諸井昭二さんの死を悼む
関根日出男(日本マルチヌー協会会長)
2012年5月23日、諸井さんの訃報に接し、ただ驚き悲しむばかりである。
思い起こせば彼と私との交友がはじまったのは、1990年11月17日、チェコ・ビロード革命1周年を記念し、“日本マルチヌー協会”設立コンサート(オール・マルチヌー作品)が、青山円形劇場で行われた折である。この時は冒頭、西松味甫子さんに、チェコスロヴァキア国歌の元である2曲:シュクロウプ作曲『フィドロヴァチカ』終幕のアリア“わが故郷よいずこ”と、マルチヌー編曲のスロヴァキア民謡「泉が掘られた」を歌ってもらった。次に登場したのが諸井さん指揮する合唱団“わだち”で、演目はマルチヌーの混声合唱曲「8つのチェコのマドリガル」(1939年作)抜粋と、「5つのチェコのマドリガル」(1948年作)だった。後半はピアノ曲集「エチュードとポルカ」第1集と、ヴァイオリン・ソナタ第3番で、発起人の一人、二ッ森比呂志さんがピアノを弾いた。
1967年に発足した合唱団“わだち”は、1973年にヤナーチェクのカンタータ「アマールス」を初演してからチェコ音楽に傾倒。1983年、国際的に名高いイフラヴァ合唱祭に参加して以降、10回近くかの国に招待演奏旅行を行っている。プラハ空港で帰国便の搭乗手続をしている時、待合室から彼らの歌声が聞こえてきたことがあった。
その間1992年と95年にオストラヴァからハーバー女声室内合唱団を招き、その時は作曲家のルカーシ氏(1928~2007)も来日された。2003年のプラハ混声合唱団来日公演には賛助出演していた。
1988年“ブルノの秋音楽祭”(ヤナーチェク没後60周年)を聴きに行った時、地元ロヴノスト誌の若い記者(今は立派な音楽学者となっているペトル・マツェク氏)に、日本におけるヤナーチェク受容について訊ねられた際、“わだち”合唱団についても触れておいた。
1991年秋、同仁キリスト教会でのマルチヌー協会コンサートでは、ドヴォジャークの合唱曲「自然の中で」op.63の抜粋と、チェコとスロヴァキアの民謡を数曲歌ってもらった。1997年のコンサートではスークの女声合唱曲集「スラヴ民謡の歌詞による10の歌」(ピアノ連弾伴奏)op.15から2曲と、V・フィシェルの詩による上述ルカーシ作曲の「巨匠賛歌」(1980年作)を歌ってもらった。巨匠とはミケランジェロ、レンブラント、ピカソのことで、ヴァイオリン、ピアノ伴奏という洒落れた混声合唱曲である。
一番お世話になったのは2004年10月、同仁キリスト教会でのコンサートで、諸井さんの指導を受けた、全国学生コンクール常連出場校、福島県立郡山東高校合唱団(指揮:斉藤和男)を招いての、マルチヌー晩年のカンタータ「泉開き」(1955年作)だった。すでに成人されている彼女たちが、昨年の大震災をどのように受け止められたか気がかりだ。泉を清め春を迎える民俗行事に題材をとったこの作品(ソプラノ、アルト、バリトン独唱、朗唱,女声合唱、ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノ伴奏)の朗唱部分は、合唱団“わだち”の吉川重清さんに、邦訳で語ってもらった。諸井さんは本番直前まで控室で、合唱団員たちに細かい指示を与えておられた。
この時が彼と会った最後だったかも知れない、いつも定期演奏会の招待状を頂きながら不義理していたから・・・でも今度こそは彼岸からのご招待をお受けしますよ、しばらく待っていて下さい。
「泉開き」演奏風景
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