< 聖フランチェスカのフレスコ画 H.352 >

1955年2月20日 - 4月13日ニーツェ
1956年夏ザルツブルグ・フェスティヴァルにて,
ウィーンフィル / R.クベリーク指揮で初演。

→ 1986年5月、日本コロムビアCD解説文より転載:関根日出男 (聖十字架伝説と絵の説明もあります)


チェコ・フィル/K.アンチェル(1960)
マルチヌーはフランス、スイス、イタリアのいろいろな場所で何年かけて4つのカンタータと 『山賊の歌』を書いた。これらは遥か遠くからの故郷への挨拶として書かれた。 しかし、単なる挨拶よりもっときちんと書くことに心を動かされていた。彼と同じように外国に住むことを選んでいたR.クベリークへ、 何か特別なものを創りたいという気持ちを、長いこと持っていたのである。
アメリカを離れてから、オーケストラ作品をひとつも書いていなかったが (1953年にニュー・ヨークの芸術高校のPTAの人々に書かれた序曲があるが)、1955年の春イタリアのペルージャPerugiaへ 足をのばした際に、大編成のオーケストラのための3つの交響的楽章の組曲『聖フランチェスカのフレスコ画』を 書こうと思いたったのだった。



澄み切った春空の下、マルチヌーはイタリアの内側を見て回った。 ペルッジオPeruggioでティベルTiberの谷に赴いた際、小さな町ボルゴ・サン・セポルクレBorgo San Sepolcreを見つけた。 その片田舎の市庁舎に、何世紀もに渡って残っていた剥き出しのフレスコ画、ピエロ・デッラ・フランチェスカの(1420-1490)による 'キリスト復活'(1463)があった。
キリスト復活の絵
キリスト復活の絵'http://www.artchive.com/の "the Artchive"(モナリザの絵)→フレームからPiero della Franceska→Resurrection
マルチヌーはこの美しい作品に心を動かされ、アレッゾArezzoにある、 聖フランチェスコ教会の礼拝堂に描かれた、ピエロ・デッラ・フランチェルカの有名な*フレスコ画『聖十字架連作』(1452-66)を見に行き、 これらを題材に作品が書けるかどうか験すために聖フランチェスカ教会で数日を過ごした。

* ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』(1250年ごろ)に基づく連作

プラハ・ラジオ交響楽団/V.ヴァーレク(1993)

☆推薦web:Web Gallery of Art:artist indexからPiero della Francesca's fresco cycleをクリック。
同ページ"Guided tours#4"では それぞれの絵についての説明や細部、聖フランチェスコ教会内での配置などが見られる。

マルチヌーはそのシンプルで素朴で大作に強く心を動かされた。 なんの作為もなしに、自発的かつ直感的に描かれていて、 画家の人類に対する飽くなき感心と敬意が著されているように思われた。

温かみのある色調、形の単純さ、壮大な哲学、服従性・・・ それらは彼が音楽の中に盛り込みたかった全てであり、何度も同じ次元で自分の作品に対する態度を 明確化しようと試みてきたものだった。

偶然見つけたという喜びがいつもより彼の感受性を豊かにし、 画家からのメッセージをより敏感に感じ取れるようだった。

大編成のオーケストラ(ハープと8つの打楽器を含み、ピアノなし)のための3楽章の組曲で、 瞑想的で純粋な叙情性が表現されている。 「自由な形式で繰り返しなし、何の発展もなく変奏もない」とマルチヌーはコメントしている。
不明瞭な楽器の扱い方で、ドラマティックな要素のない画家ピエロのフレスコ画の不明瞭な色彩の 雰囲気を出すことに終始しているが、これは印象派の感覚的な響きへ戻ったことを如実に表している。


スイス・ロマンド・オーケストラ/E.アンセルメ
  • The Queen of Sheba in adoration of the Wood and the Meeting of Solomon and the Queen of Sheba
  • Constantine's Dream
  • Battle between Heraclius and Chosroes



第1楽章:十字架の木の礼拝とソロモン王とシバの女王の邂逅
シバの女王はソロモンの叡智を確かめに貢物を持ってやってきた。 女王は浅い川を渡るのに仮の橋として使われていた知恵の木の木材の上を歩くことを拒む。 この木材は大きさが合わない為にソロモンの神殿には使われず、廃棄されていたものであるが、 のちに女王はソロモンに宛てて「いつかこの木に人が吊るされるでしょう。 その人の死はユダヤ人の王国に終止符を打つことになるでしょう。」と書いている。 絵はシバの女王がひさまずき、木を拝んでいるところ。女王とおつきの女性たちの構図が美しい。

第2楽章:コンスタンチンの夢
マクセンティウスとの戦いを前にしたコンスタンチン帝は まばゆいばかりの光の中にある十字架の夢を見る。 十字架の上には「このしるしの恩寵で汝は勝利するであろう。」と書かれていた。

第3楽章:
終楽章はこれといって特定したフレスコ画はないが、2つの戦いの場面への注意をひく。 1つは〝コンスタンチン帝のマクセンティウスへの勝利〟で、手に十字架を持ち、 ローマの皇帝マクセンティウスをうち負かしているコンスタンチンを描いたもの、 もうひとつは〝ヘラクリウス帝とホスロー王の戦い〟で、イェルサレムから力づくで十字架を奪った ペルシャの王ホスローの軍の敗北に関するものである。


<ピエロ・デッラ・フランチェスカのこと>

1414?(16?) - 1492 アレッツォに近いボルゴ・サン・セポルクレ生
(別名をピエトロ・フランチェスキ・ディ・ベネデットとも)
初期ルネサンスの代表的宗教画家。幼い頃から数学が得意で遠近法と幾何学にたけていた。 1432年12月には画家として頭角を現している。
静謐で明確な筆致で有名。

【代表作】
『出産の聖母』母の故郷であるモンテールキ町
『キリストの洗礼』サン・ジョヴァンニ・バッティスタ聖堂の祭壇画 (ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)
『キリストの復活』ボルゴ・サン・セポルクロ市庁舎


<フレスコ画とは?>

油絵は、顔料を画面に固定するために油を使い、テンペラは卵、 日本画はにかわを使う。 要するに顔料をなんらかの接着剤を使って画面に定着させている。

一方、フレスコ画は漆喰(ヨーロッパの漆喰は石灰が主成分)の下地に水で溶いた顔料で絵画を描く技法。 接着剤を使わず、消石灰と砂を水で練り、 それを壁に塗り乾かないうちに顔料を水にといて描く。 乾燥する際に空気中の炭酸ガスと反応し、堅牢な炭酸カルシウムの皮膜を作る。壁が乾くと顔料が無色透明な石灰層におおわれ、 石灰層に閉じ込められることになり、顔料そのものが自然の状態で発色する。

乾燥した風土に適するため、イタリアなどで壁画技法としてよく用いられてきた。 下塗り、中塗り、上塗りと層を重ねていき、通常は中塗りに下絵を施し、最後の上塗りの壁に描写する。 イタリア語フレスコfrescoは、英語のfreshにあたる。