は怒っているだろうか。あんな事をして、嫌われてしまったのではないだろうか。 疲れて眠ってしまったはるかを抱きしめながら、俺はまた夢の事を考えていた。 (光、)と呼ぶ声はいったい誰のものだったのだろうか、今更になってわからなくなる。 夢の中なんて所詮記憶よりも曖昧なものだ。 声に音なんてない、映像に色なんてない。 そこにあるのはただの、残像だ。 今まで、はっきりとしないその女の人の姿はずっと義姉さんなのだと思っていた。 そうあるべきなのだと勝手に思い込んでいた節もあるけれど。 小学4年の頃、初めて会ったあの人がずっとずっと俺を捕えていたのだと。 けれど、腕の中にいる少女の顔を見ているとなんだか妙に懐かしい気分だった。 (ああ、馬鹿らしい) 俺はこれからも義姉さんの夢を見るのだろうか、そのことが気がかりだ。 雨に打たれた体はひどく重たいし疲れていたけれど俺は眠る事が出来なかった。 を腕に抱きながら、あの夢をまた見てしまったら俺はきっと本当に駄目になってしまう気がした。 (すでに、壊れているかもしれないけれど) ついたままだったテレビの明かりで時計を見て時間を確認する。の両親はきっとまだまだ帰ってこない。 それまではちゃんと目を覚ますだろう(そして俺が居なくなった事に気付くだろう)。 濡れそぼって気持ち悪い制服を再び着こんで、俺はその場所を後にした。 家にも、帰らなかった。 ただ、電車を何度か乗りかえて遠い知らない街で降りた。 駅員のいない無人駅の看板はさびてぼろぼろになっていた。 背の高い建物は見当たらず、遠くの方に民家らしき光が見えるだけ。 ここは本当に存在する場所なのだろうかと疑ってしまいたくなるくらい静かな場所だった。 もしかしたら俺の乗った電車は、銀河鉄道のようなもので俺は死んでしまっているのかもしれない (中身がどこにも見つからないのならば、しんでいるのと同じなんじゃないだろうかと思う)。 ホームのベンチに体を横たえて、俺は眼を閉じた。 ごつごつとしたそこは、痛かったけれど俺にお似合いだと思った。 (どうして、こんなことになったのだろう) 元はと言えば全部充のせいじゃないかと、思っていた。 充がいなかったらはあんなに泣いたりしなかっただろうし、仁美さんだって俺を好きになってくれたかもしれない。 あんな幸せくさい家で暮らすこともなかっただろうし、俺が今こんなところに横になる必要だってなかった。 (というのは全て、言い訳だ) だって充がいなかったら、仁美さんと俺はきっと一生繋がる事のない運命だったはずだ。 もしも、なんていうのは無い。本当に無い。 充がいなかったら、今のだって居ない。俺だって居ない。 人生なんてそんなもんなんだろう、そう思う。 ああ、ここは星がよく見える場所だ。 いつの間にか朝になっていた。 電車はまだ来ない。むしろ、もう来ないかもしれない。 俺に帰る場所なんてもう無いような気がする(あったとしてもどんな顔で帰ればいいのだろうか?)。 ふらふらと覚束ない足取りで田舎道を歩いた。蝉がうるさくてじりじりという表現がお似合いな程太陽の光が眩しい。 草のにおいがする。 「あつ…」 ひとり文句を言った。 しばらく歩いたところで、やっと人と遭遇した。 いや、遭遇したところでどうにもならないわけなんだけれども俺はちょっとだけ安心した。 黒いゴム靴を履いて、よれよれしたエプロンをかけて、深いつばの作業用の帽子をかぶったおばあさんだった (いかにも、田舎にいそうだ)。 よろよろと一輪車を押していて、腰は曲がっている。 (危なっかしいなあ)と思っているとやはり、車輪が小石に躓いて派手に転倒した(一輪車が、だ)。 転がって行く土のついたじゃがいもを拾うのを手伝ってやると、その人は驚いたように口を開けた。 「こっだな時間に何しったん〜」 「いえ、特に何も」 この辺にも学生がいるのだろうかと思っていると、ふいに腹をつままれて、 「ほそっこいねえちゃんと食うてるんだが」と気にしている事を言われる。 充は、朝ごはんを食べないからだと言う。 朝ごはんを食べないくらいが何だ、それでも身長が伸びる奴は伸びるし夕ごはんはたらふく食べてる。 でも、最近はろくにまともなご飯を食べていなかったなあと思う。 昨日、もらった弁当(義姉が皿を割ってまで作った自信作)だってほとんど残してしまった。 のつくった夕飯も、あまり食べられなかった。 (ああ、何だか気分が悪い) 気付いたら知らない家の、畳の上だった。 こんな事もあるんだなあと思う。風鈴の音を聞きながら俺は知らない家で知らない人とスイカを食べる。 田舎の方には親切な人が多いというがこの人たちには警戒心というものがないのだろうか。 もし俺が空き巣だとか殺人犯だとかそういった危ない人間だったらどうするんだ? それでも一緒にスイカを食うんだろうか。 ちょっと味噌汁くさい家で、おばあさんの他にはおじいさんが居て。 その人が倒れた俺を運んでくれたのだという(なるほどまだまだ現役そうな見た目だった)。 「あんたほそっこいから食べないとだめやね〜」と食べ切れないほどの昼ごはんを出されたその後の、スイカである。 本当にわけもわからないまま、俺は午後から畑仕事を手伝った。 都会のマンション暮らしの俺が、何で今ここでこうして見ず知らずの人ん家の畑を耕しているのだろうか。 (なぜ、どうして、こうなった?)ぐるぐると脳みそは動いていたけれど本当に、(よくわからない)。 夕方になって家(知らない人の家だ)に帰って(なぜか)夕飯の準備を手伝った。 朝方おばあさんが掘っていたじゃがいもをふかしたり、枝豆を木から挟んだり。 そんな事をしていたら、俺は皿を落として、割った。 「大丈夫か、怪我しねがったがや」と割れた皿よりも俺の事ばかり心配するばあさんに、 (田舎の人というのはこういうものなのか?)と顔をしかめた。 知らない人を家に上がりこませて、看病して、ご飯を食わせて。 だからこんな事になるんだ、この皿の価値がどんなものか(高いのかやすいのか、それとも思い出のあるものか)なんて俺には知ったこともないし、痛くも痒くもないんだぞ。 ふと、義姉の事を思い出す。 (あの人も皿を割るたびに)こんな風に思ったんだろうか。 怒る?とんでもない、皿なんか割れたって新しいのを買えばいいさ。だけどあんたは一人しかいないんだから。 ああ、しあわせだ。なんというしあわせだ。 (だから、不安で心が窮屈だ) 彼女は幸せだったんだろうか。 (いや、そんな事どっちだっていい) 気付いたら俺は泣いてた。痛かったのか、という優しい声を聞いて、(家に帰ろう)と思った。 (電車は、昼に一本、夜に一本しか通らないのだという。子供たちも居るが、彼らはバスで学校に行くらしい) 俺は、久し振りにおいしいと思えるご飯を食べて、夜になって家を出た。 (何だったのだろう。この家は本当に在ったのだろうか) ホームについてから振り返ってみたのだけれど、やはり遠くの方に小さな明かりがぽつぽつと見えるだけだった。 深夜、家の鍵は開いていた。 物音をたてずに自室に帰るとベットの上に丸くなったが居た。 まるで、幼いころに戻ったみたいに、俺はに寄り添って眠った。 (帰る家はちゃんとここにあった) |