水子追善供養をされた方々がよく、感謝のメールを送って下さいます。このようなお言葉をいただきますと、「こんな若輩者でも皆様のお力になれているんだな〜」と嬉しく思えます。ここでは、そんなお便りの一部を紹介させていただきます。
本日は、水子の供養をしていただきありがとうございました。
実を申しますと、悩んだ末の堕胎といってもとてつもない非道な事をしてしまったと思い、これから先の自分自身の幸せも諦めていました。喜びも楽しみも、もちろん笑う事さえ出来ないと思っていました。
しかし今日、供養のお経をあげて頂き、観音様の優しいお顔を拝見し、そして和尚様のお言葉を頂き、下向きだった気持ちが上向きになりました。帰途の車の中で止めど無く、初めて悲しみとは別の涙があふれました。
水子になってしまった赤ちゃんはこれから先、私の心の中で生きつづけます。唯一の思い出の写真はこの子との大切な絆として、大切にします。常にそばにいてくれるのだから、正しく、自身の幸せを追いながら、精一杯生きていきたいと思います。
和尚様のかけてくださったお言葉は忘れません。そして、観音様の優しいお顔を見に、これからもうかがわせて頂きます。本日は本当にありがとうございました。
今日は本当にありがとうございました。
結婚して一年、やっと赤ちゃんを授かったと喜んでいたのも束の間、今年初めに流産してしまいました。夢にまでみた我が子の顔を見ることができなかった悲しみ、やっと授かった我が子を守ってあげることができなかった悔しさ、色々な思いで毎日を過ごしていました。
何もしてあげられなかった赤ちゃんのために今何かできることはないのかと思っていた時に水子追善供養を知り、保福禅寺さんを訪れることを決めました。そして今日、供養していただくことができ、和尚さんのお話を聞いて気持ちの整理を付けることができました。
ほんの短い間でしたが、私達の子どもであったことは事実です。この世に生まれてくることはなかったけれど、私たちにとって必要だったから赤ちゃんは私たちのもとに来て色々なことを教えてくれたのだと思います。これから先、子宝に恵まれたとしても赤ちゃんのこと、そして今日のことは絶対に忘れることはありません。明日からも三人で歩いて行きたいと思います。本当にありがとうございました。
こんばんわ。昨日は私達の赤ちゃんの供養をしていただき、有難うございました。
有難いお話をしていただいて、少し気持ちが落ち着きました。先週は眠れない夜が続いて続いておりましたが、昨晩は久しぶりに安心して眠れました。私たちの身勝手でしたことなのに、気持ちを楽にしていただいたことに感謝しています。
彼とも、心から笑顔になれうようにゆっくり進んでいこうとあの後、話しました。時々、お参りにいかせていただきます。本当に有難うございました。
拝啓 寒さ厳しき折から、いかがお過ごしでいらっしゃいましょうか、お伺い申し上げます。心ならずも長々のご無沙汰まことに申し訳ありませんでした。
昨年は水子供養をして頂きありがとうございました。○月○日に流産し、○ケ月以上が過ぎました。流産した日から塞ぎがちになる日々が続いていましたが、○月○日にお伺いして供養して頂き心がスッと軽くなりました。供養後、和尚様にかけて頂いた言葉に私は救われました。いつまでも悲しんでいてはいけないと思えるようになりました。
流産したという現実をしっかりと受け止め、赤ちゃんが残してくれた温もりや意味を忘れず、主人と一緒に乗り越えていきたいと思います。
○○からお伺いしましたのでなかなか頻繁にはお伺いすることができませんが、清水の方へ行った時には是非お伺いしたいと思います。
本当にありがとうございました。 敬具
○月○日に赤ちゃんの供養をしていただき、本当にありがとうございました。当日のうちにでもお礼のメールを出したかったのですが、お寺に行った日の夜から風邪をこじらせてしまい、遅くなってしまったことをここにお詫び申し上げます。
今からおよそ半年前、自分達の勝手な都合で、赤ちゃんを堕胎してしまい、 自らのしたことを悔やみ、辛い日々を送っていました。
実は一度別のお寺で供養していただいたのですが、その場に立ち合わなかったため、 実感が湧かず、もう一度供養していただくことにしました。 これからも毎日お線香をあげ続けたいと思っております。
そして、時々観音さまのところに手を合わせに行きたいと思っております。 質問なのですが、もし、お寺に行くときお供え物がある際はどのようにしたら良いの でしょうか? 長文・乱文にて失礼いたしました。 また帰りの際、車で送っていただき、本当にありがとうございました。
これからも和尚様からのお言葉を忘れず、一日一秒でも手を合わせていきたいと思います。清水に来たときはまた手を合わせに行きたいと思います。本当に本当にありがとうございました。
拝啓、前略 先日お世話になりました○○です。先日は、御多様の中手厚いご法要ありがとうございました。あまりにご丁寧で、御聖人さまのお心のこもったご供養に、母親も感激して、思わず涙が出てきたと申しておりました。
