能の歴史       
   
 能は南北朝から室町初期にかけて形と内容を整えた歌舞劇ですが,そ
の源流は奈良時代以前に中国から渡ってきた「散楽(さんがく)」だと
されています.散楽は唐・宋時代の中国の大衆芸能だったのですが,奈
良朝廷は雅楽と一緒に儀式用芸能として伝えてきました.平安時代にな
ると散楽は民間に広まり「猿楽(さるがく)」と呼ばれ,日本古来の芸
能と次第に融合してゆきました.鎌倉時代に入ると猿楽の集団(座)が
大和,河内,近江,丹波,摂津などにでき,神社や寺と結びついてお祭
り・法事などで活躍するようになったのです.猿楽は始め滑稽な物まね
や道化芸を演じていたのですが,この時代に盛んになった田楽の要素も
取り入れ,徐々に脱皮して歌や舞を中心にするようになり,更に話の筋
のある歌舞劇すなわち「能」を創り上げてゆきました.そして,室町初
期に現れた大和猿楽の天才観阿弥(1333年生1384年没)・世阿弥(1364
年生没年不明)親子によって能が大成されたのです.
足利将軍義光
 
 京都の今熊野で行われた観阿弥の猿楽を足利将軍義光が見物してか
ら,大和の結崎座を離れた観阿弥・世阿弥が創立した観世座は将軍家の
厚い保護を受け,隆盛の一途をたどると共に,大和を始め他地域の多く
の猿楽座は,地方でのみの活動を余儀なくされました.観阿弥は,今ま
でメロディーを聞かせるだけだった謡曲に,複雑で面白いリズムを取り
入れるという大改革を行いましたが,義理・人情をテーマにした分かり
易い能も創作しました.
 若くして父の跡を継いだ世阿弥は,一座を率いる責任を負いながら
次々と能を創作し,数々の著作を残しました.世阿弥は夢幻能と物狂能
という新しい形式の能を編み出し,能を面白い能から美しい能へ,芸術
性の高い能へと飛躍させ,現代まで生き続けるほどに能の質を高めたの
です.数十曲に及ぶ彼の作品が殆ど内容を変えずに現在も演じられてい
るのは,そのことを物語っています.現在活動している能楽各流派は,
それぞれ多少芸風が異なっていても観阿弥・世阿弥の創り上げた猿楽能
の伝統を受け継ぎ,更に発展させようと努力していることは言うまでも
ありません.ユネスコは能の伝統芸能としての価値を認め,2001年世界
遺産に指定しました.


能楽堂
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