ルールその1、相手を呼ぶときは名前で。

、おはよう」
「おはよう、蔵ノ介、…くん」

教室に入ってくるなり一直線に私のところにやってきた白石くんは満面の笑みで挨拶してきた。 事情を知らない友達が、突然親しげになった私たちにどういうことなの!? と詰め寄ってくる。 そんな事はおかまいなしと言うように、自分は少し離れたところにある自分の席について 暢気に辞書なんかを開いている。 謙也くんがぽかんとした顔で私を見てきていたから、「おはよう」と 少し遠めに声を放るとワンテンポ遅れて謙也くんも「お、おはようさん」と言ってくれた。
変な縁だと思う。謙也くんとは1年生の頃から同じクラスだった。 中学時代は白石くん同様、全く接点の無い存在だったのだけれど、 たまたま席が隣になってから謙也くんとは友達と呼べる仲になった。

「白石くんと何か急に距離近くなってない?」と聞いてくる友達に、 何と返事をしたらいいかわからず「そうかなあ?」と曖昧にはぐらかした。
別に正式な恋人同士というわけじゃない。そう、ただレンタルされているだけなのだから。 この関係が何なのか、私にもよくわからない。
疑わしい眼差しで見つめてくる友達の視線に耐え切れなくて、 机の中から適当な教科書を取り出して今日の予習をする事にした。 そういえば今日、課題あったよねと適当に話題をそらすと「そうだった!」 と言ってそれ以上私と白石くんの事をたずねては来なかった。



昼休みになって、いつものように友達と机をくっつけてお弁当開きをしようとしたら、 また白石くんがやってきた。

「何しとんの、ほら行くで」
「え、どこに?」

昼休みに委員会の集まりでもあったかな、また忘れていたのだろうかと不安になると そんな考えが伝わったのか「委員会やなくて」と白石くんが苦笑した。

「ご飯、一緒に食べようって事」

ぽかんと口を開けたまま座っていると、白石くんが私の腕を掴んで立ち上がらせた。

「悪いな、俺の方が先約やねん」
「あ、ちょっと」

同じようにぽかんと口を開けてびっくりしていた友達に、 絶対悪いと思ってないようないい笑顔で謝ると、 白石くんは私のピンクのお弁当包みを机の上から掻っ攫って歩き出した。 腕をつかまれたままだったので、それにつられて私も歩き出す事になる。 足がイスにひっかかって、ガタンと音を立てた。
静まりかえっていた教室に、その音は大きすぎた。




ルールその2、お昼ご飯は一緒に。

賑わいを見せる廊下を歩くには、目立ちすぎる私たちは放課後には派手な噂になっているだろう。 そんな事を考えてひどく憂鬱になった。 (どうか初日くらいは呼び出されませんように)そう祈ることが精一杯。

校舎裏手の庭園でやっと白石くんの手から解放された私は、ほっと一息をついた。 「はい」と手渡されたお弁当の包みを受け取って、適当な場所に座る白石くんの近くに腰をおろした。

「やっぱり安易にうんって言わなきゃよかったな」
「なにを?」
「レンタルカノジョ。もしかしてしら…蔵ノ介くんわざとやってる? 私の事嫌いなんでしょ。もう絶対蔵ノ介くんのファンの子からフルボッコ確定だよ私」
「レンタルでも彼女は彼女やろ?周りに見せ付けたくてしゃーないねん俺」
「だからそれが私の首をしめるんだってば。やっぱわざとやってるんじゃん」
「しめてへんて。俺が守ったるよ」
「そういうのはレンタルじゃなくて本物の彼女に言うセリフでしょ」
「やから、レンタルでも彼女は彼女やて」
「何も目立つ時間帯に恋人っぽい事やらなくてもいいのに」

そう、放課後限定とか。そういう条件にすればよかったのだろうかと後悔した。
のんびりおかずを口に運んでいる白石くんが少しだけ憎らしく思える。
まったく何を考えているんだろうか。

まあ大体の原因は自分にあるんだけれど。
昨日、断ればよかったんだ。そしたらファンの子の脅威に怯えることもなかったし、 廊下を歩いて白い目とか興味本位な目に晒されることもなかっただろう。 噂の渦中に巻き込まれることも無いだろうし、 大人しく静かで私にとって有意義な学校生活を送れていたのに。
この目の前のイケメンは、にこっと微笑むだけで世界を変える力でも持っているんじゃないだろうか。
ちょっとくらい甘酸っぱい青春を送りたいなあなんて思ったのが間違いだった。
というか、間違ったのは選んだ相手だ。

「何考えてるん?」
「うーん、いろいろ」
「ふうん」
「ねえ、これできっと後戻りは出来ないけど、私友達に問い質されたら 蔵ノ介くんのレンタル彼女ですって言えばいいのかな」
「普通にカノジョでええやん」
「普通のカノジョじゃないじゃん」
、めっちゃこだわるなあ。もっとフランクに、楽しもうや」
「蔵ノ介くんはそういう経験が豊富だから言えるんだよ。私、よくわかってないもん」
「それええね。じゃあに色々教えたるわ」
「なんだかなあ…」

ちっとも進まない箸をくわえたまま、私はまた考え込んだ。
レンタルの範囲は、どこまでなんだろう。 カノジョと、レンタルカノジョの超えられない境界線はどこに引いたらいいんだろう。

ふと、のどがかわいたなあと思って「自販機行こうかなあ」と呟くと、 白石くんが自分の飲んでいたペットボトルを差し出してきて「一口あげるで」と言った。 友達同士でもよく回しのみをしていた私は「ほんと?」と普通に受け取って 一口中身を流し込んだ。

