池田 緑 (美術家)  

1 行為の意義

 2003年春、はやくも〃今世紀の警鐘〃ととれる二つの出来事が地球を襲いました。一つはすべての戦争がそうであるように全く人為的に勃発したイラク戦争であり、もう一つは現代の科学をしていまだに治療薬が見つからない新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)の発生です。
 ことにアジアを中心に2800人近くが発症し、100人以上が死亡している新型肺炎については、医療用マスクを媒体(素材)にマスク・プロジェクトとして四年前から展開している私の一連のアート活動〈インスタレーション・アートパフォーマンス・版画作品制作・ビデオ作品制作など〉との係わりも深く、成り行きが気になるところです。
 世界保健機関(WHO)は、新種のコロナウイルスが原因で唾液などの飛沫感染で広がるとの見方を強めていて、患者の飛沫を浴びないように医療用マスクの着用を勧めているのですが、それにしてもいったい誰が花粉防止や風邪の蔓延防止以外にこんなふうに一斉にマスクをかける事態が起こるなどと想像できたでしょうか。
 2002年、私は道立帯広美術館企画のワークショップ「マスク・プロジェクトーグリーンパークから丘の上の美術館へ」(「十勝の新時代V・池田緑展」の関連事業)で帯広市緑ヶ丘公園の道沿いの樹木600本に市民と一緒にマスクをかけるというアートパフォーマンスを行いました。マスクをかけて見事に立ち並んだ木々を、その後手直しを加えて作品化したのが、とかち国際現代アート展「デメーテル」の連動企画「とかち環境アート2002」のインスタレーション作品「Silent Breath」 です。企画書に在った当時のコンセプト文(*)を改めて読み返してみると、現在のこの状況をまるで予測していたかのようで驚きが大きいのですが、自分自身のアート行為の意義を迷いなく肯定できたことは、今後の活動の強い力です。

 

 

2 自然とマスク

 木に医療用マスクをかける、というアート行為のきっかけは、1999年に突然にもたらされまた。この年、新得町サホロ湖環境アートの森を舞台に長期のアート・プロジェクト展開されることになり、春先から作品の構想を練るために帯広から車で一時間ほどの道程を足繁く通っては自然との対話を重ねていたのです。そんなある日、全く唐突に、もしそうした表現が許されるなら「神の啓示」のように、その光景が見えたのでした。緑の木々が一斉に白いマスクをかけている光景が!
 自然からの抗議、示唆というにはあまりにも静謐で美しすぎる光景でしたが、視覚と感覚と脳覚(造語)の日常の領域には収まりきらない、ある意味で異様な光景でした。木々の沈黙の呼吸を聴いた瞬間、としか言い様がありません。(このとき私自身が感じた驚きは後日、作品のねらい-人の平坦な心の波長を小突いて揺さぶること、たとえ針一本分の衝撃であったとしても初めて体感する衝撃として人の記憶に残すこと−として一人歩きしていくことになりますが…。)
 こうしてこの後、「見た(見えた)光景」の再現のために医療用マスクという新しい素材を、油彩画を措いていた時代から長く愛用し続けてきたブルージーンズに変わるものとして使い始めたのです。
 さて、木々がかけたマスク「ひとつの事態−マスクをかけた2000の樹」は、風雨や大気に晒され、木自身の呼吸とともに次第に汚れ、変色していきます。年月の差が生み出すマスクの微妙な汚れの違いに、急速に進んでいる地球環境の悪化や汚染の視覚的バロメーターとしての役割を担わせること。有限の年月の物差しで取り出された自然の営みから、不可視の時空(未来永劫)を感知すること。「呼吸・生命・大気」を連想させるマスクを時間の流れの中に置くことによってさらにこのような目論見を付加。定期的にマスクを木から取り外して採集し、それらのマスクを標本という観点から造形化した作品が、MASUKU SPECIMEN「サホロの7ケ月/12ヶ月/21ヶ月/24ヶ月/33ヶ月」です。
 ところで、2000本の木にマスクをかけるとか取り外すなどと一口に言っても、これがなかなか大変な作業です。背丈ほどある笹薮をかきわけかきわけ進んでは一本ごとに脚立を立てて(造形的に適切な向きと高さで)マスクを取り付けるのですが、山の地面は凹凸が激しく足場を築くのが難儀でそれなりに時間もかかります。薮蚊も多く、カラスヘビや熊が棲息している気配も感じます。7ヶ月日のマスク873枚は2000年3月19日に取り外しましたが、ゴールデンウィークまでは通行止の雪深い山の中ゆえ、トレッキングまがいのかんじきを履いての採集となりました。けれどいいこともあって、雪が2メートルもの高さに積もっているから脚立を使わずともマスクに手が届き、ガリバーになったような気分が味わえたのです。

 

 

