高級魚と大物が狙える銭洲


雑誌アングリングの銭洲ジギング記事を読んでから、大物が狙えるジギングにチヤレンジしてみたくてウズウズしていた。
当時インターネットでのリアルな情報発信など存在しない時代であったので、情報は雑誌の記事の少ない情報に頼るしかなく、手探り状態で銭洲釣行の準備を始める事となる。
現在ならば銭洲にジギングに行こうと思って釣具店でタックルを一から準備しても、次の日には銭洲どころか離島でのジギングですら可能なくらいジギングは ポピュラーでタックルの入手が容易ある。(問題は、天候がクリアかどうか程度であろう)

当時の敷居の高く感じていたジギング事情は、タックルの準備や遊漁船の手配や天候による運不運と私にとって銭洲と言う場所は非常に遠く感じられた。
当時銭洲にルアーマンを乗せてくれる船宿は、伊豆忠兵衛丸、龍正丸の2件しかなかった。
そしてジギングを始めるにあたって一番苦労したのは、ジギングタックルを置いているショップがかなり少ない事だった。
ソルトルアーを扱っているショップでも、3ozジグの在庫など無い所が多く、休みの日にはソルトウォータールアーを扱っていそうなショップを何軒も 廻ってタックルを揃えながら情報を集めて銭洲への期待に胸を膨らませていった。

 当時ショップ店員に聞かされた情報で覚えているものを書いてみると

・銭洲では大物が掛かるとラインがスプール1本出される。よってスペアスプールが多数必要。
・潮が速いからジグは3ozクラスが最低限必要。
・ルアーのカラーはピンクに実績が有る。
・トリプルフックより、シングルフックを抱き合わせたダブルの方が掛が良い。
・お土産釣りの青鯛ポイントに入られると、水深が深過ぎてジギングでは釣りにならない。
・ラインが無くなりそうになったら船で魚を追いかけてライン不足を補ってくれる。
こんな感じだった。

当時自分なりにターゲットとしていた魚は、カンパチの5kg~20kg 

そこで揃えたタックルは
ロッド: スミス ブローショットGS100H
リール: シマノ ツインパワーGTX4000+替スプール 
ライン: バリバス スーパーソフト 16lb 
ノット: ビミニツイスト+オルブライトノット
リーダー: 銀鱗Z 8号16号
ルアー: マリア カーニバル3oz 、ヨーヅリ メタリックサーディン80g 、Lジャックシルダー60g
小物類: Hタイプのスプリットリング、スプリットリングプライヤー、ショップお勧めのファイン仕様シングルフック(ソルト用フライフック)、ドラグ調整 用バネ秤。
思い出せる範囲こんな所だ。
 またスペアタックルとしてスミス オフショアスティック8fにリールはラインキャパの出来る限り大きなモノとして、大径スプールのダイワトーナメント磯遠投 5000あたりを物色していた。

いざ銭洲に行くにあたって船宿の選択をどうするかだが、良く行くショップが仕立てでルアー船を出すから来ま せんか?の誘いが有り、伊豆忠兵衛丸に乗る事にした。
釣行数日前になって、行き先は銭洲で無く御子元島でワラサがかなり釣れているから御子元に行きましょう!と言う事で、釣り場所を銭洲から利島、御子元に変更 される。
利島付近でのジギングでは噂のワラサは誰も釣れず、友人が赤ヤガラを釣り上げた程度の撃沈状態。
帰港途中に御子元付近で私はシイラが釣れ「まあボーズより良いか」と言う感じで不完全燃焼状態。
こんなモノか?と船宿に戻ると、銭洲戻りの釣り人から「カッタクリのカンパチが好調で、シイラやら魚が一杯居たよ」なんて聞いてしまい、ブルーな気分にトドメを刺されてしまった。