ご懸念されていたようなことではなく、言葉足りず、かえってご負担をお掛けし、申し訳ありませんでした。さまざまな人の思いを受け止めるお仕事の重さを、痛感しました。
私どもは、長年心の片隅に忘れ去られていたことを、おかげさまで、節目の年に、ご供養でき、感謝しております。本当にありがとうございました。
今後も、御聖人さまのご活躍期待しております。 敬具
先日はどうもありがとうございました。少し気が楽になれました。気持ちを大切にします。
こんばんは。○○です。今日は、供養していただきありがとうございました。
お経を唱えて頂いている時、悲しかった気持ちが込みあげてきました。そんな時 私の隣にいた 8歳の長男が号泣していました。
彼は 赤ちゃんが出来た時は、とても喜んでくれました。流産した事を、彼に話をしたらショックをうけるんじゃないかと心配しました・・・話をすると、少し驚いていたぐらいだったので その時は安心しましたが・・・本当は彼もとても辛く悲しかったんだなぁと・・・
家に帰り、家族みんなで「赤ちゃん、天国に行けて良かったね。これからも忘れないようにしようね」と話をしました。
これからも みんなで供養したいと思います。時々はお寺の方にもお伺いしたいと思います。今日は ありがとうございました。
先日はありがとうございました。供養していただて少し何かが変わったように思います。子供を失って間もないですが、この世に生まれてきている人が亡くなった場合は49日まで家の屋根にいるとか・・・聞いたことがあったので何とかそれまでに、してやりたくてお願いいたしました。
戒名のことをお聞きしたのは、子供を私たちの決断でこういうふうにしてしまったから参考までにお聞きしました。
まだまだ身体も元に戻らず次から次へと身体に異変があり不安の中、また、同じ職場の人の結婚。妊娠。精神的にもまだまだで、近くでお腹が大きくなっていくのを見ていくということ、もちろん、おめでたく嬉しいのですが、なんともいえない感情のやりとりをしました。ですが、今回こうして供養していただいて、まわりでの出来事、してしまったことを心に受け止め、生きていこうと思います。
また2人でお伺いさせていただき手を合わせに行かせていただきます。
一筆申し上げます。いよいよ師走の声が近づいてきました。先日は保福禅寺住職様に水子供養をしていただき、大変お世話になりました。供養後、住職様にいただいたお話が心に響き、これからの心の支えとして、胸にしまっていこうと思います。
帰り道にふと見た、真青な空と、どこかのお家のベランダにゆれる赤ちゃんの白い肌着がとても美しかったです。寒さが厳しくなっておりますので、御身体ご自愛下さい。
昨日はお時間を作っていただき、水子供養、そして私の話を聞いて下さり、ありがとうございました。
12年前子を授かり、産むことを諦めてからずっと、心から幸せを感じて笑えたことはありませんでした。後に結婚したことも、また子を授かり産んだことも、嬉しいことで幸せなことなのに、どこかで、この私が・・・いいのだろうか・・・と、いつも思っていました。主人を騙して、産むことを諦めた子にも何もしてあげられなくて、毎日が辛かったです。
ですが、主人に打ち明けて、お寺に行く事ができて、少し楽になりました。そして、何よりも和尚様のお話を聞いて、私の考えが変わりました。泣き顔ばかり見せていても、子は喜ばないんだと私もそう思いました。私の母の顔を思い出すと、優しく微笑んでる顔が思い浮かびます。やはり、母の泣き顔は見たくないと私も思います。私はこの12年間、子に悲しい顔しか見せてこなかったし、私がそんな顔をしていたので、子もずっと悲しい気持ちだったと思います。笑顔一つあげれなかったことを反省し、これからは温かい愛で温かい笑顔で包んであげたいと思いました。
そして、後に産んだ子を可愛がりながら、産めなかった子に申し訳ないと思っていた心も、その気持ち自体が差別であると和尚様から伺って、いけない心だったと反省しました。二人とも永遠に私の子であることには変わりはなく、二人にしてあげられることは同じことではないけれど、別々のことであっても想う気持ちは同じなんだと考えさせられました。
これからは、別々のやり方でいいから、できるやり方で二人を心から愛していこうと思います。そして、理解してくれた主人に感謝し、主人と子二人の家族を大切にし、家族とともにこれからの人生を頑張って生き、幸せになろうと思います。
和尚様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。またお地蔵様に手を合わせに、そしてお線香をあげに行きたいと思います。ありがとうございました。
今までずっと誰にも言えず、気になっていたことだったけれど、7年も経ってしまっていて、今更どうしてと思われるのではないかと考えながら行きました。でも、丁寧に供養して頂いた事、そして、供養の後に話してくださった事は私たち二人の気持ちを安心させてくれました。お伺いして本当に良かったです。感謝しています。
自宅の近くにこのような場所があったことに感謝して、また、時々手を合わせに行こうと思います。ありがとうございました。
