室根山のふもと

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 朝の散歩中の事故の話の、その4です。


叱 咤

 玄関に入りズックを脱ごうとしゃがむと、背中がズキッと痛む。いつもは腰掛けることのない上がりかまちに座り、背中を伸ばしたままゆっくりズックを脱いだ。

 居間に入りテーブルに着くと、妻が朝食を台所から運んで来て「お帰り」と声をかけた。そういえば私は「ただいま」と言うのも忘れていたのだった。テーブルに料理を並べている妻に、背中を伸ばした正しい姿勢を保ったまま、「どうやら怪我をしたらしい」と沈んだ声で言った。

 「怪我?」と妻はオウム返しに言うと、どうして散歩で怪我なのか解せない表情だった。「体育館の下で、道路の脇の金属製の丸い手すりの上を歩いていたら、すべって背中を打ってしまった。骨が折れたかもしれない」と元気のない声で説明した。
 すると妻は目を大きく見開き、「そんな馬鹿なことをして!」とあきれ果てた声を上げた。いい大人がすることか、と顔色が責めている。
 「保険証出してくれるかな、病院に行って診てもらおうと思う」と冷静に続けた。すると、「病院なんか行くことないから! 第一骨が折れてたら、歩いてなんか帰ってこれないでしょ! 大丈夫だから!」と続けざまに押さえつけるように言うと、クルッときびすを返してそのまま台所に向かった。背中が、とてもつき合っていられない、と怒っている。夫の身体の心配より、その行動の大人げなさがよほど許せないらしい。
 残りの料理を運んでくると妻は固い表情でテーブルにつき、私を見ないで黙って食事を取りはじめた。しようがなく私も無言で箸を口に運んだ。

 妻の気迫に押さえ込まれたせいか、ゆっくり箸を動かしている分には痛みもさほど感じなくなっていた。身体をねじったり、前かがみになったりしないと大丈夫なようだ。事故直後の呼吸困難もその後起きていない。とすると、もしかして単なる打撲の痛みかもしれない。もう少し様子を見るか。

 その日はいつも通り学校に行った。車の運転も姿勢を正している分には大丈夫だった。乗り降りの際は身体をねじるので痛みが走ったが、上体をまっすぐに保ち、ゆっくりゆっくり腰を回転していくと何とかなった。職員室で席に着いている間も背筋を伸ばし、授業中もできるだけ姿勢をまっすぐに保った。板書は手を挙げるとズキッと来るので、最小限にとどめた。授業始めと終わりの挨拶も、前かがみになるのは避け、生徒が一斉に頭を下げるのを頭を上げたまま見下ろしていた。( これは普段味わうことのない体験で、なんだか自分が急に偉くなった気がしてくるから不思議だった。ヒットラーをはじめお偉方が、軍隊式儀礼を喜んで受ける訳がよく分かる )


眠 ら れ ぬ 夜 

 問題は夜だった。
 その夜は入浴を差し控え、早めに床についた。これが苦しみの第2ラウンドだった。

 床に身を横たえようと身体を斜めにしたとたん、これまでにない痛みが背中を貫いた。思わず後ろ手に両肘を突いて腰を浮かし、身体を一直線に伸ばしたなり、ウウッーと高いうなり声を発していた。その痛みは前かがみになったり身体をねじったりの比でなかった。
 上を向いたまま身体を中途で硬直させた不自然な姿勢で、しばらくの間身動きができなかった。少しでも動けばまた激痛が襲うことを本能的に身体が知っているのだった。
 しばらくたって痛みが少し和らいだころを見計らい、ムッ、ムッとうめきながら、硬直した身体をほとんど1p刻みで床に降ろしていった。全身が布団の上に無事たどり着いたときには、脂汗がじっとり額に浮かんでいた。   
 そのまま仰向けの姿勢で目を閉じると、無念無想を念じながら(形容矛盾か)呼吸を整えた。ともかくこの痛みを忘れるには眠ってしまうに限る。

 おかげでいつの間にか眠りに入ったのだが、それもつかの間だった。眠っている間にも身体は勝手に動いているのである。それは突然襲う背中の痛みで思い知らされた。ウウッと呻きながら激痛に目覚めると、いつの間にか寝返りを打っているのである。身体が少しでも斜めに傾くと、その瞬間容赦なく痛みが襲う。