銭洲初釣行

やはり行きたい釣り場は全て自分の判断で手配しないとダメだと言う事で、次の週に忠兵衛に直接予約を入れるも運悪く台風の接近で出られず。
その後も台風が毎週の様に発生し3週間位銭洲が 遠のい ていた。
そしていよいよ銭洲に出られるタイミングがやって来たのが9月末頃。
出船は3:00集合4:00出船で、船代はルアーの場合コマセが無いので¥20000だったと思う。
船に乗り込む前にバネハカリでドラグ調整を済ませ、2時間近くかかる銭洲へ向かう間に船室で仮眠を取る。
台風シーズン合間の銭洲は若干波が高く、第一投はネープルスの30mライン。
水深が浅めなので、スミス100Hにカーニバル黒銀の60gジグを付けて投入。
当時のスタイルはボトムにジグが着いたらハイスピードのロングジャークで水面までジャーク&ジャークしてくる。
ジグは出来る限り早く(時速100KM/Hでジグを動かす勢いで)、ボトムからガンガン水面まで気を抜かないでジャークしてくるのだ。
ロングジャークなのでジャークの間に一瞬ポーズ状態が出来て、カッタクリの様にシャクリの間に一瞬止めが入る様なイメージでジャークする。
 (当時ジギン グのルアーアクションは、カッタクリからヒントを得たと聞いていた。)
ジャークの方法として、水平より下げたロッドのバットエンドを肘でサポートしながら、思いきり高くロッドをシャクリ上げロッドを倒す時にリールを急いで巻 いてラインスラックを取る感じだ。
これを傍から見ていると、激しいロッドアクションとリーリングを行う為、体力勝負の釣りと言うイメージがピッタリ。

釣り始めて2~3投目で「ガツン」としたアタリが有り、小型カンパチがヒット。(このガツンとしたアタリがジギングの魅力でもある)
多少ドラグを出されるも、余裕でランディング。(船長がマイクで今日はルアー調子良いな~)
その後は銭洲はピンク系のジグが良いとの事で、自作した3ozカーニバルピンクをメインに使用し、2~3キロサイズのカンパチ、沖鯵を7~8 匹釣って、波風が荒くなり沖上がりとなる。(小物だが数が釣れたためか、スポーツ新聞の釣宿欄に竿頭として出ていて苦笑いしてしまった)
この時は、開始早々に魚が掛かり、にかく夢中でジギングしていたから疲れを感じる事無く一日釣りをする事が出来た。
餌釣りと違いジギングでは常にルアーを動かさないと釣りにならず、インターバル的な待ちの釣りが出来ない為、いかに一日中ジグをシャクリ続けられるか。
これが一番大事な事で、インターバルを入れたり体力面で色々と工夫しなければならないところだ。

銭洲から下田に戻る船の中で泳がせの大物師から色々な話を聞かされ、大型を狙うならば餌で大物釣りをやっている人と、南方へ遠征して経験を積むべきとアドバイスを受けた。


帰宅後にカンパチの刺身とオキアジの刺身を食べ比べしてみたが、カンパチの方が旨かったかな。オキアジはチョット脂ぽかった・・・
この頃はドラグテンションを乗船前にバネ秤で調整したり、釣行ごとにラインを新品にしたりと、ナイロンラインならではのシビアな釣りをしてい たと思う。

初めての銭洲で小さいながらもカンパチが釣れ、次こそは大物と、次の週末も銭洲遠征の予約をしていたが、ヤル気満々な我々を嘲笑かの様に、この年は台風の 当たり年で出船できずの連続。
その後毎週の様に銭洲行きを予定したが、残念ながら台風も毎週現れてしまい、90年はその後一度も銭洲には行ける事は無かった。

  

マリアカーニバル2oz 3oz  右はフックをソルト用フライフックを2本仕様に交換したLジャック

  

ピンク系のジグが販売されて無く、自家製塗装のカーニバル3OZと古くから有るジグ ダイワ ファントム60g


期待の銭洲解禁と思わぬ獲物



1991年4月1日 銭洲解禁と同時にオフシーズンに構想していたタックルを手に、期待に妄想を膨らませながら銭洲に向かっていた。
解禁ならばスレてないから良い釣りが出来るなど、当時は甘い期待で一杯でした。(苦笑)
それでも、深場対策にベイトタックルを持って行ったのは、始めたばかりで色々試してみたかったから。


ロッド ティファ スエルズ800SGS、スミスGS100H フェンウイック ツナスティック
リール シマノ バイオマスター5000、GTX4000 ABU 7000Cシンクロ
ライン バリバススーパーソフト20LB、30LB
リーダー 銀鱗Z 8号 12号
ルアー マリアカーニバル3OZ銭洲スペシャル、ヨーヅリ メタリックサーディン150g200g

 

ベイトタックルとしてチョイスした、フェンウイック ツナスティックとABU7000Cシンクロ


 

