娘の人生

娘の病態

1.娘の一生

娘は出生後、NICU(新生児集中治療室)に移り、この部屋から出ることなく32日の生涯でした。その間、父親には一回抱っこされ、母親には三回抱っこされました。その三回目が別れの時でした。治療中の娘はどっしりと構えていたように親の私達からは見えました。最後まで生きようとあきらめずにがんばっていたように思います。心臓は最後まで力強く動いていました。

娘が亡くなった2006531日は、私達夫婦の3回目の結婚記念日でした。家族一緒にずっといたいと思ってこの日を娘が選んだように思えてなりません。

2.出血性ショックを起こした原因

出産時に娘は大量の出血を起こし、ショック状態に陥りました。出血は、娘の体内に起きたものではなく、また胎盤早期剥離も軽度のものがありましたが、胎児の状況を悪化させる程のものではなかったということです。では、どこに血が失われたのか、産科医に原因調査をお願いしました。産科医の文献調査によると胎児に強い臍帯巻絡があったこと、臍帯が胎盤の辺縁に付着し一部が卵膜走行していたことから、胎児下降時に臍帯静脈のみが圧迫され、胎児―胎盤間輸血が生じたのでは、とういう可能性が高いということでした。ちなみに、この報告は1987年ベルギーにおいて、2症例が報告されているだけです。

私達もあまりに珍しく、少ない報告にどのように理解してよいのか分からず、娘がなくなった後、『他の意見も聞きたい』と第三者評価をお願いしました。他の大学の産科で行ってもらい、上記のような病態も考えられるが、非常に珍しいことであることと、臍帯の断裂も考えられるのでは、という意見を頂きました。そうした上で、産科医師の意見は、臍帯の断裂は確認されなかったため、胎児―胎盤間輸血の可能性が高いという回答を頂きました。

3.回復できなかった原因

娘は出生時に出血性ショックを起こし胎児循環遺残PFC新生児遷延性肺高血圧PPHN)を起こし、翌日には播種性血管内凝固症候群DIC)を発症しました。その後それらの影響も含め循環不全・呼吸不全・急性腎不全・代謝性アシドーシス・無気肺・感染・高アンモニア血症を続発していきました.。
 しかし、これといった病気は現在もわかっておりません。先天性に何か病気があったのかどうか、現在も研究機関で調査中です。

医師は、最初はリカバリーできると思った。と言っていましたが、現在の医療では、十分に回復可能な状態でした。病理解剖の結果を元にある病気に似ているということで各大学の研究機関を渡り調査していただきましたが、否定されました。現在の新生児医療で十分助かる可能性のあった子がなぜ回復できず亡くなってしまったのか、今でも調査していただいています。

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