目がさめると、見慣れた天井がそこにあった。
泣きはらした瞼が重く、腫れぼったく熱を持っていた。

自分でも不思議なほど、心の中は落ち着いていて、それでいて一つの答えを出していた。

私の中に彼がいる。
彼に恋する私がいる。
目を閉じれば、彼が見える。


その日から、私は彼に恋をした。
始まりこそ不純な動機だったかもしれない。けれど今は立派に胸を張って、彼が好きだと言える。
そんな微かに桃色に色づいた日常が、私にもやってきた。




11月にやってくる文化祭、例年行われる合唱コンクールで私はピアノ伴奏者になった。一年前の文化祭も、同じようにピアノ伴奏者に選ばれた。
だけど今年は去年と違う。少なからず、彼の心に自分の存在が出来たのではないかと、私は自信過剰にもそう思っていた。
もし彼の中に私がいなくても、私の中には彼がいる。
普段あまり熱心に練習をしない私は、彼の前でヘマをしないように毎日毎日練習に励んだ。

そしてやってきた当日、早起きをして身だしなみをいつもより長い間整えて。学校についたらはるかに何度も何度も『大丈夫かな?私、今日変?』なんて声をかけた。
本番がやってきても、頭にあるのは彼だけで。彼の事が気になって仕方なかった。
最後までちゃんと弾き終えたのが奇蹟だったんじゃないかと自分でも思っている。

拍手を一身に受け、クラスの発表は終わりを告げた。
熱くなる頬は、大勢の生徒の中のたった一人を意識してだった。



そしてそんな風に意識して過ごす日々は驚く程あっという間に過ぎた。
季節は冬、目前に迫るのはバレンタインデー。


は当然、佐伯君にアタックするんでしょ?」

部活で暗くなった帰り道、白い息を吐きながら隣を歩くはるかが呟いた。
はるかには、佐伯君から『ごめん』と言われた翌日、私が彼に恋をしていると気付いたその日に打ち明けた。『私、佐伯君の事好きになったみたい。』たったそれだけの言葉だったが、はるかは笑って『応援する!!』と私の手を握ってくれた。
それだけで、はるかや周りの友達と、距離が縮まった気になれた。

「チョコ…渡すつもりではいるけど……受け取ってもらえるかはわかんないや…。それに、鬱陶しいって思われるかもしれないし…。一回、ふられてるからさ…。」
「そっか…でも攻めの姿勢はいい事だよね!私も池上君に渡すつもり。頑張ろうね、!!」
「…おうよ!!」

はるかはとても心強かった。仲良くしてるほかの友達の誰よりも、私の事情を知っているし。一番親身になってくれる。
恋っていいなあ、そんな風に思えた事に自分でもおかしさを感じた。

訪れたバレンタインデー当日は、全校生徒が浮き足立っていた。
校内は甘い匂いに包まれて、女子達はもちろん、男子でさえ少しそわそわしている。そんな様子に、先生達はちょっとぴりぴりしていたようだけど、恋をする私達を止めるなんて誰にも出来やしない。

放課後、ロッカーを見て彼が帰っていないことを確認してから、さりげなくメモ用紙を靴の中に忍ばせた。
そのメモ用紙には、チョコを渡そうと考えていた場所と時間、それから自分の名前を書いておいた。もう卑怯なマネはやめようと思ったからだ。もし彼が私の名前を見て、いかないと判断したならそれでいいと思った。それなりの覚悟が、私の心の中にあった。


「あああー…どうしよう、来てくれなかったら………」
「大丈夫だよ!私の分まで頑張って来てちょうだい!」
「え、渡さなかったの!?」
「ううん…渡したかったけど……帰っちゃってたみたいで。今年は諦める事にしたんだ」
「…そっか……残念だったね…。よし、私頑張ってくる!」
「頼んだ!」

部活が終わってぞろぞろと帰っていく生徒達の波に外れて、私ははるかと一緒に居た。
刻々と迫る約束の時間に、不安も広がっていく。だけど逃げるのは止めだ。大体私は最初からふっきれている恋なわけだし、うじうじ悩んだって仕方無い。彼にどう思われようと、私はちゃんと私の気持ちを伝えたいだけだから。

はるかと別れて、約束の場所へ向かった。
学校の裏手で、そこは校内の廊下から漏れる光だけで薄暗かった。
あたりを見回し彼がまだ来ていないのを見て少しだけ安堵した。告白をした時よりも早く高鳴る胸が、強く自身を締め付ける。ふいに壁にもたれかかって目を瞑ると、「さん?」という声が聞こえてきた。

「えっ?」

誰もいないと思っていた小屋の影から、その人は姿を現した。居ないと思って安心していた自分は、自分の一挙一動に変なところは無かったかと必死に思い返した。
だけどそんな考えはすぐに頭の中から消えていった。

佐伯君が目の前にいる。
ちゃんと来てくれた…!

嬉しさに胸が張り裂けそうだった。
来てくれた、それだけでもう十分。

「来て、くれたんだ…」
「うん」
「あ、そう、これ!渡したくて…!」

念入りにチェックして、丁寧に包装した紙袋を彼の方へ突き出す。彼は紙袋をじっと見つめた後、ちゃんと受け取ってくれた。

「ありがとう」
「ううん、こちらこそ……じゃ、じゃあ行くね…!バイバイ!」

嬉しくて嬉しくて、飛びあがりたい衝動にかられた。
私は彼から逃げるようにその場を去ると、はるかの元へ急いだ。彼がどんな顔をしていたか、どんな声で自分を呼んだか、どんな風に立っていたか。
思い出そうとしても浮かんでこなかった。その時私の頭の中にあったのはただひたすら嬉しいという感情だけでいっぱいだった。




彼への想いは、日々募っていった。
何をするにも、いつだって彼の事を考えていた。

自分でもどうしたらよいかわからなくなるほど


私を置いて気持ちは加速していく

どうしたらいいのか自分でも
よくわからないんだ



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