120gから200gまで揃えたメタリックサーディン  販売数が少なくカラーの選択肢は殆ど無かった


当日、波は少ないが天候は良くなく、雨模様となる。 
始めに入ったネープルスの浅場で100Hにカーニバル3ozでジギングを開始するも、カンパチなどの生命反応が全く無くエサ釣にもアタリが無い。
浅場で釣れない時はお土産釣りの深場に移動されると話に聞いていたが、この時も深場のヒメダイポイントに早々と入られてしまた。
ナイロン20lbラインに3oz主体のジグで150m以上の深場では、ジグが潮に流されてしまいなかなか底が取れない、これでは釣りにならな い為、深場対策として自分なりに考えていたベイトタックルにスイッチした。
タックルの内訳は、ロッドがフェンウィックのツナスティックにリールはABUの7000C。ラインはバリバスナイロン30Lbを巻けるだけ巻いて,ジグは メタリックサーディン200gと当時通常入手可能なヘビータックルで挑む。
ベイトタックルでもスピニング同様、ロングジャークで攻める。
数投目の落とし込みで、そろそろ着底と思われた時ラインが勢い良くもっていかれるアタリが出た。
急いでリールを大きく巻き込みながら、仰け反る様に3回以上アワセを入れると強烈な引きが来た。
ツナスティックが大きく曲がり、リールのドラグを目一杯閉めてもラインが止まらなかったが、数回の締め込みに耐えリールを撒き続けると徐々に魚が浮き始め た。
ポンピングしながら、かなり魚を浮かせて内心「やった」と思った時、急に手応えが軽くなりフックが外れてしまった。
この時はフック外れの原因が細軸のシングルフックに有ったのとは暫く判らず、その後も魚をバラす原因の一つとなっていた。
なぜ細軸のシングルフックに原因が有ったか考えた理由として、ソルトフライ用フックなのでフックのアイが極端に小さく、スプリットリングの所でフックが固定されてしまい、
フックの動きに自由度が少なくジグが動くとポロリンとなっていたのだと思う。
当時アシストフックは登場しておらず、後の対策として太軸のトリプルフックか管付石鯛針を使用して対応していた。


バラした後はアタリが殆ど無く心が折れそうになるが、重いベイトタックルから軽量なスミス100Hにカーニバル3ozにチェンジして、斜めロングジャークを繰り返し粘りに粘った。
諦めかけた時に何か魚 が掛かったかな?と言う重い感触が有り、ヌルッと上がって来たのがヒメダイで、今回はその一匹釣れた所で終了。
(ヒメダイを釣ったのは、後にも先にもこの一匹だけしか釣った事無い)

正直こんな筈じゃあと思いましたが、ヒメダイが釣れたのでルアーでも粘れば何とかなる!(この諦めの悪さが肝心です!)
こんな感じで深みにハマッて行きました。

91シーズン マリアから銭洲スペシャルと呼ばれるジグカラーのカーニバル3ozがデビューしジギングに対しての期待が高まる。
このジグは全3カラー5個づつ位買ったと思う。(かなり入れ込んでいた)

カーニバル3oz 銭洲スペシャルカラー  3種類位カラー有り

マリアカーニバルシリーズ  左は銭洲スペシャルカラー 右はオリジナルカラー 上から 3oz 3oz 2oz  1.5oz 1oz
3ozは潮が早い外洋仕様を意識して、落とし込みスピードを稼ぐためにテール寄りに重心が来ている。
60g以下は、ほぼセンターバランス仕様となっていた。
ジギングでは、k-ten P-BOYジグを使うまでは、何処へ行ってもカーニバルをメインに使用していた。

 

フックの変遷(付録記事)

 

左から: マスタッドトリプルフック(ジグに最初から装着されてるフックはコレが多い) イーグルクロートリプルフック (1990年代~)
左二番目: 管付石鯛針18号 (上記トリプルが伸ばされてしまう為、スプリットリングを付けてシングルフックとして使用) 管付延縄針(カツオ用ジグに使用)(1990~1999年頃)
左三番目: ヨーヅリクルクル(カツオ、シイラのジグにシングルフックとして使用)(1990~1995年頃)
左四番目: ガマカツ トリプル 3/0 4/0 (かなり強化されていて、アシストフックの登場までコレを主に使用) (1990年代~)
一番右 : カツオ用ケンケン針(IGFAルールでは使用不可であったが、強靭である事から沖縄等の大型カツオやキハダで使用)(1991~1995頃)



左から: 初期のアシストフック(1999年頃) 石鯛針仕様
左二番目: 2000年代のアシストフック ヒラマサ針風のフック仕様
左三番目: 太刀魚用 細軸バーブレスフック ワイヤー付きアシストフック(2000年代)
左四番目: 細軸シングルアシストフック(2010年代)
一番右: オーナー段差フック 2種類 (細くて強度があり、ライトタックルに最適) (2010年代)

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