しあわせになりたいと思うのは、自然の欲求なんだよね?






週末、仁美さんとショッピングをする約束をした。 言い出したのは仁美さんの方で、「たまには女の子同士で楽しもう」と言ってくれて、 私は勢いよく「うん!」と返事をした。
あんなに憎んでいた人のはずなのに、今はすっかり大好きな人になっている。 その事を日々感じてくすぐったい。 まあ、あれほど毎日考えていた人なのだからスイッチが切り替わってしまえば、 好きの度合いは憎いに相乗して大きいものだったというわけだ。

当日、ドキドキしながら家を出て待ち合わせ場所に行った私は、 まるで初デートに向かう女の子のようだったに違いない。 待ち合わせ場所に立ってる仁美さんを見つけた瞬間には、 デートする側の男の子のような気持ちにもなり、私の心は忙しかった。
最近、光の事で浮き沈みしていた私は久々に素直に楽しいと思えるイベントだったのだ。



ちゃんはこの色が似合うと思うなあ」とか「この靴かわいい〜」とか、 女の子らしい会話はとても楽しかった。 ファッション雑誌を読むよりも仁美さんのアドバイスを聞いたほうがよっぽど勉強になったし、 あれこれとコーディネートしてファッションショーのように着替えをするのはあまりに楽しかった。
まあ、実際買ったりはしなかったんだけど。
(けれど仁美さんはこっそり私のためにワンピースをプレゼントしてくれた)


歩きつかれた頃に、お茶でもしようかとカフェに入って飲み物を注文する。

「は〜、私ね、一人っ子だからずっとこうやって妹とショッピングしてみたかったの」
「私も一人っ子やから、お姉ちゃんと買い物するの夢やった!」
「ほんと?嬉しいなあ、んふふ、素敵な旦那さんと愛しい息子と、 可愛い弟と妹が出来て私はしあわせものだなあ」
「ぜいたくものやなあ〜仁美さん」
「ね。そのうち天罰くだるかも」

あはは、と仁美さんは笑った。
(天罰なんてくだるものか)
私たちは充分もう苦しんだはずだ、私はそう思う。
だからしあわせでいいんだ(だからしあわせを感じるんだ)。

「だからね、」
「ん?」
「私に天罰がくだらないように、ちゃんにも幸せになってもらいたいの」
「え、」
「それから、光くんにも」

光、という名前が出てきて私は少し憂鬱な気持ちになった。
そのタイミングでウェイターさんが飲み物を運んできて、私たちはしばし黙り込んだ。 仁美さんはホットコーヒーにミルクだけをさし、ティースプーンでくるくるとそれをかき混ぜた。
私はアイスティーにストローを突っ込み、二口それを啜る。
(ああ、私喉、かわいてたんだ)と冷たい液体が喉を滑っていく感覚にしばし酔う。

一呼吸おいて、仁美さんは語りだした。

「私前にね、ちゃんは光くんに似てるって言ったの、覚えてる?」

ふと、光が居なくなった時の事を思い出す。
家にやってきた仁美さんに、私が酷い暴言を吐きその時彼女は確かにそんな事を言った気がする。

「ああ、えと、はい、あの時はほんまにごめんなさい、私…、」
「いいの、責めたいんじゃなくてね、私初めてちゃんと光くんに会った頃を思い出したの」
「…バレンタインとか?」
「そう。あのね、あの日光くんが帰って来た後充さん、物凄く光くんに怒られたの。 の事泣かしよって、お前なんか居らん方がよかったんじゃあって。 凄い剣幕でね、私もだけど充さんは物凄く驚いてね。 光くん、そんな風に感情をむき出しにする事って今まで無かったんだって」

明かされた事実に、私もびっくりする。
(光が?そんな事を??)
確かに今はクールだし、喋り方だって平坦だけど昔は今ほどローじゃなかったし、 それなりに明るく笑ったりはしゃいだり怒ったりもする方だった。
そんな事充お兄ちゃんの方がわかっているだろうし、それでも充お兄ちゃんが驚くくらい、 光は激昂していたんだろうか。

(でもそれは、私のためだけじゃなくて、きっと仁美さんが関わっていたからじゃないかと思う)
いつから光がこの人を知っていたかは知らない、 けれど思い悩む程の年月があったのは確かなはずだ。

「大好きな弟に、自分が居ないほうがよかったなんて言われて、 それも妹みたいに可愛がってたちゃんも居なくなって充さん、ショック受けてね。 見ててこっちが辛かった」
「そう、やったんですか…」
「うん。それから充さんは、その日以来光くんとちゃんの仲も壊れちゃったのに気付いて、 自分のせいかもしれないって、どうしようって泣いてた。 俺は本当に居なかった方が良かったのかもしれないって。何でかわかる?」
「………?」

