(おかえり)(ただいま) (…いや、ちゅうか、ここお前の部屋とちゃうやろ)(ええ、部屋の造りどうせ一緒やん) 朝になって、誰かがぴっとりと背中に張り付いているのに気付いた。 昨日の夜、さんざ泣いた後光が帰ってくるかもしれないから居させて欲しいと財前家に行き、光の部屋で眠りについた。 光のにおいでいっぱいのそこは私が居た頃と何にもかわってなくて、それが私を安心させる。 なつかしい、まるで故郷に帰って来たような気すら、する(大袈裟だけど)。 光のベットに横になると睡魔はすぐに襲ってきた。昨日はよく眠れなかったから。 本当は目覚めた時点で振り返りたかったのだけれど、我慢した。 見なくても誰か、なんてすぐにわかる。幼い頃からずっとこんな風に寄り添って寝てたんだから。 癖みたいなものだったんだと思う。好きだからとかそういう理由じゃなくって、私たちはそうする事に慣れてしまっていた。 新しく敷かれる布団の匂いが嫌で、床が嫌で、光のベットにもぐりこんだのが最初だった。 光は「じゃあ俺が下で寝るわ」と言ったけれど「ええさびしいやんか」と私が言うと、しぶしぶ一緒に眠ってくれた。 幼い彼なりに考えた、優しさだったのだと思う。 両親となかなか一緒にいられない私が、さびしがっているから。せめて俺は、って。 すやすやという呼吸が子守唄みたいに聞こえて、私の意識は再びまどろんだ。 もう一度目が覚めたとき、彼はもう居なかった。起き上がって目をしぱしぱさせていると、リビングの方から声が聞こえてくる。 おばさんと、おじさんの声だ。それから、仁美さんの笑い声。 そっと扉の隙間から覗いてみると、彼らは安心しきった顔で笑ってた。 昨日の夜に会ったとき、おばさんやおじさんは疲れ切った顔をしていて、頬には涙の跡さえあった。 大事な息子がいなくなったとなればそりゃあ、悲しまないわけはない。 彼らがどれほど、光の事情を知っているか(仁美さんがどれだけの事を話したのか)はわからないけれど、 それでも今の彼らは穏やかだった。 (でもきっと、仁美さんは全ては言ってないんだろうな) (雨の中大きな忘れ物をした、その責任を感じてはいたのだろうけれど) だって言う必要も、ないだろうし。 それは、光と仁美さんの間に起きた一瞬の出来事だったのだから。 今日がお休みでよかった。こうしてゆっくりしている時間が無かったら、みんなも心の整理がつかなかっただろうと思う。 唯一見当たらない充お兄ちゃんは、会社で仕事を頑張っている事だろうけど。 きっと会社に行く前に、朝になってひょっこり帰ってきていた光を見つけてごつんと光にげんこつをくらわせた事だろう。 優しいけれど、叱るべき時を心している人だ。 私はまたベットにもぐりこんで、小さく笑った。 しばらくした後に、光が部屋に帰って来て「おい寝ぼすけ」と布団を引き剥がされた。 「起きとったもん」 「布団でごろごろしとるんは起きてるうちに入らんわ」 「ええ」 「髪ぼっさぼさやし」 寝ぐせの立ちまくった私の髪の毛を、光が優しく撫でる。懐かしい、昔もよくこうやって光が私の髪を梳いたっけ。 ふと、光の手が止まって。 私に小さく影を落とした。 ちゅ、とかすかな音を立てて唇が重なる。私は薄く目を閉じた。 その後、再びごろんとベットに横になる。光は「はあ」とため息をついてベットに腰かけた。 「朝飯、とってあるで」 「おお、久々のおばさんのご飯やあ」 「残念やけど義姉さんのこげた飯やで」 「それも食べてみたい」 「食うた事ない人間やからなお前」 「こげててもええねん、仁美さんのつくったご飯の味盗んだろ」 「盗んでどうすんねん」 「光に食わしたる。ああでも、仁美さんがつくらんと意味ないんかな」 「嫌味か」 「心配かけよって、これくらいの嫌味可愛いもんやろ」 「すまん」と、光がバツの悪そうな顔で言うのでちょっとネタがダークすぎたかなと反省する。 光の中でどんな整理が行われたのかはまだわからない。だから私は知らないふりをしておこう。 「うりゃー」と光の脇腹をくすぐってやると、「やめや」と光は体を捩り変な顔(笑いながらも怒ろうとして、 怒った顔になりきれていない笑った顔)をした。 その顔が面白くてずっとくすぐっていると、しびれを切らした光が私の両手首を掴んで万歳をさせた (要するに光も万歳状態)。 目があって、光が目をつぶったから私もつぶった。