異議
86.「kamzine」2005年4月号
2人は文字通り、時間が許すまで再会を楽しんでいました。
小林旭と浅丘ルリ子の対談の結びの文章。
「時間」が許してくれないものだから、ダダをこねて許してくれるまで再会を楽しんでいたということなのでしょうか。
まさかね。そんなの変だ。
「時間が許す限り」のつもりなのだろう。
この雑誌は産業経済新聞社の発行。
この会社、「ことば」というものを疎略に扱うことにかけては右に出るものがないように感じるのは私だけだろうか。
誌名の「kamzine」というのが意味がわからず、何だろう、と思ったら、表紙に、「おとなを幸せにする[歌・夢・人]マガジン」とあった。
「歌夢人」で「カムジン」らしい。なぜ「夢」を呉音で読むのかというのは引っかかるものの、わからなくはない。しかし、なぜ「kamzine」と表記するのだろう。
日本語を大切にしようという気持ちはないのだろうか。
85.「毎日新聞」2005.2.19夕刊
ホームレスの男性が飼育、50匹繁殖
散歩する人たちには「アイドル」だが、堤防に穴を掘ったり芝生を食べてしまい
平成大合併、離島の選択は
合併から離反する自治体が相次いだり、本土との海越え合併に踏み切った例もある。
どちらも同じ誤り。
「たり」は、並列するときに使うものなので一つだけということはない。
「食べたり飲んだり」「歌ったり踊ったり」を「食べたり飲んだ」「歌ったり踊る」と言ったら変だよね。
前者は「堤防に穴を掘ったり芝生を食べてしまったり」とすればいいし、後者は、「相次いだり、……踏み切ったりした例もある」とすればいい。
なお、前の文章は、一面にあるいわばリードで、本文は社会面にある。そこでは「堤防に上って穴を掘ったり、芝を食べたりしている」となっていた。
84.「毎日新聞」2004.10.14夕刊 「ガイドは田中・長野県知事 秋の信州路・はとバス同乗記」
なんと知事がワインをついで回っている。その宴席をじっと見つめる男がいた。立ち上がったばかりの県の信州ブランド戦略チームリーダーで政策秘書の武田雅宏(たけだまさひろ)さんである。
「立ち上がったばかり」か。組織を「立ち上げる」というのはよく目にする。「立ち上がる」は目的語を取らない動詞なので「立ち上げる」は誤りなのはたしか。
しかし、だからといって「立ち上がる」を使うのは無理だろ。組織が自分で立ち上がったみたいだ。そんなはずはない。
「設立されたばかり」と言えばいいんじゃないの。
83.「サンケイスポーツ」2004.10.5「鈴木雅之、三重・鈴鹿サーキットで「君が代」斉唱」
歌手、鈴木雅之(48)が三重・鈴鹿サーキットで決勝が行われるF1第17戦日本GP(8〜10日)の決勝前に、コース上で「君が代」斉唱を行うことになった。
鈴木の国歌斉唱は昨年10月22日のプロ野球・日本シリーズ第3戦「阪神タイガース×福岡ダイエーホークス」(甲子園)に続き2度目。
一人で「斉唱」は無理だろう。
「斉唱」というのは複数の人間が声をそろえて歌うことなんだから、一人でできるわけがない。
サンケイスポーツの人たちは、国歌を歌うことを「斉唱」というのだと思っているらしい。
82.「産経新聞」2004.8.13「暴力団員中心のオレオレ詐欺団 半月で1350万円荒稼ぎ」(茨城版)
被告らは一月七日に東京都江東区の男性(59)に電話で息子を装い「組関係の女に手を出した。手切れ金を準備してくれ」と言い二百五十万円を詐取するなど埼玉、千葉県などで詐欺を行い十五日間で計一千三百五十万円をだまし取った。
千葉市に借りた事務所内で電話をかけ、話がまとまると「代理の人が取りに行くから渡してほしい」と言い、宅配便を使って金を回収していた。
驚いたね、どうも。産経新聞では、詐欺団が金をだまし取るのを「回収」と表現するんだ。
念のためにほかの新聞サイトを見たら、「朝日」は「現金は宅配業者に取りに行かせた」、「読売」は「バイク便を使って、計1350万円を受け取っていたという。」、「毎日」には該当部分はなかった。
「回収」ってのは、もともと自分のものだったのが、よそへ行っていて、それを手元に戻すこと。産経新聞では、だまし取ることを「回収」というらしい。
81.「毎日新聞」2004.8.7「社説」公務員給与改革 総額人件費抑制に踏み込め
「天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」。給与改革に当たって、この先憂後楽の精神を忘れてはならない。
