ドストエーフスキイが,ペトラシェーフスキ
イ会事件で逮捕されたのは,1849年28歳の時だった。この会は,ニコライ一世の弾圧下に,元外務官僚で風刺的『外来語辞典』を著したペトラシェーフス
キイ(1821~66)を中心にできた,若い知識人の集まりで,政治結社ではなかった。1846年に『貧しき人々』で文壇にデビューしたドストエーフスキ
イは,これを発表した“祖国雑誌”の編集者マイコフの紹介でこの会に入ったが,文芸評論家で社会主義者だったベリンスキイ(1811~48)の影響も大き
かったといわれる。したがってこの会に政治的危険性はなかったが,「何も実行せず,口先だけの偽善者ペトラシェーフスキイ」に不満を抱いていた一部会員
は,「ドュロフ・サークル」なる秘密結社をもうけ,“農奴解放,裁判制度改革,検閲廃止”などをうたう宣伝文を配布した。
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| ヤナーチェクの墓標(ブ
ルノ) 写真(C)池田和生 |