3 ドイツの地で

 新得町サホロ湖環境アートの森の樹木にマスクをかけて1ヶ月もしないうちにドイツに出かけます。「TOKYO SHOCK」いう日本人アーティスト達の展覧会がケルン市で企画され、スタッフとして同行したのです。画廊主と共に一つの展覧会の準備から終了まで関わることができたのは幸せな経験でした。が、もっと幸せだったのは、この滞在中にマスクを素材にした新しい展開が生まれたことです。
 実は、ドイツの林にもかけようと百枚のマスクをスーツケースにしのばせていったのです。しかし大都会のケルンにそんな樹木はなく、苦肉の策として標識、フェンス、階段、ゴミ箱、ドアのノブなど、遠くはカッセルまで足を延ばしてマスクをかけて歩くことになりました。これが思いのほか反響があったのです。幾人もの人が話しかけてきます。じっと私の行為を見ていてなかなか立ち去ろうとしない人もいます。ガーゼ(木綿)製の日本の医療用マスクが、環境問題では国をあげて取り組み、世界に一歩先んじている国で思った以上の威力を発揮したのです。私は、コンセプチユアル・アートパフォーマンスの醍醐味を存分に味わうことになりました。この時の様子の一部は、道立帯広美術館で開催された「十勝の新時代V・池田緑展」の折り、吹き抜けのロビー天井から吊り下げた五枚組の作品「Germany with Masks 1999」を通してご覧いただけたかと思います。
 その後、帯広、北欧、越後妻有、ニューヨークなどでも同様のアートパフォーマンスを行うのですが、これらの様子はビデオやスライドや版画 また作品としての「折りたたみ式絵はがき」を通して同様にご覧いただくことができます。
 この分野もまだまだこれからです。マスクというアート言語を用いて世界中の人々と交信することで何らかの手応えを肌で感じ取るべく、意気込みも新たに継続展開していくつもりです。
   

4 ニューヨークで

 私は、北海道文化財団の助成を得て2001年5月から2002年3月まで版画(コロタイプ他)の技法修得のためニューヨークに滞在しましたが、その滞在中に遭遇した同時多発テロ事件が私にさらなる転機をもたらします。事件からちょうど1ヶ月後の10月11日、私はなんとマンハッタン内のあるスタジオでビデオ作品を収録していたのです。出演者は一般から公募したのですが、オーディションには新聞に掲載した私の制作意図に賛同した、あるいは興味を持った市民43人が集いました。この方々に同時多発テロについての考えや思惑、感情などを自由に語ってもらい、その後、それらの言葉を裏付けるような<目の演技>をしてもらつたのです。「Silent Breath 10/11/2001 NYC(Speak)」は、それぞれが語った言葉の中から(重要と思われる一語)をピックアップし、その音声を映像に重ねて編集したものです。目の演技を強調するために、映像のマスクに被われた口は無言です。「Silent Breath 10/11/2001 NYC(Hand movement)」は、ひたすら〈命の源としての呼吸)を<手の動きだけ>で表現してもらつた作品です。手の動きの速度は編集の段階で微妙にゆるやかに調整していますが、気に入った作品に仕上がりました。
 さらにこの中から5人の方を選んで出演を依頼。後日、振り付けのリハーサルも行ってオフ・ロードウェイの劇場で1時間の映像作品「Silent Breath 2001 New York」を収録します。この作品の制作意図は、ちらっと見ただけでは動きを感じ取れない<まるで“壁”のうな映像>で、しかしながらちょつと目を離した隙や会場内を一巡するうちにいつの間にかその“壁”が切り替わっていて……さらにその“壁”はなんだかいやに意味ありげ風で……。そうです、そうなんです。実は殊にカを注いだこの作品こそ、<通りすがりの、わけありの映像>として人の意識をかすめ取ることをねらつたものなのです。それだけに、限られた条件の中ではいたしかたないのですが、前述の帯広美術館での個展の際には小さな画面での上映にとどまったのが作家としては少々残念です。いつか、目論見通りに映像の“壁”として上映できる機会があればと思います。
 とにもかくにも、同時多発テロを経験することなくしては、これら三本の映像作品シリーズは誕生していなかったでしょう。「地球の環境汚染を憂え、ひとりのアーティストとして少しでもその進行に歯止めをかけたい」との願いは、「生命の源が呼吸であることを喚起し、さらに呼吸から派生する様々な現象−人間の存在そのもの、人間が人間の呼吸を奪い支配する行為も含む人間のあらゆる行為、全生命に早晩訪れるだろう生命の危機−について再考察する」とまでその範疇を広げていったのです。
   

5 シンボルのマスクツリー

 いま一番制作したいと思っている作品は、「マスクツリー」です。「クリスマスツリー」をもじつたものですが、枝にぶら下がったマスクが風に翻ったり、茂った緑の葉の聞から白い顔を覗かせるのは、難しい理屈を抜きにしてなかなか楽しいものです。
 「十勝の新時代V・池田緑展」の開幕に合わせ台風6号の風雨の吹き荒れる早朝、建築現場のように足場を組んで帯広美術館学芸課長の寺嶋弘道さん、学芸員の石尾乃里子さんとずぶ濡れになりながら、美術館前庭とプロムナードの樹木(各1本)の枝におよそ400枚のマスクを吊り下げて制作したのがはじめです。
 いろいろなメーカーのマスクを試した結果、作品としての使用に耐える品質の良さからいつも興和ヘルスケアー(株)のマスク(ガーゼ16枚重ね)を使用していますが、近々のうちに大量のマスクを購入して「マスクツリー」の林を実現させたいものです。マスクは、人間の英知と良心の象徴としての希望に満ちたメッセンジャーなのですから。

(注)*いまここにきて、世界的に生命の源としての呼吸の大切さが見直されている。きれいな酸素の重要性をいま一度確かめ合い、人間が人間の呼攻を停止に至らしめるおぞましい戦争行動なども含め、呼吸にとっての不健全な環境を排除し、未来に向けてできるだけ快適な環境を保持し続けていくことー。そうした意思の表示を、国境を越えて子供も大人もその使用目的は周知の医療用マスクに託して表現していきたい。
[美術ペン109 2003spring 掲載 ]
 



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