「ありがとう」

ごくりと咽をならした時、「間接ちゅうや」と白石くんが言うので 私は急に恥ずかしくなった。



ルールその3、帰る時は一緒。

放課後のホームルームが終わって、どれやっかいな事に巻き込まれる前に早く家に帰ろう と鞄をつかんで立ち上がった時、また白石くんがやってきた(デジャブだ)。
彼が言い出すであろうことが何となく想像ついてしまい、私は思わず身構えた。
というかいい加減、自分がレンタルカノジョであるという事に自覚を持つべきだろうなと 頭のどこかで考えた。 恋人だったら、そう。

「もちろん一緒に帰るやろ」

やっぱりかと思いつつ、突拍子の無いことを言われなかっただけマシかと思った。
昼休みが終わって教室に戻ったら私たちの事はやっぱり噂になっていて、 お前ら付き合ってんのかよという一人の生徒の問いかけに白石くんがあっさり「うん、 だからとらんでな」と認めたので、 こうして二人で帰りの相談をしていても誰一人として突っ込んでこなかった。
何でか思ったよりもあっさりその事実は認められて、「やっぱりなあ」 なんて言ってる人もいるくらいで。 何がやっぱりなんだと私は心の中で突っ込んだ。
委員会が同じ男女というのはそんなに高確率でカップルになったりするのだろうか。

「わかった。じゃあ蔵ノ介くんの部活終わるまで適当に時間潰してる」
「え?部活きいや」
「は?」
「見学したって。コートの中の俺めっちゃかっこええで」
「いや、私完璧アウェイになるって」

めっちゃかっこええ、と自称したところはあえてスルーした。 自分で言うなよと言いたかったがそれは事実なのである。

「ちょうどマネージャーも募集中やし」
「いや、それは関係ないよね」
、部活やってへんから丁度ええやん」
「けど私、体力もないよ」
「まあまあ」

否定しかしない私は白石くんにお昼の時のように引き摺られて、 結局テニス部の部室へと連れて行かれてしまった。 ドアを開けるなり、視線がぐわっと集まってきて思わず白石くんの背中に隠れた。

「んま、蔵りん、ついに連れてきちゃったのね〜」
「どうでもええ、それより小春ぅ、こっち見いや」
「怯えてるやないですか。先輩らがキモイからやないですか」
「白石〜〜〜!おっそいでー!はよ試合しようや〜〜〜!」

なんていうか、自由だ。それが率直な感想だった。
元々テニス部は個性派の集まりだと聞いていたけれどこれは恐ろしい。 白石くんはこの部活で部長なんだよなあと思ったらちょっとぞっとした。

白石くんは「俺の彼女やねん、かわええやろ」と私を指さしてみせた。 社交辞令として「よろしくお願いします」とぺこりとひとつお辞儀をしてみせた。 聞いているのか聞いていないのかよくわからない部員たちが 一斉に口を開くものだからやかましくてその内容が何なのか聞き取れなかった。
(ここは動物園か何かか)

マネージャー長であるという同じく3年生の女の子のところに連れて行かれて、 今日からお手伝いの子と白石くんはその子に説明したあと、 色々教えたってと言って去っていった。
残された私たちは、白石くんの背中を各々の思惑で眺めていた。
救いだったのは、その子がとても気さくでいい子だったという点だった。 やっぱりあの連中と過ごしていると寛容になるのだろうか。 いびられるでもなく、アウェイでもなく、丁寧に私に世話をやいてくれるその マネージャーさんと(その他のマネージャーさんとも)一緒にせっせと作業をこなした。
日が暮れて部活が終わる頃には私はそれなりの充実感と手ごたえを感じていた。 毎日する事なくだらだら過ごしていた放課後よりもよほど楽しい。

ボール拾いなどでコートに入ったりもしたが、たまたま目があった白石くんは確かにかっこよかった。
私を見つけるなり、軽く手をふってきて、私もそれに小さく笑ってレスポンスをした。
フェンスの向こうで白石くんを見ていたのであろう女の子たちが、 ちいさくざわめいたのを私は聞いた。



初日だからか、私が考えすぎだったのか、何もおぞましい経験をする事なく一日目が終わろうとしていた。
偶然にも帰り道が大体同じだった私たちは、変に気負いする事なく家路へと歩いた。

「どやった?」
「悔しいけど、結構今日は楽しかった」
「いや、コートの中の俺の感想聞いてんやけど」
「ぶ、そっちなの?うん、かっこよかったよ」
「せやろ?惚れてもうたやろ」
「あはは、そうだね」
「ほんま?嬉しいなあ」

自分でもそれがリップサービスなのかそれとも本心なのかわからなかった。
かっこよかったのは確かだけれど、惚れたかどうかは別である。
あくまで私はレンタルであり、本物ではない。

「なあ、手繋いでもええ?」

ふと、白石くんが呟いた。
私はその言葉が結構意外だった。 今日一日、強引に私の腕をつかんで校内を歩き回ったくせに今更それを聞くのだろうか、と。

「うん?いいよ?」
「やったあ」
「やったあって、変なの。今日一日蔵ノ介くん、ゴーイングマイウェイだったのに」

くすくす笑っていると、白石くんの手がこつんと私の手の甲にぶつかった。
それから、そろそろと指が絡まってくる。
何だか不思議な気分だった。
どことなくしっとりと汗ばんでいる白石くんの手は、私をなんとなく安心させた。


ポワソン・ダブリル


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