の言っていた通り午後になって空が暗くなり、部活に向かう頃には雷を伴った大雨になった。






雨でコートが使えなかったので、今日の部活は明日の繰り上げでミーティングになった。 夏の蒸し暑い湿った空気の中で、豪快な雨の音を聞きながら配られたプリントに適当に目を通した。
気を抜くと、今朝見た夢の事を思い出す。
それからの指先を思い出す。夢にリアルな感触が加わったみたいだった。 あの人も俺にあんな風に触れるのだろうかと。愚かな考えを抱く。
(馬鹿らしい)

はあ、と息を吐くと机の下でコツンと足がぶつかる。 何だと思って隣の先輩をちらりと見ると、いつになく真剣な(だから余計笑える)顔で「何かあったんか」と耳打ちしてきた。 この人、自分の事にはどんくさいくせにこういうところは鋭いんだよなあ(めんど) と考えて「別に、何もないですわ」と適当に返事をした (そういう風に構われるから、余計意識がそっちに行くんやないか)。
そんな後輩の無愛想な態度に腹を立てたりもせず、謙也さんは 「えらい深刻な顔しとったからな。まあ、何かあったらいつでも言えや」と、 妙に先輩ぶった恥ずかしいセリフを吐いた。
(謙也さんの事は嫌いじゃない、どちらかと言うと居心地のいい部類の人間だ) だから「っす」と短く挨拶をして会話を終わらせた。

(ああ、傘なんて持っていない)

耳に届く雨の音を音楽のように聴きながら、俺はますます憂鬱になった。





「…何してはるんですか」
「あ、光くん、会えてよかった〜」

最後まで集中出来ないままミーティングは終わった。 いつもやかましい先輩たちは雨だからかテニスが出来ないからか今日に限って静かであり、 そのせいで俺はいつもより滅入ったまま帰る羽目になった。
その上、これだ。
(何と言う日だ)

ジャージを頭から被って濡れながら校門へ向かうと、そこには見たことのある花柄の傘が見えて。 (勘弁してくれ)と思って立ち止まると、それはやはり義姉であったのだ。
声をかけるとパアッと明るい顔になり、さしていたいた傘の中に俺を入れる。

「光くん、傘持っていかなかったなあって思い出して」
「…で、俺の傘は」
「うん、あのね、夕飯のお買いものをしてたのよ。で、私の分しかなかったの」
「はあ…」

意図的に迎えに来たのではなく、夕飯の買い物をしながらふと思い立ったのだろう。 確かに片手には重そうなスーパーの袋がぶら下げてある。 それを無言で奪い取ると「力持ちがいるといいねえ」と義姉さんは笑った。

狭い傘の中で寄せ合った肩が、触れそうだった。

「あ、たくみのミルクも買っていかなきゃいけなかったの。ドラッグストアに寄ってもいい?」
「ええですよ」
「ごめんね、荷物重いのに」
「手、真っ赤にする程待っててくれたんやろ。そのお礼」
「光くんは観察力があるねえ」
「義姉さんは特に解り易い人やから」

(だけどあんたは、俺の事をちっともわかってない)
ドラッグストアについて、する事もなかった俺はただ義姉の後ろをついて回った。 ミルクを買うとしか言っていなかったのだけれど、 店に入った途端「そうだあれも、これも」といつの間にかカゴを満杯にする優柔不断な義姉。
レジに並んだ頃にはすっかり重たそうにしていて、そんな姿に小さく笑った。
その後、「あれ、今日はひとりじゃないんだね」とレジ係のおばさんが声をかけてきた (義姉さんは誰とでもすぐ仲良くなる)。

「弟さんかい?」
「ふふ、そう見える?」
「格好いい弟さんやねえ」
「でしょう」

(弟さん弟さんって、)連呼するな。
急に夢の内容が本物の記憶のようにフラッシュバックしてくる。
俺は、そう、義姉さんとキスをする。名前を呼ばれて、身体を寄せ合って、そして俺が彼女の名前を呼ぶ。
俺は、弟なんかじゃない。

「ちゃいます。恋人です」

口走った瞬間に、自分は何を言っているのだろうかと他人事のように考えた。 まるでそこに自分以外のもう一人の自分がいるようだった。
義姉さんは「こらー」と楽しそうに笑っていてそれに小さく苛立ちながらも、ほっとした。
(だって俺は、)

「違うの。夫の弟さん。だから弟であってるの」
「ああ、なるほどね〜こりゃ旦那の方もさぞかしイケメンなんだろね」
「んふふ、そうなの」
「アタシにもおすそ分けして欲しいくらいだね」

(願い下げだ)重い荷物が、ひとつ増えた。



店を出る頃には、だいぶ小雨になっていた。 これなら義姉さんの肩はそんなに濡れなくて済むかもしれない。 彼女は自分が傘を持っているからって、俺の方に面積を傾ける(大事なのはあんたの体の方なのに)。

「今日の晩御飯はねえ、ハンバーグだよ」
「へえ。ほな俺、自分の分は自分で焼くわ」
「ちょっと、どういう意味」
「炭やない夕飯にありつくための賢い選択すわ」
「生意気〜」

うりゃ、と義姉さんがほっぺたをつねってくる。
俺の両手がふさがっているからって、調子に乗りやがって。

ふん、とそっぽを向いて怒ったフリをしたら、予想通り「光くん?ごめんね、怒った?」としょんぼりする。

(ああ、あんたは解り易い)

きっと俺を見上げて不安そうに顔をゆがめているのだろう。
(小さな肩の熱を、近くに感じる)
ああ、あんな夢を見た日だからだ。
(彼女の指は、さっきどんな風に俺の頬に触れたっけ)



それは、ほんの一瞬。
かすめるように、重なった。


敗北者が見る夢と笑われても
(俺は本気やった)



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