仁美さんは切なそうに笑って、それからコーヒーを啜った。

「光くんがちゃんの事を本当に好きなんだって気付いたからだよ」
「それは、」
「うん、家族みたいな意味ででしょ、って言いたいんだよね。そうかもしれない。 でも最近、そう思った充さんの気持ちが私、よくわかったの。 ちゃんが光くんと同じ気持ちでいたからだよ」
「せやけど私、今は二人にずっと居って欲しい、光もそう思ってるはずや」
「ありがとう。あのね、似てるなって思ったのはそういうところもなんだけど、 お互いに充さんや私っていう存在を心の中に置いてしまって、 勘違いをしたままで苦しんでるっていうところなの」
「勘違い?」
「そう。でもその事はもう決着がついてるはず。だけど、ちゃんは今も何かに苦しんでない?」

この人は何でもわかってしまうんだろうか。
まっすぐな瞳に見つめられて、私は思わず下を向いた。

「互いに距離が近すぎるとね、気付かないものなのかもね。 一番大きいはずの気持ちが、目の前にありすぎて見えてない。そういう事ってあると思う」

ああ、それ以上言わんとって、お願いやから、

ちゃんは、光くんが好きなんじゃないの?」

まっすぐに真っ直ぐに、純粋に悲しそうに、仁美さんはそう言った。
(やめてよ、私はもうその事にはフタをしたんだから)
(別にそういうんじゃない、そう【だった】かもしれない)

(けど私は、あの場所でしあわせになりたいんだもん、)

「自分の心に気付かないフリも、周りに臆する事もしなくていいんだよ?」
「そんな、簡単な事じゃないです、」
「けど、光くんはもう気付いてる」
「光…?」
「求めて追いかけるべきなのがずっと前から私じゃなかったって、もう、気付いてる」

「そしてまた、苦しんでるみたい」と仁美さんは言う。

(私かて、しあわせになりたい)
(私かて、気付いて、る)

「だからね、私と充さんが最初から居なかったらよかったんじゃないかって、そういう事なの。 あなたたちが最初からお互いの存在に気付いてたら、こんな風に遠回りしてたくさん傷ついて、 苦しまなくて良かったんじゃないかって」




(そんな事はないし、そんなはずもない)
だって充お兄ちゃんも仁美さんもいなかったら、私たちはきっと今の私たちにはなれなかった。

充お兄ちゃんに失恋しなかったら、光は私を追いかけてくることもなかった。
仁美さんがいなかったら、私は光に抱かれなかった。

皮肉な事に、こんな風に苦しい想いをしなかったら。
私は光への本当の想いに気付かずにいたはずだ。

関係を壊したくないから、このままで居たいというのは私が幼いからなのだろうか。 光も私の事が好きだなんて自惚れが、全く嬉しくないわけではないけれど悲しいと思ってしまうのは何故なんだろうか。 恋と言う気持ちはどこからが家族としての愛情ではないといえるの?
家族として純粋に一緒に居たいという気持ちを、恋にすりかえて考えるとどうしてこんなに切ないの?

(いつか、終わりがやってくると)そう感じてしまうからなのだろうか。




気付いたら、私は泣いていた。
(ああ、光がいたら、またこの涙を拭ってくれるんだろうか) そんな事を考えながら私はただ、静かに泣いた。

はっきりと、私の中で形になってしまった光への気持ちは。
何の理由もない(好き)というむき出しの感情だった。
幼馴染としてじゃない、きょうだいのような感情でもない。
そして気付く、この気持ちは充お兄ちゃんに対してずっと持っていたあわい想いとは全く違う、 もっと激しくてもっと痛くて、もっとやわらかでもっと苦しい。
(そしてもっとずっと前から、持っていた気持ちだった)

「私、私わからへん、今までみたいにただ一緒におりたい、私しあわせやねん、 わたし、っ、失いたくない、もう何も失いたない、」
「うん、わかる。言ったでしょ、幸せすぎるとね、怖くなるの。 誰かにダメだって怒ってもらいたくなるの。じゃなきゃ、わからない事があるから」

「だから私が言ってあげる」、と仁美さんは私の頭を撫でた。 そのてのひらが意外にも大きくて、あったかくて安心する。

「あなた達は、本当にしあわせになれてない。偽ったり繕ったりしているうちは」




その凛とした声は、すとんと私のこころの中に落ちていった。


途方もない、
途方もない、

だった。


NEXT