(邪馬台国と大和朝廷を推理する)
  
W考古の巻  十章 考古学との接点 (34353637・3839)
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38「勒島貿易と原の辻貿易」を読んで

「勒島貿易と原ノ辻貿易」は白井克也氏の論文

 この論文は、何を言ってるんだかよくわからないところもあったのですが、興味のある分野が含まれているので、ゆっくり読むことにしました。この人の論文を読むと、「むむっ。おぬし、できるな。」という印象を受ける人ですから、信頼して読んでおります。

 白紙の年表に内容をメモしながら読んでいくと、話の展開がはっきり見えてきました。驚きの内容で、私の理解する邪馬台国の状況とも話のかみ合う部分がありますので、簡単に紹介します。

(ろくとう)は韓国の島、原ノ辻は長崎県壱岐島の遺跡です

 勒島は、地図に名前の出ないような小さな島です。以前は三千浦市、今は泗川市に名前を変えた町のすぐ南の島です。釜山から西へ、直線で85キロほどのところにあります。

 韓炳三(ハン・ビョンサム)氏がNHKの講座を持った時のテキストを見て、ようやく場所がわかりました。

 将来、遺跡の島としてもう少し名が売れたら、地図に名前が出るかもしれませんね。

 (コネスト韓国地図に「勒島貝塚」と出ていました。20110927

 原ノ辻は、長崎県壱岐島(いきのしま)の弥生時代の遺跡で、古代の船着き場が出土したことで全国的に有名になった遺跡です。大阪での展示会は和泉市池上曽根遺跡の横にある府立弥生文化博物館で行われ、私も珍しく行ってきました。が、普段から遺跡の見学などにはあまり興味のない人なので、特に感想はありません。

 妻木晩田遺跡が見つかった時も、ちょうどあの地域に興味があって何度か足を運んだのですが、遺跡には行きませんでした。あの辺が遺跡だなぁと、遠目に見ながら、山やら谷やら歩き回っておりまして、とうとう行きそびれてしまいました。

 遺跡の遺物を見る暇があったら、その時間を利用して、山を見よう、谷を見よう、神社へ行ってみよう、周りの地理をよく観察しようと思ってしまいます。あちこち歩くとやたら時間がたってしまいます。遺跡を見るのはいつも後回しです。

勒島(ろくとう)は、韓国ではヌトと読みます

 ラ行で始まる言葉はわが国には存在しない。

 これは、アルタイ系民族の言葉の鉄則です。トルコ人・モンゴル人・旧満州人・朝鮮人などがアルタイ系の民族です。韓国では、ラ行音の文字が頭にある場合は、ナ行音やア行音に変えて読みます。モンゴルでは頭にオを付けるようです。

 洛東江 → ナ
トンガン らくとうこう
 李成桂 → イ・ソンゲ  り・せいけい
 ロシア → オロス

 というわけで、勒島は本来ならル
トと読むべきところですが、韓国では民族の掟があるためにヌトと読まなければいけないのだそうです。

 ちなみに日本人も一応アルタイ系民族に含まれています。江戸時代の日本人は、ロシアのことをオロシャと呼んでいましたっけ。こちらはモンゴル風ですねぇ。

 ただし、中国でもモンゴルの影響か、ロシアを俄羅斯(エロシ)と表記することがあります。日本語のオロシャも中国から伝わった可能性もありそうです。

ようやく本題です

私の理解する邪馬台国の状況とも話のかみ合う部分と言ったのは、楽浪人の居住に関する部分です。

楽浪人が倭国に居住したのは、委奴国が後漢に通交した1世紀です。

ところが2世紀になると、楽浪人がいなくなります。

これは、高句麗が邪馬台国を建国して楽浪人を追い出したからと考えると話が合うのです。

白井克也氏の論文より

古朝鮮

水石里式

前期末

BC200

 

(無文土器)

 

 

 

 

 

城ノ越

 

 

 

 

 

 

