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 飼い猫クロの「甘やかしのツケ」その3です。

                       
                           < 庭を散歩中のクロ >

サキイカが好物

 食べ物にえり好みの多いクロが好きなのは、サキイカである。

 クロは小食で、餌も少しずつ口に含んでていねいに食べるのが常だった。それを「ペチョペチョ食い」などと呼んでいたのだが、サキイカの時は違った。
 袋を開けて取り出す音を聞きつけると目を大きく見開き、素早く寄ってくる。畳の上に放るとすぐに口にくわえ、グワッグワッと音を立てながらあっという間に食べてしまうのである。よほど好きらしい。 

 サキイカはお菓子と一緒に居間の食器棚に入れてあった。お菓子を取ろうと引き出しを開けると、居合わせたクロがその引き出しの上に飛び上がってギャーッと鳴き、サキイカを催促することがよくあった。
 妻はそういうとき気前よくどっさり与えるのだった。私が「消化に悪いから、あまり多くない方がいいよ」と言うと、「お父さんはケチだから。一袋全部やってるっていう人もいるよ」と受け付けない。

                         
                          < サキイカに飛びつく >

娘の禁止令

 たまたま娘のいるところで私がサキイカを与えたところ、どこで知ったのか「サキイカには塩分が多いから、猫にはやらない方がいいんだって」と言う。そんなことは知らなかったが、言われれば無視するわけにもいかず、娘のいるところではひかえるようにした。  

 しかし妻が隠れて与えているところに娘が来合わせたことがあった。娘は( 私と違って妻と対等なので )「お母さん、塩分は猫に良くないって言ったでしょ ! 」と責めた。すると妻は「お父さんもやってるっけよ」と私を引き合いに出した。「お父さん、クロを早死にさせたいの ? 」と、娘は今度は私に矛先を向けてくる。しょうがないので「お母さんはいっぱいやるけど私は少ししかやらない」と穏やかに言い訳すると、妻は「そうでないっけ、何回もやってるっけ」と、ケチだとおとしめたことを忘れたのか、私の方がたくさんやっているように言うのだった。
 結局は娘に「二人とも甘いんだから。これからは絶対やっちゃダメだよ ! 」と厳しく念を押された。     


与えるのは離れで 

 それからは娘に見られないように居間でなく、私の書斎のある離れでやることにした。サキイカが原因で早死にしたと言われるのは不本意なので、朝と夜の2回、2・3本ずつならいいだろう、と量も抑えた。
 妻には、「猫には数がわからないんだから、食べたという経験自体が大事なので、量は少なくてもいいと思う」などと理屈をつけて、量の制限に協力を求めた。
 それからは妻も私の目を気にして、わしづかみにして与えることはなくなった。それでも私の様子をチラチラうかがいながら、私よりは多めに与えるのだった。     


ギックリ腰 

 2月始めの寒い朝だった。冷え切った離れのストーブに点火して、サキイカをクロにやろうと、窓際の障子の下にある引き出しを開けた。
 いつもならその音を聞いただけで足元に寄ってくるクロが、来ない。袋からサキイカを出した中腰の姿勢のまま振り返って見ると、壁際に設置してあるストーブから吹き出す温風を、尻尾巻き座りで気持ちよさそうに浴びている。私は身体が窓側を向いたままの姿勢で腰をひねり、4メートルほど離れた反対側にいるクロの前に「ほらっ ! 」とサキイカを放り投げてやった。

 その瞬間、ギクッという音が身体に響き、中腰姿勢のまま脱力状態になった。姿勢を保とうにも腰に力が入らないのである。次の瞬間畳の上に後ろ向けにドーンと倒れ込んでいた。その倒れる音が、他人事のように耳に入ってくる。
 肘を突いて起き上がろうとすると、鈍い痛みが腰の奥から湧き上がってきた。

 ギックリ腰だ。

 ギックリ腰は年を取るとふとしたきっかけで誰でもなる可能性があるという。コタツに座っていて、横にあるテレビのスイッチを押そうと腰をひねったらなったという話もある。それを聞いた時はまさかと思ったのだが、なってみるとまさしくその状況と同じだった。
 このごろ運動していないので身体がなまっていたのだろう。早朝の上寒さで、筋肉が柔軟性を失っていたのではないか。とっさに頭だけはめまぐるしく回転して原因をさぐっていた。