本日お世話になりました、○○です。とても丁寧な供養をしていただきありがとうございました。
3年という長い年月ずっと悩んだり、自分に言い訳をしてきましたが、今日きちんと供養をしていただいて気持ちが前向きになりました。今後は和尚様が最後にお話下さったことを胸の中にきちんと置いて、亡くなった子供のことをもっと思ってあげられたらと思います。また時々お伺いさせていただきます。
それから、帰りにバス停まで送っていただきまして、ありがとうございました。大変助かりました。本日は本当にありがとうございました。
本日は、ご供養していただきありがとうございました。
堕胎手術の日が決まったその日から、何の罪も無い赤ちゃんの命を 奪ってしまうことへの罪悪感をずっと抱えていました。 それなのに、私の周囲の人達にはこの事を告げることもできず、何事も 無かったかのように今まで通りの毎日を過ごしてしまっている・・・ そんな自分自身がとても嫌で、自分を責めていました。
ご供養後のお話を伺うときに、もっと自分の気持ちを伝えたかったのですが 声と共にあふれてしまう涙を止められず、ほとんど話せませんでした。 でも、お話を伺ってかなり気持ちが楽になりました。 今はただ、ご供養して頂いたことへの感謝の気持ちでいっぱいです。そして赤ちゃんが天国へ辿り着いてくれることを心から祈っております。
本当は、今日お花も持って伺いたかったのですが、用意ができなかったので 今度伺う時は、お花をお供えしてお地蔵様に手を合わせたいと思います。
本当にありがとうございました。
こんにちは。○曜日に水子追善供養をしていただきました、○○と申します。丁寧な供養をして下さり、本当にありがとうございました。
お経を読んでいただき、母親である私の他に、赤ちゃんの安らぎを祈って下さった事が本当にありがたく、感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。
手術から一ヶ月、泣くのはこれで最後にしなくてはと毎日思いながら、消してしまった命に対して申し訳ない気持ちと、犯した罪の重さは耐え難く、これが夢ならどんなにいいかと思う日々でした。
早く立ち直らなくては、強く生きていかなくてはと思う気持ちと裏腹に、涙が止まらない状況が自分でももどかしく、どうしたらいいのか分からずにいましたが、和尚様のお話を伺って、少し肩の力が抜けたような気がしています。
和尚様がおっしゃったように、気持ちの整理をつけるのにはまだまだ時間がかかりそうです。それでも、いつかは涙ではなく、穏やかな気持ちで赤ちゃんを想えるように、焦らず毎日を丁寧に生きていこうと思えました。
これからも、毎日手を合わせ赤ちゃんの冥福を祈りながら、折に触れて観音様に手を合わせにお寺に伺いたいと思います。ありがとうございました。
先日はお忙しいのに供養して頂きありがとうございました。とても感謝しております。今年中に供養してあげたかったので本当にありがとうございます。本当にありがとうございました。
先日はどうもありがとうございました。御礼が遅くなりまして申し訳ありません。何かすっきりといいますか、前向きに生きていこうと思います。あの子の為にも、自分の為にも。またお伺いさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。
昨日は永代水子供養をしていただき、本当にありがとうございました。
産みたくてもどうしても産めなかった末の事ではありますが、2度も同じ過ちを繰り返してしまい罪の意識でいっぱいでした。この先 自分自身が幸せになってよいのか、自分が生きてる事さえ許されるのかわからなくなっていました。しかし誰にも言えず、何事もなかった様に過ごし、笑うしかない自分が許せませんでした。
昨日 とても丁寧に供養をしていただき、副住職様のお話を伺い心が救われ気がいたしました。副住職様のお話を伺い、産めなかったとはいえ 私はお母さんなんだと思い、水子たちのためにお母さんの私のできることはずっと忘れず、手をあわせ供養をしてあげることだと思いました。
妊婦さんや子供を見ると、まだまだ辛い思いをしますが少しずつ乗り越えて自分の幸せを見つけたいと思います。
また観音様に時々 手を合わせに伺います。昨日は本当にありがとうございました。
本日はお忙しい中お時間を作っていただき、また丁寧に供養していただき本当にありがとうございました。
忙しいから・・・と自分に言い訳をして逃げていたと思います。そんな自分がずっと嫌で、だけどどうしたらいいのか分からなくて何年も経ってしまいました。
ですが今日、和尚様のお話を聞いて少し心が軽くなりました。本当にありがとうございました。
今日はお世話になりました。
忘れないことが大切と思って過ごしてきましたが、ずっと一人で抱えていたので、今日お寺に行かせていただき、しっかりと手を合わせたことで気持ちが楽になりました。
亡くなった子には私しかいないので、私がしっかりと人生を歩まなくてはと思いました。悲しかったことにも、今は感謝しています。今日は朝早くから本当にありがとうございました。