また、唇が触れあう。 (なんなんだろう、これ) 動物が毛づくろいするみたいな、こねこがじゃれあってるみたいなそんな感じっぽい。 しばらく私たちは万歳をしたまま唇をくっつけていた(こういう表現がとても的確かもしれない)。 うっすらと目をあけると、光もうっすらと目を開ける。 まるで我慢くらべをしているような、感じだ。 (アホらし) ちょっと視線をそらすと至近距離のピアスが目にとまって、初めて近くで見たそれのカラフルさに思わずふいた。 「うわ」 「ぶっ、だって光なんなん」 「何が」 「ピアス、めっちゃカラフル。五輪旗か」 「それ、謙也さんも言っとったわ」 「あー、テニス部の先輩や」 「リサーチ済みかい」 「有名やから知っとるだけ。忍足先輩、かっこええよね。あと、白石先輩とか。めっちゃハンサム」 「顔か」 「顔や。あと、意外におもろいんやってね。今度紹介してや」 「はあ、冗談抜かせ」 「なに、やきもち?」 「ちゃうわボケ」 光はパッと私の手首を解放してごろんと横になった。 片腕を下にして、前髪を片手でいじる。拗ねている時のしぐさだった。 「光、何でピアス開けたん」 「義姉さんのマネや」 「ふうん」 「気づいたら、5個も開けとった」 「自虐的やなあ」 「別に」 (近づきたかったんやろなあ、あの人に) 「なあ、何でうちら疎遠になっとったんやっけ」 「さあ、お前が避けとったからやろ」 「嘘やあ、うちそんな露骨やった?」 「近づいたら殺す並みのオーラ出とったで。過去ほじくり返すな、みたいな」 「まあ俺、腐ってもあいつの弟やししゃーないわ」と光は言った。 私はその物言いが、自分を充お兄ちゃんの付属物みたいに嘲笑っているように聞こえて腹が立った。 (光は、光じゃないか) 確かに私は、意図的に財前家に寄り付かなくなったけれど。自分の居場所がないと感じて離れていったのだけれど。 光なら、追いかけてきてくれるんじゃないかって少し期待していたのかもしれない(今になってそう思う)。 私はむしょうに光にキスがしたくなった。 だから、した。 けど、光は「何やねん」と私を睨んだ(自分がさっきしてきたんだろうが)。 「光」 「なんや」 「私、またこの家に来てご飯食べてもええかなあ」 「当たり前やろ。おかんいつも、て言うとるで。飯ちゃんと食うてるんやろかて」 「新婚生活の邪魔に、ならないかなあ」 「やからそれは俺への嫌味か。俺はこれからは堂々とこの家に居座るつもりやで」 「これからは、ってことは今まではちゃうかったんやね」 「まあな」 「ふうん」 「家来るついでに義姉さんに料理でも教えたれ」 「おお、楽しそう。私お姉ちゃんも欲しかってん」 「お前げんきんやなあ」 「光がおらん間に仲良うなってん。そのうち、充お兄ちゃんから奪ったるわ」 光は「どういう事やねん」と笑った。久し振りに、表情を抑えない光の笑顔を見た気がする。 昔はいつもこんな風に笑っていた。 (ああ、よかった)(眩しかった日々がちょっとずつ戻ってきてる) 結局は、醜い心を持っているとささいなことでも濁って見えるという事なんじゃないかと思う。 言いたい事を吐きだして、それで今では仁美さんの事もちょっと理解できる。 彼女は彼女なりに辛い思いをしてきたんだと。 だって私が彼女の立場だったとしたら、きっとつぶれてしまうだろう。 (お母さんになると、強くなれるのかなあ。守らなきゃいけないものがあるってすごいなあ) 「そういえば、家にも帰らんと何しとったん」 「さあ、夢でも見とった気がする」 「何やそれ」 「いろいろあったわ」 「そ。ねえ、」 (またこの部屋に来てもいいかなあ) 呟くと、光は「当たり前や」と言って笑った。 「光に彼女が出来るまででええで。修羅場になってまうもんね」 私が勝手に光の部屋に入ってベットでごろごろしているところに、彼女を連れてきた光がやってくる。 彼女は「この女誰や光!」と激怒して光はほっぺをビンタされる。 そんなしょうもない未来を想像して私はひとり笑った。 「やから、彼女が出来たらいっちゃんに教えてな」と笑いながら言うと、「お前アホか」と光は怒ったように私のほっぺをつねってきた。 「お前、わけも無く俺にキスしたんか」 「ええ、光がしてくるからやんか」 「それもそうやな」 「意味わからんわあ」 本当に意味がわからないけれど、私たちはまたじゃれ合うようにキスをした。 |