公務員の給与を引き下げろ、という趣旨の社説の結び。
はて、妙なところに引用したな、と辞書を引いてみた。出典は北宋の政治家・范仲淹の「岳陽楼記」で、「其必曰先天下之憂而憂、後天下之楽而楽歟」という文章になっている。
意味はいい。ただ、使う対象を間違えている。
范仲淹は、為政者に向けて言っているのだ。公務員は為政者か? むしろ、国民への奉仕者でなくてはならないはずだ。
毎日新聞では、公務員を、人民の上に立つ為政者と位置づけている、というわけではあるまい。
80.「産経新聞」2004.7.15「産経抄」
白さが売り物の湯は、数年前からねずみ色に変色してきた。そこで苦肉ならぬ“苦湯の策”として入浴剤を使った。
白骨温泉で、数年前から白濁させるために入浴剤を入れていたことについて。
「苦湯の策」とは何だろうか。「苦肉の策」ならわかる。自分の肉体を痛めつけることだ。これが『三国志演義』に由来することは知っている人も多いだろう。
敵をだますために自分の体に傷を作り、こんなひどい目にあったから寝返ってきた、と相手をだまして敵中に入り込む策だ。もとは「苦肉の計」だが、「苦肉の策」と言うことが多い。「苦」からの連想か「苦し紛れの作戦」という意味での用例が多いようだ。
ここでも、単に「苦肉の策として入浴剤を使った」とするなら問題はない。本来の意味から離れてはいるが、今日では誤用とは言えまい。
しかし、「苦湯の策」とは何だろう。お湯を痛めつけるということか。お湯を痛めつけたところで誰かを油断させることができるわけではあるまい。そもそも「苦湯」をなんと読ませるつもりなのだ。「くゆ」? 「くとう」?
さっぱりわけがわからぬ。
こういう文章を書く人は、伝統文化や言葉の背景なんぞ無視してしまえ、破壊してしまえとでも思っているんだろうね。
78.「毎日新聞」2004.5.8「余録」
ゴーヤーチャンプルーなど沖縄料理に欠かせない野菜。全国的に普及したのは、テレビドラマやヒット曲を背景にした「沖縄ブーム」のせいに違いない。
ゴーヤーが普及しない方が良かったという話なのかと思ったら、そうではないらしい。
「○○のせい」とあったら、その結果、良くないことがもたらされたような印象を受けるのは、私だけではあるまい。念のため、新聞がよくよりどころにする「広辞苑」を引いてみたら、「それがある物事(多くは、よくない物事)の原因・理由であることを示す」とあった。
『「沖縄ブーム」のおかげに違いない』と書けばよかったのに。
77.「読売新聞」2004.4.4「編集手帳」
「提灯(ちょうちん)に釣り鐘」は、似て非なるものを指す。生徒と教師は非なるものどころではない。
驚いて、「提灯に釣り鐘」の意味を辞書で確認した。
「学研国語大辞典」には「〔形が似ていても、重さが比較にならないことから〕差がありすぎて双方の身分などがつり合わないことのたとえ。《類義語》月とすっぽん。」とあり、「広辞苑」(第四版)には「形は似ているが、軽重の差が甚だしく、くらべものにならないこと。物事のつり合いがとれないこと。縁談などにいう。浄、忠臣蔵「―、つり合わぬは不縁のもと」とあった。
「提灯に釣り鐘」は、「きわめて差が大きい」という意味に重点があるのであって、「似て非なるもの」という意味で使うことばではない。
類義語の「月とすっぽん」に置き換えてみればいい。
「月とすっぽんは、似て非なるものを指す」、という文章だったら意味が通じない。
この「編集手帳」も同じだ。
76.「読売新聞」2004.1.16夕刊
起訴状などによると、坂本被告らは、昨年7月12日ごろ、埼玉県内に住む当時16歳の女子高生を、東京都内の元議員の自宅に連れて行き、18歳未満であることを知りながらみだらな行為をさせたとされる。
これを読むと、「18歳未満であることを知りながら」が問題らしい。
この文章から、二つのことが分かる。
○読売新聞社は、18歳未満であることを知らなければ「みだらな行為」をさせてもいいと考えている。
○読売新聞社は、18歳以上なら「みだらな行為」をさせてもいいた考えている。
いいんですかねえ、それで。
でもって、毎度おなじみの「される」が登場している。文章の構成から考えると、「起訴状などによると……される」と呼応していることになる。
まるで無実の罪のように感じるのは私だけ?
