中学校2年、あわただしく秋を終えようとしていた。
その頃の友達と繰り広げられる会話と言えば、恋に忙しい話ばかり。
親友のはるかと言えば野球部の池上君に夢中。彼は私とはるかと同じクラスで、ちょっと近寄りがたいとげとげしさを持った人だった。
けれど成り行きで同じ委員会に所属するようになって、彼と話をする機会が増えたら全然そんな人じゃなく、優しくて面白くてちょっと照れ屋な人だった。
はるかが惚れるのも何だかわかる気がするな、っていつも思ってた。

それと同時に、恋をしているはるかを羨ましく思っていた。
恋はしたいと思う。私だって彼氏が欲しいと思ってはいたが、いまいちぴんとくる人とめぐり合わない。

周囲の桃色の空気に、私だけが取り残されていきそうで怖かった。


そんなある日、テニス部に所属するいつも一緒にいるグループの友達が、一緒に男子テニス部の試合を応援に行こうと誘ってきた。
予定の無かった私は断る理由もなく首を縦にふった。

当日、そこで目に映ったのが佐伯君だった。
彼は女の子達の歓声と視線を集めたコートの中で、薄く意地悪い笑みを浮かべながら立っていた。

(ああ、あの人だったらいいかもしれない)

ぼんやりとした私の頭の中には、彼が私の彼氏だったら、友達とも胸を張って会話が出来るんじゃないかなんて、ちょっとずれた考えが浮かんでいた。
誰でも良かったのだと思う。学年で目立つ存在の人であったのなら、友達も私を認めてくれる。そんな理屈のない気持ちが心の中にあったのだ。


その日、家に帰って小学校のアルバムを開いてみた。
六角に通う生徒は同じ市の中の二つの小学校から集まっている。私の通っていた小学校の方は、もう片方の小学校より人数は格段に多く、卒業するまで同じクラスにならなかった人もたくさんいたし、面識の無い人も数多かった。
うろ覚えの同級生の中に、佐伯という名の人がいたような気がする。そんな記憶を頼りにアルバムを引っ張り出してみたのだった。

「やっぱりいた…」

ぺらぺらとめくっていったクラス毎のページに、確かに佐伯と言う名があった。
相変わらず女の子にもてそうな爽やかな顔立ちだ。
更にページをめくっていくと、クラス毎自由に使っていいページが現われる。佐伯君のクラスのページを見ると、軽い自己紹介のようなものが似顔絵つきでのっていた。

「誕生日…10月1日……3日後だ。」

声に出して呟くと、妙にリアルな気がした。私は急にとてつもなくいけない事をしている気分になった。
だけどアルバムを持つ手は、更にページをめくっていき、一番後ろのページでぴたっと止まった。目をおとしたそこには、卒業生全員の電話番号と簡易住所が掲載されていた。
佐伯君の家の電話番号を身近にあった紙に走り書きをし、すぐにアルバムを閉じた。

私は今、何を考えている?

その頃まだ携帯を持っていなかった私は、部屋に備え付けてあった子機を手に取ると床に座り込んだ。
心臓がばくばくといつもより早く脈打っている。
当たり前だった。だって私はあろう事か、佐伯君の自宅に電話をかけてその上告白をしようとしているのだから。
しかも、今日たまたま目に入って、恋をしているわけでもない相手にだ。

自分でも何を考えているのかわからなくなった頃、私は電話番号をメモした紙を握り締めて受話器を耳に押し当てていた。
何コール目かの呼び出し音の後、ガチャっという音がして受話器の向こうから『はい、佐伯です』という声が聞こえてきた。


「あっ、あの…佐伯君…あ、虎次郎君はいらっしゃいますか?」

思わず苗字を口に出してしまった。彼の家の人は皆佐伯じゃないか、なんてはっとしてすぐに名前を出したが。
その時初めて口に出した彼の名前に、罪悪感が全身を駆け巡った。

「虎次郎は俺だけど…どなたですか?」
「あ、ええと…同じ学校の……です。A組の、です」
さん……何か俺に用事かな?」

彼は私の苗字を呼んだ後、暫らく考えている様子だった。彼とは一度も面識が無いから、それも無理はないのだが。改めて彼の中に自分の存在が無いのだと思い知って、次の言葉を出すのがちょっとためらわれた。
だけどここまできたら引き返せない。どうせ、私の中にも彼はいないのだからおんなじだ。
それに、告白したって成功するとは限らないんのだし。

「あの…付き合ってもらえませんか?」
「え?」

『好きです』とは故意に言わなかった。
好きなわけではないと、自分の中に妙な蟠りがあったからだ。私が欲しかったのは彼の心ではなく、佐伯と言う名の彼氏の肩書きだった。

佐伯君は驚きの声をあげ、それから暫らく何も話さなかった。嫌な沈黙に、背中に変な汗をかいた。

「君は…俺の何処がいいの?」
「!!」

イエスかノーか、答えはそれだけだと思っていた。
予期せぬ展開にうまく言葉が紡げなかった。だって私は彼のことなんて何一つ知らないし、第一好きなわけではない。
答えるのが遅くなって変な間が出来るのが避けたかった私は、とっさに嘘をついた。

「それは、その…、や、優しいところとか……!」
「……………………返事、明日まで待ってくれるかな。」
「あっ、う、うん。わかった…突然ごめんね…」
「いや、いいよ。じゃ、また明日」

優しい彼の声が、いつまでも頭の中に反響した。まるで自分が恋に落ちたような甘い錯覚に囚われる。
何故彼は、『返事は明日』などと言い出したのだろうか。
見込みがあるのだろうかと変な期待を胸に抱き、私は早々に眠ってしまおうと思った。鼓動はいつまでもそのスピードを緩やかにしなかった。私はもやもやとした塊を抱きながら早く明日が来ないかとひたすら願った。


きっとあの日常、
私は恋に恋していた



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