後70周年、ヤナーチェク生誕120周年)にあたり、『ブランデンブルク人』を除くスメタナの全オペラはじめ、他に国内外のオペラが12本上演された。私たちの観たのは『売られた花嫁』と『イェヌーファ』だけだった。だから『ルサルカ』のプラハでの観劇は、1980年代半ば国民劇場のボックス席へ、コシュラー夫人に招待されるまで持ち越された。

 1981年10月初旬、「ドヴォジャークの生涯Hudba domova」の著者K・V・ブリアン氏に、プラハ南西60キロにあるドヴォジャーク晩年の別荘、ヴィソカーへ案内してもらった。人口3万ほどのプシーブラムの町を過ぎ、南西に向かうと、右手(西)に若者がハングライダーに興じている広々とした草原、左手にドヴォジャークがオルガンを弾きに出かけていたツシェプスコ村の教会尖塔や、ウラン鉱山(昔は銀山)が望まれる。

 現地では別荘を管理している、プシーブラム在住のドヴォジャークの孫娘夫妻(夫君は弁護士)が迎えてくれた。別荘の前には巨匠の主要作品名を刻んだ石積みの記念碑があり、外壁にはRUSALKAのプレートがかけてあった。家の壁には胸像がはめこまれ、2階の記念室には、写真、メダル、賞状などが所狭しと飾られていた。庭の築山にはアズマヤがあり、六角机のブリキのカバーを外すと、半ば朽ちた台板にナイフで刻んだJ・SUK、MAGDALENA・D(4女、歌手)などの文字が読みとれた。裏手の草の茂る樫の並木道を通って義兄コウニツ伯の白い館、さらには松や杉が鬱蒼と茂る湿地の間を縫って、ルサルカの湖(と言っても小さな池)に向かう。岸辺に松の大木があり、これにもたれてドヴォジャークは、『ルサルカ』の構想を練ったという。

 ドヴォジャークは若い頃、プラハの金細工商チェルマーク家の二人の娘、ヨゼフィナとアンナにピアノと歌を教えていた。彼は片思いに終った姉への失恋の痛手を、18曲からなる歌曲集「いとすぎ」で昇華させ、妹を娶った。この歌曲集は出版こそされなかったが、作曲者の原点とも言えるもので、のちのオペラ、ピアノ曲、歌曲集などに主題を引用されている。

 しかしヨゼフィナがコウニツ伯と結婚してからも友情は続き、1884年に伯爵所有の羊舎を買いとり別荘に改築した。1895年5月末ヨゼフィナが病没すると、彼女が愛唱していた歌曲op.82 - 1 の旋律をチェロ協奏曲に挿入した。だから『ルサルカ』にも、彼女への思いがこめられている。