 

勒島T式

須玖T式(古)

 

 

(無文土器)

 

 

 

 

 

 

 

 

勒島U式

須玖T式(新)

 

 

(無文土器)

 

 

 

 

 

 

BC100

楽浪T期

弁辰韓T期

勒島V式

須玖U式(古)

 

 

(瓦質土器)

(無文土器)

 

 

 

(三韓土器)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽浪U期

弁辰韓U期

茶戸里式

須玖U式(新)

 

 

(瓦質土器)

(無文土器)

 

 

 

(三韓土器)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BC1

楽浪V期

弁辰韓V期

高三潴式

AD1

 

(瓦質土器)

 

 

 

(三韓土器)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽浪W期

弁辰韓W期

下大隈式

 

(瓦質土器)

 

 

 

(三韓土器)

 

100

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弁辰韓X期

 

 

(瓦質土器)

 

 

 

(三韓土器)

 

 

楽浪X期

 

 

西新式・庄内式

200

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古式新羅加耶土器

古墳前期

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

300

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡単にまとめると(というよりメモです)

BC200

移住民 ← 大陸の政治変動

 

  青銅器・鉄器をもたらす。

 

  北部九州のほか、南九州・山陰へも。

 

 

 

勒島貿易 ← 倭人・韓人の貿易拠点。

 

  渡来韓人、佐賀平野などで青銅器の生産。

 

  戦国系鋳造鉄斧・多鈕細文鏡の輸入。

 

  北部九州

 

  日本海沿岸から畿内地域へも。

BC100

 

 

原ノ辻貿易

 

  貿易拠点の移動 ← 楽浪郡設置による政治変動。

 

  北部九州の拠点集落の集住化。

 

    鉄器使用の日常化。

 

    青銅器生産工房の集約化。

 

  瀬戸内ルートの開拓

 

  山陰 青谷上寺地遺跡

 

 

 

原ノ辻貿易の継続

BC1

  三韓土器の搬入。 早良区。

AD1

  楽浪土器の搬入。 対馬・壱岐・糸島

 

  楽浪人の居住。 三雲

 

    大型壺ほか多くの器種。

 

    漢鏡、金銅四葉座金具、ガラス璧。

 

    政治的な交渉。

 

    (漢委奴国王の金印はこのころ)

 

  鉄器、畿内・関東へも。

 

    瀬戸内・畿内に拠点集落再編の動き。

 

 

 

原ノ辻貿易の継続・繁栄

100

  楽浪人の居住はない。( ← 高句麗、邪馬台国を建国)

  三韓土器の搬入。 瀬戸内・畿内・東海へも。

  楽浪土器の搬入。 福岡・佐賀平野・瀬戸内へも。

    瀬戸内ルート

    山陰ルートはない?( ← 出雲と邪馬台国の対立)

 

 

 

 

 

 

 

200

再編の動き

 

  貿易拠点集落の拡散

 

    早良区西新

 

    平野区加美・久宝寺

 

  三韓土器

 

    広島・加美遺跡1号方形周溝墓・久宝寺遺跡

 

    纏向遺跡・島根(山陰の再登場

 

 

 

博多湾貿易

 

  古式新羅加耶土器

300

    北部九州に分布

 

  楽浪土器

 

    壱岐 糸島 博多

 

 

 

 

追記 九州王墓空白期 2010・1・2
2世紀初めの高句麗の侵入から、2世紀後半のイザナギ(孝昭天皇)の九州遷都まで、
九州では王墓と称する遺跡が見つかっていません。
おそらく今後も見つからないと思いますから、年表に「九州王墓空白期」を書き入れました。

追記 2010517
白井氏の元の表では須玖U式(新)の右の欄に漢鏡3期とあります。
漢鏡3期は、BC32AD39です。白井氏にも、年代を古く見る傾向があるようです。
全体的に50年新しくすることもできそうです。弥生中期を紀元前に押し込めるのは無理です。

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