「起訴状は……としている」ならまだすんなり理解できる。よほど「される」を使いたいんだね。
インターネット上で公開されている共同通信の記事では、この部分、
「調べなどによると、多田容疑者らは昨年7月12日ごろ、埼玉県の当時16歳の女子高生を、都内の元議員の自宅に連れて行き、18歳未満と知りながらわいせつな行為をさせたという。」
となっている。「調べなど」って、「調べ」のほかに何があるのか気になるところだが、読売新聞の文章よりはわかりやすい。
75.「読売新聞」2003.10.72夕刊(2版)
ダウンタウンの狭くて汚い団地の一室で、ひしめくように家族が暮らしていた。かつての香港では当たり前の光景だった。
マイケル・ホイの子どものころの話。
貧しくて住宅事情も悪かったということを言いたいらしいのだが、「ダウンタウン」とはどういう意味で使っているのだろう。
カタカナで書いてあるからには外来語だろう。どうみても英語だわな。
しかし、英語で「downtown」といえば、「繁華街」とか「都市の中心部」というような意味のはず。
念のために研究社の辞書を引いたら、 「下町を downtown と訳すのは正しくない」とはっきり書いてあった。
マイケル・ホイの一家は、香港の中心部に住んでいたのだろうか。まさかそんなことはあるまい。
察するに、日本語の「下町」のようなところ、という意味で使っているのではないだろうか。
英語風にすれば文章がよく見えるとでも思ったのかなあ。
74.「朝日新聞」2003.5.2夕刊(3版)
女性殴られ
45万円強盗
社会面の記事の見出し。
殴られた女性が強盗を働いたのかと思ったら、女性が、殴られた上に45万円の入ったバッグをとられた、という事件。
例えば「喫煙注意され暴行障害」という見出しがあったら、タバコを注意されて逆上し、注意した相手に暴行したのだな、と思うだろう。この見出しも、殴られた女性が強盗を働いたのかのような印象を与える。
2行の見出しなので、字数をそろえることを優先した結果、こんな見出しになってしまったのだろう。「女性を殴り 45万円強盗」でも字数はそろうのに。
73.「毎日新聞」2003.3.16朝刊 「日曜くらぶ」オンリー・イエスタデー
1958(昭和33)年、玉置宏さん(69)は若干24歳。
おお、「弱冠24歳」なら普通の間違いだが(最近では間違いではないらしい)、「若干24歳」とは。
「若干」は「少し」の意だから「少し24歳」だったということになる。
意味の通じない文章に比べれば、こういう間違いはかえってほほえましいのである。
72.「毎日新聞」2003.1.5朝刊 テレビ欄「視聴室」
文字どうり常に真剣勝負の武蔵の求道的人生は時代を超えた共感を呼び、最近は劇画でも人気だ。
まあ、単なる勘違いであって、誤植というべきなんだろうけれど。
「文字どうり」。
正しくは「文字どおり」なんだけど、こう書く人はけっこういる。
歴史的仮名遣いで「ほ」だったのは「お」になる。「通り」は歴史的仮名遣いでは「とほり」だから、「とおり」でなくてはならない。
そんなこと言われたって、歴史的仮名遣いなんか知らないのが普通なんだから、困る。「とうり」と書きたくなって当たり前。
「尊い」は「とおとい」じゃなくて「とうとい」。(歴史的仮名遣いでは「たふとい」)
記者を責める気はしないのだけれど、常用漢字のような、お上の決めた基準を墨守して事たれりとすることの多い新聞としては、こういう間違いは許されないのでは。
漢字で書くかどうかとは違って、仮名遣いの場合は、みんなが同じ規則に従って書かなくては困るし。
実際にどのように発音しているかと、仮名遣いの決まりとは別問題なので、やはりとりあえずは「とおり」と書くしかないのだ。
71.「毎日新聞」2002.11.19夕刊 「ブルース・リーの精神、次代へ」
父の故郷とされる中国広東省順徳に今年3月、記念館がオープンした。
また「される」だ。
