光がどうして、こんな風になってしまったのか。
わかって私は嬉しかった(そして無性に、悲しかった)。
(ねえ、何でもっと早くに言ってくれなかったの?)
(私に後ろめたいから?)
ねえ、光、私たちってそんなに柔な関係だったのかな。






あの、女は。私の姿を見つけて小さく会釈をした。そして光の元を去って行った。
袋を重そうに持っている姿を見て(ざまあみろ)と心の中で笑ってやった。 私は嫌な女の子かもしれない、人として最低かもしれない、けれどそんなこと、どうだっていい。
あんたが今持っている袋の重さなんて軽いものだ。
私の心にあるおもさや、光の中にあるおもさや、失ってしまったものに対する何か、に比べれば。 それはとても軽いだろう。
(だって、あんたのそれは、家に帰ればもう持たなくていいんだから)




あの人が見えなくなったら、私たちは通りにふたりぼっちになった。
力の入らない手から、傘は滑り落ちて私たちはずぶぬれになった。 私はみっともなく泣いて、光を罵ったりして、地団駄を踏んだりしたけれど、 光はただそこに立っていた。 まるで、抜けがらのようにひっそりと雨に濡れていた。


どれくらい経った頃か(それほど経っていなかったかもしれない)、 「帰るで」と光が呟いて私の手を引いて歩いた。
落ちていた傘を拾って光はそれをさしてくれたけれど、こんなに濡れてしまってからでは意味がない。
だけど、まもってくれるものがあるというのは、心地いいものだった。 小さな屋根は、冷たい雨から私たちを守ってくれる。それがたとえ一時だとしても。

私はその、光の張った小さな屋根の下で辛いバレンタインの帰り道を思い出した。
あの日もこうやって、泣いてぐずる私の手を引いて光は歩いた。 光は何も言わなかった。今日と、同じように。




エレベーターを降りた後、淡々としていた光の足取りがふと止まる(帰りたく、ないんだろうな)。

「たまには、私ん家でご飯食べや」
「…それもええな。義姉さんの焦げたハンバーグ食うよりマシやわ」

(こんな時まで、突っ張らなくたっていいのに)と、私は小さく笑った。



鞄から鍵を出して鍵穴に差し込む。ぎいという嫌な音を立てて重い扉は開いた。 同じマンションだから作りはほとんど一緒だし、光が家に来るのは別に初めてではないのだけれど、 なぜか光は物凄く他人行儀で丁寧に靴を脱いで、所在なさげに玄関に立ちつくした (ずぶぬれだったから、遠慮したのかもしれない)。

「びっちょびちょや。どうせ私で家濡れるしかまへんよ。ていうか、そんな遠慮せんでも」

バタバタと風呂場からタオルを持って来てぽいと光に投げてやる。 光は相変わらず棒立ちのまま、髪の毛だけをがしがしふいた。

「着替え、うちのジャージやったらちょっとでかいし着れるかも。光、そんな大きなくて良かったなあ」
「うっさいわ」

私は部屋で、光はお風呂場でそれぞれ着替えをすませてリビングに集合する。 女子のジャージを着る光というのはとても滑稽でレアだった。 写メとったろ、と携帯を向けると軽く頭をはたかれた。

あったかいスープと、適当に作ったチャーハンで夕ごはんをすませて私たちはテレビを見た。 いろんな話がしたかったけれど、今はまだ早すぎる気がした。
ただ、お互いにソファーの上で寄り添っているそれだけで私は満足だった。
(光はちゃんとここにいる)
それが私の知っている光かどうかは置いておいて、それでも光はちゃんと居た。


なんとなく、こつんと手がぶつかって。
それでなんとなく、手を握った。
(ねえ私たち、双子だとかきょうだいだとか、そんな風にお互いにとってかけがえのない存在だよね)
なんとなく、涙が出てきて。
それを光が暖かい舌で、ぬぐった(動物が、するみたいな感じだった)。

それで私たちは何でかキスをした。
さっき光が、仁美さんとしていたのを思い出して私はとても腹がたった。 何でかなんて明瞭だ。だって私はあの女が嫌いだから。私から充お兄ちゃんを奪って、そして光を狂わせた。
だから、だから?

光は私にいっぱいキスをして、体中にキスをして、それで。
私はわけもわからずいっぱい泣いた。
(いや、なんか、アカン、こういうのよくない、私がじゃなくて、光にとってアカン)
頭の中で何度も何度もそう思ったのだけれど、どうしてもそれを声にする事が出来なかった。

(光が、)泣いていたからかもしれない。
光は私の前で初めて泣いた。
私はそんな光見たくなかった。

(だって、あの女に振られたから泣いてるんでしょう)

やっぱり私はあの女が憎かった、それはとても憎かった。私から充お兄ちゃんを奪い、そして光を泣かせるから。




触れ合った肌が悲しいくらいに熱をもっていて、私たちは違う人間として生きているのだと実感した。 知っているようで私は光の事を何も知らなかったのだ(やっぱり光は、私の知らない光だったのかもしれない)。

目が覚めた時、光は居なかった。
暗い部屋の中には、また激しく降り出した雨の音だけが私に寄り添っている。


(義姉さんの存在は、確かにあこがれやったかもしれんわ)
(それでも俺、ちょっとはちゃんと本気やった)

彼は泣きながら、そんな事を言った気がする。


目が覚めて全てが終わっても私はやはり、あの女が嫌いだった。


雨に切り取られた部屋


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