なぜ、マスクなのか?

木にマスクをかける仕事を始めて以来、よく尋ねられる。
答えは簡単。単純、明解そのもの。
「わたしの頭の中に生えていた木が、マスクをかけていた」からである.
その姿は、とても毅然としていて好ましかった。すっくとマスクをかけて、わたしをへいげいしていた。
わたしは、頭の中のわたしの樹がかけていたマスクを、ちょつと拝借して、地球上の木にかけ替えただけなのである。

父が大好きだった。
小学校の3年までは、虚弱児で学校も休みがちだった。いつも風邪を引いては、とにかく寒くないように着ぶくれて家の中で寝ていた。さ、今日から学校へ行ける、という日、父は必ず、なぜかわたしにマスクをかけさせた。物資のなかったころ、父が上京した折りに買い求めてきた進駐軍のお下がりの上等な赤いオーバーは重く、おまけに体力が回復しきっていない口をマスクでふさがれて、息も絶え絶えに学校までの雪道を歩くのだった。ついに途中で、うしろめたさとともにマスクを鼻からあごに下げ、いきなり冷たい空気を吸い込んでは鼻水を垂らすのが常だった。その鼻水をマスクでふきとってオーバーのポケットにねじこんでから、生徒用玄関でおもむろに上靴をはいた。
父が大好きだった。

なぜ、マスクなのか?
こんな生い立ちをもっていたら、誰だって、マスクに寄せる親密の度合いがふつうの人よりは高くなるだろう。

さて、汚染した大気や雨にさらされながら、樹木と一体となって過ごすマスクたち。無言のマスク…。無言の風景…。
沈黙する風景が、何を語ろうとしているのかいないのか、 語り始める日は遠いのか近いのか、見る人々に委ねるより術(すべ)はない。
2001年8月15日




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