順徳がブルース・リーの父の故郷と「される」ということは、本当はどこが故郷だかわからないのだが、そう主張している人がいる、あるいはそれが定説となっているということなのか。
そもそも、いったいどこの誰によって「され」ているのか、それをはっきり書いて欲しい。
新聞記者の間では、「である」と「される」は同義で、「父の故郷である」という意味でしかないのだろうか。
不思議だ。
70.「朝日新聞」2002.7.30夕刊 「2002夏の連続ドラマ 記者座談会」
ゆ 永瀬正敏演じる探偵が主役の「私立探偵 濱マイク」(日本テレビ系)。こんなにカッコいいヤツ、久しぶり。松田優作とか萩原健一とか、自分の美意識にストイックな男を見てきた世代には格別の味よね。
松田優作や萩原健一というと、「探偵物語」や「傷だらけの天使」を引き合いに出しているつもりなんだろう。
そのことには疑問は感じないのだが、「自分の美意識にストイック」というのがわからない。
ストイックと言うからには禁欲的なんだろう。自分の美意識に禁欲的、ということは、自分の美意識を前面に押し出したりはしないのだろう。萩原健一についてはよくしらないが、松田優作はそうだったのか? 違うよね。
自分の美意識を押し通して生きていたとしか思えない。
一体何が言いたいのかさっぱりわからない評である。
69.「朝日新聞」2002.4.5朝刊 「みずほ銀行銀座支店 強盗未遂容疑 刃物の男逮捕」
近くの交番から警視庁築地署員2人が駆けつけ、女子行員になた(刃渡り約25a)を突きつけていたとことを取り押さえ、強盗未遂の疑いで現行犯逮捕した。(略)
調べでは、男は住所不定、無職A容疑者(34)。逮捕時2万円しか持っておらず、同署が動機などを調べている。
(人名は仮名にした)
女子行員に刃物を突きつけているところを取り押さえ、現行犯なのに「強盗未遂の疑い」とはどういうことなんだろうか。
「疑い」というと、強盗未遂があったかどうかわからないということになると思うのだが、現行犯なのだから、疑いはないはず。現場を押さえた現行犯であっても「疑い」とはこれいかに。
もう一つ。「逮捕時2万円しか持っておらず」だって。
私なら、「2万円も持っていたのか」と思うところだが、「2万円しか」だ。
新聞記者って、お金持ちなんだなあ。
68.「読売新聞」2001.7.25夕刊 2面「大松本零士展」の広告
松本作品に一貫して流れる男らしさや使命感、運命を背負う人間性など、テーマを掘り下げて紹介。
さてお立ち会い。
この文章、何を言っているのか理解できる方はぜひ名乗りを上げていただきたい。
私にはさっぱり分からない。
松本零士のマンガはずいぶん読んだが、何を言うちょるんか、おいどんには、ちーっともわからんばい。
松本作品に一貫して流れる |
男らしさ |
など |
使命感 |
運命を背負う人間性 |
ということなのだろうか。それとも、
松本作品に一貫して流れる |
男らしさ |
を背負う人間性など |
使命感 |
運命 |
ということなのだろうか。はたまた、
松本作品に一貫して流れる |
男らしさ |
など |
使命感、運命を背負う人間性 |
ということなのだろうか。
いずれにしても、ここでいう「人間性」という言葉の内容が理解できない。
「運命を背負う人間性」ってなんだ。「運命を背負わない人間性」や「運命を背負う非人間性」というのもあるのだろうか。
67.「読売新聞」2001.7.8 9日(月)のテレビ欄「あいのり」
そこで出会った老人から長寿の秘けつだというアルコール分70%以上の毒蛇酒を恐る恐る飲んでみる。
この文章、何が変なのかというと、「毒蛇酒」を「老人から」飲んだことになっているからなんだよね。
どうやって老人から飲むんだろうね。老人の体から毒蛇酒がしみだしてるのかね。
65.「週刊ゴング」2001.6.28 113ページページ写真説明
「あんな中途半端なアピールじゃね」と大森のアクシデントを鼻にかけず…。
