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 東北大震災後、ただの身辺雑記を続けていることが後ろめたくなり、しばらくアップするのをためらっていました。
 それが、「ホームページが更新されないのは病気にでもなったからでしょうか」というメールをいだだき、また始める気持ちになりました。( 私はいたって健康です )
 今回のは、「高生研全国通信第158号(夏号)」に寄せた原稿の再録です。執筆が6月でしたので、いまの状況とはズレがあります。新たに写真を付け加えました。

   

 東北大震災 ー 岩手県高校関係の被災状況 ー 

T 津波の浸水で校舎が使用できなくなった、高田高校と宮古工業高校

 3.11東北大震災は、岩手の高校にも大きな被害を与えました。  高田高校は、大津波で住宅約3160棟が全壊し2千人をはるかに超す死者・不明者を出した、陸前高田市にあります。

                 
                         < 陸前高田市津波被災状況 mainichi.jp >

 津波は海岸から高田高校までの市街地を飲み込んで、校舎3階まで水没、体育館も流失しました。職員と生徒は学校の裏手の高台にある第二グランドに避難したのですが、そのすぐ下まで津波が押し寄せ、体育館の屋根がグランド下に流れてきたそうです。海に近い海洋センターのプールで練習していた水泳部は、津波に襲われて逃げる途中6人が亡くなり、部員1人と救助に向かった顧問1人は未だに行方不明です。

                 
                      < 被災後の岩手県立高田高校 edu.iwate-u.ac.jp >

 水をかぶった教材、教具や備品のほとんどは使えなくなり、校舎も使用できないので、隣の大船渡市にある大船渡東高校(2008年に学校統合で開校)の萱中校舎(旧大船渡農業高校の校舎)を仮校舎とすることになりました。そのため大船渡東高校の同窓会館を臨時職員室にして、授業再開の準備を始めました。住居を流された職員が約20名、同窓会館に宿泊して避難所生活をしながら準備に当たったのです。
 大船渡線が津波の被害で不通なので、陸前高田方面からスクールバスを出して生徒の通学手段とし、5月10日にやっと入学式が大船渡東高校の体育館で行われました。
 陸前高田市は8千人近くの人々が避難生活を強いられたのですが、それは生徒も同様でした。しかし生徒たちは、調達された食料を自分たちの口には入れず、率先して一般市民に配ったり、毛布や暖房器具を一般の人たちに優先的に配り、誰一人「お腹がすいた」「寒い」等の言葉を口にしなかったそうです。

 宮古工業高校は、津波により校舎1階が水没、大量の泥やガレキで埋め尽くされる被害を受けました。

                 
                   < 宮古工業高校の校庭になだれ込む津波 city.miyako.iwate.jp >

 実習棟にある機械類は海水につかり、使用できなくなりました。流れ込んだ泥が乾燥し、粉塵が舞い上がって大変な状況だったそうです。
 入学式が5月9日に行われ、1・3年生は宮古水産高校、2年生は宮古商業高校の校舎に分かれて、実習以外の授業を行っています。夏休み明けに宮古工業高校での授業再開を目指し、教職員やボランティアで登校してくる生徒の協力で、ガレキの撤去や清掃をしている最中だそうです。

U 一般の人たちの避難所となっている高校が5校

   津波の被災者の方々の避難所となっている高校の中から、2校紹介します。

 大槌高校では約700人が体育館を中心に避難生活をしているのですが、他の避難所から来る人のため、炊き出しは900人分行っているそうです。大槌町は町役場を始め市街地がほぼ壊滅し、町長も亡くなりました。

                 
                < 町の建物ほとんどが津波に流されてしまった大槌町nishinippon.co.jp >

 NHKニュースで、避難所で炊き出しや物品運搬を頑張る大槌高校生の様子が放映されましたので、ご覧になった方もいるのではないでしょうか。生徒が積極的に動いてくれているので、被災者も勇気づけられているそうです。

 山田高校では一時約2千人の避難者がいましたが、現在は1.300人が第1体育館、第2体育館、格技場で避難生活を送っています。

                 
                   < 津波で散乱した漁船と、白煙が上る山田町 matome.naver.jp >

                 
                < 町の中心部が壊滅的な被害を受け、長期間続く避難生活 fidr.or.jp  >

 その被災者の方々のため、教職員が駐車場係や受付や水汲みなど世話をしました。県や町の職員も支援に入っているのですが、学校から帰らないで世話をする教職員も5人くらいいるそうです。
 山田高校と大槌高校等に対しては、避難所運営のために岩手県が内陸部の県立学校職員を7回にわたりのべ60名派遣して支援を行っています。また、避難所の幼児に対する読み聞かせ等支援としてのべ69名を派遣したそうです。

V 今後の課題

 高田高校や宮古工業など一刻も早く正常な授業ができるよう、校舎の損傷を復旧することだと思います。また、生徒の安全な通学を確保するためにも、寸断されている公共交通の復旧も急務です。山田高校や大槌高校など避難所となっている学校では、避難者との調整など教職員の負担を軽減することも要請されています。
なお、「『心のケア』懇談会in 釜石」で、参加者から次のような意見が出たそうです。
  「休日に色々な芸能人による支援のイベントが行われ、企画・運営で休みがなくなる」
  「涙を誘う話題を探すマスコミを排除してほしい」
 善意が学校の先生たちを追い込んでいる状況や、マスコミのストーリーで取材が入り、現場が追い込まれている状況があるようです。
 保護者からは「家のローンが残っていて大変」「職を失って見通しが持てない」「子どもに心配な言動が出ている」など、切実な声が寄せられたそうです。それでも、「自分だけじゃない」と言い聞かせて自分を慰めているのが現実だとのこと。
 目の前で流されていく人、助けることができなかった人たちを思い、自分たちが残ってしまったことへの申し訳なさを、大人も子どもも感じているのです。その葛藤とどう向き合えばいいのか。そのトラウマを、生徒も保護者も教職員も同様に抱えているのです。

 5月23日付県教委資料によると、人的被災状況は次の通りだそうです。
  県立高校:生徒死亡39人・安否不明13人、教職員死亡1人・安否不明1人。
  特別支援学校:生徒死亡3人。
 家族を失ったり家を失った高校生の実態はわかりません。なお、生徒の転出・転入状況は、県内から県内に=44人、県内から県外に=33人、県外から県内に=16人です。
 沿岸32校の教職員66人が被災して住居を失い、住居が未確定だそうです。(4月26日現在)。岩手県の死亡・行方不明者は7.300人を超え、2万5千人を超える方々が避難生活を余儀なくされています。

 被災一般をひとくくりにした論評ではない、被災者一人ひとりが生きてきたかけがえのない人生に、それぞれ寄り添った具体的な取り組みこそが、求められているのだと思いますが。




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