あの夜俺は自暴自棄に陥っていたのだと思う。 でも、誰でもいいと思ったわけじゃない。 だから、手を伸ばした。 それは、なら俺を救ってくれるという自分勝手な思い込みが起こした過ちだった。 (いや、過ちとは思ってない)ただ、どうしたらいいのか持て余している。 と屋上で弁当を一緒に食べてから、謙也さんがどうもそわそわするようになった。 俺をチラ見してくるし、かと言って目が合えばそらしたり「今日はええ天気やな!」 とベタな返事を返してくる。 一体何なんだこの先輩は、気味が悪い。 そんな俺たちを見て白石部長がニコッと笑う、それがまた気持ち悪い。 (あの人、また謙也さんに変な事吹き込んだんちゃうか)そんなところだろう。 けれど謙也さんはコートの上ではテニスに集中してくれるからありがたい。 その他学校生活においてイライラする事があっても目を瞑ろう。 と、思っていたのだけれど先に我慢の限界が訪れたのはしょうもない先輩の方だった。 相変わらず先輩は昼休みになると教室にやってくる。 いい加減クラスメイトもそれには慣れたようで、 最近打ち解けた何人かが「あと20秒後やな」やら「いや、30秒や」などとカウントダウンしたりしている。 (いや、あと10秒やな)と自分も心の中で秒読みすると、やはりその人は10秒後に教室に乗り込んできた。 相変わらず屋上で飯を食う。 雨が降らない限りそれは変わらないようだった。どんなに日差しが強くてもだ。 慣れというものは恐ろしい、俺はすっかりその日常に嵌ってしまっていた。 「あんな、一個質問」 「はあ」 「答えたなかったら、別にええんやけど」 「ほなら、初めから聞かんといてください」 「つれない事言うな」 「先輩の気になっとる事がどんな事かくらい容易に想像つきますわ」 「お前、俺の事単細胞やと思てるやろ」 「ちゃいますの」 「…俺、一応先輩なお前の」 「へえそれはそれは」 「…………」 謙也さんは何とも言えない顔でこちらを見たが、俺は特に気にせず弁当をせっせと口に運んだ。 この人だってそういう俺に慣れている、だから俺は気を赦している。 それがわからない程鈍い人ではない。 「どうせ、の事でしょう」 おかずを咀嚼して飲み込み、次の獲物に手をつける間に俺はそう言ってやった。 謙也さんは分かりやすすぎるリアクションで俺を見て、それから俯いた。 「まあ、な」 「部長に何吹き込まれたんか知りませんけど、はほんまにただの幼馴染ですわ」 「や、そうかもしれんけど」 「謙也さん、アイツの事気に入ったんですか?ほなら改めて紹介しますよ」 特に何も考えずに言った事だった。 俺たちは本当にただの幼馴染で、ちょっとおかしな肉体関係を持ってしまっているかもしれないけれど、 今更それがどうこうなるわけではない。 は先輩を紹介しろ(イケメンだし)と言っていたし、謙也さんの事は(一応)信頼の置ける人だと思ってる。 だから、万が一でも二人にその気があるのならばくっついてしまうのも悪くないと思った。 (ような、) 謙也さんは驚いたように口をぽかんと開き、ただ俺を見た。 「何ですか、その顔」 「いや、お前」 「はい?」 「ああ、いや、白石がな」 「何ですか」 「お前とちゃんは同じ匂いがするて」 「はあ?」 「やから、シャンプーが同じやったって」 「…せやかて、うちの風呂入りますもん当たり前ですわ」 「いや、そうかもしれんけどな。白石はそういう意味ちゃうくて」 ああ、この先輩オブラートに包みすぎや。 遠まわし遠まわしに言わんでも俺は別に怒ったりせえへんのに、と後輩に遠慮がちな先輩を呆れるように眺めた。 それがこの人の持ち味で、いいところでもあるのかもしれないけれど。 「まどろっこしいの嫌いなんでまあ正直に言いますけど、確かに俺、としましたよ」 「はあ!?」 「何を、まで言った方がええですか?」 「いや、お前それは俺をバカにしすぎやろ!それ位察するわボケ!」 「謙也さん子供やから」 「ほんまかいな…」と頭を抱える謙也さんの前で、やはり俺は普通に弁当を食べた。 以前は色も形もぐちゃぐちゃだった弁当だが、今では彩りが綺麗で整っている。 まあそれは、が家に泊まった翌日に限られるが。 「けどそれはシャンプーとは関係あらへんとこでです。部長は鋭いけど、今回は的外れですわ」 「いやお前、ちょっとおかしないか」 「他に何か質問が?」 「質問っちゅうか突っ込みやけど、お前…何でそこまでやっといて平然と『紹介しましょか』とか言えんねん。 あ?いや、昔付き合うとって関係持って今は普通の幼馴染に戻ったって事か?」 「ちゃいますよ。俺とは今も昔もただの、幼馴染です」 「ただのただのて、何を頑張って主張しとんねん。やっぱおかしいわお前」 (どのへんが?) 「確かにいい年の男女がひとつ屋根の下おったら頭沸くんもそういう事に興味沸くんもわかるけど、 お前なんかおかしいで。平然としすぎっちゅうか、当たり前と思いすぎっちゅうか」 「先輩には関係ない事でしょ」 「そやけど、ちゃんが可哀想やろ」 「は?」 「お前、ちゃんがお前の事本気やて考えた事ないんか」 謙也さんはいつになく真剣な表情だった。 深刻とも取れるかもしれない。 あんたこそ、そういう事を気にしすぎな年頃なんじゃないかと思ったけれど俺は何も言わなかった。 (が俺に本気になる?) それがどういう意味を持つのかあんたにはわかるわけもない。 (もしも俺とが、最初からお互いだけを見てきたのならば) (あるいは) ハッピーエンドになったのか? 否、そんな疑念は今まで吐き捨てる程消し去ってきたじゃないか。 (そう、今更だ) 「アイツは俺に本気になんてなりませんよ(いや、なれないのだろう)」 自分に言い聞かせるように、そう言った。 もしかしたら、変な顔をしていたのかもしれない。謙也さんも苦い顔をした。 「例え俺が本気やったとしても」 まどろっこしいのは嫌いだ。 別に隠す必要も無い、正直に言うと。 俺はが好きなのだと、思う。 卑怯かもしれない、後から考えた言い訳かもしれない。けれど俺は多分昔からの事が好きだったのだと思う。 仁美さんは初恋の人だった、それは間違いない。 俺に恋という気持ちを教えてくれたのはあの人だった。 けれどその気持ちは、へ向かう割合の方が大きかったのだとあの雨の日に気付いたのだ。 誰に何と思われようと、俺がそう思うのならそうなのだ。 仁美さんにした奪うようなキスよりも。 と寄り添ってしたキスの方が、辛くて苦しかった。 (が俺を受け入れてくれるのは、俺の事を愛しているからじゃない) その事がわかっていたからかもしれない。 行き摺りの関係で終われるというのなら、その方が良かったのかもしれない(のために)。 (いや、俺のために) に、『恋ちゃうよね』と泣かれるくらいならば。 「お前は、本気なんか」 何てつらそうな顔で、搾り出すようにそんな質問をしてくるんだ。 (別にあんたの問題じゃないだろうに) 謙也さんの泣きそうな顔を見ながら、俺はの作った甘い卵焼きに箸をつけた。 |