(プロレスを知らない人にはなんだかよく分からないだろうけれど)大森の行動に対する三沢のコメント紹介。
いくら何でも、大森がしたことを三沢が鼻にかけることはあるまい。「鼻にかける」と言えば「自慢する」という意味だ。
おそらく、「洟もひっかけない」と混同してしまったのだろう。
64.「読売新聞」2001.6.6 「編集手帳」
東京・大手町の三井物産の人工池に、今年もカルガモ一家がお目見えした。
「お目見え」というと、時代小説などに出てくる、「将軍に目通りする」という意味がまっさきに浮かんでくる者にとっては、非常に奇妙な文章に見える。
気になって『広辞苑』(第3版)を引いたら、「新たに迎えられた俳優が初めてその舞台で演技すること。」という意味も載っていた。そういう意味で使っているのなら、「三井物産の人工池で」としなくてはなるまい。
ところが、『学研国語大辞典』をひいたら、「新しくつくられたものが初めて人々の前に姿を見せること。」という意味が載っている。用例もあるのでそれを見たら、何と「読売新聞」の新しい歩道橋ができた、という記事を引用していた。
うーん、新聞業界(少なくとも「読売新聞」では)、新しく何かが人目に触れることを「お目見え」と言うことになっているらしい。
しかし、そうなると、毎年現れるカルガモ一家をさして、「今年も……お目見え」というのは矛盾してないかい。
63.「読売新聞」2000.12.22 顔「大学は基本に戻るべき」
基本に帰って勉強すればいい。
まず、見出しが変なのである。
なぜ「べき」で終わるのか? 終止形は「べし」だから、「戻るべし」とすべきはずだ。
係り結びになっているわけでもないのに連体形で終わる必要はなかろう。
これは、東大の学長に決まった人へのインタビュー記事。見出しのもとになった当人の言葉としては、「基本に帰って勉強すればいい」とある。
これも引っかかる。「基本に帰る」ではなく「基本に返る」だろう。
例えば、「野性に返る」とは書いても「野性に帰る」とは書かないはず。元の状態に戻る、という意味なのだから、「返る」のはずだが、新聞社では「基本に帰る」とい表記することになっているのかなあ。
62.「読売新聞」2000.11.30 解説面「メディアの人権侵害に公的介入も」
マスコミの中にいる一員として、言葉だけでなく真摯(しんし)に反省したい。
「一員」というからには、あるグループの中にいるのは決まっているのだから、「マスコミの中にいる」と書く必要はない。「マスコミの一員」でよかろう。
それよりも問題なのは「反省したい」だ。
この「たい」については以前にも例を挙げた。
意味もなく使っているのかと思っていたのだが、そうではないらしい。
ここでは「反省したい」と言っている。
反省したい
↓
これから反省したい
↓
しかし、反省できない事情がある
↓
だから、これからも反省はしない
↓
当然、これからも今までのような人権侵害を続ける
こういうことを言いたいのだ。
未来永劫、人権侵害を繰り返し、その都度、「反省したいんだけどねー」と言ってそれで済ませてしまおうという決意表明なのだろう。
さすが新聞記者。だてに文章を書いて食っているわけではない。
61.「読売新聞」2000.11.28 「新世紀を生きる 医療ルネサンス大阪フォーラム」
笹沢左保の紹介文
「本格ミステリー小説のほか、また旅ものに新境地を開いた「木枯らし紋次郎」シリーズはテレビ、映画化され、大ヒットとなる。
「また旅もの」というから、旅行を中心にした小説家と思ったら「木枯らし紋次郎」ときた。
「股旅物」だと理解するまでに時間がかかった。
「股」が常用漢字に入っていない、というだけの理由でこんな妙な表記をするわけだ。
新聞って、「拉」が常用漢字に入っていなくても「拉致」は大好きなのにね。
「また旅もの」では、「股旅物」という言葉を知らない読者にはまったく意味が分からないだろう。