すぐそこに夏が迫ってきた。 大会が近くなり部活もハードになってきて、緊張も生まれる。 そんなある日、ダビデが部活に遅刻した。 日直でいつもより部室へ向かうのが遅くなった。ほかのメンバーはすでにコート整備に入っており、部室には掃除当番で遅くなったという剣太郎しかいなかった。 すばやく着替えに入り、靴を履き替えようと思ったらとっくにコートに入っていると思っていたメンバーのうち、一人分のシューズがぽつんと部屋の隅に取り残されている。使用しているメーカーが各々異なる俺たち。あれは確かダビデの… 「剣太郎、ダビデから遅刻とか欠席の連絡あった?」 「え、何いきなり?」 ラケットを持って部室を出ようと扉に手をかけていた剣太郎の背中に声をかける。 振り向いた剣太郎はしばらく考えて、「なかったと思うけど…きてないの?」と返してきた。 日直はこないだ当たったらしいし、掃除当番だって先週終わったばかりだと思う。 まただ。 なんだか嫌な気持ちがこみ上げてきて、根拠もないのにきっとダビデはさんと一緒だなんて勝手に決め付けた。不思議そうな顔をする剣太郎に、ちょっと探してくると言い残してそこを去った。 別に、少しぐらい部活に遅れたからって何だろう。そんなこと今まで気にしたことなかったのに。今はどうしても見逃せなかった。 部活が始まった時間帯の校内の廊下は静まり返っていた。 真っ先に向かったダビデの教室。階段を上って三階へ向かう。 なるべく音を立てないように教室へ近づいていくと、小さくすすり泣く声が聞こえた。 (ダビデの教室からだ) 扉についた小窓から中を覗き込むと、電気もついていない薄暗い教室の中で女の子が一人机に向かって突っ伏していた。彼女の肩はすすり泣く声に連動して小さく小さく震えていた。 机の上には植木鉢だけがぽつんと乗っており、机を挟んだ彼女の正面に、ダビデが向かい合って座っていた。 何も言わず、ただ困ったようにダビデは固まっていた。 扉にかけた手が、少し躊躇われた。どんな状況かはわからない。けれど二人きりのこの空気を壊したいとそれだけを思っていた。 ガラリと音を立てた扉に驚いてダビデがこちらを振り向いた。 彼女は相変わらず机から顔を離さずすすり泣くだけ。 「どうしたの?部活始まってるけど…遅いから見に来てみればどんな状況?」 「サエさん………」 「それとも、俺は立ち入らない方がいい話かな?」 少し意地悪で卑怯な言い方だったとわれながらそう思う。 二人の関係を遠まわしに探ろうとしている。 どうして俺はこんなことをしているんだろう、ふとそんな事を思ってひとつの答えが見つかった。 俺はきっと彼女に惹かれている。 最初は本当に興味本位だった。 けれど今ははっきりと、これが恋心であると言える。 あまり話すこともなければ会う事もない。けれどどうしても彼女のことが気にかかって仕方ない。 ダビデを見やると複雑な顔で俺を見上げてきた。 「マリリンが中庭に落ちた」 唐突なその言葉に意味がつかめなかった。 俺が顔をしかめると、ダビデはすぐに目の前にあった鉢植えを指差して、これがマリリンだと言う。 「帰りのホームルームに先生が遅れて。 ふざけてた男子がスチームの上で日光浴させてたマリリンにぶつかって転落」 「…マリリンって、花?」 「シクラメン。一年の三学期に各クラスに送られた鉢植え。が前のクラスから持ってきた」 だんだんと話が見えてきた。 彼女が泣いている理由はダビデとの仲とかそんなものではなく、シクラメンの事だったのか。 そう思って俺は一息ついた。こんな状況で不謹慎だと思ったが、それでも俺はうれしくなった。 「マリリン、去年のクラスの女の子みんなっ、で、大事にしてきた、友達だった、です…」 やっと顔を上げた彼女は、嗚咽の漏れるくちびるでそれだけを紡ぐと大事そうに鉢植えを撫でた。 指でなぞられたそこをよく見ると、セロハンテープの上にマジックでマリリンと書かれたものが貼り付けてあった。 ここが一階だったらまた、話は別だったろうがここは三階。この高さから落ちてはプラスチックの鉢植えは難を逃れても花はひとたまりもなかっただろう。彼女はばらばらになったシクラメンを見て、どんな気持ちでいただろう。 それにシクラメンは育てるのが難しいと聞く。姉がガーデニングが好きでよく自室で鉢植えの花を世話しているが、そういえば食卓でもシクラメンが元気が無くてというこぼれ話を聞いたことがあったことを思い出した。 冬を越して春を迎えさせた事は、彼女にとってとてもうれしいことだったに違いない。それも、クラスみんなで育てたものならなおさらだ。 苦労して世話していた頃の事を思い出したのか、彼女の瞳から涙がぽろぽろと溢れ出した。 ダビデはそんな彼女を放ってはおけなかったのだろう。 近づいて彼女を覗き込むと、はらはらと泣き濡れるその顔がとても美しく見えた。 初めてあった時から、特別美人だとか特別かわいいなんて思ったことがなかったのに。 こすって赤くなった目元とかカタカタ震えるくちびるがどうしようもなく愛おしくなって。 抱きしめたいという衝動に駆られたけれど、そんな事出来るわけもなく、俺はただ机の上の鉢植えを手にとって教室から走り去った。背中にダビデの名前を呼ぶ声が聞こえたけれど振り向かなかった。 階段をとばしとばし、全速力で駆け抜けた。 中庭へと続くガラス戸を乱暴に開け放って短い石段を降りる。 目に入ったのは、風に揺れる鮮明な赤。 初めて彼女を見たときに飛び込んできたのも赤だった。 群生しているかぶの周りの土を手で必死に掘り起こして、白の鉢植えに数本のまとまりを移しいれた。 名前も知らない花。 マリリンの代わりにはならないだろうけど、鉢植えもこれで寂しくないよ。 そう言って渡したそれを、彼女は笑顔で受け取った。 もうすぐ、六月が終わろうとしていた。 僕を貫く
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