 この激しい痛みを思うと、眠らずにいるほうがましな気もするのだったが、そう考えている間にもうとうとと眠りに引き込まれ、そしてまた寝返りの激痛に目を覚ます、を繰り返すのだった。

 その痛みに耐えているうちに、ギリシャ神話のプロメテウスの話を思い出した。人類に火を伝えたプロメテウスはゼウスの怒りを買い、コーカサスの山頂に釘付けにされて、毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を受ける(プロメテウスは不死なので)。
 この痛みは、人類の恩人プロメテウスの責め苦と同じではないか。

 痛みが襲うごとにプロメテウスになりきって、英雄的な思いに浸るのを繰り返していると、いつの間にか薄明かりが障子に差しはじめ、しだいに夜が明けていった。  


く し ゃ み  

 布団から起き上がる時も大変だった。静かに身体を横に傾け、布団からゆっくり抜け出して畳の上に四つん這いになる。それから両手を支えに上半身を静かに起こし、腰をまっすぐに伸ばしてから立て膝をつく。そして背中を伸ばしたままゆっくり立ち上がる。ふらっと上体が傾いただけでズキッと痛む。どうやらただの打撲ではない。
 毎日欠かさなかったロッキーの散歩も、この朝は中止した。

 そして居間のテーブルでひげ剃りを始めた時である。
 鼻がむずむずしたかと思うと、突然大きなくしゃみになった。その瞬間、身体の芯を稲妻が貫くように激痛が走った。あまりの苦しさに息がつけない。気がつくと固く目をつぶったまま、身体が硬直して身動きができなかった。手すりを滑って事故にあった瞬間と全く同じだった。呼吸を呼び戻そうとすると、それはムムムムッという低いうめき声になった。

 ちょうどその時、廊下を歩いてきた妻の驚いた声が聞こえた。「どうしたの?」
 その声に反応したか、やっと呼吸が戻ってきた。それでも落ち着くまで数秒かかり、しばらくしてから目を開けた。すると驚きの目を大きく開いたまま私を見つめている妻の姿がテーブル越しに目に入ってきた。私は肺に負担をかけないようにできるだけおだやかな声で言った。「いまくしゃみしたら、背中が苦しくて息ができなくなった。やっぱりどこか怪我をしているようだ。念のために保険証を出してくれるかな」

 目前で夫の異変に遭遇したからか、妻もこのときは何も言わず、すぐ保険証を持ってきてくれた。無言だったが昨日の朝とは違い、夫の身を気遣って不安げな表情である。


診 察

 学校では朝会後すぐ保健室の養護の先生に相談に行った。話を聞き終えると養護の先生はびっくりし、すぐ病院に行って診てもらうよう勧めた。やはり骨折の心配があるという。そこで急遽年次休暇に切り替え、県立病院に行った。  

 県立病院はごった返していたが、1時間半ほど待つと診察とレントゲン検査があった。検査後診察室で女医さんはそのレントゲン写真を見ながら、「肋骨が折れてますね」と明るい声で言った。写真には、背骨の脇の肋骨が1本折れて、5oほど重なり合っているのがくっきり写っている。
 この重なりが今朝のくしゃみでずれ、あの激痛を引き起こしたのか。
 もう少しその写真を眺めていたかったが、お医者さんは感傷とは無縁で治療に移った。  

 骨折した肋骨の部位に湿布を貼ると、その上から幅の広いベルトを巻き付けた。夜眠れるようにと痛み止めの薬も出してくれた。
 肋骨骨折は治るのに1ヶ月半くらいかかるが、痛みがなくなったらベルトは外していいし、何も変わったことがなければあとは来なくていいという。
 1回きりの治療で済むのは助かるのだが、痛みの大きさに比べるとあっさりしすぎて少し拍子抜けだった。それに、あの5o重なった肋骨はそのままくっつくにしろ、縮まった5o分は他の肋骨より短いのだから、そのちぐはぐさは人体の構造に何か影響を与えないのだろうか、などといらぬ疑問も浮かんでくるのだった。


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