プラハ交響楽団FOKの足跡

プラハ交響楽団の初来日は、1986年4月ビェロフラーヴェクの指揮で、マルティヌーのピアノ協奏曲第4番「呪文」 (独奏者ライフネル)を、ゆうぽうとで本邦初演した時だったと思う。とくに印象に残っているのは、1989年11月下旬のサントリー・ホールでの演奏会。 時あたかも故国では“ビロード革命”の真っ最中で、彼らは新体制支援の証しとして、アンコールに“チェコスロヴァキア国歌”を響かせた!

市公会堂 現在FOKが本拠としている公会堂Obecný dům一帯は、その昔ボヘミア王の住いだった。 1380年にヴァーツラフ四世がここに宮廷を建て(クラーロドヴォルスカー通りの名が残る)、ポジェブラディのイジー王らもここを居城としていた。 しかし宗教戦争のあと15世紀末に王宮は、安全なフラッチャニの丘に移り、このあたりは貧民の避難所、神学校、兵舎と様変わりしてゆく。

19世紀に入り交通機関が発達すると、駅に近いこの界隈には外人用高級ホテルが建ちはじめ、 パガニーニ、ベルリオーズ、ワーグナー、サンサーンス、チャイコフスキーらが逗留し、ジョフィーン島ホールなどの舞台に立った。 ショパンも1829年と翌30年の2回、ウィーンへの演奏旅行の途路、ナ・プシーコピェ(濠上)通りの“青い星”に泊った。生誕150周年の1960年に、 現在は国立銀行となっている建物正面に、記念額が掲げられた。またここでは1866年に、オーストリア・プロシャ休戦協定が調印された。 ショパン:プラハ滞在記念額
20世紀初頭、この付近は商工銀行の手に渡り、1906年から11年にかけ公会堂が建立された。 古色蒼然たる火薬塔と並び建つ、このセセッション様式の建物を見た懐古趣味の人たちは、景観が損なわれると怒ったものだ。

しかしスメタナ・ホールを内蔵し、多くの造形芸術家が装飾をこらしたこの殿堂は、チェコ現代音楽発祥の地となり、 ニキシュ、R・シュトラウス、ボウルド、ワルター、フルトヴェングラーらが指揮台に立ち、1918年10月28日にはここで、 新生共和国独立宣言が読み上げられた。

1925年5月12日、チェコ・フィルによる「わが祖国」が、2年前に発足したラジオ放送の電波に乗り、 放送交響楽団も創設され、1926年6月26日にはスメタナ・ホールでヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が鳴り響いた。しかし世界経済恐慌の嵐で聴衆は半減し、 1929年に映画が有声化したため、無声映画のバックで弾いていた楽士たちの多くが職を失った。

トスカニーニ指揮するウィーン・フィルがスメタナ・ホールに登場した1934年、新しいオーケストラが生まれた。 これは短命なシャク楽団を指揮していた、実行力に富むR・ペカーレク(1900~74)が、ヴィノフラディ劇場近くのレストランで集めた、 若い失業音楽家25人編成のもので、12月29日には早くも放送局で、J・フチーク(1872~1916)の「フィレンツェ行進曲」などを約1時間演奏した。 レパートリーはサロン音楽やジャズ音楽だったが、ほとんどの映画音楽にかかわり、FOK(Film-Opera-Koncert)を名乗り、 E・イングリシ(1905~91)のヒット曲「ナイアガラ」など、多数のレコード録音でも資金を調達していた。

純音楽の指揮はスメターチェク(1906~86)に任され、1935年にはスメタナやドヴォジャークのオペラ序曲はじめ、 ドリーブ、ビゼー、ドビュッシーらの音楽を演奏し、1936年にはハンス・クラーサ(1899~1944)の「チェンバロと7楽器のための室内音楽」や、 J・イェジェク(1906~42)の交響詩を初演するまでに至った。その後、楽団員は倍増し、1937年4月30日スメタナ・ホールにデビュー、 1938年には第10回ソコル体育祭のフィナーレを飾り、1939年11月からは日曜マチネ・コンサートもはじめた。

第二次世界大戦中の1941年に、FOKはプラハ中心のルツェルナ会館で、「わが祖国」前半と「スラヴ舞曲第1集」を演奏したが、 翌1942年にペカーレクが強制収容所へ送られたため、スメターチェクが後任となった。春に東ボヘミアやモラヴィアを巡る大掛かりな演奏旅行を行ったが、 8月から楽団員はナチス占領軍の命令で、新ドイツ(現国立プラハ)劇場でオペレッタを弾かされ、1944年10月には全員が、 プラハ北部のクベリ区の工場で働かされた!映画との付き合いは、1943年に映画専用オーケストラFISYOが創設された時点で終った。

戦後ミュンシュ、バーンスタイン、ムラヴィンスキーらが登場した、1947年の第2回“プラハの春音楽祭”では、 5月25日にロレッタ教会で、スメターチェク指揮するFOKはキューン合唱団を加え、ミフナ、J・A・ベンダ、J・V・スタミツら16~18世紀の チェコ音楽を演奏した。

1952年に Symfonický orchestr hlavního města Prahy FOK 首都プラハ交響楽団を名乗り、この年から“プラハの春音楽祭”は、 スメタナの命日5月12日、スメタナ・ホールでの「わが祖国」で始まるようになった。1957年からはポーランドを皮切りに国外公演がはじまる。

“プラハの春音楽祭”には、ほとんど毎年出演しており、開幕の「わが祖国」を、1958年(スメターチェク)、 1994年(N・ヤルヴィ)、1997年(G・デローグ)、2000年(アルトリヒテル)、2004年(コウト)に任された。FOKが出演した音楽祭の中で特筆すべきは、 1990年聖ヴィート大聖堂でのエッシェンバッハ指揮による「ミサ・ソレムニス」と、2000年ヴロンスキーが指揮したヤン・ノヴァーク(1921~84)の カンタータ「ディド」(1969年秋ブルノ初演)である。

【歴代指揮者】
ヴァーツラフ・スメターチェク Václav Smetáček 1942 – 1972
ラジスラフ・スロヴァーク Ladislav Slovák 1972 – 1976
インドジーフ・ロハン Jindřich Rohan 1976 – 1977
イルジー・ビエロフラーヴェク Jiří Bělohlávek 1977 – 1989
ペトル・アルトリヒテル Petr Altrichter 1990 – 1992
マルチン・トゥルノフスキー Martin Turnovský 1992 – 1995
ガエターノ・デログ Gaetano Delogu 1995 – 1998
セルジュ・ボド Serge Baudo 2001 – 2006
イルジー・コウト Jiří Kout 2006 -