翌日彼女は、いつもの調子で俺の前に現れた。 部活を終えて部室を出ると、扉のすぐ横に彼女が凭れ掛かっていた。 俺と目があうと軽い会釈をしてみせた。 「あの…昨日はありがとうございました」 「ううん。君が元気になったならよかったよ」 「大事にします。あ、今帰りですか?」 「そうだけど。さんも帰るなら送るよ」 「えと…今日ダビデくんと海に行こうって事になって、先輩も良かったらご一緒しませんか?」 「えっ。……俺はいいけど、何かお邪魔じゃない?」 「邪魔?」 二人が恋仲にあるかどうかは未だにわからない。けれど放課後二人で海に行くような親しい仲であるという事はその可能性はおのずと高くなるだろう。そこに割り込む程俺は無神経ではない。彼女に対する恋心は確かにあるが、彼女が誰と一緒になるかは彼女自身が決める事。 しかし彼女はそんな俺の気遣いの意味がわからないらしく眉をひそめた。 「ただのネタ探しと気晴らしですし。あ、先輩が嫌なら無理はいいませんよ」 「いや、君がそれでいいなら行くよ」 「じゃあ決定ですね」 そういうと彼女は小さく微笑んだ。その時丁度ダビデが部室から出てきて俺たちは歩き出した。 彼女は気にしていないようだが、ダビデはどうなのだろうか。ダビデの顔をちらっと盗み見たが、そこには相変わらずのポーカーフェイスが張り付いており心の中はわからなかった。 海は穏やかに凪いでいた。 相変わらず夕日を飲み込んで海は真っ赤だったが、もう不気味だとは感じなかった。 鞄と靴を早々に脱ぎ捨てると、彼女は海に向かって走り出した。ダビデもそれに続くように走り出す。 浜辺でしゃがみこんで砂を見つめる二人のシルエットに、また息苦しさを感じた。 こんな自分、醜いと思う。 彼女に対する想いだけは膨らんでゆくけど、それに対して俺は臆病になっている。 彼女の傍にあるダビデの存在が俺にそうさせているのかもしれない。 今まで何人もの女の子から告白を受けてきたが、それがこれ程苦しくて緊張するようなものだとは思っていなかった。 俺がそうしてきたように、もし思いの丈を彼女に告げて拒まれたら。 そう考えたら怖くて仕方ない。 目を瞑って立ち尽くすと、磯の香りと共に涼しげな風が頬を撫でた。それが心地よくてしばらくそうしていると、砂のさらさらと崩れていく音が近づいてきた。 「サエさん」 探るような後輩の声に目を開けると、ダビデの髪が夕日を背負ってますます色味を強くしていた。 「どうかした?」 「………はいい友達。それ以上でもそれ以下でもないし、にもその気は無いと思う」 ダビデは俺の隣に並ぶと躊躇いなく腰を下ろした。 彼のいいたい事がわかって俺は急に自分が恥ずかしくなった。 「…参ったなあ………何か俺、すっごい惨めだな」 「サエさん、あいつと俺が一緒にいる時俺の事凄い目で見る」 「そうかい?」 「思ってるより嫉妬深いと思う。サエさんは」 ダビデが居なくなってもなおしゃがんで砂をじっと見つめる彼女。 彼女の目にはどんな風にこの世界は映っているのだろう。 彼女の目には、どんな風に俺が映っているのだろう。 嫌な汗がじわりと浮かぶのを背中に感じた。 「あなたといると、とても楽しい。愛のはじまり」 「………ごめんダビデ。俺、そういう趣味ないんだ」 「………………………」 「ウソウソ。どうした急に。俺もお前と居て楽しいけどね」 「サエさんが持ってきた花の花言葉だって。が言ってた。凄い、嬉しそうにしてた」 それをどんな風にとればいいのだろうか、ずるい俺は自分に都合よく解釈をしてしまう。 けれど独りよがりだったら? 「徹底マークのサエさんが今回だけは弱気。俺、先かえるからあいつよろしく」 珍しく駄洒落が出ることなく、真剣な顔つきでそれだけ言うとダビデは立ち上がった。本当に帰ってしまう気でいるのか靴を履いて鞄と持つと、すたすたと歩いて行ってしまった。 彼女を一人置いていくわけにはいかない。俺には逃げ道がないということか。 ダビデも駄洒落以外に考えてることあるんだなあと妙に関心しながら、それでも俺はまだ戸惑っていた。 傷つくのが怖くて恋愛なんて出来やしない、それはよくわかっていた。 というかわかっているつもりだった。 でもたぶん、わかっていなかった。 「ダビデ、用事があるから先帰るってさ」 「そうですか。ネタ探し終了ってことですね」 ゆっくり近づいて彼女にダビデが帰った事を告げると、顔も上げずに彼女はそれだけ言うとふいに立ち上がった。 話すネタを考えていると、彼女はざぶざぶと海に向かって歩き出し、スカートの丈が海水に触れるか触れないかのところで立ち止まった。 「ライムロックルビー。初夏から秋までの間に花を咲かせるんです。 寒さにも暑さにも強くて、株も大きくなります」 「…詳しいね。俺が昨日中庭からとってきた花のことだよね?」 「よく中庭でパート練習してるんです。 夏は吹奏楽部も大会でピリピリしててあんまり好きな季節じゃないんですけど… 群生でたくましいあの花見てると何か元気でるんですよね」 「そっか…」 「私たまに嫌になるんです。吹奏楽部のたくさんの人の中に埋もれて息苦しくなって。 だけどあの花は、群がってインパクトを与えるものだから…」 はたと、彼女とであった時の事を思い出した。 あの日彼女が言っていた事が今になって理解できた気がした。 確かに吹奏楽部は校内でも一、二を争う大きな部活だ。迫力のある人数で奏でる音はとても印象に残る美しい音楽だが、一人一人の個性というものはあそこではあまり活かせないのだろう。ハーモニーは和が命。独自性を生きる彼女にとってあそこは狭い世界だったのかもしれない。 それに、あの時期新入生が部活動見学に回っていた。人の波とは彼らの事を言っていたのだろう。 「だからとっても嬉しかったんですよ。先輩があの花を持ってきてくれて」 「花言葉の意味を知ってた身としてはどう思った?」 底意地の悪い質問だと自分でも思った。 けれど彼女は俺の問いにはっきりと「嬉しかったです」と答えてきた。 彼女はざばっと音を立てて振り向いた。 そのシルエットが沈んでゆく太陽に呑まれていきそうで思わず息を呑んだ。
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