 事故のきっかけを作ったクロは、こちらの動転には無頓着で 、サキイカを食べるのに夢中になっている。
 クロさえいつものように引き出しの前に来ていれば、わざわざ腰をひねって遠くに放る動作も必要なかったのに、と恨めしかったが、後の祭りだった。

 これは、これまでクロを甘やかしてきたツケに違いない。            

                       
                        < 二階の窓辺で日向ぼっこ >
   


腰痛体操 

 30数年前、妻は長男を出産した後腰痛になった。幸い近くで整骨院に勤めていた大学の先輩が誕生祝いに来てくれ、腰痛体操を教えてくれた。その人自身も腰痛で大学時代に2度手術し、その後進路を変えて整骨院に勤めることになったのだった( 今は盛岡で整骨院を経営している )。

 彼が言うには、整骨院には腰痛の治療でくる人が多いのだが、そこで行う牽引や電気マッサージは対症療法で、痛みを和らげるには効果があるのだが、根本的に治すには腰痛体操が一番なのだという。患者にもそう言っているのだが、めんどうなのと時間がないのとでやらないから、慢性化してしまうケースが多いそうだ。

 妻はその教え通り毎日腰痛体操を実行し、自力で腰痛を克服した。それを見ていたので、私もすぐ腰痛体操を始めた。
  お陰で最初はきつかった痛みもしだいに和らいでいき、整骨院に通うこともなく治すことができた。


余話 … 飛行機で横になれるように空席を確保してくれた、娘

 実はこの事故の1週間後、姪がオーストラリアで結婚式を挙げることになっていて、それに妻と娘ともども出席することになっていたのである。

 その出発の日、成田空港で見せた娘の交渉力には感心した。

 大船渡線、新幹線と乗り継いで3時間半ほど座ったままだったのが、痛めた腰に悪かったらしく、成田空港で搭乗手続きをする際も立ち続けているのが苦しかった。それでも飛行機で座ったらなんとかなるだろうと思っていた。

 ところが娘は、デルタ航空の窓口で航空券を購入する際、私がギックリ腰になったばかりなので、余った座席があればその空席に横になれるように座席を手配してもらえないか、と交渉を始めたのである。  

 そんなことができるなんて思ってもいなかったので、無理しなくていいよ、と娘に言うと、「だって痛いんでしょう? 飛行機は8時間も座ったままだもの、空いている座席があれば横になれるんだから、頼んでみた方がいいでしょう」と言う。
 言われてみればその通りなのだが、新幹線だって指定席購入の際そんな要求が通ると思われないのに、航空券でそれが可能とはとても思われなかった。
 それでもせっかく娘が熱心に窓口の担当者と交渉しているのだから、肝心の当事者が無関心と思われてもよくないので、やはりここは苦しそうな表情をしていた方がいいのかな、などと考えて、時々痛そうに腰に両手を当てて背伸びして見せたりした。それでも半信半疑で、どうなることか交渉の成り行きを見守っていた。

 すると何度かの交渉の結果(空き座席が決まるのは搭乗手続きの最後になるので)、とうとう最後には私の座席の横に空席を確保してもらうことができたのである。
 娘も小躍りして喜んでいたが、私にとってもそれは大きな喜びであると同時に、驚きだった。あまり飛行機を利用することもないからだが、航空会社の対応の意外な柔軟性にびっくりしたのである。

 考えてみると、この座席要求は本来私の問題なのだった。それなのにすっかり娘任せにして成り行きをただ見ているだけだった。
 それは、航空機に空席があるだろうという発想がそもそも無かったからでもある。旅慣れないせいもあってそれは無知から来ているのだが。
 しかしそれだけではない。与えられる座席は「平等に」一つずつという、既成観念に捕らわれていたのだった。そのため自分の痛みというハンディをカバーする要求を出すという発想がそもそもなかった。いわば機械的な「公平」感から自主規制すること、我慢することに慣れてしまっていたのだ。
 こうしてみると病人や弱者がその権利を主張することをためらう心情がよく分かる。

 何にせよ、娘の親思いの熱意と行動力のお陰で、メルボルンにつくまでの間隣の席に身体を横たえ、腰の痛みを和らげながら行くことができたのである。 


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