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 朝の散歩中の事故の話の、その2です。


コ ン ク リ ー ト 製 の 手 す り 渡 り 

 四阿下に階段があるのだが、ロッキーは階段を上るのが苦手だった。四肢が短いせいだろうか。一方私は、20代のころから階段は1段抜かしで上るのが普通で、慣れると2段抜かしで上った。四阿下の階段は毎日の散歩で慣れているので、2段抜かしで上る(つまり、3段目、6段目、9段目と駆け上がる)のが常だった。私が階段を快調に2段抜かしで駆け上ったころ、ロッキーはまだ階段下をのこのこ上り始めているのだった。

           
                 < 四阿下の階段と、上りづらそうなロッキー  >

 それで私は、階段の上の小路でしばらくロッキーを待つはめになる。

 縁石渡りもほぼマスターしたころだった。いつものようにロッキーが上ってくるのを階段上で待っていると、小路の側面に続いているコンクリート製の手すりが目に入ってきた。

    < 階段の上の小路の手すり >

 横に張り渡された手すりの上面には、幅2pほどの平坦な部分があった。なんだかそれが、毎日歩いている縁石の上面を縮小したものに見えてきた。縁石の幅は10pはあるから、その5分の1の幅である。

 ロッキーはまだ来ない。暇つぶしのつもりでその手すりに上ってみた。これが思うようにいかない。まず片足を手すりの上に載せるのだが、もう一方の足を上げようとすると身体がふらつき、安定しない。そこで、一定の間隔で立っている杭の上の少し張り出た部分に右手を、平坦な手すりの部分に左手をかけ、足を踏ん張って飛び上がってみた。

 最初は、両足が手すりに乗っかったものの、勢い余って小路の反対側の草むらに落ちてしまった。次に踏ん張る力をセーブしてやってみると、今度は手すりの上に両足が掛かったものの腰が引け、手前の小路の側に落ちてしまう。それを何回か繰り返していると、ロッキーが上がってきて、手すりから落ちてがっかりしている私に、尻尾を振って楽しそうにまとわりついてくる。 

 やむを得ずその日はあきらめ、手すりを横目にしながら散歩を続けた。手すりは次の階段まで50メートルほど続き、傾斜もゆるやかである。 
 これならなんとか歩けるんじゃないか。


つ い に 成 功 

 やってみるものである。
 最初の壁は、手すりの上に両足で無事に立つことだった。その秘訣もやがて体得できた。むやみに力を入れてはダメなのである。飛び上がろうとするのではなく、上に乗せた足を踏ん張り、両手に軽くちからを入れ、ひょいと身体を引き上げる感覚である。そのコツがわかるのに一週間はかかった。

 手すりに乗ったあとは、両手を左右に開いてバランスを取り、身体の中心軸を一定に保って、足を滑らすように静かに歩ませる。その集中力の必要度は縁石渡りの比でなかった。縁石渡りでは両手を開くこともなく、普通の徒歩と同じですり足を意識することもなかった。

 最初は5・6メートル行くとバランスを失って手すりから落下した。その都度手すりに乗り直すので、乗り方だけはうまくなっていく。問題は落下することなく歩み続けることだったが、そのコツも徐々にわかってきた。

 手すりの間には1.5メートル間隔で杭が立っており、その出っ張りの部分が最初は邪魔だった。しかし、その出っ張りを必ずどちらかの足で踏むことにしたら楽になった。出っ張りを休符記号に見立ててリズムを創るのである。
 もう一つは、できるだけ呼吸をゆっくりにし、バランスを失いそうになったら息を止める。そして身体の中心軸をまっすぐ保つことに意識を集中して、歩みは止めない。落ちそうだと思って歩みを止めると、かえってバランスを保つことが難しく、ゆっくり歩いているほうがバランスを回復できるのである。
 自転車も、走っている時は倒れる心配がなく、止まった時に両足を地面に着かずにいるほうが難しかった。原理は同じなのだ。

 一月も経つと、なんとか半分は歩けるようになった。手すりは途中から右に少しずつ曲がっていくのだが、それにあわせて軌道を修正していくのがけっこう難しかった。それでも何週間かすると、とうとう最後まで落ちずに歩いていけるようになったのである。
 初めて手すりを渡り終え、最後の杭に足をかけた時は、そよ風のような爽快感が身体を吹き抜けていった。両足をそろえて軽くジャンプし、地面に降り立った。やっと渡り通した長い手すりを振り返って見ていると、穏やかな達成感が身体の奥から静かにしみ出してくる。気がつくと額にうっすらと汗がにじんでいた。それを右手の甲でぬぐうと、ロッキーが嬉しそうに尻尾を振りながら飛び上がって、しきりに私にじゃれついてきた。どうだ、ロッキー、見ていたか。ついにやったんだぞ。私はしゃがむと、長い舌をのばして私の顔をなめようと、息せき切って鼻面を突き出してくるロッキーの首筋を何度もなでた。  

 一度最後まで渡りきれたからといって、その後もうまく渡れるというものではない。体調によって集中力を保てない時もあれば、もう大丈夫と油断している時などてきめん落ちるのだった。余裕だと思ってロッキーを横目で探したりしたときも落ちた。四阿の周囲で鳴く小鳥の声に耳を傾けただけでさえ、落ちるのだった。それでもやがて、集中力さえ切らさなければ、ほぼ8割方は最後まで渡り通せるようになった。やはり「為せばなる」なのである。




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